憑かれたからには
公勝
序
チチチチ、チチチ。
チチチチチ。
「朝か…………」
眠気まなこを擦って、竜胆は仕方なしに立ち上がる。椅子の背もたれに掛けっぱなしのくたびれた白衣を羽織った。
窓枠のそばに引っ掛けた餌箱から、適当にパン屑を掴む。口を無一文に結んだまま窓を開けると、すでに集まってきていたらしい小鳥たちの目が輝いた、……ような気がする。竜胆に小鳥さんの機微はよく判らない。
色とりどりの小鳥に混じってパン屑をつつく、でかいカラスは見なかったことにした。小鳥をいじめているわけでなく、隅でひっそりしているので。
さてもうひと眠りしようか。壁に寄っかかって、乙女らしからぬ大欠伸をする。朝日が眩く、目がしょぼしょぼする。こういう日は二度寝をするに限るのだ。竜胆はここ数年の暮らしから、すっかり自堕落が身についてしまっていた。
ここが偉大なる大神の宮でさえなかったら、遠慮なく出て行ったものを。
宮殿での生活が始まってひと月。竜胆はすでに、羽織っている白衣よりくたびれていた。齢十四にしては親父くさい仕草で首を鳴らし、肩を回す。割合大きく響いたゴキゴキという異音に、窓の外にいたざくろいろの瞳を持つカラスは慄いた。竜胆もなんだか物悲しくなり、固く二度寝を心に決める。寝台に身を横たえた時だった。
窓の外が俄かに騒がしくなる。チチチと慌てたように小鳥が囀った。
「もういやだ。私は寝る、布団と友達になるんだ…………」
ここ最近竜胆の安眠を妨げるものとなったら、決まっている。
選ばれし
「
控えめに声をかけてくるのは、イチイ皇国第一皇子ジルヴァント・ユシュアート。
あんまりクソガキじゃない。良い子だ。子どもなのに気を使いすぎの、気苦労皇子でもある。
輝きのない黄砂の髪色を持つ彼に、どうも竜胆は親近感を覚えてしまう。
今でも窓の外でうかがうようにじっと上目遣いをしているはずだった。ジルを無視するのは心が痛み、「うん」と鷹揚な返事を口にする。
一方。
「起きろ、寝坊助鳥頭」
「判った。おやすみ」
「こ、こらイゼル。師に失礼なこと云うもんじゃない。謝りなさい」
ジルの取り成しを水のごとく流し、「なにがおやすみだ!」とぷんすか怒っているのは、イチイ皇国第二皇子のイゼル・ユシュアート。
黒髪の皇子は、今回選出された神の娼妓の中でも相当な暴れん坊だ。
そして恐るべきことに、穏和なジルと異母兄弟なのである。竜胆は初め信じられずに、「え?」「うん?」「あん?」と三回くらい聞き返してしまった。お陰でジルからは当初外見詐欺な百歳くらいの仙人だと思われていたらしい。心外だ。竜胆は見た目通りぴちぴちの十四歳である。
年子の兄弟は未だ言い争っている。
それに耳を傾けながら、竜胆はうなじを掻いた。
これまでの長い歴史で、同国出身者から神の娼妓が複数人選ばれることはあっても、同国の皇子ふたりが選ばれたことなど一度もなかった。
大神による“託宣”があるため、手違いがあったわけではないのだろうが──。
「うるさい! 今日こそ
「はいはい。昼過ぎになって気が向いたら、不肖私めがお相手を務めさせていただきます」
投げやりな指南役に、イゼルは顔いっぱいで怒鳴った。
「そんなこと云って、お前昨日も来なかったじゃねーか!」
だから今日は迎えに来たんだ! と胸を張る黒髪皇子の姿が、竜胆の目にも浮かぶようだ。
でも、だからといってなんで窓から誘いに来るんだろう。きっと弟が暴走しないようにと付いて来たのだろうが、常識人のジルがいるのに、なぜ。
竜胆の部屋の外に植えられた万年満開のハナミズキが、ざわざわと抗議の声を上げる。部屋の主の安眠を妨げるなど云わんばかりである。
いいぞ、もっとやれ。
内心声援を送りながら竜胆はまぶたを下ろそうとした。
「師、朝ご飯だけでも、ご一緒したく……。弟も、そうなんです。上手くお誘いできないだけで」
「あっ、や、やめろ兄貴っ!!」
「師…………」
神々の娼妓に抜擢された少年たちは多忙だ。
儀式の作法を一年かけて教える役目は竜胆が請け負っているが、それも週に二度だけ。それ以外の時間は、大陸から失われた神秘を扱うという雲上都市の学園に通い、夜は幼いながらに社交の場へ出て行く。
神々の娼妓に選ばれたということは、たとえその身に神を降ろさなくとも、充分に付き合う旨味がある。彼らは大神によって立身出世を約束された身なのだ。
ジルの懇願の響きが耳朶にこびりつく。一度だけこっそり覗いたことがあるから、竜胆も知っている。彼ら兄弟皇子が、社交の場でこんなにも気安く話すことはない。母親違いの皇子たち。本来反目しあっていてもおかしくはないはずだった。
もしかしたら、この一年だけの……。
「師は朝が苦手なようだからどうかと思ったけれど……。今朝は朝食の場に出てくれるようで良かったな」
安心したように微笑む兄を、イゼルは胡散臭そうな眼差しでじろじろ見やった。下界では凡庸と称されるこの兄だが、時折とんでもない狸を腹に飼っていると思うような瞬間がある。今もそうだ。
ぺたぺたと紅葉の葉を踏みつける。大神によって管理された庭園はどんな季節だろうが関係なく木々が花を咲かせ、実をつけ、葉を落とす。絢爛豪華で摩訶不思議な神の庭。それも翌日には掃除したわけでもないのに幻のように消え失せる。
ここには再生の概念はないと告げたのは彼らの師を務める女だった。腐敗もなく、退化もない。イゼルには、流れる時の速ささえ下界とは全く異なると感じる。ただあるのは濃密な神の気配。
脳裏に、引き合わされた初日、あの大神に向かって面と向かって抗議した竜胆の顔が過ぎる。
「あいつ、女だよな」
「そうだな」
「なんで女子禁制のこの宮殿に、フツーにいんだろ」
「……さあ」
『お前には性別がないだろう?』
にっこりと笑みを浮かべた大神の前で絶句していた彼女。
あんなに惚けた顔の竜胆を見たのは、今のところあれ一度きり。
すぐに真っ赤になって「小さくても、あるだろー!」と噛みついていたが。正真正銘神の御前で、さすがに緊張していたイゼルも度肝を抜かれた。隣の兄も言わずもがな。
そんな彼女は、次の春が来るまでは、イゼルたち神々の娼妓の指南役。
「ぼくたちの師だから。きっとそのうち教えてくれるさ」
呑気なことを云っているが、あの女は妙に秘密主義なところがある。
本当だろうかと訝しんでいると、ジルはとびきりの宝物のありかを打ち明けるように、呟いた。
「……一年あるから」
一年後、雲上宮の儀式が終われば、イゼルたちは自分たちの国へと帰る。
彼女はどこへ帰るのだろう。イゼルはふと思った。ひと月同じ建物で暮らして、そんなことも知らないのだった。
帰る場所がないなら、別にイチイ皇国に連れて行ったって構わない。
イチイ皇国は海運の国。潮の匂いはきついけれど、そのうち慣れたらいいのだ。
朝食の席で、竜胆は骨の多い焼き魚を食べるのに苦労していた。
イチイ皇国じゃ魚は毎日のようにテーブルにのぼる。見るに見かねて皿を奪って魚の身をほぐしてやったのに、「ありがとう。……なにか変なもの食べたの?」と至極不思議そうだった。
竜胆の大好物のデザートの桃を代わりに食ってやると、情けない悲鳴が上がった。
憑かれたからには 公勝 @hamukatsu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。憑かれたからにはの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます