第三話 初任務

「おいおいおい、ちょっと待て!!一回止まれえぇぇ!」


 民衆が避難を終えた大通りは、つい先程までの活気に満ちた喧騒が嘘だったかのように閑散としている。

 そんな通りのど真ん中を、襟首を掴まれたシュノは、ごねる子供のように手足をバタつかせわめきながら、延々と地面を引き摺られてゆく。


「せめて説明くらいしろ!どこ行くつもりだ!?おぉい、聞けよぉぉぉぉ!!」


 最早敬語も忘れて怒鳴り散らすシュノに対し、その襟首を掴むイルリースは何処吹く風といった様子の無表情で無視を決め込み、淡々と歩き続ける。


 避難による混雑に逆らい進むにつれ、どこかからか断続的に鳴り響いてくる破壊音と地面を伝わってくる振動は、当初より大きくハッキリと感じられるようになっている。


(このまま行くと、確実に死ぬって………!!)


「クッソこんにゃろ、離せっつってんだろうが!!」


 恐怖と焦燥に駆られたシュノは、何度目とも分からない怒声と共に、イルリースの握力から逃れようと思い切り身を捩り――――――


「ぐぇあっ!?」


――――――思い切り後頭部を強打した。


 唐突にシュノの襟首から手を離したイルリースは、打撲部を抑え悶絶するシュノを尻目に、自らの外套の内に手を差し込む。

 内から取り出したのは、喫茶店で見せた件の黒手帳。

 それを無造作に開いたイルリースは、そこから一枚足りとも捲らぬまま、頁に視線を落とす。

 目で何かの文章を追うような仕草を見せた後、彼女はふぅ、と小さく溜め息を吐いた。


「二人、ね」


 そう呟くと、パタリと小気味良い音をさせて手帳を閉じ、それからやっと足元のシュノに意識を向ける。


「何をしてるの、新人君。早く立ち上がりなさい」

「解せん………」


 シュノは、自分の立たされた不条理な状況に不満を滲ませつつ、ヨロヨロと起き上がる。

 その前でイルリースは、何かの準備運動をするかのように手首や腕を軽く回し、ほぐしながらシュノに問う。


「時に新人君、質問してもいいかしら?」

 

「………何か?」


「貴方、空を飛びたいと思ったことはある?」


 何の脈絡もなく提示された問いに、シュノは「はぁ?」と眉をひそめた。


「いや、まぁ、小さい頃にはそんなことも思ってましたけど………それが何か?」


 困惑したような声音で返された答えに、イルリースは「そう、それはよかった」と満足そうに頷くと、素早く右手を伸ばしてシュノの襟首を捕まえる。


「感謝なさい。その夢、今から叶えてあげるわ」


「へ?ちょ、待っ」


 制止をかけようと声を上げたシュノは、しかしそれを最後まで言い終えることは出来なかった。


「―――――――倍加ダブルエンフォース


 誰ともなく呟かれた声に呼応するように、イルリースの身体の周囲の空間が、確かな『歪み』を見せる。それは一瞬間の揺らめきの後霧のように消え、それと同時にイルリースは、一歩前方へと大きく踏み込んだ。


 刹那。


 耳を劈くような爆音と共に、イルリースの足元の石畳が陥没した。

 遅れて、踏み出した足を中心として放線状の亀裂が地を走り、衝撃が通りを駆け抜ける。

 シュノの身体は声を上げる間もなく宙に浮かぶが、イルリースの右手はそれをしっかりと掴んで離さない。

 そのままイルリースは、流れるような動作で腰を捻り、力を溜める。


「行ってらっしゃい、新人君」


 一瞬の静寂を挟み、シュノを掴んでいる方の腕が、掻き消えた。否、目にも止まらぬ速度を以て振り抜かれた。

 放出リリース地点に衝撃波が弾け、シュノは砲弾じみた勢いで上空へと射出される。


「………さて」


 狙った方角と高度でシュノが飛んでいくのを確認したイルリースは、それとは反対の方向へ顔を向ける。


「私は、こっちを片付けるとしようかしら」


        ▼▼▼▼


「………つまんね」


 男はそう呟き、欠伸をもらした。

 男の背後に広がる惨状を一言で言い表すならば、「破滅」。道の左右に建ち並ぶ家々は、そのことごとくが無惨にも破壊され、かろうじて残った一部の壁や柱が寒々しい荒涼感を漂わせている。

 それらを彩るのは、無秩序にぶち撒けられた赤黒い液体。液体を内包していたであろう肉塊は最早原型を留めておらず、液体と共に地や壁に貼り付いている。

 そんな凄惨な風景の中にあって、その男はカケラの緊張感も漂わせない。

 むしろ、至極くつろいでいるかのような、ゆったりとした足取りで通りを歩んでゆく。


(あんなあっさり街に入れたのも拍子抜けだったが………俺ら相手にこんな雑魚をぶつけてくるのは、どう考えても舐めくさってるだろ?)


 呆れた表情で周囲に視線を巡らす男は、そこでふと、何かを察知して動きを止める。


(これは………………同類か?)


 それは、例えるならば「第六感」。

 彼らのみに備わる、互いの「存在の気配」そのものを感じ取る機能であり、彼らはそれを脳裏に揺らめく色のようなイメージとして知覚する。


 揺らぐ色彩が急速にその主張を増大させていることから、男は《何か》が自分の方へと接近している状況に気が付く。


(ビビィ………じゃねえな。アイツはもっと東の方だ)


 共に潜入した相方の気配が、近付いてくるのとは別方向に居るのを確認し、男の表情に興味深げな色が浮かぶ。


(仲間か、それとも敵か。前者ならし、後者ならば…………尚好し)


 つまらないと、そう呟いていた男の口許が僅かに緩む。


(今回の目的はあくまで《陽動》。殺しがメインじゃねえが……………)


 男は肩に担いでいた大剣をゆらりと下ろし、瞳を閉じた。脳裏の微かなイメージを辿り、相手の位置を手繰る。黒の色彩が流れ込んでくるその源流を遡り――――


(――――成る程、上かっ!!)


 獰猛な笑みを浮かべ、上空を仰いだ男は―――

―――――それを見て、硬直した。


「ぅぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!!?」


………殺伐とした空気に反した間の抜けた悲鳴が尾を引いて落下してきたかと思えば、それは男の左前方にあった出店のテント屋根に墜落し、けたたましい騒音を響かせた。


「………は?」


 驚きと困惑とがない交ぜになったような表情で固まる男の視線の先で、それは崩れた荷物の山の中からヨロヨロと這い出し、そして――――


         ▼▼▼


「あんのヤロぉ、殺す気かぁぁぁぁぁ!!」


 シュノは天に向かって、大音声の怒声を放った。


 そのまま四つん這いで深呼吸すること十数秒。


 強制空中移動という名の大遠投を身をもって味わった恐怖が消化されていくにつれ、怒りと安堵とが沸き立つ。


(あの女、一体どんな肩してるんだ……とんでもない距離飛んだぞ、今?いや、それ以前によく死ななかったな、俺!テントの上に落ちたからよかったものの、普通に死ぬとこだったよホントに………イルリースとやら、後でぜってぇ殴ってやる)


 ひとしきりイルリースに対する恨みを脳内で並べ立て、ようやく落ち着いたシュノはふと辺りを見回し…………そこでようやく、少し離れた場所に立つ巨男と、その背後に広がる惨状とを認識した。


 途端、鉄じみた強烈な臭気が鼻をつき、シュノは思わず口許を抑える。


「…………おい」


 男の呼び掛けが自分に向けられたものだと理解し、シュノはビクリと肩を跳ねさせる。


「お前は何だ?」


 こちらを探るような目つきで眺める男に対し、しかしシュノは、臭気と血みどろの光景に気圧され答えることができなかった。

 シュノの無言をなんと理解したのか、男は「いや、つまりだな」と訂正を入れる。


「お前は俺の敵か?それとも同業者か?」


 同業者、という単語を聞き、シュノはつい先程もイルリースの口から同じ言葉が聞かれたことを思い出す。


(コイツは、イルリースや俺の仲間…………なのか?いやでも、状況を鑑みるに、街を襲撃してたのは明らかにコイツだろうし…………)


 シュノが答えあぐねていると、不意に、聴覚にザザッというノイズが走った。

 何だ?と思う間もなく聞こえてきたのは、聞き覚えのある声だった。


『新人君、聞こえるかしら?』


 飄々としたイルリースの声を聞き、シュノの頭は今の状況も忘れてカッと熱くなる。


「てめっ、さっきはよくも――――」


 そう叫び周囲を見回したシュノは、すぐに珍妙な顔で黙りこんだ。


(あれ、いない?)


 どこにも見当たらないイルリースの姿に困惑するシュノに、再び彼女の声が届く。


『そこには居ないわ。これは遠距離からの交信だもの』


「遠距離から…………?」


 イルリースの言葉にシュノは、昔街の図書館で培った知識の山から、遠隔通話法術の存在を思い出す。

 あの法術ならば、確かに遠距離からの意思疏通は可能だろうが…………今の場合において、それはあり得ない。

 遠隔通話法術は、通話する者がそれぞれに法術を展開しなければならないはず。シュノが法術を展開していない以上、可能性は零だ。


(と、なれば、新手の法術……)


『残念ながら、法術じゃないわよ』


「うぇっ?」


 まるで自分の考えを読んだかのようなイルリースの発言に、シュノは虚を突かれ、驚きの声を洩らした。


『とにかく今は時間がないの。悪いけど諸々の説明は後よ』


 その声に微かな緊張が含まれているのを感じ取り、シュノは口をつぐむ。


『貴方の成すべきことはたった一つ。目の前の男を足止めしなさい。それが貴方の初任務よ』


(目の前の男…………)


 顔を上げたシュノの視線の先にいるのは、2Mをも越す巨体に、規格外のサイズの大剣を担ぐ男。

 怪訝そうな、或いは不機嫌そうな顔でこちらを見るその男を前に、シュノは即座に結論を弾き出した。


「いや、無理」


『速答ね』


 イルリースの呆れた声に、シュノは怒鳴り返す。


「いや、ならお前がやれよ!?さっきの馬鹿力なら瞬殺だろ!」


『無理』


「速答っっっっ!?」


『こっちにも片付けなくてはならないことがあるのよ。終わり次第そちらに向かうから、それまでは足止めしておいて頂戴』


 いやいやいや、と首を振りつつも、シュノは暫し葛藤する。


「あいつは、俺たちの敵か?」


 シュノの問いにイルリースは、明確に返答する。


『敵よ。私たちだけではない…………世界の敵』


 それを聞き、それでも悩み、決めあぐね………その末に、シュノはぐっと腹に力を込めた。


 思い返すのは、逃げ惑う人々の表情に浮かんでいた恐怖や絶望。

 目の前にあるのは、無惨に散った命と、その元凶たる男の姿。


 ここが何処なのか、今がいつなのか、イルリースは、男は…………自分は、何者なのか。


 何も知らない、覚えていない。けれど、分かることは、ある。


「…………答えらんねぇんなら、しょうがねぇなあ」


 男は大剣を一回転させると、シュノの方へ剣先をピタリと合わせる。


「どのみち殺しゃあ、全部分かるんだしな?」


 腹は決まった。やるべきことは一つ。


 男を見据え、シュノもまた、ぎこちない動作で戦闘体勢ファイティングポーズを取る。


「――――やってやるよ」


 それは、誰に向けられた言葉だったのか。

 イルリースか、目の前の男か、はたまた自分自身にか。


 誰かの返答を聞くまでもなく、戦いの火蓋は切って落とされた。


        ▼▼▼


 シュノの言葉を皮切りに、イルリースは自身とシュノとの間に繋いでいた《線》を断った。


(新人君は、やり遂げられるかしら?)


 家々の上を駆け、飛び移りながら、彼女は今更ながらに小さな後悔を感じていた。

 無論、イルリースは更々、シュノが敵を打ち倒すことなど期待してはいない。

 そもそも、未覚醒状態での戦闘行為そのものが無謀なのだ。


 相手は英雄。常人が戦ったところで結果は見えている。


 だが、それでも。彼女は、シュノに足止めを命じた。


 それの指すところは、ただ一つ。


(いい結果を祈っている…………いえ、期待してるわよ、《最高傑作》?)


 イルリースは人知れず微笑むと、一際高く跳躍し――――――――――


「やっと見つけたわ、『曲芸師』」


――――――――降り立った屋根の、その眼下で立ち止まった少女は、イルリースの呼び掛けにゆっくりと振り仰ぐ。


「…………見つかっちゃたぁ、アハハッ」


 その顔に浮かぶ狂気じみた笑みに、イルリースは冷徹な無表情を以て相対する。


 また一つ、戦いが幕を開ける。

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廻る異端の死刑執行官 No-kiryoku @No-kiryoku

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