第13話
花火大会から戻ってきた俺たちは、二人のよく知る公園へ来ていた。
公園の静けさはあの頃とよく似ていた。二人でここへ来るのはあれ以来、初めてだ。見慣れた場所のはずなのに、どこか違うところのように感じた。
公園の時計の針は八時を過ぎている。お互いに何も話さないのは、二人とも、どこから話せばよいかと記憶を巡らせているからだと思う。
美幸はベンチの上の葉っぱを手で払い、座った。俺も美幸から距離をあけて座った。
「ありがとう」
先に口を開いたのは美幸だった。
いつも喜怒哀楽が激しい美幸は感情を忘れてしまったかのように静かだ。でも、この美幸は俺が昔あった彼女にそっくりだった。
「私は悠介とした約束があったから、自分を変えてでも、頑張ってこれた」
「俺は何もしてない」
美幸のことも、約束のことも忘れていたんだから。
「オコジキサン」
「え?」
耳を疑った。だって、美幸は知っているはずがないのだから。
俺がまだ小学生の時。美幸をこの公園で待っていた俺が周りから呼ばれていた名前だ。何で、美幸が知っているんだ?
「誰かに聞いた?」
「田所璃玖から聞いたの」
その名前には聞き覚えがあった。健人と同じバスケ部の人か。
美幸は引っ越し先で俺にオコジキサンと名前を付けたという田所璃玖から、俺が美幸を公園で待ち続けていること聞いたということを教えてもらった。
だから、田所璃玖は俺の名前を知っていたのか。
「私はそれを聞いた時、凄く嬉しかった。早く、戻りたいって思った」
美幸はずっと俺のことも、約束のことも覚えていてくれたんだ。美幸は何となくで俺に声をかけたわけじゃなかったんだ。
「ごめん」
約束していたのに、オコジキサンと呼ばれることから、周りから気味悪がられることから逃げたばかりに、代償として美幸のことを忘れてしまったのかもしれない。情けない話だ。
「俺は忘れてた」
美幸は首を横に振る。
「今、覚えてる」
美幸は何度も俺に約束のことを思い出さそうとしていた。出会った時に美幸が言った三つのお願いも絵しりとりの時も有馬温泉へ行った時も今日だって。
「私は変わってしまったから。悠介と再会するのが恐いと思う時があった。でも、悠介は変わってしまった私にも」
俺を見る美幸の目から透明な二粒の水滴が瞬きと一緒にはじき出される。
確かに美幸は昔と印象が違うように思う。でも、変わってしまうのは当たり前じゃないか。それでも、美幸は逃げなかった。逃げてしまった俺とは違う。
「私は悠介に迷惑ばかりかけたね」
彼女は涙を乾かすように空を見上げて言うが、美幸の目は何億光年も先の星を見ているようだった。
「どういうこと?」
俺の気持ちを決められるのは納得がいかない。それがそのままの意味で言っているのなら怒りを感じる。
俺の感じる気持ちと美幸の思う俺の気持ちに大きな違いを感じた。
確かに初めこそは、そう思っていたかもしれない。でも、俺は美幸と再会して変わった。久しぶりに誰かの涙を拭ってあげたいと思うようになった。その時からいつも持ち歩いているハンカチを差し出す。
美幸はハンカチを受け取ると、自分の目に軽く当てた。
あの日は、ハンカチを持っていなくて滑り台の上で泣く美幸の涙を拭ってあげることは出来なかった。
「迷惑じゃなかったの?」
「迷惑じゃない」
「私が約束した相手じゃなくても言い切れる?」
美幸は俺を試しているのか。
俺は考えた。もし、今この場に、本当に約束をしていた人が来るとする。俺は美幸との縁を切るだろうか。
「迷惑じゃなかった。俺は今だから言うけど美幸には感謝してる。俺は思い出せて嬉しかった。美幸に振り回されるのも悪くなかった。七つのお願いもわりと使えた」
「全然分かんなかったよ」
美幸はクスクスと笑う。俺はかなり真剣に言ったつもりだったのに。複雑な気分だ。
「迷惑じゃなかったかー」
「迷惑がってほしかったの?」
「違うよ。この上ない喜びに浸ってるの」
美幸はニコニコと笑うとハンカチを広げた。
「あ」
「どうかした?」
俺は美幸の広げたハンカチを見た。そこには汚い字で、みゆき、と書かれていた。俺はいつでも約束の相手が美幸だということを思い出せたことを知った。
美幸の名前を忘れることを予期して、小学生の自分は書いていたのだろうか。
美幸はまたクスクスと笑う。
「あー、面白いね」
「面白くないよ。笑わないでくれる?」
「いいの。面白いんだから」
美幸は笑い涙をハンカチで拭くと、笑いが消えた。
「悠介には言っておかないといけないことがあるの」
「何?」
「私、来週にはまた引っ越すの」
引っ越す? 美幸は泣いていなかった。どちらかと言うと清々し顔をしていた。
「私が付き合ってってお願いした日、三か月でいいって言ったでしょ?」
俺は奈落の底へ突き落された気分になった。
「じゃあ、七つ目の最後のお願い――」
「残ることは出来ないよ」
美幸は笑って言った。
俺は何を言おうとしているんだろう。美幸は魔法使いでもなければ魔術師でもない。今になって美幸が自分の中で大きな存在になっていたことに気付く。
「私だって、残れるなら残りたいよ。でも、それは叶わないの」
「うん」
周りはコオロギの声が響いていた。
「見て、花火始まったとき見てたの」
美幸はカメラを取り出して、画面を見せた。
「私、旅行とか友達としか行ったことないから楽しかったなー。悠介は?」
「うん、楽しかった」
「じゃあ、そんな辛気臭い顏をしない!」
美幸は俺の腕とまった蚊を思いっきり叩いた。
「痛っ」
「大げさー。そんなに強く叩いてません」
「でも、俺って美幸にとって何? 友達じゃないんだろ?」
美幸、内緒です! 、と言い張った。
何なんだろう。気にならないと言えば嘘になる。
「やっぱり、七つ目のお願いしてもいい?」
「何でもは無理だからね」
「分かってるよ」
美幸は俺の目を見て、息をのんだ――。
俺が大学二回生になって三か月が経った。
暑さが年々増しているように感じる。今年は異様な暑さだ。日差しを遮る雲一つない。
いよいよ、俺は自室から出れないんじゃないかと思っている。そういうわけにもいかないので、今日も仕方なく大学へ出た。今日は午後からの授業だったので一番日差しが強い時に外へ出なければならなかった。
早くクーラーのついた部屋でダラダラとしたい。
講義を楽しいと思うことはないが興味深いところもないわけではない。サークルなどには入っていないので交流は少ない。それでも、同じ講義を受けると自然に周りの人の顔も覚える。だから、たまに話したりすることもあったりする。高校までの俺には考え難いことだ。
講義を終えて家へ帰ったのは午後の五時だった。家に入る前にポストの中を確認する。中には今日の新聞が広告と一緒に入っていた。今日、誰も外に出ていないな。
「ん?」
ポストに手を突っ込む。中から出てきたのはハンカチだった。それを開けると、みゆきと書かれていた。
「美幸」
俺は家の扉に鍵をさし乱暴に開ける。玄関に新聞をほって、携帯と鍵、ハンカチだけをもって家を出る。そして、公園まで走った。
滑り台の日陰には、白の肩見せトップスに黒のレースタイトスカートを合わせ、茶色く長い髪を軽く巻いている、大人びた美幸の姿があった。
「悠介!」
「ごめん」
「こんな暑い中、連絡の一つも入れないで」
美幸は久々の再会から怒っていた。
「あの日約束したじゃん」
俺は高校三年の美幸が引っ越してしまう前の花火大会のことを思い出した。
「やっぱり、七つ目のお願いしてもいい?」
「何でもは無理だからね」
「分かってるよ」
美幸は俺の目を見て、息をのんだ。
「もし、次に戻ってきたら美幸のお願いを三つ叶える。だから、帰ってきたら俺の家のポストにそのハンカチを入れて」
「分かった。じゃあ、朝一番に入れに行くね。だから学校の行きか、バイトや仕事の行きにポストを確認してね。連絡待ってるから」
「本当にごめん」
俺は忘れていたわけでないことを言い訳のように美幸に言った。今日は、朝ゆっくり出来ると喜び、ポストも見ていなかったのだ。学校へも急いでいたため仕方がなかった。
「ごめんなさい」
「まあ、今日来なかったら許さなかったけど、来たから許す」
仕方ないという表情で美幸は許してくれた。
美幸は笑って、では、と言い人差し指を立てた。
「一つ目のお願い聞いてくれる? 三つだからすごく考えてきたんだー」
俺はこの場に立って、初めて美幸が息をのむ感覚が分かった気がする。緊張のドキドキで美幸から目が離せなかった。
美幸はニッと笑って言った。
「私の彼氏のふりをしてくれない?」
俺の夏は久々に忙しくなりそうだ。
俺的恋人役者 道透 @michitohru
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます