明治2(1869)年 益次郎(良庵) 44歳
「異国かぶれが」
――異国かぶれ? まだそんな言葉を口にする奴がいるのか? いや、驚くようなことではないか。考えてみれば終戦からたった二ヶ月だ。
時間の流れは案外遅いものなのかもしれない。何しろ痛みがまだ襲ってこない。確かに額を割られたはずだが。ああ、そうか。これが世に言う走馬灯か。
体はゆっくりと仰向けに倒れていく。それに比べて思考の速いこと。ずっとこの速度でものが考えられたら、私はきっと世界一の軍師になれるだろう。
けれど、そのつど死にかかるのでは命がいくつあっても足りない。
それに、軍師にできることなど限られている。戦術はある程度現地で判断できても、事前に練る戦略はまず思い通りにはならない。仲間の思惑に振りまわされる。
旧幕府討伐軍の英雄たちをそのまま親兵に転用することも、韓国に乗りこんで大公の轍をふむことも、どちらも賛成できなかった。武士は全員、いさぎよく刀を捨てるのが正しい。美しくもある。
明治兵制の最善手として、国民皆兵を主張した。が、受け入れられなかった。
まぁ、何もかも自分の思い通りに物事を運べる人間などいないのだろう。私は稀代の軍師と呼ばれ、御太刀料として三百両も下賜されたのだから、ありがたいと思わなければ。
師にもつかず、蘭書を読むだけで、実戦にたえる兵法をよく修めたものだと人には言われた。確かに兵法の師は持たなかったが、人生の師に恵まれていた。
咸宜園で兵法への道を示してくれた淡窓先生。
適塾で覇気と胆力を授けてくれた洪庵先生。
いつでも声をかけてくれる幽斎先生。
「いいから反撃なさい」
無理です。刀が手の届くところにありません。
ああ、やっと痛みが来た。たまらんなあ。戦とはこんな痛みを強いるのか。知らなかった。私の兵たち、すまなかった。何らかの防衛は必要としても、やはり民兵というのは考えものかもしれないな。
手に何かが当たった。燭台か。闇に乗じて、いや、無理だ。どうやら賊は多勢。
先生たちのおかげで、私個人はまずまずの人生だった。けれど、数多の犠牲を出してつかみとった新しい時代は、結局古い体質から抜けきれないものになってしまうだろう。それだけが心残りだ。もっと笑顔の練習をして、味方を作っておくんだった――
「先生」
「先生!」
「大村先生!」
若者たちの声。
見知らぬ天井。
「……ここは?」
「大阪府仮病院です。先生、よくぞ生きのびてくださいました」
「おい、大村先生が目を覚まされたぞ!」
伏見兵学寮の学生たち。
……そうか。私もいつの間にか、「先生」と呼ばれていたんだな。
(了)
流れの庭 森山智仁 @moriyama-tomohito
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