ⅩⅩⅣ 神話の再現

ⅩⅩⅣ 神話の再現(1)

「ほんじゃま、ライオンの一本釣りとでもいきますかねえ……」


 小舟に駆け寄り、中から釣り竿を取り出したウベンは、その糸の先に素早く壺を縛りつける。


「こいつに乗るのも久々じゃのう……操縦、ちゃんと憶えとればいいが……操縦ミスで墜落しでもしたら、それこそ目も当てられんわい……」


 かたやジェフティメスの方は大きな木製の鳥形グライダーへと向かい、その背中部分をパカリと開くと、何やらブツブツ呟きながらイチジクの木でできた胴体内へ潜り込む。


「おお~い! こっちだぞ~っ!」


「おまえの相手はこの俺達だ~っ!」


 その間、他の結社員達もセクメトの注意を逸らそうと決死の陽動をしかけ始めていた。


「グルルル…」


 セクメト内から響く、なにやら威嚇する獣の鳴き声にも聞こえる不気味な音……。


 こちらは針金部が蛇の形をした、例の不思議な照明器具を足下で煌々と灯し、その昼よりもなお明るい光で目つぶしをしてくる結社員に、いまだアメン神官団の兵達や逃げ遅れた聴衆らを追い回していたセクメトは、まんまと気を取られてそちらへと殺意を向ける。


「よし! 煙火矢発射だ! 目晦ましを食らわせてやれ!」


 すると、今度は金属の筒を肩に担いだ結社員三名がその口から火を噴かせ、迫り来るセクメトに向けて〝カルトゥーシュ(※レリーフの王名を囲う楕円形の記号)〟のような形をしたものを…ボン! …ボ、ボン…! と高速で発射する。


「ガオォォォーン…!」


 ヒュゥゥゥ〜…という小気味良い風切音を立てた後、そのカルトゥーシュ形をしたものは金色の巨体に見事命中し、瞬間、ボォオオオーン…! と爆音とともに吹き上がる大量の煙にセクメトは腕を振るって暴れ回る。


「うわっ! 危ないぞ! 早く逃げろ! その〝電球〟はこいつに載せて、同志ウベンのいる方へ誘導するんだ!」


 当たったダメージは大してなさそうであるが、目障りな煙に巻かれて怒り狂う殺戮の女神に、〝馬のない戦車〟の御者は急いで照明器具をそれに載せさせ、なおも光をセクメトの顔に当てながら、手綱代わりに〝はずみ車〟を掴んでそれを走らせる。


「ガォォォォーン!」


 ネコ科の女神ゆえの本能か? 煙幕以上に気になってしまうその光を追い駆け、セクメトとその中で意識を失いメルウトは、彼らの陽動作戦にまんまと乗って来た。


 さあ、ここからが彼らの正念場である。囮だろうがなんだろうが、セクメトは容赦なく襲ってくる。


 もたもたしていれば、あっと言う間に無惨な骸と化してしまうことだろう……そんな相手の気を、自分の命を守りながら惹き付けておかねばならぬのだ。


 不意に背後から聞こえる、ビュゥゥゥン…という馴染みのあの音。


「ひぃっ! ……あ、危なあぁ……」


 時折、追いかけて来るセクメトの多節鞭がギリギリの距離を保って逃げる戦車のすぐ脇を、激しい風圧とともにかすめてドガァァッ…! と地面を抉る。


「お、おお~い! どこを狙ってる~っ! ぜんぜん当たらないぞ~っ!」


「そんなのろまな脚じゃ~っ! 俺達を捕まえられないぞ~っ!」


 それでも彼らは果敢に挑発するような言葉を浴びせながら、怒れるセクメトをある場所へと引き寄せて行く。


「ガオォォーン…!」


 また、金属の筒を担ぐ結社員達もボン、ボン…! と乾いた発射音をなおも響かせ、安全圏を確保しながら女神の足下を走り回り、カルトゥーシュ形の煙幕を放って仲間達の援護をする。


「よし、もうちょっとだ……もうちょっとこっちに来い!」


 そうしてトトの弟子達がセクメトを誘導して行く先……そこには、横に倒した猟師の小舟と、その影に隠れるウベンの姿があった。


 ……ドオォォーン! ……ドオォォーン…! とセクメトの足音が近くの地面を震わせ、その振動が彼の身体にも充分伝わってくるまでになる。


「では、そろそろわしの出番じゃの……トリ・・は任せたぞ、我がバカ弟子よ。すべてはおまえの腕にかかっておる。おまえのような者に我らが命運を託すのはなんとも心許ないが、この際、そんな贅沢は言ってられんからの……もし、わしがここで死んだら、オシリス神の前でおまえの悪行を全部報告してやるから覚悟しておくんじゃの!」


 他方、独り鳥形グライダーに乗り込んだジェフティメスは狭い胴内でそんな文句を垂れ、両翼の裏に付いた筒よりゴォォ…と炎を吹くや否や、バシャァァァ…! と派手に水飛沫を上げてナイルの水面より離水する。


ラーの眼イレト・ラー・セクメトよ! お主が本当にラー人の作りし超古代兵器だというのならば、この老いぼれジジイを叩き落してみよ!」


 そして、そのままセクメト目がけ飛んで行くと雲霞の如くその顔の周りを飛び回り、挑発の暴言を浴びせかけながら注意を自分に惹きつけようとする。


「ガオォォォォーン!」


 だが、…バジ……バジ…バジ…! と微かに響く電気の走る音。


「……んん?」


 あまり怒らせすぎたのか、額のウラエウスに電流が流れたかと思うと、セクメトの頭上に赤い円形のエネルギー場が形成される。


「やば…」


 刹那の後、ウラエウスの口からゴォォォォォォーッ…! と火炎が噴き出されると立ち上ぼる水蒸気。


 間一髪、命中は免れたものの、鳥形グライダーの脇をかすめた火柱はナイルの水面を擦るように伸び行き、触れた水を一瞬に蒸発させて白い湯気がその軌跡に立ち上る。


「うぐぅぅぅ……なんのこれしきぃっ! ……フゥ…危ない危ない。危うく焼き鳥になるところじゃったわい……」


 衝撃に機体のバランスを崩し、ひらひらと木の葉のように落下しそうになる鳥形グライダーをなんとか立て直すと、命拾いしたジェフティメスは青い顔で額の汗を拭う。


「ハァ……まったく。歳も考えずにあんな無理しちゃって。これじゃあ、若者の俺も体張らないわけにいかないじゃないっすか……ま、獲物が愛の女神さまとなりゃあ、相手にとって不足なし。魚も女の子も釣ることに関しちゃ、このエジプト一のウベン様の力、とくと見せてやろうじゃないの……」


 そんな師の雄姿を見上げ、師弟揃って無駄口の多い似た者同士、ウベンも舟の影で文句を垂れつつ、それでも釣り竿を握りしめてセクメトの動きをじっと注視する。

「ほれほれ、そんなのろまな動きではわしを捕まえれんぞお! ……あ、でも、ウラエウス使うのだけはもう勘弁じゃぞ?」


「ガオオオオーン!」


 ウベンが見守る視線の先、危ない目に遭ってもなお果敢に挑発を続けるジェフティメスに対して、まるで蝶々を追う猫の如く、セクメトは両の手をバタバタ振り回して鳥形グライダーに夢中である。


「よし! 今だっ!」


 そして、ついに絶好のチャンスが彼らに訪れる。その瞬間、ウベンは舟の影から姿を現すと、気合一発、釣り竿を思いっ切り大きく振るった。


「この前は〝坊主〟だったけど、今日こそ大物を一本釣りだあっ!」


 先端に餌ならぬ壺の付けられた釣り糸は、振られた釣り竿のしなりとともに真っ直ぐセクメトの方へと伸びて行く……。


 鳥形に夢中なセクメトは、まったくそれに反応しようとはしない……細い糸の尾を引きながら空へと昇って行くその壺は、そのままの速度を保ったまま、牝ライオンの開いた口の中へと見事、飛び込んだ。


 パリン…! と微かに聞こえてくる土器かわらけの割れる音……。


 セクメトの口に入った瞬間、牙に当たって素焼きの壺は粉々に砕け散る。とともに、中に入っていた赤い液体がその口内へと広がってゆく……。


 すると、セクメトは両腕を振り上げたままの姿勢で動きを止め、その黄金の身体の表面に、口元から全身へと放射状に赤い電流のような光が走って消えた。


「あれは人類滅亡神話において、殺戮の虜となったセクメト女神を止めるため、トト神が用意して飲ませた〝ディディの実の汁を混ぜた血の色のビール〟……実際には戦闘本能活性化システムに操縦者が取り込まれ、暴走したラーの眼イレト・ラーを停止させるためにラー人が開発した〝ディディ7000〟という魔術薬だけどな。あの液体は口元に集中する情報収集器官を通して機体の神経系を犯し、しまいにはその中枢ともいうべき偽扉システムを麻痺させる。するってえと、接続していた〝イレト・ラーの女主人ネベト・イレト・ラー〟とイレト・ラーのアクも分断され、さすがの女神さまもおとなしくなるってえ訳だな。ビール屋の戯れに古文書読んで作っておいてよかったぜ……」


 固まったセクメトの巨体を見上げ、呆然と立ち尽くす周りの同志達に、ホルアクティ・ビールの親方は自慢げにそう説明する。


 と、その時、ドオォォォーン…! と巨大な地鳴りと土埃を立てて地面が激しく振動する。


 トトの弟子達の見守る中、まるで下戸げこの人間が一気に強い酒をあおった時のようにして、そのままセクメトは後方へと地響きを立てて転倒した。

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