第150話そして新たな旅立ち
これで四度目の旅立ちの支度を終えた私に、扉が不意の来客を告げていた。
朝になったとはいえ、まだ日も昇っていないこの時間に、普通この家を訪れるものなどいない。
考え事をしていたので、意識を展開していなかったのも失敗だった。でも、この村にいるときは安心していられるから、仕方がないことだと自分に言い訳しておこう。
それほど、この村に施した結界は二重三重に強化している。
そして、数多くの出会いにより、この村を守る仲間も頼もしくなった。
だから、ここがあの時にようになるとは思えない。
しかも、今のタムシリン島はハボニ王国の国の一部。しかも、その中でも孤立しているただの島でしかない。そんなところを、わざわざ攻めてくる国があるとは思わない。
しかも、この数か月で世界は大きく変わっていた。
メシペル王国が滅亡した翌月には、デザルス王国に大国ジルスラガル王国が侵攻し、簡単にその支配下に置いていた。もともと、
だが、戦いの火種は尽きることがない。
そのジルスラガル王国は翌月には神聖イタコラム帝国に滅ぼされていた。
しかも、その同盟国であるジーマイル王国が、クレナット王国に侵攻していた。だが、同じ時期にムツマル王国もクレナット王国に侵攻し、三つ巴の戦いとなる。
戦端が各地で開かれていたにもかかわらず、クレナット王国が持ちこたえたのは
固有技能【瞬間移動】。
対象物を限定しないその効果は、多方面作戦を展開するのに特に有効だった。
しかし、能力は無限ではない。ムツマル王国の
ジーマイル王国のハロルド・カイン。
その卓越した固有技能【重力制御】と【空間制御】により、さしものゼム・リップも戦いのあとでは分が悪く、撤退を余儀なくされていた。
いや、ハロルド・カインが手を引いたという感じに見えたのは気のせいではないだろう。
後日再戦した二人の戦いは、やはりあっけない幕切れを迎えていた。相手の能力がわかれば対応しやすくなる。おそらくハロルド・カインはゼム・リップの能力に対して自分の能力に優越性があることがわかっていたのだろう。
ゼム・リップが瞬間移動したその先の空間ごと、地中深く移動させたハロルド・カイン。
地面から飛びだした光の玉が、ハロルド・カインに吸い込まれたから間違いない。
これにより、大陸の地図が大きく変わっていた。
神聖イタコラム帝国が大陸の中央を手に入れ、実に大陸の三分の一の領土を獲得した時、ジーマイル王国も大陸の西を手に入れた形となった。その大きさも神聖イタコラム帝国と変わりのない大きさとなっていた。
残りは北部の諸王国とハボニ王国を残すのみ。
つまり、大陸はほぼ神聖イタコラム帝国とジーマイル王国に統治された形となっていた。
北部諸王国も焦りの色を深めたことだろう。特に、神聖イタコラム帝国は大陸全土の統一を掲げて動いている。
北部諸王国は立地上、これまで隔離されているような存在だった。
大陸の中央とはマルムストン山脈で隔絶されている。ガドシル王国はその出口の一方に当たり、もう片方は、ラニッシュ王国が長城を築き、蓋をしているようになっていた。
仮に、その山脈を迂回して攻め入っても、敵は前から次々とやってくることになる。つねに連戦を強いられる形となるから、攻める側としては、よほどの覚悟が必要となる。
つまり、そうまでして攻める価値があるかどうかが問題となるが、中央に比べて平和な歴史が、それほどの価値がなかったことを証明している。
だが、北部諸王国の中は違う。真剣に侵攻したくてもできない事情がここにはあった。
もしもその中で、何処かが侵攻すれば、その背後を違う国が襲い掛かる。
だから、諸王国間でも、真剣に戦いをすることはなかったのだろう。
せいぜい周辺王国との小競り合いがある程度で、ここ数百年大きな戦闘がなかった土地なだけに、二つの巨大な国の出現は心胆寒からしめたことだろう。
だが、北部諸王国のうち、リンノート王国が沈黙を破り隣国エネボル王国に侵攻を始めた。
反対側の隣国であるメシペル王国が扉の役割を持っていたガドシル王国に侵攻している間に、王都が天災にあったという話しはまことしやかに流れていた。
王家は滅び、事実上国としては滅びたので、用意していた軍を動かせるようになったというのが正しいだろう。
かくして、北部諸王国も戦端を開くこととなる。
そして大陸全土が戦いに渦に巻き込まれる中、今最も心配なのは、我が家の扉になってきた。
『早く開けろ』といわんばかりに、来訪を告げる扉の声は、荒々しさを隠そうともせず、どんどん大きくなっていく。
これ以上は、扉がかわいそうだ。
時間が時間とはいえ、まずこの村に敵対するものが来るはずがない。
敵意を感じた瞬間に、森の精霊たちがこの森自体を迷宮化する。この森の上位精霊を支配下におさめた今の私にとって、その迷宮は以前の数十倍の規模となり、より複雑なものとなっている。
――もっとも、敵意がなければ反応できないのが厄介な所だけど……。それでも、意識を集中すれば、誰が来たのかすぐ分かる。そして、今も――。
「あかん! あけたらあかんやつや!」
まるで極寒の中に放り込まれた瞬間のような表情を見せた
扉に手をかけた私の意識を読み取ったのだろう。
そう言うが早いか、瞬時に姿を消していた。
「おいっす!
なれなれしくなったジュクターが、少し開いた扉を強引に押し込んで入ってきた。家の中の様子を探り、
「いきなりだな。そっちはそっちで忙しいんじゃなかったっけ?」
「んなもん、クエンの旦那に任せておけばいいって。趣味じゃない無骨なゴーレム兵団の指揮権は、クエンの旦那にしてあるしよ? それに、オレがいない方がアメルナの奴も喜ぶしよ」
少し肩をすくめたジュクター。でも、次の瞬間には、さっきまで
「むむ! ここに
「精霊に匂いなんてないし、気のせいだろ?」
姿を消した精霊と今も実体化している精霊たちが一斉に自分のにおいを確認する。その姿を目の当たりにして、私はそう言わねばならなかった。
ほっとした様子の精霊たち。
分かっていても、ああもはっきり追跡されては、疑いたくもなるのだろう。
「臭いはない。だが、このオレに愛がある限り、その匂いがわかるのだ!」
得意げに胸を張るジュクター。でも、悲しいかな。それは君の思い過ごしというものだ。だが、それを訂正するより聞くことがある。
ひと段落ついたとはいえ、何故来たのかが問題だ。
「独立通商連合宣言の後、共和制宣言、ミズガルド共和国宣言と忙しかったのだろう? しかも、その後リンノート王国が攻めてきたんだよな。リンノート王国の
だが、一つしかない者と、二つある者。
その勝敗において、二つ持っている方が優勢に事を運べるのは明らかだろう。
「ま、相性の問題でもあるわな。クジットの【状態不変】に対して、ガイコンの【腐敗】は相性が悪すぎだ。それに、ガイコンの野郎は賢者だったからな。接近したクジットの相手じゃなかったぜ。トキサンは【迷宮創造】って能力を持ってたみたいだが、奪ってすぐは使えなかったらしいぜ。これで、北部王国はあと沈黙を守っているラニッシュ王国だけになった。中央の神聖イタコラム帝国、その西のジーマイル王国に続いて、オレ達のミズガルド共和国はついに第三勢力くらいになったんだと思うぜ」
何処か誇らしげなジュクター。それもそうだろう。彼らの結束が生んだ今の勢力図なのだから。
「なあ、旅に出るみたいだけど、一緒にやらないか? あの時、アンタがクエンとの取引より前に、本当はクジットを殺す気がなかったことは、みんなわかってるって。知ってるぜ、アンタの
いきなり真面目に話し出すジュクターは、それでもさっきまで
――いや、それも気になるけど、大丈夫なのかその評議会。
クジット以外、構成メンバーを全く聞いてなかったのが悪かった。
代表の一人が店長は納得する。むしろ、適任だと思う。
クジットと一緒に協力してやっていけるに違いない。でも、よりにもよって、あのフラウ?
本当に色々な意味で、大丈夫?
だが、今の私にそれに異を唱えることはできない。
「いいかげん、その話とその手の中のモノをしまってくれ。それはもう話し合った事だろ? それに私にはやるべきことがある。金竜に出会って、道が見えた気がするんだ。精霊王の解放もそうだけど、私はロキと組合長を探さないといけない。まあ、君のいう事は正しいよ。私が共和国に加わる方が、たぶん望む世界を手に入れられそうな気がする。でも、ダメなんだ。それじゃあ、たぶん手に入れられないものがある。その他の事は私がしなくても、いずれできることなんだ。でも、これだけは私がしないとダメな気がする」
そう――。これはたぶん、私のわがままだ。
――私一人の力なんて、たかが知れている――
そういうセリフは、私が私の力を正しく認識していなかった時なら言えただろう。
でも、金竜の力、上位精霊を従わせる力を持った私は、すでに自称神が手を出せない程の存在になっている。
たぶん、あの皇帝アルフレドのように――。
「統一した魔王教か?」
ジュクターはやはり情報を持っていた。その眼はさっきまでとは明らかに異なっている。
「二人の魔王がいたことは話した通りだ。そして、今も二人そろっている。たぶん、私にとって、さっき君が言った世界をつくることと同じくらい、大切にしたいものがある。『バカなことをバカなだけ出来る世の中』にしても、そこに涙が枯れることはないことも分かっている。だけど、私がそれをしなければ、たぶん誰も知らずに流れる涙があるんだ。それだけは見過ごせない。いや、見過ごしたくないんだ」
あの時は自力で立ち上がってこれたけど、今度はさすがにそうはいかないだろう。
二人共よく似た性格をしている。
お互い、自分の気持ちを封印している。手段と仲間は違うとはいえ、今も皆のために頑張っているのがわかる。多分、ルキをみていると自然とロキが見えてくる。
いつも不器用で、自分の事は後回し。
いつも周りの事を気にかけて、自分は我慢ばかりしている。
本当に似たもの姉弟。でも特に、姉の方が手におえない。
もう泣かないと心に決めているのだろう。あれから涙を見せていない。いっさい弱音を吐いていない。
でも、私だけは知っている。
夜中にひとりで月を見ているルキの周りには、いつも悲しみの精霊が囲んでいることを。
そして、ルキの心にある勇気の精霊が、いつも彼女たちを追い払っていることを。
だが、それがいつまでもつのかわからない。ならば、掴み取るだけだ。
小さな世界かも知れない。
でも、ロキとロイとルキの三人が笑える世界を私は望む。
ルキがこれ以上涙を流さない世界こそ、今の私が目指す世界だとおもう。
「まあ、そう言うだろうと思ってたぜ。だから伝言を預かってきた」
咳払いをひとつして、ジュクターは物まねのように声を上げる。
「『無断欠勤により、バイトのヴェルド君はスーパークビです。スーパーどこでも好きにいきなさい。でも、無断欠勤を謝罪する気があるのでしたら、その時はバイトを三人連れてくること。スーパー誰でもいいわけではありません。一人はスーパーかわいい銀髪の女の子。ちょっと勝気だけど、実は心根の優しい子でないといけません。そして、あとの二人はスーパー勘違いしている金髪の男の子とスーパーやんちゃな爺さんです』だってよ。誰が言ったかは、言わなくても分かるだろ?」
相変わらず、どこでその情報を仕入れてくるのか聞いてみたい。そして、それをそっくり口真似できるジュクターもまた、すごいと思えるものだった。
――だけど、思い通りになってやる。アンタにほえ面かかせるのは、帰ってからにするとしよう。
なあ、店長……。
「クビっていわれても、バイトした覚えもないけどね。でも、ありがたく受け取っておくよ、その伝言。そう言っておいてくれないか?」
なんだかバレバレなのも癪だけど、今はその行為に甘えておこう。
「そう言うと思ったぜ。だから、伝言はすでに置いてきた。それに、オレもついて行くから言えないぜ」
白い歯を見せるジュクター。そのローブの上から、腰にあるふくらみをポンとたたきながらそう言っていた。
さすがに賢者のジュクターは、荷物をすべて魔法の鞄か何かに詰めているのだろう。
だが、そんなことは重要じゃない。
「寝言は寝て言ったらどうだ? アンタが抜けたら、あっちが大変だろ? そもそも一人で行く気だったんだ。誰も連れていくなんて言ってないし」
危うく間抜けな声を出してしまう所を、寸前で何とか抑えていた。
一応安定するように見えても、まだまだ共和政治はこの世界になじんでいない。必ず何かのほころびが出来る。だから、信用できる人は数多く必要だ。
「さっきも言ったように、オレが出来ることはゴーレム作成だ。それを一万体作って渡してきた。自律機能付きの優れものだぜ。それに、アンタの新妻姉妹もいるからな。俺の作り方は伝授してきた。あの子達ならオレ以上のモノが作れるかもしれないな。まあ、造形美はまだまだだけどよ」
自分の出来ることはゴーレム作成だけだと言い切り、エトリスとネトリスにその方法を伝授してきたという。しかも、二人の言い分まで真に受けている。
開いた口がふさがらないとはまさにこの事を言うのだろう。
「何故……」
やっと絞り出したその言葉を受けて、ジュクターがにんまりと笑っていた。
「すべては、
力強く吠えるジュクターの目の前に、本当に
涙目になった顔を真っ赤に染めて。
「ぜったい! イ! ヤ!」
ただそれだけを言い捨てると、瞬時に姿を消す
言葉にならない言葉を紡ぐジュクターは、両手を組んで祈りをささげる。
「おお、やはり神!」
やっとのことで紡いだ言葉を天に向けて届けるかのように、ジュクターは両手を広げて天を仰ぐ。そこでジュクターの命は尽きたかのようだった。
昇天し、抜け殻となったジュクター。
だが、次の瞬間ジュクターは神の間から生還を果たしていた。
「そして、照れ屋さんだ。そこがいい」
親指を立てながら白い歯を見せ、私にそのドヤ顔を向けるジュクター。
――もう、どうにでもしてくれ……。
(ひょっとして、この旅立ち自体、知られてる?)
そう、さっきから引っかかっていたのはその事だ。それは確認しておくべきだった。
「なあ、ジュクター。なぜ、私が旅立つのがばれている? どこまでの人が知っている?」
他の誰にも言ってない。精霊たちもそうだし、金竜と修行中のリナアスティが言うはずもない。向こうにいて、当然知ってるメナアスティだが、彼女が話すことはないだろう。
「ん? そんなのバレバレだろ? 賢者の水晶球は
両手を広げて自らの功をひけらかすようなジュクター。その態度は、この際放置しておこう。むしろその事を見落としてた私がバカだった。
重要な事なのに、精霊たちと計画のすべてをこの家で話してしまっていた。
「その話し合いに、私は参加してないのだけど?」
一応無駄のようだけど告げておく。そして誰が付いて来るのかもわかってしまった。
扉の前にくる二人。珍しくこっちに来てたのはそういう事だったのか……。
ため息をつく暇もなく、扉がその来訪を告げてくる。
私の意志とは関係なく、物事が進むのはよくある事。それは以前から変わりない。
(まあ、なるようになる――だね!)
笑顔の
ただ、相変わらず
ちょっと不憫だけど、慣れてもらうしかない。あとは、ジュクターにくぎを刺しておこう。でもこんな時、何て言えばいいかだな……。
精霊たちの協力で、扉がゆっくりと開いていく。
「まっ、そうそうアンタの思い通りにならないってこと。それに、あたしがいないと話にならないわ。アンタも含めてね」
「よろしくお願いします、ヴェルドさん。僕もロキには言いたいことがあるから。あと、シン様にも」
すっかり旅支度を整えた、ルキとロイ。
ここで何を言っても始まらないだろう。
「よろしく。まあ、言いたいことは色々あるけど、まだ私の支度が終わってないんだ。ちょっと自分の家で待ってくれるかな?」
元より旅立ちの準備は終えている。だが、これで一旦帰らせて、あとは――。
「アンタの嘘が、このあたしに通じると思ってる? それにアンタ、あたしに嘘をつかないって言わなかったっけ? もうあの約束を二度も破られてるんですけど? に・ど・も! 何か言いたいことあるかしら? 嘘つきの勇者様?」
仁王立ちしたルキの怖い笑顔が間近に迫る。いつも、いつも、そうだった。
肝心な嘘はルキには決して通じない。
「わかりました。お願いします」
「素直でよろしい」
一歩下がって頭を下げた私に向かい、ルキが鷹揚に頷いていた。
「なるほどね、アイツらが言ってたのはこの事か。そんじゃ、いこうぜ! 早く連れ帰って、オレと未来の
勝手に仕切り、外に出ていこうとするジュクター。
――そうだった。せめてこいつには言っておこう。
「なあ、ジュクター。
何事か振り返ったその顔は、本当に意外そうだった。
――なんと、嫌われている自覚なし!
これは、絶対言うべきだろ。ずっと文句を言い続けている
「だいたい、これ以上ウチの
「オマエは
「だから、やらん!」
真剣なにらみ合いがどこまでも続く。こうなったら後には引けない。
「ヴェルドさん、すっかりお父さんって感じになっちゃったんだね、リナアスティさんがそう呼ぶのも無理ないですね」
「まっ、考え方が固いから仕方ないわ。じゃ、いくわよ!」
「それを解きほどくのも、今回の旅の目的だぜ! でも、理解した! 外堀から攻略だぜ!」
ルキを先頭にして、ロイとジュクターが後に続く。
――まっ、いいか。こんなくだらないやり取りもたまには……。
頭の上でポカポカと殴ってくる
(でも、大変だと思うよ?)
(大丈夫だよ、
(それを言うなら、『旅は道連れ、世は情け』っね。あまりガドラと遊んでると、
(そう? まあ、ガドラだし……。あり得るかも!)
真剣に考えだす
だが次の瞬間、今度は
(ほら、ヴェルド。早く出発して! ここにいたら、ガドラに頭を変にされるよ)
そして精霊たちが一斉に私の体に乗り出していた。
――そうだな、行こう。ガドラみたいのが付いて来るけど。
すれ違いで、情けなくならないために。
そして世界は勇者によって歪められていた あきのななぐさ @akinonanagusa
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