未来の思い出

彩宮菜夏

未来の思い出

 このたびは、私どもの製品をお買い求めにお越しいただき、ありがとうございます。私がご案内させていただきます。


 ははあ、もう来週にはお父様、お母様になられるわけですね。おめでたい限りでございます。私も仕事柄、生まれたばかりのお子さんにお会いすることが多いものですから、お祝い事も慣れっこになってしまいました。ははは。しかし、何度繰り返してもいいものでございますな。

 さて、早速ですが、製品のご説明をば。お使いになられたことは? なるほど、奥様はお使いですが、旦那様はお持ちでない、と。どんな商品なのかもよくご存じではない。それなら確かに、これから生まれてくるお子さんのために買うのはご心配でございましょうな。どんな疑問でもご遠慮なく、おっしゃってください。


 さあ。こちらが、『フェモリィ』でございます。


 この箱の中央にございますこの、小指の先ほどの小さなボール。これです。こんなものがあんな金額するのか、とお思いでしょう? ですが、すぐに安いお買い物だとご理解いただけますよ。

 フェモリィというのは、メモリィとフェアリィを足した造語でございます。「記憶の妖精」というつもりで。何をしてくれるかというと、ご使用いただく方の記憶を、全て肩代わりする装置なのです。

 こちらが拡大した画像です。ここがマイク、カメラは球体の全面、三六〇度を網羅しております。装置全体が非常に軽いので、電磁気力を操ることで音もなく飛び回ることが出来ます。フェモリィに使用者を登録すれば、あとは、その方のそばを常時飛行し、全てを記録し、記憶し続けるだけです。


 データは随時、弊社のメモリィバンクに送られ、安全に保管されます。飛行は、専用のAIがコントロールしておりますので、使用者の日常生活のお邪魔にならない位置を保ちますし、平常時は光学迷彩を使用しますので、周囲の方に気づかれることもありません。まあその辺りは、奥様がよくご存じでしょうが。

 旦那様、今、顔を顰められましたな? 気味が悪い、と。

 いやいや、お気になさらず。最初は皆様、そう思われます。この商品が発売されてから、そろそろ十年になりますが、未だに非難の声はありますよ。発売当初などは、人間を退化させる悪魔の発明だ、なんて詰られましてね。国会でも取り上げられたの、覚えてらっしゃいますか。


 ですが、考えてご覧なさい。人間というのは昔から、自分の記憶を外に置いて、生きてきたものなのですよ。おや、ぴんとこない?

 たとえば、日記。日々起きたことを紙の本に書き記す。これは外部記憶とは呼べないですかな? 時折読み返して、自分が何をしていたか確認する。これは最古の外部記憶装置でございますよ。

 歴史を遡れば、静止画用や動画用のカメラを各家庭で購入し、イベントの度に撮影しては、物理記録装置……印画紙とか、ビデオカセットと呼ばれるものに焼き付けて、保存していたらしいですよ。ええ、昔は写真は紙に印刷してあったんです。面倒なもんですな。

 これらだって、人間が明瞭には覚えておけない物事を、外部に記録しておく営みと言えましょう。


 更にその後の時代では、それらの記録をデータ化し、ウェブ上にアップロードして保存しつつ、他人に送信したり、多くの見知らぬ人が閲覧するようになった、と。記録に使用する撮影機器も小型化し、当時の携帯型電話と統合されることで、誰もが常時持ち歩けるものになりました。また、写真や動画の量も、物理記録の時代から飛躍的に増大しました……。

 ああ、すみません。別に歴史の講義をしたいわけじゃありませんよ。要はフェモリィも、その延長線上にあります、というだけの話で。

 つまりフェモリィは、存在を意識する必要ないほどに小型化し、わざわざ持ち運ぼうとしなくても済むよう自動化し、記憶容量を極限まで大きくした……一種の日記、ということです。どうです? だいぶ抵抗も薄れませんか?


 ああ、旦那様、よくご存じで。人間そのものの記憶を増大させる研究も、昔から行われておりますな。薬物を投与したり、脳にナノマシンを入れたり、部分的にサイボーグ化したり。昔のサイエンスフィクションでは、そういうのが流行りでした。はは。しかしながら、そうしたものとフェモリィは、根本の設計思想が異なっているのですよ。

 そういう味気ない研究を行なっている連中は、詰まるところ人間そのものを強化しようとしているのです。いわゆる、改造人間。

 見聞きしたものを何でも覚えておければ、そりゃ学業だのビジネスだのの分野では活躍出来ましょうな。しまいには人間という種そのものを進化させようとかいう、ご大層で進歩主義的な発想。

 まあ結構なことですが、科学がこれだけ進歩して、宇宙生まれ宇宙育ちの子どもが成人するような時代になってなお、そうした技術は実用化されていない。こりゃなぜでしょう。


 私が思うに、楽しくないから、でしょう。ふふ。

 いや、だってね、自分の目から見て自分の耳から聞いた情報なんて、どれだけたくさん記録されていたところで、後から見て面白いと思いますか、普通。どう考えたって退屈でしょう?

 なにせ普段見飽きてるものだし、ブレていて美しくもないし、何より、自分が映ってないんですよ。

 カメラが小型化して一般化していって、最初に起きた変化って何だと思います? 誰もが、自分を撮影するようになっていったんですよ。人間はね、自分が映っているものを、後から見返したいんです。


 聞いたことありませんか?

「フェモリィは、貴方を主人公に。」

 広告のコピーです。もう一つある。

「フェモリィは、思い出をお見せします。」

 この二つの言葉が、我々の考え、全てを現しているんですよ。


 演説が長くなってしまいましたな。失礼。では、実際にどのように使用するものか、ご覧いただきましょう。

 と言っても、普段から奥様は旦那様にフェモリィの記憶をお見せしているでしょうから、あえて説明するまでも……お見せしていない?

 ほう、お二人でご覧になったことは、ないのですか。はあ、珍しいですな。当店にお越しいただくにあたっても、一度も?

 え、先週まで、奥様がフェモリィをお使いとはご存じなかった。

 ははあ。


 まあ、よろしいでしょう。思い出というのは、個人のものでございますから。

 奥様がお使いになり始めたのは……一年半前ですか。旦那様、ここ一年半での楽しい思い出は……十ヵ月ほど前の、沖縄旅行ですか。ようございますな。それではその時の記憶を、奥様、お呼び出しくださいませ。

 ええ、このように、使用者ご本人様のお声にしか反応しないよう、フェモリィには声紋が登録されております。ちなみに、弊社の技術スタッフでも、ご本人様の許可なく勝手にデータにアクセスすることは出来ないよう、設計されております。ですので、悪用されることは万に一つもございません。ご安心を。

 さあ、こちらの壁に映っているのが、ご旅行の際にフェモリィによって記録された思い出でございます。フェモリィには簡易な映写装置も搭載しておりますので。

 ほう、琉球王国の遺跡を巡られたのですな。美しい。お二人とも本当に楽しそうで……。このガイドさんも親切で、お髭の似合う素敵なお方ですな。現地の男性ですか。へえ。


 映像としての完成度も高いでしょう。撮影中のカメラアングルや光源、音声も自動調整・補正を行い、動画として飽きの来ないものを作り上げるように設定されておりますので。いわば、奥様が主役のドキュメンタリー作品、というわけでございますよ。

 ご夫婦とも楽しそうだ……おっと。今記憶が途切れましたが……なるほど、こちらの記憶は、奥様はすでに編集されているのですな。ちなみにここで途切れたのは……ああ、お手洗いに。これは失礼しました。

 旦那様、このように、当然のことながら残しておきたい記憶もあれば、わざわざ後から見たくない記憶もございます。それらは当然削除することも可能です。

 普段よく訪れる、ご自宅であるとか勤務先でしたら、予めお手洗いやバスルーム、寝室にフェモリィが入り込まないよう設定することも、簡単に可能。それ以外にも、忘れたいことがあったらいつでも、デリートすることは出来ますので。

 そしてこの後……ああ、ホテルのお部屋に戻って……。


 ん?

 今、二日ほど時間が飛びましたか?

 いや、そりゃホテルのお部屋に入ったら、大人のことですからな、翌朝まではデータが飛ぶのは普通なのですが、ご旅行中にしてはずいぶんばっさりと編集されて……。

 え? 喧嘩?

 あ、ああ、旅行中に喧嘩を……。

 ははは、なるほど。それはよくあることです。うん。旦那様がお怒りになって、しばらくホテルに帰らなかった、と。

 確かにそれは、消しておきたい記憶でしょうからね。へえ、ガイドさんが仲を取り持ってくれたわけだ。その後はもうすっかり、仲直りされて。ああ本当だ。お二人とも楽しそうだ。

 ガイドさんも楽しそうで。へえ。


 ちなみに奥様は、旦那様が戻られない間はホテルで何を……ああ、ずっと映画をご覧に。そりゃ記録しておいても仕方ないですね。へえ、なるほどね。

 ご旅行は十ヵ月前ですか……。

 あいや、何でもございません。


 このように、フェモリィはありとあらゆる物事を記録していきます。ほら、このように十ヵ月前から現在までも、奥様の動向が逐一記録されております。そして、これが昨日で……今日。ほら、このお店に入ってこられるところも。ばっちりです。

 漠然とした脳内の記憶に頼るよりも、その時自分が何を見ていたか、何をしていたか、明確に、更にいえば客観的に残しておけるのです。近年では、裁判向けの証拠記録としても、使用していただくことが増えて参りました。そして、こうして残していくことで何が変わるのか。楽しい、面白い、というだけに留まらないのです。

 実は、人生観そのものが、変わってくるのでございます。


 何を大げさな、とお思いになるかも知れません。しかし、私自身の経験をお話しさせてくださいね。

 私はこの会社に勤めているということもあり、十三年前、最初のフェモリィ試作機が開発されたときからずっと、継続して使用しております。つまり、私のここ十三年間の人生が、明確に記録されているわけなのです。それも、いつでも確認出来る形で。

 最初のうちは私も、面白がっているだけでございました。わざわざ自分の手で動画を撮らずして、自分が何をやっていたか全部観られるのですから。

 ああそうだ、昨日はこれを食べた、ここへ遊びに行った、先週はこんなことを喋った、先月はこんな仕事をした。今までだったら忘れてしまっていたようなことが、何もかも「思い出せる」のです。家に帰る度に、ついつい映像に見入ってしまいましたよ。


 別に私はナルシストでもないのですが、自分というのはこんな顔して働いて、こんな顔して飯を食っているのか、と。これがまず思いの外、面白い。自分は他人から、こう見られているのか、と。

 そして次に、もっと気を引き締めていこう、と考えます。

 ははは。なにせ、自分が普通に観たことがあるのは、鏡の前に立っているときとか、撮影されているときとか、ある程度緊張状態にある自分の姿ばかりですからな。そういうときは人間、わりと取り繕っているものですが、一人でぼんやりコーヒーを飲んでいるときなどを一度ご覧ください。だらけきった顔をしているものですよ。実にこう、みっともない。こりゃいかん、と日常生活を改めました。


 それから次に起きたのは……健康になり、仕事の成績が伸びました。

 いやあ、なんだか自己啓発じみた話で恐縮なのですが、事実なのですよ。別にね、誰かに監視されているわけではないんですよ。うちの会社のシステムとはいえ、上司も会社も、私のフェモリィにアクセス出来ませんから。サボろうが何しようが、以前と何も変わりない。誰かに怒られるわけではない。

 でもね……普段仕事をしているときも、ふと、脳裏を「映像」がよぎるわけです。自分自身が映っている、ドキュメンタリー作品が。自分が主人公の映像が。

 それが、どんな出来になるか。見ていてうんざりするようなものになるか、悪くないな、と思えるものになるかは……自分自身の日常にかかっている、というわけです。


 まあ、別に普段からそんなことをいちいち自覚的に考えて、背筋伸ばして立派に生きてるわけじゃございません。疲れちゃいますから。

 でも……無意識のうちに意識してしまうんですよ。ふとした瞬間。買い物をするとき。こうしてお客様にご案内するとき。

 すると、ちょっとした行動一つ一つが、微かに変わっていく。目立った変化でなくても、それが積み重なることで、大きな変化へと繋がっていく。昔と比べて、ずいぶんとまっとうな人間になりました。はは。

 大昔、熱心に神様を信じていた人なんかは、きっとこんな気持ちだったのでしょうなあ。


 そして最後に、人生観そのものが変わったわけです。変わったというのはつまり……そんな風にして、私の人生が一年記録され、二年記録され、三年記録されていくうちに、私にとって「過去」の意味合いが変わった、というわけで……奥様はご理解いただけますね。

 つまり、過去というのは文字通り「過ぎ去っていくもの」だったのが、「積み重なっていくもの」へと変わったわけです。

 旅の恥はかき捨て、などと申しますが、人生なんて刹那的に生きようと思えば簡単です。どんどん忘れていけばいいのです。なかったことにすればいい。誰も非難なんかしない。

 でも、フェモリィを使うことで、安直に逃げは打てなくなる。記憶を消すことは可能ですが、「よし、消そう」と自分で意識しないと、消せないわけです。

 それに、当然ですが消す記憶よりも、残る記憶のほうが多くなる。自分の人生が、事実として、明確な形を帯びて、私にも見えるようになる。無色の気体だった物体が、しっかりと固体になっていくような感覚がありました。わかりますかね? この抽象的な印象……。


 昨日も一昨日も一昨昨日も、ずっと存在しているんですよ。今日、今現在と同じように。明日以降も、いつまでも。

 すると……自分の生そのものが、フェモリィを使い始める前より、ずっと確かで、明瞭なものになった気がしたんです。

 それはとても、満足感があり……そして、自分が何者で、これからどこへ向かって歩いて行くべきなのか、明らかになったように思えました。

 うーん……こればっかりはもしかすると、長期間使ってみた人にしか、理解出来ないかも知れないですね。申し訳ないです。奥様は? ちょっとだけわかる感じ、ですか。そうでしょう。これから、だんだんと実感してきますよ。旦那様もよろしければまた近いうち、試してみては。


 おっと、そうだった。今日はそのためにお越しいただいたのではなかったですね。そちらのお腹の中にいる方のためのフェモリィを一つ、ご用意するのでした。

 はい。最新モデル、すでに取り寄せておりますよ。旦那様もこれまでのご説明で、ご決心いただけましたか? おお、よかった。

 そうですとも。これからの人間に、フェモリィは不可欠。世界は変わっていきます。ならば、若いうちから使い続けたほうがいい。可能なら、生まれたばかりの時から。間違いありません、最高のお誕生プレゼントになりますよ。


 お誕生の瞬間から、初めて笑った日、初めてハイハイをした日、初めて歩いた日、初めて喋った日。全てを記憶していきます。静止画でも動画でも、いつでもご覧いただくことが可能です。

 四十を過ぎてから使い始めた私でも、もうすっかり慣れっこなのですから、生まれたときからフェモリィと一緒なら、何の違和感も覚えないことでしょう。「いつも妖精さんが見ているんだよ」なんて教えてあげたら、きっと真面目で優しい、いいお子さんに育つでしょうね。

 ご利用が長期にわたることも、ご心配は無用です。ご覧いただいているパンフレットのプランは、今年から始まった「生涯ご利用プラン」です。だからこんなお値段なのです。


 定期的に一定の金額をお支払いいただければ、いつまででも、サービスは継続いたします。フェモリィが壊れても、またすぐに新しいものが飛んで参ります。新型が出れば、交換いたします。

 小学校に上がったとき。中学校に上がったとき。反抗期になったとき。初めて恋人が出来たとき。普通だったら残らないような出来事も、フェモリィが保存していきますよ。まあ、ある程度の年齢になったら、編集権をお子さんに差し上げたほうが、よろしいかと思いますがね。

 逆に、縁起でもないですが、万一何か、危険な事態に巻き込まれたときも、フェモリィに記録が残っていれば助かることも考えられます。そもそも、光学迷彩で不可視のフェモリィがどこかで見ているかも知れない、とわかったら、犯罪も激減するでしょう。お二人の今のご決断が、お子さんを守ることにもなるのですよ。


 お子さんもいずれは就職し、結婚し、お孫さんが生まれ……遙か未来の話になりますが、そんなときでも、お子さんの人生は、お父様、お母様の愛の籠もった眼差しを、いつまでも、いつまでも、受けることになるのです。

 私どもは、全ての子どもたちが、フェモリィに見つめられ、守られる、そんな優しい世界を作りたいと……本心からそう、望んでいるのでございますよ。


 ……え? ああ、生涯プランは最後にどうなるのか、でございますか?

 そこもばっちり、ぬかりなく作られております。まあ、その頃には私はもちろん、お二人ももうこの世にはいないわけですが……はは。

 予め、最期の時に使用するためのパスワードをお決めいただきます。それを呟いていただき、更にフェモリィ本体に搭載されているセンサで、総合的に判断して、実際に間もなくお亡くなりになる、と判定された時点で、生涯プランは終了になります。終了になる際には、メモリィバンクに保存されているデータは全て、跡形もなく削除されます。


 ただ、削除されるその前に、お亡くなりになる使用者の方の前で、お生まれになったときから全てのデータを、一挙に映写し、ご覧いただくことになっております。こちらが私どもからの、最後のサービスです。

 お見送りのため、とでも申しましょうか。

 私も今から、その日が来るのが楽しみです。

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