第6話 ぼろ雑巾が三つ

 護国寺嗣郎が目を覚ました先は、当然の如く病室であった。見慣れない白い天井に、ひどく違和感を覚えてしまう。

 身体が怠い。いっそ徹夜明けの気分だ。身体を起こすのも一苦労である。

「えっと……」

 と、鈍い頭で何があったかを一つ一つ振り返る。

 ムサシが【兵隊王】を倒したものの、反則気味に現れた【言霊王】のせいで彼自身が【十二使徒】の一員となってしまい、死闘に次ぐ死闘の末何とか勝利を収めることができた。ここまでは正確に思い出せる。

 記憶があやふやなのはその後。綴町京子を助けるために【言霊王】に決死の思いで時間稼ぎを敢行した辺りだった。

「――――目を覚ましたようだな、嗣郎」

 隣のベッドからムサシの声が聞こえてきた。やはりというべきか、彼も同様に痛々しい様子で病人となっていた。あちこちに包帯が巻かれ、もはや皮膚の部分よりも多かったくらいだ。

 ムサシも護国寺と同じくらい気怠いはずなのに、辛そうな素振りを露も見せない。極めて平常通りの姿を貫いている。

「おはようござ……って、今何時だ? 昼なのかそれとも、」

「もう十二時を回っているから、こんにちはと言っていいんじゃないか。とはいえ、俺もさっき目が覚めたばかりだから、気持ち的にはおはようだけどな」

 そう言って彼は苦笑した。

 病室の壁に掛かってある日捲りカレンダーに目をやると、【十二使徒】の予告日から既に二日が経過していたことに気付く。「二日も!?」と驚いたら脇腹の傷に激痛が走った。おかげで寝ぼけていた頭が働きを取り戻す。

「っていうか、その、覚えてますか? 【言霊王】と対峙した後のこと……」

「ああ。寝込んでいる間中ずっと夢に出て来るくらいには覚えているぞ」

 護国寺に至っては夢すら見ていない、完璧なる熟睡であった。今までにないくらいの。

 何となくムサシの表情が曇ったので、どうやら結果は芳しくないのだと察した。

「――――そりゃあもう、ボロボロのボロボロよ。勇んだのは良いけれど、とても歯が立つ相手ではなかったということね」

 不意に、少年のすぐ傍から弾むような声がした。ビクゥッ!? と飛び上がる護国寺。またもや傷口が痛む。

 傍らのパイプ椅子に、いつの間にやら腰かけていた女性は【否定姫】――――綴町京子である。彼女は器用に林檎の皮を剥いている最中だった。

「『大丈夫だ』ってあんたは言ってくれたけど、私は内心『多分大丈夫じゃない』って薄々分かってたもん。気持ちで実力差が埋まるなら苦労はしないって」

「マジ? それ恥ずかしくないか?」

 キリリ、と決め顔で言ってしまった手前、最初から当てにならないと考えられたと判明するや否や唐突に死にたくなってくる。彼女も彼女で、立ち上がって当時のやり取りを再現している。やめて! 

 彼女のスカートの下から、包帯が巻かれているのに気付いた。改めて観察すれば、綴町も満身創痍と言ってもいいくらいのダメージを負っていた。

 何と声をかければよいのか悩んでいると、ムサシが訝しげな表情をして尋ねてきた。

「嗣郎、その子が例の【否定姫】か? よく覚えていないんだが…………」

 そうだった、と言われて思い出す。綴町の言霊【一期一会】は、一度会った相手の記憶から彼女という存在そのものが削れてしまうのだ。一度面通しした彼が記憶になくても不思議はない。

 綴町も慣れた調子で、優雅に頭を下げる。

「初めまして、【真実斬り】さん。ちなみにあなたと顔を合わせるのはこれで四度目よ?」

「それは失礼申した。女性の顔を忘れてしまうとは、紳士にあるまじき失態だ」

 皮肉げに言った彼女に対し、ムサシはおどけてみせた。節々から互いの本音ではないことが伝わってくるが、間でそのやり取りを見ていた護国寺はちょっとだけ胃が痛くなった。

 はあ、と綴町はため息のような苦笑いのような、どちらとも取れる息を漏らした。

「まあいいけど、ね。形の上ではあんたたちに助けられたのだし、このくらいは大目に見るわ」

「形の上って、割りと当たって砕けろ的な思いで挑んだつもりなんだけど」

「あれ、ひょっとして覚えてない? あーそっかそっか、嗣郎は最初の一撃食らっただけでフラフラしてたもんね。あれで意識飛んでたのかー」

 それが事実だとすれば、少年はとんでもないお荷物だったということになる。そんなことないよね、とムサシに目配せするが、

「……まあ、その後も動けてたし、ちゃんと戦力になっていたから…………」

「フォローありがとうございます!」

 不器用な優しさが身に染みる。道理で戦闘が始まって直後から記憶がないはずだ。情けない。

 綴町は切り終わった林檎を口に運び、もぐもぐと咀嚼しながら言う。

「あんたたちじゃまともに【言霊王】の攻撃食らったら終わりかねないから、結局私が盾役担うことになるしさあ。私が求めてたのは姫プレイ的な立ち位置なんだけど、どうして最前線にって気分」

「すんません、すんません!」

「…………まあ、ちょっとの助けになったのは確かだけど」

 ぼそ、と彼女は小さく呟いた。本来なら聞こえる程度の声量だったが、

「コングラチュレーションッ!! 目が覚めたと聞いて飛んできたぞ! おおっ護国寺もか!!」

 バターン!! と病室のドアが壊れるくらいの勢いで開け放たれたため、声はかき消されてしまった。入ってきたのは『L.A.W』日本支部長・入谷昴であった。その背後には看護師さんがついて来ている。

 入谷は護国寺から順に握手を求めていく。

「いやあ、ほんとありがとう! お前たちのおかげで人類は守られた! 同じ職員として誇りに思う!!」

「は、はあ。どうも……」

 このように面と向かって褒められることに慣れていない少年は露骨に戸惑ってしまう。対照的にムサシは表情を変えずに握手に応じた。

「此度の一件、手柄は嗣郎にあります。俺は【十二使徒】に操られた、間抜けな戦士ですよ」

「んん? 操られた? すまんが、当時の詳細は記録されていなくてな。傷だらけのお前たちを誰かが運んできてくれた、としか隊員から聞いていないのだ。初耳な言葉が多い。起きたばかりで悪いが、その辺りのことを教えてもらえないか?」

 誰か、という表現だけで、いったい何者が助けてくれたか予測することができた。

 ちらり、と未だ座っている綴町を見た。入谷が何の反応も示していないところを鑑みると、どうやら【一期一会】で存在を消しているらしい。ということはムサシも彼女のことを忘れているだろう。

 看護師が押してきた車椅子にムサシが腰かけた。どうやらまずは彼が事情聴取に応じるようだった。どこか場所を移してするようで、そのまま病室を去って行った。

 自然と、護国寺と綴町だけが取り残される。

 沈黙が続く。言いたいことはあるが、多すぎて取捨選択に迷っているのだ。

 だが、まずは『これ』を聞いておこうと思った。

「…………綴町は、これからどうするんだ?」

 抜けたとはいえ、かつて【十二使徒】であったという立場上、彼女の存在を公にすることはできない。共に戦えるというのなら、これ以上ないくらいに頼もしいのだが。

 綴町は「そうなのよねえ」と顎に手を添えて、

「第一に、【十二使徒】には戻れないわ。フジコ=ミネほど、私は図太くないもの。かと言って本格的に人類の味方もできない。だって、滅ぼされて当然だって思うし」

 彼女の中に根付く【否定姫】としての一因が、その価値観を形成している。綴町としてはともかく、あまりに【否定姫】の意向を無視しすぎると完全に乗っ取られてしまう恐れがあるようだ。

 人類の敵にも味方にもなれない。中途半端な立ち位置。

「でも……一つだけ決まっていることなら、ある」

 そんな中、綴町は少しぎこちない声音で言った。

 うん? と護国寺はやや身を乗り出して次の言葉を待っていると、彼女はスッと手を差し伸べてきた。――ああ。そういえば、無事でもう一度出会えたらと、そんな約束をしていたな。

 久しぶりに、綴町が笑った素顔を見た気がする。

「――――私は、他ならぬあんたの味方よ。それだけは決して揺るがないわ」

「…………、」

 恥じらいもせずに言ってのけた彼女に対し、少年は耳まで赤くなっていくのを実感していた。そういう意図はないのだろうが、まるで告白のように聞こえたからだ。

 護国寺は一度だけ綴町の言葉を確かめて、握手を返し、それから答えた。


「ああ、これからもよろしくな。――――京子」


 戦況に大きな変化はない。

一夜にして【兵隊王】は倒れ、【修羅王】も消え、【否定姫】が脱退した。

 それでも未だ人類が劣勢であることに変わりなく、【十二使徒】の異常性は健在だ。

 それを理解しながらも、護国寺は何とかなると漠然と考えていた。

『L.A.W』には多くの仲間がいて――――柳生武蔵がいて、綴町京子がいる。ならばきっと大丈夫だ。一人だったら到底不可能なことだったろうけれど、仲間がいるなら大丈夫と、本気でそう思えたのだから。

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人類のために戦うと決意したんだが、敵がチートすぎてつらい @nanashinana

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