エピローグ わたしたちは痛みと共に






「それ、もう治らないの?」


 ほのかが指さしたのは、わたしの左手首だった。白く盛り上がったみみず腫れのような線が、何本も走っている。


「うーん……多分」

莫迦ばかねえ」


 今更仄にそう言われても、いちいち腹を立てたりはしないけれど。


 わたしは傷跡を指でそっとなぞった。妙な話だが、実のところこの傷には変な愛着のようなものがあった。例えば、仮に医療的にこの傷を消せるとしても、わたしは実行しないだろう。この沢山の傷は、仄の言う通りわたしが莫迦ばかな証でもあり、わたしの抱えた行き場のない鬱屈の溜まり場でもあり、それでもわたしが今こうやって生きていることの確認でもあった。


 別に、人に胸を張って見せられる、そういうものではないけれど。

 わたしがこの先も、忘れずにいなくてはいけないものではあると思うのだ。


 ふと眠気を覚えて、わたしは壁掛け時計を見上げた。アンティーク調のフレームに収まった文字盤の針は、午後十一時過ぎを指している。明日は休みだけれど、今特にやりたいこともない。仄と喋るだけなら寝転がりながらでもできる。


 わたしはマグカップに残っていた紅茶を飲み干し、椅子から立ち上がった。仄はいつの間にかカーテン越しに窓に顔を突っ込んで外を眺めている。

 椅子を直しながら、ふと机の上にあるものが目についた。カッターナイフだ。そういえば、これを買ったのはいつだっただろうか。一体いつからこれは机の上でじっと横たわっているのだろう。


 わたしはそれに手を伸ばした。グリップを握る。刃を繰り出すためのスライダーにいつものように親指をかけて、


 ――わたしは力を抜き、引き出しを開けてカッターナイフをしまいこんだ。


「電気消すよ、仄」

「はいはぁい。もう寝るの?」

「疲れたの」


 部屋の灯りを消し、わたしは布団の中にもぐりこんだ。最初はひんやりとしているそこが、じわじわと体温でぬくもっていくのを待つ。仄がふわりと漂ってきて隣に横たわった。


 ――これからも、少なくとも高校でわたしに友達ができることはないだろうし、相変わらず嫌な思いもするだろう。さかえたちはわたしを目のかたきにし続けるだろうし、わたしはゴシックロリータを着続けるだろう。


 でも、それでもいい。それでも構わない。


 わたしは、わたしの痛みを抱えながら、まだやっていける。

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少女は痛みで武装する 早水一乃 @1ch1n0

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