第12話
ここ数日、美幸は体調不良のため学校を休んでいた。休んでいたのが二日三日のことじゃないから少し気になっていた。
今日も一番に教室に入っていた俺は、二番目に来た健人から美幸の話を聞いていた。
「お祭りの日に体調崩したのか」
残念がる美幸の顔が目に浮かぶ。
俺はその日、家族と入院した祖父のお見舞いに行かなければならなかった。脳卒中で脳梗塞を起こしている。でも症状は軽症なので二週間ほどで自宅退院になる。
美幸には申し訳ない気持ちはあった。せめてもの罪滅ぼしとして何か出来たらと思った。
「健人、お祭り行かないか? 三人で」
健人はキョトンとしていた。何をそんなに驚くのだろう。
「何かあったの? 悠介から誘うなんて……」
「別に理由はないけど、気分だよ」
教室に人が増えてきた。自然と会話が途切れた。
メールで美幸に初めて約束の話を聞いた。返信は帰ってこなかった。美幸は何を思って、有馬温泉の帰り聞いてきたんだろう。お互い覚えていることは分かっているはずなのに、関係性が上手く言葉に出ない。
美幸も俺もはっきり言葉に出来ないままダラダラと三か月を過ごそうとしている。そう思って思い出した。
俺は美幸に、仮のお付き合いを三か月だけでいい、と頼まれていたのだ。なぜ三か月なのだろう。やるなら卒業まですればいいのに、そんな中途半端にする理由が分からなかった。
「香月さん、来たよ。祭りのこと言っといてよ」
「俺が?」
「誘ったの悠介じゃんか」
それもそうか。そのくらい、会ったら挨拶程度に伝えておけばいい。
廊下の窓を開けに行った健人が教室に戻って伝えに来た。
「健人いる? ちょっと来てくれない」
他のクラスの人が教室から顔を覗かして言った。健人はさっさと教室から出て行った。人がいる教室で美幸と話すのはまだ慣れなかった。だから、教室にむかう美幸に言うことにした。
教室を出て階段を下りていくも美幸とはすれ違わなかった。さっき健人は、美幸が来たと言っていたはずだけど。仕方ない、教室へ戻ろう。
教室へ向かうと扉の前に美幸が立っていた。何で入らないのだろう。久しぶりの学校に緊張でもしているのか?
「美幸?」
振り向いた美幸はなぜそんなに驚いているのだろう。驚かしたつまりはなかった。
「バスケ部にでも入るの?」
俺が髪を切ったのに気付いてびっくりしたのか。
この時期から入部する人なんていないだろう。何をてんぱっているのだ。まだ、体調悪いんじゃないのか。
「もういいの?」
「大丈夫だよ、心配してくれてたの?」
「健人から聞いたから」
「血相を変えて走ってきてくれたんだー」
「そこまでは心配してない」
言うつもりがなかった心の声を口にしてしまった。
美幸はいつものようにニコッと笑った。大丈夫ならいいけど。
俺は今、お祭りのことを聞くのをやめた。放課後を待って、伝えることにした。俺は帰る準備をいつもの倍以上遅いスピードでした。美幸もまだ帰る様子はなく、教室から俺たちを除くクラスメイト全員が出ていくと美幸は席を立ちあがり、俺の席へ歩いてきた。
「悠介、帰らないの? 私と話すため?」
恥ずかしくないのか、そんなこと言って。俺だったら絶対に言えないな。美幸の言葉にのせられることはない。
「あまり人に見られたくないから」
「私といるところ?」
俺は頷いて、美幸をお祭りに誘うことにした。
「とりあえず、六つ目のお願いだけど」
「はい!」
美幸は姿勢を正した。俺と目が合う。何だか何度も合わせているはずの目なのに、ボーっとなる。
「一緒にお祭り行ってほしい」
何か言い方が違うように感じる。これでいいのか? 誰かを遊びに誘うなんて滅多にしない俺は、突然日本語を忘れてしまったように感じた。
「行く、絶対に行く」
美幸は俺の心配を蹴飛ばして、全力で言った。こんなに喜んでくれるとは思わなかった。
「よかった」
つい、言葉が漏れる。
でも、やっぱり自分から誘うのは恥ずかしくなった。
「健人が残念がってたから。美幸も誘っておいてほしいって。今月半ばに花火大会があるらしいから」
「ちょっと、待って。牧野くんもいるの?」
「誘ってきたの健人だし」
嘘をついてしまった。美幸は残念がっていた。このまま、ここにいるのも耐えられなくなって、俺は立ち上がって教室を出ようとした。
「待って」
「何?」
美幸に止められて振り返る。
「何で、約束覚えてるか聞いてきたの?」
まさか、このタイミングで聞かれるとは思ってもいなかった。言い訳が思いつかなかった。誤魔化しようのないことだ。いや、誤魔化してはならない気さえした。
俺は美幸の言葉を聞かなかったことにして教室を出て行った。美幸も追ってくることはなかった。まるで、絵しりとりをした日と一緒じゃないか。
結局、俺たちは過去の自分たちに縛られている。
花火大会の日、俺たちは現地集合のはずだった。
でも、家に美幸が訪ねてきた。着物を着てくるとは思ってはいたが、ここまで綺麗に着こなせるものなのか。それは、あずき色に金色のラインが入ったものだった。髪の毛も複雑に結われている。浴衣の時も思ったが綺麗だった。
正直これを見ると俺が一緒に歩いていいのか、と躊躇ってしまう。健人も昨年は着物を着ていたし、ラフな服装は俺だけか。俺は自分の服装を見る。
「現地集合だろ」
「そうだけど、これ渡しに来たの」
美幸は俺に何かが入ったビニール袋を手渡してきた。受け取ってから後悔した。絶対に着物が入ってる。浴衣の時を思い出す。
「絶対着てきてね。じゃあ、またあとで。先に行ってるから」
美幸は俺に有無を言わさず、去って行ってしまった。
とりあえず、部屋に戻ってビニール袋から着物を取り出す。紺色の着物を見て、手が止まる。どこから手を付けていいのか分からない。
着ないと美幸に怒られそうだ。着方の説明書の変わりに、自力で頑張って! 、と書かれた付箋が入っていた。自力でどうにかするしか無いのか。
調べつつ、何となく着ていく。帯を巻くのが一番苦戦した。気づけば、約束の時間が迫っていた。もう。美幸は着いているだろう。焦ってしまう。何で美幸は毎回突然なんだ。
着物にスニーカーはどうかと思ったが、他に靴がなかったので仕方なくそれを履いて走った。着物は走りにくい。
俺は待ち合わせに五分ほど遅刻して、到着した。
「え、悠介が着物着てる」
健人は大げさだ。
美幸はニコニコと満足げにしていた。
「これは――」
「よく似合ってるよ! 早く行こう」
美幸は何のつもりか、俺の言葉を遮った。言われたくないのか? まあ、いいか。
「じゃあ、行こうか」
健人が先導を切って歩き出す後ろで美幸は俺に、着物のことを秘密にするように、とこっそりと伝えてきた。
「黙っとくの良いけど、これどうしたの?」
俺は着物の袖を美幸に向けた。お兄さんがいると言っていたから、これは美幸のお兄さんのなのかもしれない。
「私の手作りだよ、感謝してね」
「え、作ったの?」
まさか、作ったとは思わず本気で驚いてしまった。着物ってそんなに簡単に作れるものなのだろうか。感心した。
美幸は俺の背後に回り、後ろから俺の着物の襟を整えた。ヨレヨレだった襟は形を整えられた。
「香月さん、リンゴ飴あるよ」
「本当だ、悠介も食べない?」
「俺は別に」
「もう少し祭りを楽しめよ」
俺は健人に引っ張って連れていかれた。
俺も美幸と一緒に一つ買った。しかし、俺を連れてきた健人の手にはリンゴ飴はなかった。
「健人はリンゴ飴、食べないのか」
「俺は家で甘いものは食べてきたから」
これってそんなに甘いのか? ほとんどはリンゴだし言うほどではないと思う。
「別にそんなに甘くないぞ」
「俺はかき氷くらいでいいかな」
あれは甘いというのだろうか。甘いのは一部だけで、大半は水だろ。俺はかき氷の価値はシロップにのみにあると思う。
「あれは水じゃん」
「それは氷の部分だろ」
美幸は俺たちのやり取りに笑いながら屋台を指さす。
「二人とも行くよ、ヨーヨー取ろう」
「全然やってないな、久しぶり」
「持って帰ったら楓ちゃん喜びそうだね」
健人は妹がいるから、そういうの喜ばれそうだな。
俺たちは三人並んで挑戦した。
目についた赤いヨーヨーの下にカギを下ろし。すぐに上げる。コヨリが切れる前にヨーヨーは取れてしまった。健人は緑のヨーヨーを取っていた。しかし、美幸は未だに奮闘していた。そんなに長いこと水の中に浸していたらちぎれる。
「あー!」
美幸の狙っていた赤いヨーヨーはあと少しのところで水の中に戻って行った。
「切れた」
屋台のおじさんと健人は笑っていた。美幸は俺たちがヨーヨーを取っていたことに気付き、ムッとする。
「もう一回やる?」
「後でリベンジする」
俺たちは屋台をブラブラとすることにした。手に持つヨーヨーに目をやる。
俺がこのヨーヨーを取れたのは、このことを見越していたからからかもしれないな。
「美幸、これあげる」
俺は美幸に自分のヨーヨーを差し出した。
「ちょうど、美幸が取り損ねたのも赤だったし。あと、着物のお礼」
「いいの?」
美幸は目を輝かせる。
「健人は妹いるけど、俺にはあげる人いないし」
美幸は赤いヨーヨーを手に取ると、ゴムの輪っか部分を中指に引っ掛けて遊ぶ。小さな子供のようだった。
「ありがとう」
俺は頷いた。お礼をしたまでだ。
「健人は何を食べてるの?」
「二人が話している間に買ったベビーカステラ。いる?」
俺と美幸はいつの間にか右手にベビーカステラの入った紙袋を持つ健人からベビーカステラをもらう。
俺は丸い形のベビーカステラを取った。
「見て、ハート形だよ」
美幸は自慢するように、そのハート形をこちらに見せる。
「俺は普通に丸いの」
「香月さん、当たりだね。ハート一個しかないよ」
健人は紙袋の中身を転がしながら言った。
「やったー」
カステラはほんのり温かく、ほんのり甘かった。嫌いではない。
「もうそろそろ花火上がるかな」
美幸は暗くなった空を見上げた。俺も空を見上げる。もう、あがってもいいと思うけど。
「多分」
花火は一年ぶりだな。昨年は健人と見たっけ。家の近くにある公園の滑り台からよく見えるのだ。
「あ、始まったよ!」
健人は笑顔で言った。
花火はオレンジ、ピンク、緑、青、黄色と真っ暗な空を彩った。とにかく音が気にならないほどに俺たちの目を奪った。
「綺麗だね」
美幸は呟いた。
三人の間で会話が消える。けど、花火は俺の頭の中を思い出ででいっぱいにした。美幸に振り回される時間で俺は一生分の思い出を手に入れた気がした。
美幸に話しかけられた日まで、俺は約束のことをすっかり頭の片隅に追いやっていた。美幸があの時の彼女かもしれないと感じたときは驚いた。もう会えないと思っていた。あの約束はもう無効なのだと思っていた。
俺にとって初めての友達だった、あの彼女は美幸として俺の前に現れた。
もしかしたら、美幸はまた突然と消えてしまうかもしれない――。
「悠介」
俺は美幸の方を向く。
「ん?」
「ハイッ、チーズ」
俺は不意を突かれ、カメラで撮られる。
「いきなり撮るな」
「いきなりじゃなかったらいいんだ」
美幸はまた俺にカメラを向けた。そこに健人も入って、いっぱい撮られる。
「香月さん、カメラ貸して」
「はい」
健人は美幸からカメラをもらうと美幸の方にカメラを向けた。
「ほら、悠介も入ってよ」
「あ」
美幸に腕を掴まれ、引っ張られる。美幸は前にピースサインを出す。
「牧野くん、もう一枚!」
美幸はそう言って、俺の方に手で半円を作って差し出してきた。
「早く、ハートが割れたままになっちゃうよ」
ハートか。丸かと思った。
俺は美幸と逆の手でハートの片割れを作り、美幸の手にくっつけた。美幸は上手いこと笑って見せるが、俺は顔の筋肉がピクリとも動かない。
「悠介も笑えよ」
健人にあまりにもしつこつ言われるもんだから、笑ってしまった。健人は見事なことに、その瞬間を逃さずに撮った。
「じゃあ、次は――」
「健人、来てたのか」
健人が俺に私のカメラを渡そうとしたとき、健人の後ろから声がかかった。誰だろう。見たことあるような、ないような。ないか。
「お前らも来てたのか」
やってきたのはバスケ部の人たちだった。多分、以前会って、ゲームもしているのだおうが顔まではよく覚えていなかった。向こうも反応してこなかったので、何も言わなかった。
「これから、先輩たちと合うから来いよ。久しぶりだろ」
「本当に! でも、一緒に来てる人いるから」
健人の背中には、行きたい、と書かれていた。
美幸にもその文字が見えたのか健人の背中を押した。
「私たちは大丈夫だよ。行って来たら? なかなか会えないんでしょ」
「まあ、でも」
「大丈夫だよ」
俺も後押しする。都合がいい。ちゃんと言葉にするなら今日だと思うから。
健人とはここでお別れになった。
「はい」
俺は健人から渡されたカメラを美幸に返した。
「本当にごめん!」
「大丈夫だって」
俺がそう言うと健人は走って部員のもとへ駆けて行った。
話すなら今しかないような気がした。この一瞬の時間さえもが無くなってしまうとしても、今はなして前進できた方がいいと思う。
「少し、話さない?」
美幸は戸惑うように見えたが、何かを覚悟したように頷いた。
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