第11話
私は夏休み明けもまだ、体調を崩していた。故に学校も一日目から欠席した。折角、夏休みの宿題が終わったというのに。
風邪だったらマスクをつけて行ってたものの、病院で診察を受けた診断の結果は溶連菌だった。そのため、部屋に一日中こもりっきり。見慣れた部屋というのは退屈だ。籠の中の鳥になった気分だ。
始業式から六日後、熱も下がって、次の日からは登校できそうなところまで回復した。久しぶりの制服でスカートの襞がよれよれになっていないか気になる。髪を櫛で解き、唇に薄く色付きリップを塗る。
外は真夏の日差しが降り注いでいた。流れゆく雲が頭上を通り過ぎていく。学校に近づけば近づくほど同じ制服の人たちが多くなる。周りの人を確認しながら歩く。
悠介と顔が合わせづらい。会いたくないわけでも話したくないわけではない。でも、悠介が約束を覚えているのなら、どう接したら正解なのか分からない。悠介を試してみるようなことをしたのがいけなかったのかな。
必要以上の緊張が指先にまで伝わる。
廊下を歩いていると、あちらから歩いてくる牧野くんが見えた。固まった顔の筋肉をほぐす。
「おはよう、牧野くん」
「おはよう。もう体調大丈夫?」
ちゃんとお礼も言えてなかったことを思い出した。楽しみにしていた牧野くんの顔を思い出す。
「うん、お祭りの日はごめんね。折角、誘ってくれたのに」
牧野くんは笑顔で許してくれた。
「そういえば、悠介が香月さんのこと探してたよ」
「え」
牧野くんは、じゃあね、と言って行ってしまった。
なぜだかはすぐに分かった。メールで聞いてきたこと、出会っていたことの真偽、いろいろと頭の中に浮かぶ。どう接するかの問題じゃなかった。どこに、どうやって逃げるかが問題だ。まだ、心の準備が出来ていない。心の準備が出来ていないまま、教室前へ着いてしまう。
絶対に悠介来ている。いつも私より来るの早いし。
牧野くんは行ってしまったし、友達には悠介のこと内密にしておきたいし。
目の前にある教室の扉が重い。こんなことなら、今日も欠席すればよかった。
かろうじて学校へ向いていたベクトルが家の方へ向く。
「美幸?」
扉の中にいると思っていた悠介は私の後ろにいた。久しぶりに会う悠介は髪の毛が短くなっていた。
「バスケ部にでも入るの?」
「もういいの?」
悠介は私の言葉を無視して聞いてきた。一瞬構えたが、心配されてる、と分かった途端に私は肩透かしを食らった気分になった。
「大丈夫だよ、心配してくれてたの?」
「健人から聞いたから」
「血相を変えて走ってきてくれたんだー」
「そこまでは心配してない」
そうきっぱりと言われててしまうと胸の高鳴りも落ち着いてしまう。
でも、よかった。いつも通りじゃん。緊張していたのが馬鹿らしくなった。悠介は他に何も言わず教室に入って行った。
でも、どうして聞かないんだろう。
私はとにかくそのことが引っかかってならなかった。でも、放課後になって悠介は最後の一人になるまで帰ろうとはしなかった。
もしかしたら、私は聞いてほしかったのかもしれない。
「悠介、帰らないの? 私と話すため?」
私は辛抱ならなくなって帰りの準備をする悠介に聞いた。冗談で聞いた私の言葉に悠介は真剣に答えてきた。
「あまり人に見られたくないから」
「私といるところ?」
悠介は頷いて、ことがことだから、と言った。
「とりあえず、六つ目のお願いだけど」
「はい!」
私は姿勢を正した。悠介の目を見る。待つ間が長くて、息をのむ。何を言うのかと気合を入れる。
「一緒にお祭り行ってほしい」
今日は拍子抜けしてばかりだ。本当に何なんだろう。でも、嬉しい。断る理由なんてなかった。これが善意でしたことであったとしてもいい!
「行く、絶対に行く」
「よかった」
悠介も緊張していたのか、顔が和らぐ。
「健人が残念がってたから。美幸も誘っておいてほしいって。今月半ばに花火大会があるらしいから」
「ちょっと、待って。牧野くんもいるの?」
「誘ってきたの健人だし」
何だか期待して損した。悠介がそんなことするはずがなかった。何だか疲れた。
悠介の言う花火大会はここから電車で三駅先のところで行われる。
悠介は約束を取り付けるとさっさと教室を出ていこうとする。
「待って」
「何?」
振り向いた悠介は私の言葉を待った。
悠介が何を思って、約束のことを言ってきたのか分からない。
「何で、約束覚えてるか聞いてきたの?」
悠介は何も言わず、振り向いた顔を戻して帰って行った。
教室を出た廊下の窓から見える校門から悠介の姿が見えた。
「何で何も言わないの?」
私は一人で残る教室の静まった空間に取り残された。どうしようもなく青い空が清々しすぎた。遮るようにして伏せる。
「香月さん?」
名前を呼ばれて顔を上げる。
遮っていた光が私の目に差し込んでくる。教室の後ろの扉が開いていた。そこにはユニフォームを持ってる体操着姿の牧野くんがいた。
「あ、花火大会の話聞いたよ。楽しみにしてる」
「それは良かった。悠介に誘われた時はびっくりしたけどね」
「悠介から?」
私は立ち上がて驚いた。本人からは牧野くんからだと聞いていて、自分だとは言っていなかった。
「そうだよ。言ってなかったの? 気分だって言ってたけど、香月さんがお祭りの日に体調崩してって話したからだと思う」
聞いてない。
「嬉しそうだね」
牧野くんに言われて、笑いを隠せていないことに気付かされる。今はどうやっても隠せる自信はなかった。だって、隠しているつもりだったのだから。
その日から私は牧野くんに教えてもらった、真実への喜びだけで生活しているようだった。嬉しさは隠さない方が幸せだと思うから。
花火大会の日、私たちは現地集合することにした。私は待ち合わせしている時間に着く電車に乗り遅れないように準備をすると、鞄を持って悠介の家に行った。
牧野くんとお祭りに行った時と同じ着物を身に着けた。今日は時間に余裕がなかったので、髪の毛はお母さんに結ってもらった。私が結うよりも綺麗にまとめ上げた。やはり年の功には敵わない。着飾った着物をくずさないように歩いた。
インターホンを鳴らすと予想通り、おしゃれの一つもしようとしない悠介が出てきた。
「現地集合だろ」
「そうだけど、これ渡しに来たの」
私は悠介に着物を入れたビニール袋を渡した。悠介も察しがよくなったようで、顔をしかめた。
「絶対着てきてね。じゃあ、またあとで。先に行ってるから」
本当は着るのを待って、一緒に行きたいものだがやめておいた。牧野くんを除け者にしているようでならなかった。
気持ちが高ぶっていたせいか、待ち合わせ場所に一番に着いた。辺りはお祭りを楽しむ人たちの笑顔でいっぱいだった。
悠介は着物をちゃんと着れたかな。少し心配になる。牧野くんは以前、綺麗に着てたけど、悠介は多分自分で来たことがない。
次にやってきたのは牧野くんだった。駅から出てきた牧野くんはキョロキョロと辺りを見渡していた。私は手を挙げてサインした。
「悠介は?」
「まだだよ」
「そうなんだ。悠介は着物とか着ないから一番に来ていると思ってたけど」
牧野くんは思い返すような口ぶりで言った。今日は驚くだろうな。
悠介は待ち合わせに五分ほど遅刻してやってきた。
「え、悠介が着物着てる」
「これは――」
「よく似合ってるよ! 早く行こう」
悠介が、私から渡されたと言おうとしたので止めた。口封じするの忘れてた。
「じゃあ、行こうか」
牧野くんが先導を切って歩き出す後ろで私は悠介に耳打ちした。何だか、このことを知られるのは恥ずかしかった。
「黙っとくの良いけど、これどうしたの?」
悠介は着物の袖を私の方に向けて言った。
「私の手作りだよ、感謝してね」
「え、作ったの?」
悠介の驚く様子に私は喜びを感じた。
作ってよかった。手に針がチクチクと刺さって痛かったけど、着てくれるだけで報われるな。
やっぱり悠介は着物を自分で着たことがないのかもしれない。襟の形が整ってない。私は後ろから悠介の着物の襟を整えた。
「香月さん、リンゴ飴あるよ」
「本当だ、悠介も食べない?」
「俺は別に」
「もう少し祭りを楽しめよ」
牧野くんは悠介の手を引っ張って連れて行った。
「健人はリンゴ飴、食べないのか」
「俺は家で甘いものは食べてきたから」
「別にそんなに甘くないぞ」
悠介はリンゴ飴を見て言う。
「俺はかき氷くらいでいいかな」
「あれは水じゃん」
「それは氷の部分だろ」
私はどれだけ言っても押し返す悠介の様子が楽しそうに思えた。
「二人とも行くよ、ヨーヨー取ろう」
「全然やってないな、久しぶり」
「持って帰ったら楓ちゃん喜びそうだね」
私たちはヨーヨー釣りの屋台に行き、三人並んで挑戦した。
狙うは赤のヨーヨー。私は慎重にカギを水の中に下ろしていく。ゴムの輪っか部分にカギを引っ掛けて、コヨリがちぎれない様に持ち上げる。水面から赤い風船が顔を出す。
「あー!」
あと少しのところでコヨリが切れ、水面から顔を出した赤い風船は水の中に戻っていった。
「切れた」
屋台のおじさんと牧野くんが笑っていた。牧野くんの手には緑色のヨーヨーがあった。悠介もいつの間にか赤のヨーヨーを手にしていた。
「もう一回やる?」
「後でリベンジする」
私はこういうの下手だった。お祭りには何度も来ているけど、すくう系の屋台にはお金を持っていかれるばかりで、ちゃんとすくえたことはない。
私たちは次、どこ行こうかと屋台を見回っていく。
「美幸、これあげる」
悠介は自分の取った赤いヨーヨーを私に差し出した。
「ちょうど、美幸が取り損ねたのも赤だったし。あと、着物のお礼」
「いいの?」
「健人は妹いるけど、俺にはあげる人いないし」
私は赤いヨーヨーをもらうことにした。ゴムの輪っか部分を中指に引っ掛けて遊ぶ。
「ありがとう」
「健人は何を食べてるの?」
「二人が話している間に買ったベビーカステラ。いる?」
悠介と私はいつの間にか右手にベビーカステラの入った紙袋を持つ牧野くんからベビーカステラをもらう。
「見て、ハート形だよ」
「俺は普通に丸いの」
悠介に自慢するように見せた。
「香月さん、当たりだね。ハート一個しかないよ」
牧野くんは紙袋の中身を転がしながら言った。
「やったー」
カステラはホクホクしていた。ほんのり甘かった。でも、口の中の水分がもっていかれる。
「もうそろそろ花火上がるかな」
私は暗くなった空を見上げた。雲はほとんどなく、綺麗な花火が見れそうである。
「多分」
悠介も空を見上げた。早くこの暗い空にいろんな色の花が咲かないかな。夏休みには少ししか見えなかったから、この夏にちゃんと見るのは初めてだ。
「あ、始まったよ!」
牧野くんは笑顔で言った。
花火はオレンジ、ピンク、緑、青、黄色と真っ暗な空を彩った。
「綺麗だね」
近くで花火を見るのは遠くからとでは迫力が違う。
花火が打ち上げられるごとに、この夏の記憶が鮮明に思い出される。ついさっきの出来事のようだ。小学生二年生のあの日、滑り台で悠介が声をかけてくれた日から私の世界は色づいた。悠介の何気ない一言が私の力になっている。
結局、私が勇気をもって踏み出した一歩は悠介を困らすだけだったのかもしれない。私は自分のことばっかりだ。この二か月半、悠介の目にはどんな風に映っていたのだろう。
鞄の中からカメラを取り出して写真を見る。旅行に行ったときのだ。いろいろ撮ったな。秀吉様のと一緒に写る悠介、私の前を歩く悠介の背中をこっそりと撮った写真、鉄紺の浴衣を着た悠介。ここからは、撮るな、とお願いされて撮れなかったっけ。一枚いちまいに目が笑う。最後の写真は帰りの電車で撮ったものだ。悠介が寝ているのを良いことに内緒でシャッターを切った。
悠介は今、何を思って花火を見ているのだろう。横目で悠介を見るが分からなかった。その横顔がこちらを向くことはなかった。向かないなら向かせて見せる。
「悠介」
「ん?」
「ハイッ、チーズ」
悠介は不意を突かれたようにして驚いた顏をした。
「いきなり撮るな」
「いきなりじゃなかったらいいんだ」
私はまた悠介にカメラを向けた。そこに牧野くんも入って思い出が増えていく。
「香月さん、カメラ貸して」
「はい」
牧野くんは私にカメラを向けた。
「ほら、悠介も入ってよ」
「あ」
私は悠介の腕を掴んで自分の方へ寄せた。前にピースサインを出す。悠介は相変わらずポーズをとらなかった。ピースくらいすればいいのに。
「牧野くん、もう一枚!」
そう言って、私は手でハートの片割れを作り、悠介の方に差し出した。
「早く、ハートが割れたままになっちゃうよ」
悠介は私と逆の手でハートの片割れを作り、私の手にくっつけた。私はもう片方の手で髪の毛をいじり、照れ隠しに笑う。
「悠介も笑えよ」
牧野くんにしつこく言われて悠介はエクボを作って笑った。牧野くんはその瞬間を逃さずに撮った。
「じゃあ、次は――」
「健人、来てたのか」
牧野くんが悠介に私のカメラを渡そうとしたとき、牧野くんの後ろから声がかかった。誰だろう。
「お前らも来てたのか」
やってきたのはバスケ部の人たちだった。多分、以前会ってるのだろうが顔まではよく覚えていなかった。
「これから、先輩たちと合うから来いよ。久しぶりだろ」
「本当に! でも、一緒に来てる人いるから」
牧野くんの物言いは歯切れが悪かった。
「私たちは大丈夫だよ。行って来たら? なかなか会えないんでしょ」
「まあ、でも」
「大丈夫だよ」
悠介も後押しする。意外だった。
牧野くんとはここでお別れになった。
「はい」
悠介は私にカメラを返した。
「本当にごめん!」
「大丈夫だって」
悠介がそう言うと牧野くんは走って部員のもとへ駆けて行った。その後、何とも静かな時間が二秒ほど流れた。それを遮ったのは悠介だった。
「少し、話さない?」
悠介から誘われて戸惑ったが応じた。覚悟もしていた。もしかしたら、これが最後かもしれないと。
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