第11話 届く声
白く明るいステージは、別世界のように闇の中で浮かんで見えた。
街中の明かりを霞ませて、特別な一日を生み出したその空間。
一歩、一歩。私は光の中へに入っていく。
「みなさんこんばんは、」
マイク調節を兼ねて、私は闇の中にいる人たちに向かって挨拶をする。ほどほどに集まっている観客は、返事をするわけでもなく私を見つめ返す。
夏の夜の蒸された空気を胸いっぱい吸い込み、さらに言葉を紡ぐ。
「私はメインボーカルのユキです。今日は後ろで用意している『
皆さんの力を借りて作った台本を、頭の中に浮かべる。
大丈夫。口から心臓が出そうなほど緊張しているけど、声はまだ震えていない。
ゆっくり息を吐き出せば、私はまだ言葉を紡げる。
歌うのが好きで、無邪気に音楽の力を信じていたころは、緊張なんてなかった。
今だって歌うのは好きでたまらないけど、どうしようもないこともあるんだって分かってしまった。
だからこんなにも震えてしまうんだろう。
歌っても変わらない世界が怖くて。
分かってる。震えていても、何も変わりはしない。真っ直ぐ前を向くんだ。視線をあげて、暗がりにいる観客を見る。そこに、
観客の後ろの方にいて、ステージからはこんなにも遠いのに、まっすぐ私の方を見てくれている。
少しだけ頭がシャキッとした。緊張が遠のいて、胸が温かくなるのを感じる。
私の
後ろを向けば、用意を済ませた皆さんが、私の次の言葉を待っている。もう、緊張することはない。
観客の方に向きなおして、私はさっきよりも大きな声を送る。
「『宵明』の皆さんのメンバー紹介はおいおいしていきますね。それじゃあ、早速一曲目『君の代わりはいない』」
私たちの音をまとめる
その音と一緒に、観客席の奥までこの
届けば響くから。
きっと、昔の私はそれをせずに諦めた。立ち向かい続ける勇気がなくて、道のりが見えないものが怖くて。
私は彼らに向けて届けることをあきらめていた。でも、亮吾さんにいろんな話を聞いてもらって、今日ようやく分かった。
一年も遅れてしまったけど、今度こそあきらめない。
彼らの姿はまだ見えない。
どうか聞こえますように。そう願いながら一曲、また一曲と歌い終わり、最後の曲に移るときようやく彼らの姿を見つけた。
観客席の一番奥。歌が始まってから集まってきた人達の中にいる。
よかった。最後の曲はこれからだ。
「今日は『宵明』の皆さんに誘われて、ここで歌わせてもらっています。私自身、こんな風にもう一度ステージに立てるなんて思ってもいませんでした。自分が歌って、皆さんに届いて力を与えるなんて思ってもみなかったから。でも、やっぱり
予定していなかった言葉がすらすらと。この時ばかりは、自分の思い通りにならない口に感謝した。頭でまとめるよりも先に動いてくれるからね。
「まだまだ未熟者なので、皆さんに何かを届けれているのか分かりません。でも、歌い続けようと思います。一人でも多くの人に少しでも届いてほしいから」
息を継いで、最後の曲をコールしようとした瞬間、会場に拍手が響いた。沢山の人に、私の言葉が届いたかのように。
ステージに立つ皆さんと顔を見合わせ、大きな声でついさっき変更した最後の曲をコールする。次は
蓮さんのリードに合わせて、まずは私の語りの部分。
周りは、さっきの拍手からなりをひそめ、耳を澄ましている。
語りが終わり、余韻を残した一拍ののち、リズムが変わり一気に曲が明るく変わる。
タイミングを間違えないように、しっかりギターとベースの声に耳を傾け、一年ぶりに人前でその歌を歌う。曲の最後、桜海さんとキーボードに視線を合わせて、タイミングを計り、ありったけを込めた声をだす。
夏の夜空の下。あたりは大きな喝采の渦に飲み込まれた。歌い終わってマイクでお礼を言う。が、それ以上の歓声があたりを埋め尽くす。
時間配分が決まっているので、アンコールこそできなかったものの、盛り上がりは上々だった。桜海さんも蓮さんも和一さんも、満足そうにしてくれているし、私も満足だ。
光の中を下りて、暗闇に紛れた。目が暗さに慣れるまで目を休めながら、次のバンドが用意にステージへ上るのを見つめる。
暗闇に目が慣れてきたので、ステージで見えた亮吾さんのところまで行こうと、闇に慣れた目を正面に向ける。そこにはすでに、亮吾さんが立っていた。「倖美ちゃんお疲れ」
「有難うございます。どうでした?」
先輩に感想を聞いた。しかし亮吾さんはその問いに答えず、身体を横にずらす。そこに彼らがいた。
「倖美ちゃんと別れたあと、こいつらを探しだしてさ。倖美ちゃんの歌をちゃんと聴いてほしいって頼んだんだ。感想なら彼らに」
そう言われ、俯いている彼らとまっすぐ向き合う。
「……倖美、」
悲愴そうな声がした。昼間見た迫力はどこにもない。
「俺……達、ずっと倖美に馬鹿にされてるんじゃないかと思ってた」
「?」
なんで? と口から出そうになった言葉をひとまず抑えて、次の言葉を待つ。
「お前はさ。歌もうまいし、センスもある。中学校に入って、同じ部活で活動できた最初の頃は、それがすごくうれしかった」
「でも、そのうち俺たちの音と倖美の声にすごく差があるって気が付いて、それなのに楽しそうに歌う倖美はひょっとしたら俺らのこと見下してんじゃないのかな。って思うようになった」
そんな風に思われていたんだ。私はみんなで
「そう思うと、一緒に歌うのがどんどん辛くなって。気が付いたら、音楽から逃げてた。お前の声を聴くのも辛くなった」
「そんなことない。って心のどこかで思っていても。聞くのが怖くて、倖美にずっとあんな態度とってた。今日言ったのだって本当は八つ当たりで、」
「だから、「ごめん」」
まっすぐ向けられた言葉が私に届く。久々に彼らの本当の言葉を聞いた気がする。
「いいって、今こうしてちゃんと伝わったんだし」
私たちが音楽から離れたのは誰の所為でもない。自分たちが勝手にそうだと決め込んで、決断した結果。だから、今はその誤解が解けれればそれで十分だ。
「今だけじゃなくて、ずっと伝えようとしてくれてたのに、ゴメン」
「今日の倖美の歌を聞いてようやく分かった」
「最後の曲。あれは、俺たちに向けた曲。だよな」
「そうだよ」
桜海さん達に無理を言って、変えてもらった最後の曲。『いつか』。これは、私達がバンドを組んでいたとき、必ず最後って決めてた曲。
二人にちゃんと届いたらしい。
「しばらく音楽から逃げてたから一からになるけど、音楽をまたはじめようと思う」
「いつか俺たちの音と倖美の声を届けれるように」
「その時はまた俺達と一緒に歌を歌ってくれないか?」
二人の誘いに対する私の答えは決まっている。
「もちろん、私も二人と一緒に歌いたい」
私達はもう一度、誰かに
今度こそ私は私の仲間と
「倖美ちゃん」
祭も終わり、家に帰る道の途中。夜空の下で亮吾さんが私の名前を呼ぶ。
そういえばあれから、桜海さんたちとも話したり、二人とも久しぶりに他愛無い話をしたりで、亮吾さんとゆっくり話せるタイミングがなかった。
「亮吾さん、ありがとうございます」
感謝しきれるものじゃない。いつか離してしまった二人の手を、掴み直すことが出来たのは亮吾さんのお陰だ。それに、私に歌う機会をくれたのも。
「俺は何もしてないよ」
「いろんな事してくれたじゃないですか。最初から最後まで亮吾さんがいなかったら私は何もできませんでした」
「俺は俺に届いた倖美ちゃんの声を頼りに、動いただけ。あの二人だって倖美ちゃんの声を聴いたから一度音楽をしようと決めたんだ。もっと自分の声に自信を持ったらいいよ」
「……」
なんでこの人は私が喜ぶことばかり言ってくるんだろう。
おかげで泣いてしまいそうだ。
「亮吾さんの感想聞かせてもらえませんか」
泣かないように、言葉を絞り出す。
「俺の?」
隣を歩いていた亮吾さんの足が止まった。二、三歩進んだところでそのことに気が付いて私も止まる。街灯の下、亮吾さんは柔らかな瞳で私を見つめている。
「倖美ちゃんの一生懸命な声が届いたよ。どこまでも飛んでいきそうな自由な声があの人達の音に乗って、今まで聴いてきて一番綺麗だった」
よかった。私の声がちゃんと届いて。
ほっとすると胸が熱くなり、同時に切なくなる。
「これで、終わりですよね……」
私が生きてきた人生の中で、一番輝いていて、楽しかった夏。
いろんな体験をした、そのすべては偶然出会った亮吾さんがいたから。そんな時間がもう終わる。
「まだ、これからだよ」
亮吾さんが、私の横に並んだ。
「こんなにも素敵なゆきみちゃんの
冗談めいた口調ではなく、まっすぐその言葉が届く。
「……それじゃあ、これからも聴いていてくださいね」
聞こえないほどの小さな声で呟く。
「勿論」
ちゃっかり聞こえていたらしい亮吾さんが笑顔で答えてきて、私は顔の火照りを隠すために俯いた。
「倖美ちゃん」
先に歩き出してしまった亮吾さんが振り返り、私に声を掛ける。私は顔をあげて亮吾さんを見つめた。
芯のあるまっすぐ伸びた姿は出逢った頃と同じ。その素敵な立ち姿には強さがある。
柔らかくて強いその人に私は声を届けよう。これからも。
ラムネの夏 瀬塩屋 螢 @AMAHOSIAME0731
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます