彩られて想い

 寂しく静かな部屋の中、2人の息づかいだけが聞こえている。この式の雰囲気を物語っているようで、胸を締めつけられる。

「じゃ、始めましょう」

 うまく笑えず、一真にそう促した。

 私は率先して十字架の前に立ち、一真に視線を送った。

 一真はゆっくりと歩み寄り、私の隣に立った。

「ここで向き合って」

 私は指示を出しながら動く。

 一真と向き合う形になり、私は少し顔を上げて一真の顔を見つめる。


 一真は神妙な面持ちで、周囲の部屋の様子に視線を泳がせた。落ち着きなく、注目してないと分からないほど小さく体が揺れている。

 窮屈なスーツに慣れていないわけじゃないだろう。この時間が過ぎるのを待っているのだ。

 本当は笑ってほしい。

 でも、一真にそれを強いたところで、険悪な雰囲気になるのは分かりきっている。失恋式という押しつけがましい提案に付き合ってもらっている以上、他の要求をするのは後ろめたい。

 今までそうやって乙女色の鋭い爪で、赤い糸を無自覚に切り裂いていた私には、彼の正直な気持ちを受け止める必要がある。彼が痛みを持ったのなら、恋人であった私も痛みを持つべきだ。


 私は泣きそうになるのをぐっと堪え、口を開いた。

「まずは誓いの言葉。……私は、土田一真さんとの交際を終わりにします。これまでの日々は、とても幸せでした。これを大切な思い出とし、もう二度と、交際することはないと誓います」

 一真は困惑した様子で私に視線を送っていた。

「私と同じことを繰り返して」

「分かった」


 私は一真を見つめながら、静寂に谺する音色に耳を澄ませて息を零した。

「私は」

「私は」

野嶋香陽のじまかよさんとの」

「野嶋香陽さんとの、交際を終わりにします」

 私は微笑んで首肯する。

「ここからは、あなたの言葉でいいわ」

 一真は透けたカーテン越しの窓から見える景色に、落ち着きない瞳を振った。

 宝石のようにキラキラした瞳は、切なげに小春日和の空と太陽を反射する家の屋根を見つめていた。


 こんな晴れた空の下で、何度も2人で歩いた。お互いに通じ合っていた。

 何も言わなくても、私達は手を繋いで笑い合っていた。

 あのゆっくりと流れる雲のように、どこまでも続く空を泳いでいたんだ。

「俺は……」

 一真がくぐもった声を吐き出した。一真の顔はまだ窓の外に向いていた。


「君が嫌いだ」


 はっきりとした言葉だった。こんなにも明確な答えを前に、私は抗うことなどできなかった。足は震え、立っているのがやっとだった。


「でも……香陽と過ごした日々は、どんな日々よりも、楽しかった」

 私は俯いていた顔を上げた。一真はゆっくり私の顔に視線を向けた。真に迫った表情は、彼の奏でる音を美しく飾った。

「ありがとう」

 視界がぼやけていく。

 それだけで充分。私の方こそ、ありがとう。

「もう二度と、交際することはないと誓います」

「……はい」

 絞り出した涙声でそう言った。


 一真は私に歩み寄り、優しくキスをした。時が止まったような感覚。唇と唇が熱く濡れていく。

 目を瞑った私の瞼の裏に甦ってくる大切な思い出は、羽毛が敷き詰められた箱の中にしまわれ、鍵をかけられた。これを開けることが許されるのは、あなたといる時だけ。あなたと会うこともなくなれば、私は鍵の存在も忘れ、大切な思い出のしまった場所さえ思い出せない。

 それでいいの。思い出せなくても、私の唇が、体が、手が、あなたを覚えてくれているから。



 私は作り置きしておいた気品漂う料理を皿やお椀に盛りつけ、見映えよくテーブルに並べた。一真は息を零すように私の料理を褒めてくれた。私と一真の間で交わされる視線は、ノスタルジックな優しさが滲み出ていた。

 一真が好きな銘柄の白ワインをグラスに注いでいく。炭酸が爽やかな音を立てて雰囲気を作ってくれる。染められたグラスは透き通り、艶やかに料理を映す。


 私は一真の真向かいに座り、グラスを持った。そして微笑み、「乾杯」と言った。呼応する一真の声が同じ言葉を繰り返し、美しい音が最後の時間を飾り立てた。

 魚のソテーをフォークで押さえる。濃厚な蜜がじわりと皿の上で囁いた。清く光を纏うナイフが身の中に入り、味を引き締めるトマトソースを薄く付け足し、赤い唇に運んだ。

 一真とのキスで刺激された口は、舌の感覚も敏感にさせていた。


 全ての味がいつもとは違う。濃厚で、強く旨みを感じさせた。とろけてしまいそうなほど体に染み込んでいく。

 満たされていく幸福感の中で、私は一真を見た。

 私と共に過ごすことは彼にとって恐怖だったに違いない。でも、時と共に慣れてきた一真は、純粋に食事を楽しんでいるようだった。一真は私の視線に気づき、「美味しいよ」と優しく微笑んだ。そこに一辺の偽りもなかった。泣きたくなるくらい、嬉しかった。


 私は優しい時間に身を委ね、心ゆくまで最後の2人の時間を楽しもうと思った。視界、音、味、匂い、触れた唇の感覚。この日を最期まで忘れない。忘れたくない。


 煌めく私達の思い出。この日を最後にして、私達はそれぞれの新たな人生を歩み出す。また恋をした時、この思い出が私達を幸せへと導く。そうでしょ、一真。

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恋の終わりはドレスで飾りましょう。 國灯闇一 @w8quintedseven

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