ⅩⅩⅤ 朝日(ラー・ホルアクティ)に輝くナイル

ⅩⅩⅤ 朝日(ラー・ホルアクティ)に輝くナイル

 それから数日後の早朝――。


 まだ、あちこちに包帯を巻いたメルウトの姿は、薄暗いナイル河畔の船着き場にあった。


 昼間は賑わいを見せるこの場所も、この時間だと人気はなく、周囲は朝の静寂と心地よい冷たさの空気に包まれている……。


「ほれ、これも持って行くがいい。こいつを少量セクメトの口に含ませておけば、アクの接続に制限がかけられる。さすれば、もう二度と暴走することもないじゃろうて」


「ありがとうございます。先生には何から何までお世話をかけっぱなしで……」


 〝ディディ7000〟の入った小壺をジェフティメスに手渡され、旅支度をすませたメルウトは心よりの礼を述べる。


「本当にもう行ってしまうのかいの? 傷が癒えるまでもう少しゆっくりしていけばよいのに……」


「いえ。もう身体の方はだいぶ良くなりましたし、セクメトもほぼ自己修復しましたから……それに、あまり長居をしてると、また皆さんにご迷惑をかけてしまいます。アメン神官団もまだセクメトを諦めてはいないでしょうし、ヘリオポリス神官団や市長ハアティも事件の調査に乗り出しているみたいですしね」


 淋しげな表情を見せて尋ねるジェフティメスに、メルウトは包帯の残る腕を振って元気さをアピールすると、やはりどこか淋しさの漂う笑顔でそう答えた。


「ハァ…メルメルともこれでお別れかあ……淋しくなるねえ。このままずっと一緒にいられるような気がしてたのにぃ……いや、なんならもう、いっそのこと結婚してもいいと思ってるよ」


「フフフ…わたしもウベンさんの軽口が聞けなくなると思うと淋しいです」


 よりいっそう馴れ馴れしい愛称で呼び、ものすごく残念そうに軽口を叩くウベンの姿に、メルウトも口元を手で覆いながら冗談を返す。


「いや俺は本気だよ? 君みたいな気だてがよくてカワイイ、このエジプト広しといえども他にいないからね! そうだ! 今からでも遅くない。今すぐここで結婚しよう!」


「はいはい。ありがとうございます。お世辞でもうれしいです」


 ウベンは自分の真剣さを主張するが、そのどうにも嘘臭い彼の言葉にメルウトは軽くあしらうだけである。


「じゃが、これから一人で本当に大丈夫かいの?」


 そんな、これまでには見せたことのなかった明るい表情を浮かべるメルウトに、ジェフティメスは不意に真面目な顔になって尋ねる。


「はい。今回のことでよくわかりました。一度ひとたび、〝セクメトの女主人ネベト・セクメト〟となったからには、その運命からはけして逃れることができないと……」


 老人の問いに、メルウトも真剣な眼差しでジェフティメスを見つめ返して答える。


「ですが、たとえ逃れられない運命であっても、それを自分の手で切り開いてゆくことはできます。わたしはセクメトとともに生きていきます。そのための道を、しばらく一人で旅をして見つけたいと思うんです」


「うむ……合格じゃ。どうやら何かを掴んだようじゃの。このバカ弟子などよりもよっぽど優秀じゃわい。どうじゃろ? こいつは破門にするから、やっぱり、わしの弟子になってはくれんかいの?」


 確固たる決意をその目に宿し、そう力強く答えるメルウトに、とても満足げな様子でジェフティメスは頷くと、となりのチャラチャラとした軽い男を嫌そうな目つきで見つめて言う。


「そうそう。俺みたいなバカ弟子はとっとと破門にして……って、そりゃひどいっすよ、師匠ぉっ!」


 それにウベンは一人乗りボケツッコミを入れると、いたく情けない顔で師の言い様に文句をつける。


「仕方ないじゃろう。それが自然の秩序。正義マアトに則った判断というものじゃ」


「ああ! そこまで言うんですか! だったらこっちだってねえ!」


「んん? こっちだって、なんだと言うんじゃ?」


「へえ~言っちゃってもいいんすか⁉ 知りませんよ? どうなっても。んじゃあ、言わせてもらいますけどね…」


 いつものように、そんな寸劇を演じる彼らの姿を見ていると、メルウトの瞳からは思わず涙が溢れてきそうになる。


「……それじゃ、わたし、そろそろ行きます! ジェフティメス先生、ウベンさん、さようなら。お二人のことはけして忘れません!」


 このままでは泣いてしまいそうなので、メルウトはくるりと踵を返すと、パピルスを束ねて作った小舟へと急いで飛び乗る。


「この舟と当座の食糧もありがとうございます。おかげで助かりました。ウベンさんもパンありがとう」


「なあに、旅立つ若人へのささやかなはなむけじゃよ」


「ああ、やっぱりエジプト人といえばパンだからね」


 二人もしんみりとした顔をちょっぴり覗かせると、それを誤魔化すかのようにして、わざと明るい声で彼女に答える。


「そんな粗末な小舟ですまんの。も少し財力があったら、ちゃんとした木の舟を用意してやれたんじゃがの……」


「いいえ、そんな! これだけでも本当に感謝しています。セクメトに川底を歩かせて引っ張っててもらうんで、パピルスの舟でもナイルを旅するのには充分です。それに、もし高価な木の舟に乗ってたら不必要に目立っちゃいますしね……じゃ、今度こそほんとうにお別れです。どうぞ、お元気で」


 またも涙が込み上げてくるのを感じ、メルウトは改めて別れの挨拶を述べると、胸にかけたアンクを握りしめ、水中のセクメトへ指示を送る。


 すると、セクメトと舟の舳先を結んであった綱がピンと張られ、パピルスの小船は少しづつ川岸から離れてゆく。


「ああ~! おまえさんも元気でのぉ~!」


「いつか一人前になったら~! お嫁にもらいに行くからね~っ!」


 太陽神ラーが夜の旅を終え、金色に輝き始めたナイルの水面を遠ざかってゆく舟上のメルウトへ、ジェフティメスとウベンも岸から手を振って、それぞれに別れの言葉を贈る。


「ジェフティメスせんせーい! ウベンさーん! さようならーっ! …グスン……ほんとうにぃぃ~……ほんとうにお世話になりましたぁぁぁ~っ!」


 増水期アケトを迎えたナイルの如く、両の目を満たした涙を溢れさせながら、小さくなっていく二人の恩人にメルウトも懸命に手を振る。


「……グスン……さあ、行くよセクメト。わたし達の未来を切り開くための旅へ……」


 そして、舟の進む川下の方向を振り返ると、真っ直ぐな瞳で明けゆく前方の水平線を見つめ、胸に光る黄金のアンクをメルウトは力強く握りしめた。


※挿絵↓

https://kakuyomu.jp/users/HiranakaNagon/news/16817330668458460658


戦闘女神イレト・ラーセクメト 了)


※余裕と人気があったら続編書きます

 m(_ _)m☆

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戦闘女神(イレト・ラー)セクメト 平中なごん @HiranakaNagon

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