最終防衛戦線・王都アルダム

第一話 或る青年のプロローグ

 何かが聞こえる。


 初めは小さな雑音として認識されていたそれは、時間の経過と共にその音量を増し、やがて様々な生活音が混ざった喧騒として聴覚に迫ってくる。

 霞がかったように判然としない思考のまま、彼は導かれるようにして瞼を開く。

 突然目映まばゆい日光が視界を阻み、思わず目を細める。

 しかし、それはほんの束の間のこと。

 そのままぼんやりと目の前の景色を見つめること数秒、彼の意識にかかる霞は急速に払われ、その目は驚愕に見開かれていった。


 前方から、後方から、膨大な数の人々が波のように押し寄せては、次々と彼の脇を通り過ぎてゆく。

 通行の流れの中で一人立ち尽くしている彼に対し、人々の迷惑気な、或いは奇異の視線が集まる。平常なら人並みの羞恥心を感じるところであろうが、今は、それを正しく認識する余裕などカケラも残ってはいなかった。

 雑踏の中心にて彼は、呆けた顔で周囲に視線を巡らせる。

 レンガ造りの家屋が整然と並ぶ、美しい町並み。それに沿って走る街道は、優に50Mメルダは下らないと思われる程の横幅を誇っている。

 遥か前方、街道の終点に見えるのは、城のような豪奢な建造物。後方には、街を囲むようにそびえる外壁の、その一部をくり抜くように作られた巨大な門が重厚な存在感をたずさえ、構えている。

 道の両端は、店の呼び込みや人々の往来で賑わい、中央では行商人や旅人の荷車が列を成して進んでいる。


「何処だ、ここ………………って、あれ?」


 思わず零れた自身の呟き声に、彼は眉を顰める。


(俺って、こんなに声低かったか?)


 怪訝な顔で咳払いをしつつ、左右に視線をさ迷わせていた彼はふと、先程とは別種の、もう一つの違和感に気が付く。


(皆、背が低い……………の、か?)

 

 同年代の少年らの中でもとりわけ低身長である彼だが、どういうわけか、周囲を歩いている民衆のほぼ全てが彼とそう変わらない程の身長しかない。


(いや、違う。周りの背が低いんじゃない。これは……)


 不意に湧いて降ってきた、その突拍子もない憶測を、しかしながら彼は少しも笑えなかった。

 何かを探すようにキョロキョロと辺りを見渡すと、やがて雑踏を掻き分けて歩き出す。

 混雑を抜け、彼が辿り着いたのは、ある衣服店の前。大通りに面するように設置されたショーウィンドウに駆け寄ると、両手を突き、ガラスに映る自分の姿を探す。

 そこに映り込んでいたのは―――――――

―――――――――――――


「――――――――誰だよ、お前………?」


 唖然とした顔でこちらを見つめ返してくる、黒髪の青年の姿だった。


        ▼▼▼▼


 俺の名前は、シュノ・アーヴァイン。

 性別、男。

 種族、人族。

 生まれはアルバ。

 歳は十二と二ヶ月。

 外見的特徴を挙げれば、南部の民に稀に見られる黒髪と、くすんだ緑色をした瞳。あとドチビ。



……………………な、筈だ。多分。


「何がどうなってんだ………………」


 青年、もといシュノは、目下に見える街の景観をぼんやりと眺めつつ、そうぼやいた。


 ガラスに映った自分の姿を確認した後、驚きの抜けぬまま、半ば放心状態であちこちを放浪した。その挙げ句に辿り着いたのが、街の中程に位置する時計塔、その上階に備わるこの展望台だった。

 穏やかな風を肌に受けつつ、彼は思考する。


(目が覚めたら街中に突っ立ってて、ついでにいつの間にか成長してました、ってか……

……成る程、意味分からん)


 シュノは一人、無言で頭を抱えた。


(考えられる可能性としては、突発的な記憶障害、か? )


 以前、街の図書館で読んだ医学書の内容を思い出す。なんでも、記憶障害には様々なパターンがあり、記憶の時系列が前後したり、ある期間の記憶のみがすっぽりと抜け落ちたりすることがあるとか。

 そこから考えうる推測は――――――――


(つまり、俺が数日前だと認識している記憶は、実際には数年前のもので、そこから先の記憶はすっかり消え失せたと………成る程、最悪だ)


 シュノは、再び頭を抱えた。


(どうする………俺のことを知っている奴を探し出すか?いや、こんな馬鹿デカイ街の中で、居るとも分からない人物を捜索するのは現実的じゃない、か………………)


 あーでもない、こうでもないと散々悩んだ結果、シュノが弾き出した答えは「諦める」だった。


(今更慌てたところで、どうにもならねぇし………取り敢えず、誰かが気付いてくれるのを待つしかないよなぁ)


 レンガで出来た柵替わりの壁に頬杖を突き、彼は深い溜め息を吐いた。


(何が原因でこんな目に遭わなきゃならないのやら……………解せない。それに、だ)


 誰にともなく毒づいた彼は、服のポケットの内側に手を突っ込み、まさぐる。


(何で俺は1センたりとも金を持ってないんだ?馬鹿なのか、それとも街の何処かでられたのか………どのみち馬鹿だ)


 これでは食料の調達はおろか、宿に宿泊するのもままならない。

 

(狩猟と野宿か…………辛い夜になりそうだ)


 シュノが自身の未来を想像し、げんなりしていた、その時。


「やっと見つけたわ、新人君」


 涼やかな、それでいて鈴のように可憐な声音が、不意にシュノの耳朶に触れた。

 ここに居るのは自分だけとばかり思い込んでいたシュノは、はっとして背後をかえりみる。

 視界の端を流れるのは、風に弄ばれなびく、藍色の長髪――――――――


「今の今まで、一体何処をほっつき歩いていたのかしら?」


―――――――――いつからそこに居たのか、その少女はさも面白可笑し気に笑みを浮かべつつ、時計塔の柱に背中を預けていた。

 少女が身に着けているいるものは全て黒一色に統一されており、その病的なまでの肌の白さと相まって、鮮烈なコントラストを生み出している。

 その姿は、まるで完成され尽くした人工物の如き美しさをまとっていると同時に、人としての温もりを一切感じさせない冷徹さを放っている。

 

「さて、何があったのかきっちり説明して貰おうかしらね、新人君?」


 ざわり、と。

 展望台を吹き抜ける風がその向きを変えたのを、シュノはハッキリと感じ取った。

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