第2話
『生活保護受給者でもバイトは出来る』
という事は、よくこの最後のセーフガードの名を挙げて叩く人達にも意外と知られていない。その辺の人にはもっと知られていない。
時折芸能人が暴露されている様な事ではなく、どういう事かというと、無理のない範囲での労働はむしろ福祉課からはオススメされるのだ。
私の様な受給者は毎月収入申告書というのを提出するのだが、これにはその一ヶ月に収入があった場合に金額を書く項目がある。私の地区ではその合計額から八千円が控除され、翌月の生活保護費として、口座に振り込まれる訳だ。
週に二回ほど出勤するのがやっとの私でも、これでどうにか生活と立場は保証される。この辺の手続きをしっかりやらずに適当な事をして突き上げを食らう連中と一緒にされるのは苦痛だった。
その日は仕事休み。としちゃんにはその後、何度もメールや留守電メッセージを送ってみたが、返事はなかった。
これまで聞いた彼女の打ち明け話のいくつかに原因となりそうなものがあったので、それらのどれかが今回の何かを引き起こしているのかもしれないと思い、自分で挙げてみた。
・としちゃんは現在バツイチ。状況としては相手の家の養子に入っている。
旦那が問題を起こし、三年ほど前に子供(女の子。元気なら中学三年生くらい)を引き取る形でいなくなった。今のとしちゃんの『田村』というのは旦那の家の姓。
・旦那の問題は博打での借金。家に電話が来た事で家族と、同居している両親に状況が露呈。
危ない所から借りたのではないが、場合によってはそちらに債権が売られる可能性がある。
・旦那の借金は簡単に返せる額ではなく、事情を知った両親が激怒した為、子供を連れて夜逃げ同然に行方をくらませた。旦那に金を貸した金融機関にはその状況は報告済み。
旦那の両親が弁護士を通して対応しているので、金融機関側は旦那の捜索に回っているらしい。
おかげでとしちゃんと彼らの安否は一応保証されているが、としちゃんとしては子供が心配。
・行方を突き止めようとしたが、警察には結局門前払いを受けたという。
『そういう時に父親に付いて行くのが考えられない。実際、あなたは子供に好かれていたのか?』
などと横柄な口調で、虐待などの可能性を問われたのがショックだったという。
結果、としちゃんも身体を壊し(うつ病の診断が下りた)、そのまま三年が過ぎてしまった。
・現在は仕事を離れ、療養中。義理の両親との同居は継続中だが、実家に戻る提案もされているとの事。
としちゃんの実家からは、
『そんなのに帰って来られてみろ。ご近所からどう見られるか、もういい大人なんだから分かるだろう』
と、どやしつけられている為、帰るととしちゃんの現在の病状が悪化する可能性がある。
孫の顔を見るのを楽しみにしていたらしく、その様な状況に巻き込まれたとしちゃんに責任を全て押し付ける事で思考停止していると思われる。幾度か義理の両親を伴ってのとしちゃんの実家へのお詫びを試みるも伝わらなかった模様。
過ぎた話の様にとしちゃんは言っていたが、あっちはあっちで重いものを背負っていたのだ。
冷たい言い方をすれば、今は帰れる家として置いてくれている義理のご両親の同情も、どこまで続くものか分からない。経験上、実の子供の様に付き合ってくれるという例は奇跡に近い事だ。
だからタイムリミットを想定しておかなければ、大変な事になる。
『良くしてもらっている』
とは言っていたが、娘を連れている旦那が見つからない限り、借金の問題に精神的なけりが着かない。としちゃんがその旦那の問題でどういう法的な対応をさせられるか分からないし、それが次の仕事に関わったりすれば、現状では良くしてもらっていても、年月を経て、としちゃんにその色々がのしかかって来ないとは言えないのだ。
仮にだが、先にとしちゃんが亡くなってしまったとして、その時に全ての破局が訪れるかもしれない。
私は政府から国民に支給されて使用許可も受け取って以来、何年もしまってあるそれを、部屋の収納ボックスから出し、テーブルの上に置いてみた。
半世紀ほど前に起こった事だ。銃刀法に縛られ、凶悪犯罪などからの自衛が出来なかった国民を守る為の予算と対応出来る人員を、ついに我が国の政府は用意出来なかった。
催促して来る割にはこちらを叩く国へ貸し付けたお金も一円だって戻って来なかった。散々稼いで来た資産家達も、自分の方の生活と国がどうなるかを天秤にかける気は元々なかったらしい。
代わりに法律が改正され、身元を証明する手続きと引き換えに、私達がもらったのがこれだ。47都道府県の各所にある訓練場の地図と分厚い仕様説明書、そして複数のマガジンと箱に詰まった実弾、更に一丁の拳銃である。
日本国民である事を数世代前まで調査され、認められれば、前述の手続きと共にただでもらえる。子供だって持てる。持てる様にしたのは子供を持つ親達だった。恐らく不良外国人や裏社会の人間ならば幾らでも入手するつてがある事で、それらとのバランスを図っての現状なのだろう。何しろ警察が弱みを握られたりして真っ向から立ち向かえない相手が跋扈する世界だ。
個人の武装に対する規制もとても緩くなった。持てる人は戦争でもするのかと思う様な装備を自宅に置いている。
日本国民の一人として、携帯し、非常時にこれを撃つ権利はある。それ以上の自衛も認められている。
何かあったらならば、武装が物々しくなった警察も状況に対応してくれる。
実際、幼児虐待やDV、職場でのパワハラ、セクハラの類はかなり減ったと聞く。行き詰まった人間関係や家族関係に終止符を打つのにも使用される事は珍しくなくなった。
そしてそれまで自分達の頭を抑え付けていた裏社会への個人的な対抗手段が国から認められた。
複雑な気分になるのは、町内会がマフィア化した事だ。地元の不良グループなども同じ形になり、それぞれが住み分けをして協定を結んだニュースが流れた事で、表向きの秩序みたいなものは整った。整ったが、銃声は唐突に鳴り響く。
その場合は町内会なのか警察なのかギャングの人間なのか不明だが、映画に出て来る様な重武装の人々が避難協力に動く様になった。
風通しは良くなった気がする。ただ、裁判で勝てるかどうかは個人のコネがものを言う。
私が生きているのはそんな世界だった。
としちゃんにも、義理のご両親にも勿論これは支給されているはずだったが、これまでの流れを見るに、使う機会はなかったのだと思われる。私もこれまでの人生で使用する場面には立たずに済んだ。済んだだけで、凶悪事件の発生件数そのものは横這いを続けている。
この世界で生きて行くのに、もしかしたら私やとしちゃんは向いていないのかもしれない。
現に、銃があっても子供を連れ去られる事は回避出来なかった。家族だと思っていても手痛い一撃を食らう部分は全然変わっていない。その事実が、重くのしかかっていた。
「珍しいじゃない、休みの日に来るなんて」
私はまた職場の事務所にいた。
息を荒げて、どうやら気に入られているらしい私の胸に吸い付く店長のあれを自分の中に受け止めながら、また事務所で喘いでいた。相変わらず連絡のつかないとしちゃんの事を考えていたらすごくしたくなったのだが、一人でするのは寂しかったので、何となく職場を訪れた。
たまたま店長がいて、彼はあくまでここは職場としてしか使用していなかった為、この流れになるのはスムーズだった。私達はドアの鍵をかけるなり、絡み合いながら唇を重ねて舌を舐め合い、引きずられる様に事務所へ雪崩れ込んだ。
全部を脱がさないのは店長の好みであるらしく、舌はスカートをめくり上げられた状態でパンティーを脱がされており、この前とはまた違う色のブラウスのボタンを外して袖を通したままの私の身体のあちこちにキスを浴びせ、吸い、愛撫し、嘗め回す店長。ソファに仰向けになり、69で舐め合っていたのはつい先ほどまで。
「う、う……ん……ほぅ」
声を漏らしながら深く私に突き入れると、店長は感触と温度を味わう様にゆっくりと出し入れをしながら、クリトリスをいじり始める。
『男の亀頭がこれに近いらしいな』
などと、どうでもいい事をぼんやり考えながら、入って来る感覚と、いじられる事で生じるじれったさを下腹部に覚えつつ、店長の手が私の乳房に被さるのを見ていた。私が両足を彼の腰に絡めようとすると、それを店長は自分の両肩にそれぞれ載せた。
あまりしない角度なので、割といいかもしれない。頭に血が下がるのもそのままに、彼のするに任せる。
「うんっ、んっ、ああっ」
両肩を手の平でつまむ様に挟み、撫でる。そこから胸を揉むだけではなく、脇腹を撫で、腰までを同じ様に揉み、撫で回しながら降りてはまた肩から胸へと手を戻す店長。
どういう訳だか彼はいつもここからになると、こちらの凝っている部分をそっとほぐす様にマッサージしながら攻めて来るので、肝心のそれに加えてのその心地良さが余計にこちらを行為にのめり込ませるのだった。おかげで終わる頃には脱力感で足腰が立たないのだが、気分良くスポーツを終えた後の様な爽快感がある為、少し休んでからまた没頭したりする。
私を背後から抱く様にソファに寝転ぶと、優しく髪をかき上げてくれながら、首筋にキスをしてから彼は続きを開始した。肉を打つ音に合わせて、店長が今度は、手の届く範囲で、私の太ももをマッサージし始める。
腕枕をしてくれている方の手が、しっかりと私を抱き止め、密着度を高めた。更にストロークが早まる。
「んんっ、はあ、ああ、おお……」
声の出るに任せて、寸止めで幾度も体位を変えながら私も店長も快楽を貪った。今日は電車かバスのある内に帰宅出来るかも怪しい。それくらいにはまっていた。
自分からいく事、へとへとなのにいかされる事に耽溺していた。
ずっと抱きしめていて欲しかったし、ずっと嘗め回していて欲しかった。胸を、尻を揉んでいて欲しかった。
窒息したっていいからキスを続けて欲しかった。
何度目かにバックから突かれている時に、デスクに置いていた携帯が鳴った。何故かピンと来たが、出ようか迷った。
「出る?」
と、店長。しかし、腰を動かすのはやめない。
「で、でも、あっ」
「出るなら一旦やめるから」
「で、出るっ。一寸ストップ」
携帯に手を伸ばす間も店長の動きはそのままだった。またいきそうになりながら、誰からの着信かを見る。
としちゃんだった。
「誰?」
「ともっ、友達からっ。一旦止めて」
「うん……」
私を抱き締めながら、店長は動かすのだけをやめた。息が荒いのをどう誤魔化そうか考えたが、とにかく出た。
「私だけど」
間違いない、としちゃんだ。
「としちゃん……連絡全然取れなかったよ」
「ごめん。留守電聞いたし、メール全部見た。
手短かに話すけど、時間いい?」
訊ねてはいるが、何処か吹っ切れた口調だった。
「うん……」
「あのね、旦那の話をしたでしょう?」
「うん、聞いた」
「旦那がいたの」
「何処に?」
「この前出かけた帰り」
「あのラムカレー食べた日?」
「そう、あの帰り。何でそんな所を歩いてたのかとかさ、捕まえて色々聞けたよ」
「聞けたの? すごい!」
としちゃんの山羊の容貌を思い出したが、あれは他人には見えないのだった。
「聞けたんだけどさ……ホント、
『何しでかしてるんだあの野郎』
って思っちゃった」
「えっ……」
「あのね」
「うん」
「あいつ、娘に客を取らせてた。うち出てからずっと。
その様子も撮影して、DVDに焼いて裏で売ってたの……しかもさ、酷いの。何でか借金三倍くらいになってるの。
あいつ薬にはまって、自分の子供にそれを買う金を作らせてたの。中学生に!」
フィクションではたまに聞く話だ。
実話系怪談の本で、他人の怖さを改めて知らされる様なジャンルで紹介される様な話だった。あまりに唐突過ぎて頭が付いて行かない。
「何それ……娘さんは!?」
「いない……」
「いないって」
「あいつに最後の方は薬を使われてボロボロにされて……学生のサークルみたいな奴らに、二束三文で買い叩かれて、どっかに連れて行かれたって」
「警察、電話しなきゃ……」
「駄目だったのよ!」
「としちゃん、今何処にいるの!?」
「間に合わなかった! あいつも薬で頭馬鹿になってて、いつ売り飛ばしたんだか覚えてないって!!
もう、ホント、生きてんの嫌だ……」
誰にも伝え様のない絶叫が聞こえた。
としちゃんはハスキーボイスだけど、ちゃんと女の人の声だって分かった。ひぃひぃと息をついてたかと思うととしちゃんが呼びかけて来た。
「聞いてる、聞いてるよ」
「うん……あの、あのさ……分かった事がある。今分かった。
今から私、一寸古本屋行くわ」
「でも今日開いてないよ」
「そう……定休日ではなかったよね。電話して聞いたの?」
ぎょっとした。店長が離れて行くのが分かったので振り返ったら、パンツを引きずり上げている所だった。
「どうしたの?」
「いえ、一寸私も店にいるからさ。どうしようと思って」
「仕事なの?」
「ううん、忘れ物を取りに来ただけなんだけど」
「そっか。だから息が荒いのね」
「えっ」
「着いた。何だ、店長の奴、あなたにも手をつけてたんだ」
「あの」
「中にいるのね。悪いけどさ、危ないからあなただけ出て来てくれる? お願い」
「一寸待っ……」
電話が切れ、同時に轟音、少し遅れて店長の絶叫が響いた。
服の前を何とか合わせて出てみると、丁度閉められたみたいだけど裏口のドアノブが吹き飛んでいて、腰から尻の辺りにかけてを抉られ、激しく出血している店長が腹からこぼれる色々を手で押さえようとしながらのたうっていた。
酷い悪臭も立ち込めており、その向こうに銃口から硝煙を漂わせた散弾銃をぶら下げたとしちゃんの、山羊の顔があった。足元には膨らんだボストンバッグ。
「いでええええええ!」
苦しみに転げ回る店長の、破壊された太ももの付け根が見えた。あの辺りに太い血管が通っているとは聞いた事があるが、その前にもう助かりそうになかった。
「としちゃん」
眠たげな山羊の瞳が暗い店内で光っていた。
「こいつ、昔、あたしと出来てたんだ」
「……」
「引っ越さなくちゃいけなくなって、あなたとの付き合いもそれで一度おじゃんになったの。私が年を取ったせいで分からないのかと思ったけれど、そうじゃなかったんだね」
そう言って、としちゃんは私のフルネームを呼んだ。それは私の尊敬していた先輩との、最後の挨拶の時の呼び方だった。
「としちゃん……ホントに雪ヶ谷先輩……なの?」
「結婚したから田村って苗字だったのよ。実家に戻れないから、もう雪ヶ谷って名乗れないけどね。
まあ、随分ご無沙汰しちゃったけども、妙な巡り合わせというか何というか」
話の流れがよく分からない。先輩がいなくなってから山羊の頭で現れるまでに、私達が友達関係になるまでに、色々な事が私達の間に起こり過ぎていた。
私はしゃくりあげながら言った。
「私には……何でか、先輩が」
「としちゃんの方がいいな」
「としちゃんが、ずっと山羊の顔に見えてたの……」
納得した様な雰囲気。
「引っ越してから色々あってさ。夜間の学校に行ってた頃、何だか目を付けられて、変なおまじないをかけられちゃったのよ。
顔がさかさまに見えるとか変なコラージュ写真みたいだとか色々言われてたけど、あなたには私が山羊に見えてたか。そりゃ分かれって方が無茶だね」
としちゃんは笑った。
かろうじて残った理性がさせているかの様な、たがの外れた笑い方だった。私にも分かる。こういう風に笑い飛ばさなければ続きを話す気になれないのだ。
「で、その変な呪いにも良かった所があって、仕事運はぼちぼちだったのよね。その後、うっかりくっついちゃったのが、元旦那なのよ」
「としちゃん……」
「あいつの携帯のメールに書いてあったの。この店長はあいつをそそのかしてあたしの子に客を取らせてた。自分でも何回も買ってた」
「だから、撃ったの?」
「そう。どうなってるかもう分からないけど……私には、あいつやこいつに滅茶苦茶にされて黙ってられる様な悪い子ではなかったのよ」
としちゃんはそう言うと、店長の左足首、膝、太ももの順に狙いをつけて散弾銃の引き金を引いた。見えないハンマーが振り下ろされたみたいにそれらが血しぶきを上げて砕け散った。
私達は事務所に備え付けのガスの元栓を緩めて店の外に立っていた。
ボストンバッグの中身は、後は私の写真を貼るだけの偽造のパスポートと、としちゃんが元旦那に薬を下ろしていた売人から奪ったという、沢山の一万円の束が入っていた。
としちゃんの呼んだと思われる車が止まる。
「携帯に今話した相手の番号とメアドが載ってる。ボストンバッグのメモ帳に他の必要な連絡先もそれぞれ詳しく書いてある。
このままあなたはあれに乗って、駅に着いたら電話をしなさい。後は指定通りに行けばいい」
「分かった。何か……またお別れなんだね……」
「大丈夫。引き継いじゃって悪いけれど、嫌な知り合いには見つからないし、食べて行けるだけの仕事は見つかるおまじないだから。
海外でも言葉のやりとりは出来るけど、きちんと勉強してね」
夜の帳が降りる中、車の後部席に載り、店に戻って行くとしちゃんを見ていた。
店の中に入って行っても、私は二度と会えない先輩とのあれこれを思い出していた。
歩道を、黒髪の学生服の少年と、金髪でおさげの少女が連れ立って歩いているのとすれ違った。セーラー服を着た少女は白人の子で、目で追うと、少したじろぎ気味の少年に色々話しかけている様子だった。
(私やとしちゃんにも、もしかしたらああいう楽しく誰かとやり取りする流れがあったのかな)
と思った。
かなり距離が離れた頃、店があったであろう場所が吹き飛んだのが見え、遠目にも分かるその炎がもたらす光が、窓に山羊の風貌の私を、確かに映し出した。
贄(にえ)を見つめる山羊 躯螺都幽冥牢彦(くらつ・ゆめろうひこ) @routa6969
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