廻る異端の死刑執行官

No-kiryoku

プロローグ 或る少年のエピローグ

 そこは、地獄だった。

 あらゆる生命は絶え、鮮血は大地を染め、猛る炎は夜空をも焦がさんばかりの勢いを以て、世界を覆う。

 轟々ごうごうと燃え盛る炎の音に混じり、あちこちから悲鳴と怨嗟えんさの叫びが幾重にも重なりあって響いてくる。

 そんな狂乱極まる光景の中を、たった独り歩く少年がいた。

 少年は、刻一刻と零れ落ちてゆく自らの命を認めつつ、覚束おぼつかない足取りで、よろめき歩く。


(嘘だ、あり得ない………)


 一歩踏み出す度、彼は苦悶の呻きを上げ表情を歪める。痛覚の元は、ズタズタに斬り刻まれたれた腹部。傷口から溢れそうになる臓物を手で抑えているものの、止めどなく流れる血液を見るに、その行為が気休めにしかならないことは誰の目にも明らかだった。


(だが、確かに見た。俺の腹を斬ったあの女の顔を)


 やがて喉を逆流してくる血塊にせ、そのまま少年は膝を突き、地にす。

 歩く体力すらをも失った彼は、それでも尚、地を這い、進み続ける。

 何かに取り憑かれたかのようにさ迷い這いずる少年は、ただ本能に従い、己の疑念に答えを求め、猛火の中をひたすらに進む。


(確証は無い。だが、見紛う筈もない。幾度となく憧憬の眼差しを注いできた、あの顔を)



 そして少年は知る。その最期の一時の間に。

 狂乱の元凶たる、彼らの真実を。



「おいおい、コイツ腹裂かれてんのに生きてるぜ」


 炎の壁を縫って目前に現れたのは、十数人の男女の集団。身長や年齢はまちまちで、一見彼らに当てはまる共通項は見出だせない。

 その中には、件の女の姿も認められ、少年は自分の中の疑念が確信へと変わるのを感じた。

 だが、今となってはその疑念の正誤など、少年にとっては些細な事柄に過ぎなかった。


 今少年を支配しているのは、それを上塗りして尚、余りある程の衝撃だった。


 集団の先頭を歩く男は、少年の目の前で立ち止まり、見下すと、あざけるように笑った。

 スラリと伸びた体躯に、赤毛混じりの特徴的な銀髪。肩越しにのぞく長剣の柄は、その瞳と同じで、目が眩む程に鮮やかな赤色をしている。


(まさか、何で……………)


 どうしようもなく覚えのあるその出で立ちに驚愕すると共に、彼ら全員に共通する、とある称号を思い浮かべる。


(この火災は、虐殺は、全て…………)


 自分の疑念を遥かに越える、悪夢とさえ言える事態が起こったことを理解した少年は、身も凍るような戦慄を覚えた。


「コイツの腹かっ捌いたのお前かぁ、アイラム?」


 男は背後の女にそう問いかけると、唐突に硬直する少年の顔面を掴み、そのまま軽々と身体を持ち上げた。


「死にていかよぉ……つまんねえなぁ」


 少年の反応を伺い、心底残念そうに呟くと同時、顔面を掴んでいる男の手の周囲が不自然に揺らぐ。

 自らの知らざるの気配を予感した少年は、男から逃れようと必死にもがく。

 男はその様子を見て、くつくつと楽し気に喉を鳴らすと、大きく目を見開く。


「ほらぁ、もっと面白いもん見せてみろよ」


 刹那、何かが爆ぜたような音が鼓膜を打ち、視界が真っ白に染まる。

 

 熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱いい熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!!!!!!!!


 遅れて少年を襲ったのは、今までのとは比にならない程の炎熱だった。

 一瞬にして喉を焼かれ、外皮は溶け落ち、体内を蹂躙される。


「―――――――――――――――――ッ!!」


 少年は無音の叫びをほとばしらせ、激しく身をよじる。


「おーおー、いいリアクションだぁ!さぁて、何秒持つだろうなぁ?ハハハッ!!」


 耐え難い苦痛の中、少年は独りごちる。


 俺は、彼らを知っている。

 度重なる戦争に疲弊し、最早先は無いとさえ言われた王国に、突如としてより現れた彼らは、各々の圧倒的な力のみで国一つを救った。

 その数々の武勇は国中を駆け巡り、人々は彼らを畏怖し、崇め、そして敬愛した。


 『英雄』の名を冠する、名実共に生きる伝説となった者たち。



 白熱する感覚と意識の中で、少年は、自らの奥底に渦巻く衝動の熱を自覚する。


 これは、殺意だ。


 それは故郷を焼かれた恨みに端を発するものでも、家族を、友人を殺された哀しみを起因とするものでもない。


 そう、言うなればそれは………使命感。


 その圧倒的な力を殺戮の道具としておとしめた彼らは最早、人々が慕った『英雄』ではない。否、人間とすら呼ぶにあたわない。

 己の享楽に溺れ、本能を曝け出したその姿は、『害獣』そのもの。

 誰かが、今ここで、この獣を止めなければならないという純粋な使命感が、急速に殺意として昇華されていく。

 これ以上、悲劇を生むわけにはいかない。

 これ以上、無為にされる命があってはならない。

 これ以上、憧憬に裏切られる絶望を、感じる者があってはならない。

 俺が最後でいい。俺が最後の被害者となり、ここで地獄を食い止める。


 されば、どうする?


 いかにして、その使命を遂げる?


 答えは一つ。単純にして、当然の帰結。


 徹底的な排除だ。


 この世界に害を為す、異端なる獣を狩り、根絶やしにする。野放しになど、させて堪るものか。

 殺す、殺してやる、殺さなければならない。

 俺自身が、この手で、コイツらを――――


 少年は、男の生み出す炎に上体を焼かれながらも、命尽かすことを良しとはしない。

 執念じみた激情は、限界を越えて少年の身体を機能させる。

 肉は既に灰と化し、所々骨が露出しているにも関わらず、その腕は敵を求め、虚空に伸びる。

 微かに目を剥いた男の前で、とうに声帯を失ったはずの少年は、絶叫じみた「音」を発した。


【殺す、殺す、殺す!!】

 それは魂の叫び。それは抑えきれぬ殺意の表出。

【絶対に殺してやる!一人残らずだ!!】

 ただ拒絶のみに塗り固められた魂の激震が、未知を現出し、世界の法則すらをも踏み越え、その「音」を響かせる。

【聞け、お前らを殺す、俺の名はっ―――】


 少年の、その指先が、男の体に触れんとしたその直前。


 男は口を歪に裂き、笑った。


「やってみろよぉ、死に損ないがぁっ!!」


 男は音を掻き消すように吼え、火力を増幅させる。

 赤から青白く変化したその灼熱は、少年の身体を消し飛ばし、周囲の地面を瞬時に融解させる。


 身体を燃やし尽くされ塵と消えた少年の、その魂が最後に知覚したのは、狂喜に染まりきった醜い哄笑の残響だった。


 器を失った少年の魂は、世界に溶け、霧散し、そして――――――――――


        ▼▼▼▼


何も無い、ただ無のみが揺蕩たゆたう空間の中で、誰かの囁く声を聞いた。


―――――――――君は、どんな力を求める?


      アレを殺す力を


―――――――――何故、君は彼らを殺す?


   世界の安寧と秩序のために、殺す


―――――――――例え、彼らと同じ存在に成り下がったとしても?


      ………構わない

      手段は問わない

それが大義を果たすためならば、俺は………








―――――――――――――――良い出来だ


 その声は、そう言うと静かに笑った。


        ▼▼▼▼


 その日、人々はおののいた。誰もが予想だにしなかった、それでいて、思い付く限り最悪の事態が、何の前触れもなく幕を上げたのだ。


 英雄たちによる反乱。


 『暴赤』セキルを初めとし、『解体屋』『氷姫』『死狂い』『万癒』『光帝』……数多くの英雄らが一斉に蜂起し、丸一つの街を焼き払った。それはまるで、人々に対する見せしめの如く。


 後に「アルバの大虐殺」と呼ばれるこの事件では、実に900人超もの命が、一夜にして奪われた。

 その途方もない数の犠牲の中で、或る一つの物語が終わったことなど、誰も知る由は無い。



 そしてそれが、或る一つの物語の幕開けとなることも。

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