ⅩⅩⅣ 神話の再現(2)

「おおおーっ!」


「やったぞおー!」


 その壮大な光景に、結社員達の間からは歓声が沸き起こる。


「……フゥ…なんとかオシリス神にはまだ会わずにすんだようじゃの」


 また、フラフラと翼を揺らしながら川面に鳥形グライダーを着水させたジェフティメスも、パカリと開いた背の扉から上半身を出し、ひどく疲れた顔で大きな溜息を吐く。


「……やった……俺、ほんとうにやっちまったぜ……アハハ! やった! やったぜ! さすが俺! アハハハハハ! ……ハッ! そうだ、メルちゃん!」


 一方、今回の一番の功労者、見事大役をやってのけたウベンも一拍置いて喜びはしゃぐが、すぐにメルウトのことを思い出し、横たわるセクメトの方へと急いで駆け寄って行く。


 …ドン! ドン! ドン! ドン……!


「おおーい! メルちゃん! 聞こえるかい⁉ メルちゃーんっ!」


 仰向けに倒れるセクメトの上によじ登ると、ウベンは胸の装甲板を力いっぱいに何度も叩き、中にいるメルウトへと呼びかける。


「…………う、ううん…」


 するとその音に、機体ごと横倒しになった玉座の上で、やはり仰向けで気を失っていたメルウトは虚ろな瞳をゆっくりと開いた。


「……わたし、いったい、どうして……確か、テフヌトの攻撃を避けて、それから……」


「おおーい! メルちゃーん! 聞こえたら返事をしてーっ!」


「キャッ! ……えっ? ウベンさん?」


 朦朧とする意識の中、頭上で外界を映すジェド柱室の壁正面にウベンが張りついていることにメルウトは気づく。カエルのようにぴったりと眼前にへばりつくその姿は、なんかちょっと間抜けであり、またちょっと不気味で怖い……。


「……あ、えっと、今、開けますから、ちょっと下がってください」


 その滑稽な姿をしばし呆然と見つめてしまったメルウトは、そう断りを入れると装甲板で覆われた胸上部の搭乗口を開く。


「メルちゃん! 大丈夫⁉ 怪我はない⁉ …って、ああ、かわいそうに。あっちもこっちも傷だらけじゃないか……」


 搭乗口の扉が開くが早いか、中にウベンの顔が飛び込んで来て、痛々しいメルウトの姿を眉根を寄せて見つめた。


「あの、わたし、いったい……痛っ!」


 そう尋ねながら起き上がろうとしたメルウトは、身体のあちこちに激しい痛みを覚える……だが、その痛みが生きているという実感を彼女に抱かせ、まだぼんやりしていた意識をよりはっきりと覚醒させてくれた。


「……そうだ。わたしはテフヌトの胸を貫いて……テフヌトは⁉ テフヌトはどうなりました⁉」


 彼女は痛みのことも忘れ、ウベンに掴みかかるような勢いで迫る。


「ああもう! 怪我してんだから無理しちゃいけないよ。大丈夫。テフヌトはケプリ機関を吹っ飛ばされてナイルの底さ。アメン神官団の兵達もみんな散り散りになって逃げて行ったよ」


「神官団の兵達!」


 その言葉に、微かに記憶していた恐ろしい映像が頭を過り、メルウトは透過した壁越しに辺りの様子を覗う……不安の色を宿した彼女の瞳には、地面のあちこちに残る鞭の傷と、その場に倒れ伏す幾人かの兵の姿が映る。


「……わたしは……わたしは、また……」


 またも引き起こしてしまった悲劇への罪悪感に、メルウトは今にも泣き出しそうな表情で固く目を瞑る。


「ああ、セクメトに取り込まれて暴走してたんだよ……でも大丈夫。誰の命も奪ってはいないから」


「えっ…?」


「犠牲者が出る前に赤いビールでなんとか止めることができたんだ。それに、君が完全に意識を失っててくれたおかげで、セクメトはただ暴れ回るだけだったのも幸いしたしね」


 ウベンに思わぬことを言われて再び振り返って見ると、倒れていた兵達はまだ死んではいないらしく、よろよろ起き上がろうとしている者や、仲間に抱き起されて連れて行かれようとしている者もいる。


「赤いビール……ジェフティメス先生が止めてくれたんですか?」


「ああ。実は神話に出てくるあの〝赤いビール〟をホルアクティ・ビールの親方が趣味で作ってたんだ。それを師匠が万が一のことを考えて持って来させててね。あと、他のトトの弟子のみんなも協力してくれた。ま、でも、一番の功労者はそれをセクメトに見事飲ませた、この俺だったりするんだけどね」


 よく状況が理解できず、目をパチパチさせて起き上ろうとするメルウトに手を差し伸べながら、ウベンは少し自慢げに説明する。


「あなたが……助けてくれたの?」


 彼の手に引っ張られてジェド柱室から外界に出たメルウトは、この〝ただ軽いだけのチャラいナンパ野郎〟と軽蔑していた男の目を、初めて真っ直ぐな瞳で見つめ返した。


「ま、まあね……いやあ、暴れ狂うセクメトの口にビールの入った壺を投げ込むのは命がけだったよ。ま、ナンパ…じゃなかった。釣りも狩りも百発百中のウベン様の腕を持ってすれば、別に大したことじゃあなかったけどね」


「ウベンさん……ありがとう」


 至近距離で見つめられ、照れ隠しにか、いつものおどけた調子でわざと自慢するウベンに対し、メルウトはその瞳をうるうると潤ませて、本当によかったという安堵の微笑みをかわいらしい顔いっぱいに浮かべて礼を述べる。


「メルちゃん………」


 そのなんとも言えない可憐な少女の笑顔を目にしたウベンは、今すぐにでも彼女をぎゅっと抱きしめてあげたいという感情に襲われる。


「………………」


 見つめ合う二人。


 次第に高鳴る心臓イブの鼓動。


 今にも触れ合いそうな距離にいる彼女へ、その手を広げるウベン。


「おおーい! メルウトさんやぁ~!」


 が、ちょうどその時、ジェフティメスの呼ぶ声が二人の耳に響いた。


「あっ! 先生っ!」


「うおっと…!」


 その声に、メルウトは身体ごとそちらを振り返り、目標を失ったウベンはバランスを崩してセクメトの上から転げ落ちそうになる。


 メルウトが声のした方を見ると、倒れたセクメトの周囲に、ジェフティメスとホルアクティ・ビールの親方、それに何人かの見知らぬ男達が一仕事終えたというようなスッキリした顔で集まっている。


「疲れとるとこ悪いんじゃがの。いつまでもセクメトをそのままにしておく訳にもいかん。それに、わしらも早く撤収しないといろいろ面倒なことになりそうだしの……」


 そう告げるジェフティメスが振り向いた視線の先を追ってゆくと、町の方からは逃げた聴衆がぞろぞろと様子を見に戻って来ようとしているし、また、遠く太陽神殿のある丘の上からは、ようやく事件を聞きつけたヘリオポリス神官団の警備兵達が、今更ながらに下りて来ようとしていた。


「〝ディディ7000〟の効果でアク接続による操縦はしばらく無理じゃが、簡単な遠隔操作ならできるはずじゃ。急いでセクメトをナイルの中へ隠すのじゃ。ああ、念のため少し下流まで動かしておくがいい」


 ジェフティメスの指示を受け、一旦、ジェド柱室内に戻ってアンクをパレットから引き抜くと、メルウトはウベンに肩を貸してもらいながらセクメトを降り、胸の前で握りしめたアンクに祈るように願いを込める。


 すると、黄金のアンクがぼんやりと七色の光を周囲に放ち、傷だらけのセクメトがむっくり起き上ったかと思いきや、その巨体を引き摺るようにして雄大なナイルの流れの中へと姿を消していった。


「とりあえずはこれでよしと……町の者達にばっちり目撃されてしもうたが、ま、突如現れた二体のライオンの女神が争いとなり、その後、母なるナイルの流れの中へ帰って行く奇跡を見た…とでも、皆、思ってくれるじゃろうて。ヘリオポリス神官団も表向きはそれでケリをつけるはずじゃ。もっともアメン神官団の兵から真相は伝わると思うがの……さあ、わしらもお暇するとしよう。トトの弟子の同志諸君もご苦労じゃったの。それじゃ、皆、解散!」


 長老の言葉を合図に、トトの弟子達は 法古代の遺産を各々に携え、それぞれの方向へと慌ただしく散ってゆく。ジェフティメスの乗っていた木製の鳥形グライダーは、ここまで運んできた者が小舟のようにしてナイルの流れの上を移動させる。


 それを見送り、ジェフティメス、ウベンの二人も満身創痍のメルウトを両脇から抱きかかえると、先程まで壮絶な女神達の闘いが繰り広げられていたその河原を、振り返ることもなく早々に後にした……。

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