第二話 忘れた使命
「それで?」
少女はそう尋ねると、テーブルの向かい側を微笑みを浮かべつつ見つめる。しかし、その目は少しも笑っていない。
「いや、それでと聞かれましても…………」
優雅な佇まいに反した鋭い視線に射抜かれるシュノは、ただただ、静かに冷や汗を流した。
数十分程前のこと。
連れ立って時計塔を降りた二人は、腰を据えて話を出来る場所に移動するという方針で合意した。
合意した矢先、少女はシュノの襟首を、その細い指からは想像もつかない握力で掴んだ。彼女の言に曰く、「再びいなくなってもらっては困るから」とのことだった。
そうして少女に引き擦られるようにして辿り着いたのが、現在二人が居る、このこじんまりとしたカフェであった。
何か人に聞かれたくない話でもあるのか、人気の少ない場所を望んでいた少女にとって昼時を過ぎて空いていたこのカフェは優良物件だったのだろう。即決でこの店に立ち寄ることとなった。
………いや、シュノに関しては立ち寄るというよりも連行されたという表現の方が遥かに適当であろうが。現にその喉元には、後ろから引っ張られたことで付いた襟元の跡が、赤くなって残っている。
本来、記憶を失っているシュノにとって、自分のことを知る人物が探すまでもなく向こうから現れてくれたことは非常に行幸だった。
そう、行幸なことなのだ。しかし………
(今ここに、コイツと出会わなければ良かったと思ってしまう自分がいる………)
萎えきっているシュノの心中など欠片も知らずに、少女は話し続ける。
「確かに私は、新人を迎えに行けいう命令を受けたわ。でも断じて、断じてっ!!……指定場所から勝手に離れるような出来損ないを、街中探し回るだなんて話は聞いてない…………分かるかしら?」
語尾の疑問形から底知れぬ怒気がひしひしと伝わり、シュノは頬を引き
彼女が酷く立腹していることは明らかであるが、シュノ自身にはその原因がさっぱり理解できない。というより、全く覚えがない。
何せ、記憶喪失なのだから。
シュノは数秒の
「えーと、そのー………実は、ですね………俺は目下、記憶喪失に見舞われておりまして………はぃ………」
彼の声は徐々に尻すぼみになっていき、最後にはモゴモゴとした呟きとなって消えた。
急に記憶喪失などと言われても、はいそうですかと受け入れられる訳がない。そう思いながら、シュノはチラリと少女の様子を伺い見る。
「記憶喪失?」
胡乱げな顔をする少女に対し、シュノは必死の弁明を試みる。
「そ、そう、記憶喪失!気付いたら大通りに突っ立ってて、自分の外見も変わってて………とにかく、俺が幼い頃頃から今に至るまでの記憶が全部、綺麗さっぱり飛んじまってて!ですよ!?」
「………本気で言ってる?」
「本気も本気、超本気」
身振り手振りでの伝達が功を奏したか、少女は胡乱げな表情を引っ込め、代わりに切迫したような顔色を見せる。
「本当に何も覚えていないの?貴方がどういう経緯でここを訪れたのか、貴方の使命は何なのか………私達が、何なのか」
「はぁ、何も………」
「………冗談じゃないわ」
少女は頭痛でもするのか、こめかみを押さえ、そのまま沈黙する。
「………えーとお姉さん、今度は俺から質問しても?」
シュノが呼び掛けると、少女は目線だけを寄越し、「お姉さん?」と眉根を寄せる。
現在の見た目は17、8歳程であるシュノだが、中身は12歳の状態。一方の少女の外見は、おおよそ10代後半………少なくとも12歳より幼いということはないだろう。
つまり、シュノから見れば目の前の少女は十分に「お姉さん」なのである。
しかし、その呼び方は、少女のお気には召さなかったようで。
「………何とお呼びしましょう?」
シュノが尋ねると、少女は今気付いたとばかりに「まだ、名乗ってなかったわね」と呟き、
「私の名は、イルリース・ティスト・ラビリンス。………イルリースとでも呼んで」
簡単な自己紹介を済ますと、「質問をしろ」とでも言いたげに軽く頷く。
(ティスト・ラビリンス?………どっかで聞き覚えのある家名だな………)
シュノは、何か引っ掛かりを覚えつつも、質問に移る。
「俺とイルリースさんは、どのくらい前からの知り合いなんです?」
シュノが今、最も必要としているのは、「自分のことを古くから知っている」人物である。
記憶の残っている12歳以前からの知人、とまでは言わなくとも、出来るだけ長い期間の記憶を補完出来る存在が好ましいのは事実。
(まあ、流石にここ数日の仲だなんてことはないだろうけど………)
期待半分で待つシュノに、イルリースはいたって淡泊に、さらりと告げる。
「今日が初対面だけれど?」
ガンッ!!
シュノが頭を激しくテーブルにぶつける音が、店内に痛々しく響いた。
(おいおい、予想の斜め上を来たよ………)
「何やら期待外れだったようだけれど、それはこちらも同じことよ。これでイーブンじゃない」
何食わぬ顔でそう
「………なら、イルリースさんと俺にはどういう繋がりが?俺が新人ってことは、イルリースさんは職場の上司………とか?」
「半分正解、半分間違いってところね」
シュノの推測に、イルリースは微妙な反応を示す。
「確かに、私と貴方は『同業者』よ。けれど、私達の為すことは『使命』であって仕事ではない」
「使命であって仕事ではない、と………?それは一体どういう―――」
シュノの疑問に対し、イルリースは話を遮るように掌を向ける。
「それについては先に、私からの質問に答えて貰おうかしら」
おもむろ彼女は、羽織っていた外套の内に手を差し込み、中から何かを取り出した。
それは、一冊の「手帳」であった。
手に丁度収まる程のサイズで、外見は何の意匠も凝らされていない、黒単色のシンプルなデザインをしている。
何のことはない、どこにでもある、ごく平凡な手帳。
ただ、その手帳を見た瞬間、何か言い知れない「既視感」のようなものが、シュノの胸の内に湧き上がった。
「これに見覚えはある?或いは、今持っているということは?」
手帳を軽く振って見せるイルリースに、シュノは暫し黙考する。
「………いや、見覚えないですね。持ってもいないし」
結局シュノは、イルリースに明確な否定を示した。
先程感じた「既視感」のようなものの正体。それは「見覚え」とは似て非なるもの であると、シュノの直感は告げていた。
或いはそれは「既視感」というよりも、「親近感」とも言い換えられる類のものかもしれない。
イルリースはシュノの答えを聞き短い嘆息を洩らすと、手帳を外套の中に仕舞う。
「記憶の混濁に加えて、不覚醒状態………何が最高傑作よ、ただの不良品じゃない」
イルリースの呟きの中に聞こえた「不良品」とは、もしかしなくても、確実にシュノのことであろう。
(このヤロ…………)
記憶喪失が原因で、彼女に余計な迷惑をかけたのは確かだが、必要以上に毒を吐かれるシュノとしては遺憾極まりない。
(根に持つタイプか、コイツは………?)
もしくは、
なにはともあれ、シュノはギリギリで平常心を保ちつつ、話を続ける。
「えーと、それで、俺たちの仕事………ではなく、使命というのは?」
イルリースは、手元に置かれたカップを手先で弄びつつ、口を開く。
「………一口に言ってしまえば、私たちの使命は『駆除』よ」
「駆除?一体何を―――」
そうシュノが言いかけたのとほぼ同時。
――――――ガンガンガンガンガン!!
突如、店の外からけたたましい鐘の音が鳴り響いた。
「何だ………?」
シュノが状況を掴めずにいると、店の奥から従業員が焦った面持ちで走り出てきた。
「お客様っ、避難のご準備を!!王城方面に避難区画が設けてあるはずですので、急いでお逃げ下さい!」
呆気に取られるシュノは、不意に、首後ろに覚えのある抵抗感を感じた。
「行くわよ、新人君。色々と不安要素はあるけれど、予定通りに進めましょう」
いつの間にか背後に回り、その襟首を掴んでいたイルリースは、信じ難い腕力を以て、椅子からシュノを立ち上がらせる。
「え、予定?それより、何が起きて―――グェッ!?」
力任せに引っ張られ、息が詰まったシュノの喉から奇妙な声が漏れる。
先程と同じように引き摺られながら店を出たシュノの目に映ったのは………
「………………何だ、これ」
一様に恐怖の表情を貼り付け逃げ惑う、群衆の姿だった。
右手側………即ち、門とは反対方向に向かう人波が目指す先にあるのは、件の城じみた巨大建造物。
(あれって、本物の王城だったのか………)
先程の店員の言葉を反芻するシュノを引き摺ったまま、イルリースもまた足早に駆け出す。
そう、左方向に向かって。
「あの、イルリースさん?逃げる方向逆じゃぁ………?」
雑踏の流れに逆らって進み続けるイルリースに、シュノは嫌な予感を覚える。
イルリースは、それが当たり前であるかのように、淡々と答える。
「いいえ、こっちで合ってる。だって、私達は逃げてなんていないもの」
直後、何かが爆発したような破砕音が街中に響き渡り、地面が小刻みに震動する。
人々の悲鳴を耳に、顔だけを後ろに向けたシュノは、連なる家々の向こうに立ち上る膨大な量の土煙を見た。
「………えーと、つまり?」
半笑いで尋ねたシュノの頬を、冷や汗が伝う。
そんなシュノの様子を他所に、イルリースはクスリと、小さく笑う。
「さぁ、狩りの時間を始めましょう」
▼▼▼
「………脆過ぎだろ」
男はそう呟くと、後ろを顧みる。
至る所に散乱する、大小様々の石材。周辺に立ち込める砂塵。そして、街の外壁にぽっかりと口を開けた、巨大な横穴。
「アンタが馬鹿力なだけでしょ」
隣に並び立つ女は、呆れたように男を見上げる。
2Mはあろうかという大男と、1.5Mにも満たない小柄な女が並ぶその様は、傍から見れと随分滑稽な構図である。
「いやー、でも丁度良かった!近頃暴れ足りなくってさぁー」
そう言う女は、手に持った槍を、片手で器用に回転させる。その顔や身体には既に、大量の返り血を浴びている。
「………殺すのは勝手だが、目的はそっちじゃねえからな、忘れんなよ?」
「あーハイハイ!ちゃんと引き際は見定めるからさぁーーーってことでまた後でね」
適当に返事を返した女は、近くの家の屋根に軽く飛び乗ると、すぐに走り去っていった。
「………さて、と」
男もまた、多量の返り血を浴びた自らの得物―――無骨な大剣を担ぎ上げ、街の奥へと一歩踏み出した。
「―――狩りを始めようか?」
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