失恋式

 一真がユニットバスから出てきた。

 紺色のスーツに着替えた一真は落ち着かない様子で身じろいでいる。

「カッコいいよ」

「ありがとう……」

 一真はむず痒いのか腕を擦っている。

「それじゃ、行こうか」

 私は小さく笑って玄関に向かう。部屋を出て、階段を下りる。


 近くの駐車場に止めてある一真の青い車に乗り、カーナビに住所を入力した。

 私は助手席から一真に微笑む。一真はまだ警戒しているようで、横目でカーナビを見て、すぐに前方に注意を向けた。私は胸を締めつける痛みに耐えながら、同じように視線を前に向けた。

 強張った表情をした一真は重いため息をついて、車を発進させた。


 私と一真は車をマンションの裏に止め、4階建てのマンションの前に来ていた。

どこにでもある普通のマンション。さほど年数も経ってないように見える。

「お前、引っ越したのか?」

「ううん、この日のために契約した部屋があるの」

「え?」

 私は笑みを浮かべてマンションの中に入る。

 なだらかな傾斜の階段をゆっくり上がる。後ろで私の上るスピードに合わせてくれる一真の靴音が聞こえてくる。乾いた靴音は、音を重ね合う度に悲しみの色を滲ませていく。


 この階段は終焉のカウントダウン。この階段を上りきれば、終焉の儀の契約を結ぶことになるだろう。もう後戻りはできない。

 そんなことを考えている間に、階段を上りきってしまった。


 私は息を呑み、歩き出す。濃い緑の扉の前で止まり、鍵を開ける。

「さ、入って」

「……お邪魔します」

 一真は不安げに部屋の中へ入る。続いて私も入り、ドアのチェーンロックをかけた。

 振り向くと、一真は洋室の中で佇んでいた。

 私は壁のスイッチに触れた。照明が一度点滅して、部屋を明るくした。


 テレビや棚など、生活感のあるものはほとんどない。唯一あるのはテーブルだけ。その代わり、透け感のある白いカーテンが四方八方につけられ、一部の壁には白い十字架がかけられている。

 他へ移動しやすくするため、通路の出入り口はカーテンがかからないように飾ってある。

 地味に見えるけど、白は純真さを際立たせている。私の作った聖域だ。


 一真は呆然と内装を見回していた。

「綺麗でしょ」

 私は語りかけるように呟いた。

「なんだよ、この部屋」

「ここで式を挙げるの」

「は!?」

 一真は動揺と焦燥を感じさせるような表情で、私を大きく見開いた目で捉えた。

「大丈夫、ここで結婚式を挙げるとか言わないから」

「じゃあ式ってなんだよ」

 低い声色で聞く一真に、私は微笑みながら優しい口調で答えた。

「ここで別れの式を挙げるの。失恋式」


 一真は黙ってしまった。挙動しているのは黒い瞳だけ。

「マジで言ってんのかよ……」

 一真は険しい表情で呟く。

「これが終わったら、私は一真と一切連絡を取らない。追いかけもしない。いいでしょ?」

 難しい顔をした一真は指先で眉間を掻いて、「で、何をするんだ?」と絞り出したように聞いてきた。


「この十字架の前で、誓いの言葉と餞別せんべつの言葉を述べて最後のキスをする。そして、最後に私が作った料理を一緒に食べるだけ」

「本当にそれだけか?」

「うん」

 一真はため息を零し、小さな声で「分かった」と言った。

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