嘉永5(1853)年 淡窓 72歳
考槃楼を出ると、如月の空に浮かぶ雲の美しさに、淡窓は思わず目を細めた。
塾主は、
淡窓は「老先生」と呼ばれ、いまでも講義をすることもあるが、塾の運営はほぼ林外に任せてある。
今日は毎月二七日の「礼謁」である。塾主が進級した者を称え、停滞している者を励ます。それから、全員で『休道の詩』を唱和する。
休道他郷多苦辛(愚痴を言うな)
同袍有友自相親(仲間がいるだろう)
柴扉暁出霜如雪(外に出れば霜がおりている)
君汲川流我拾薪(さあ食事の支度をしよう)
その若々しい声を背中で聴きながら、淡窓は北へ向かう。
途中、酒屋に立ち寄った。久兵衛の好みは店主が知っていた。
この日、シュー・カルブレース・ペリー遣日大使を乗せた蒸気外輪フリゲート艦ミシシッピ号は、西回りで上海を目指し、マラッカ海峡を越えたところであった。
府内藩の財政顧問という大役を終え、隠居の身となった久兵衛は、主屋の裏手に「隠宅」を建てた。
小ヶ瀬井路の完成によって水量が豊かになった城内川から水を引き、庭内に小さな井路を通した。その流れは城内川と並走して西へ進み、やがて三隈川に合流する。
井路に二本の石橋をかけ、周囲にさまざまな植物を植えた。
松、樫、檜、紅葉、梅、黄楊、木瓜、つつじ。決して広大無辺の庭園ではない。私財をなげうって世のために尽くし、慎ましやかな暮らしをしてきた久兵衛の、ささやかな贅沢であった。
一本きりの桜を、淡窓と久兵衛は二人で眺めた。
通りから主屋を隔てたこの場所は、静かであった。
久兵衛は淡窓に酌をし、
「長い間、おつとめご苦労様でした」
と言った。
淡窓はその言葉を、澄んだ酒とともに、じっくりと味わった。
それから、
「すまなかった」
と言った。
「私は、人に誇れる兄ではなかった」
「何をおっしゃいます」
「子どもの頃、さぞ苦々しく思っていただろう。病を言いわけにだらだらと過ごして、安利が命を託してくれたのに、すぐ立ちあがることもできなかった」
「……」
「それに、謙吉を奪った」
「……」
「本当はお前も、謙吉に自分の手伝いをしてほしかったんだろう?」
久兵衛は少し考えてから、
「実を言えば」
と答えた。
「私もそれを察していたから、気がはやって、養子に取ってしまった。もう少し待てば謙吉自身の意志もはっきりしたかもしれないのにな。それに、謙吉はどちらかと言えばお前の方になついていた気がする」
「では兄上、これもきっとお察しだろうと思いますが、謙吉に独り立ちをすすめたのは、仕返しのつもりでした。塩谷代官をけしかけたのも」
「うん。わかっていた」
桜の花びらがはらはらと舞って水面に落ち、小さな波紋がアメンボの脚をくすぐった。
「昔、伯父上に育てられていた頃、父上と伯父上が私を巡って言い争っているのを、図らずも盗み聞きしてしまってな。そのとき、子ども心に、自分が大人になったら、人間をもののように奪い合うことなど決してすまいと誓った。それをつい最近、思い出した」
「……」
「子どもの頃に学んだことすら忘れてしまっていたんだ。国策を論じる本もいくつか書いたが、書いたきりだ。世の中は何も変わっていない。私は大した学者ではなかった。それに比べてお前は、人の役に立つことをいくつも成しとげた」
そして、淡窓は久兵衛に酌をし、
「自慢の弟だ」
と言った。
久兵衛はその酒をゆっくりと飲み干すと、腰をあげ、庭の中へと歩いていった。
やわらかな風が吹いていた。
久兵衛は石橋の上で言った。
「この庭、実は、私なりに咸宜園を模して造ったのです。〝流れの庭〟と名づけました。さまざまな個性が集い、お互いを尊重し、やがてその花びらは川をくだって、海へ出る。この庭は世界とつながっています。兄上の咲かせた花は、世界中、どこへでも行けます」
淡窓の足元から、あたたかい気流のようなものがふわりと生じて、全身をなでた。
十九で死ぬはずのところ、ずいぶんと生かされてきたが、もう少しだけ長生きができそうな気がした。
三年後、安政三年十一月六日。
咸宜園初代塾主、広瀬淡窓の葬儀には、粉雪の舞う中、千を超える人々が参列した。
享年七五歳であった。
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