終章 『勇者』ベクヒコ
第1話
雑然とした通りを背の低い人影が進む。
道はぬかるみ淀んだ水があちこちに溜まっている。
見上げれば青い空が見えるにもかかわらず、その道は薄暗く、光さえも淀んでいた。
人影はそのぬかるんだ道を、丸まった背中を揺らし、長い耳を揺らしながら、水たまりを跳ねるように避けて歩いていく。時折立ち止まると杖に身体を預けて上を向き、腰を叩いて溜息をつくと、再び歩き始める。
そして通りに面した建物の間、さらに細い路地に入っていく。
その路地の奥から喧騒が聞こえてくる。
喧騒は路地の奥に立つ古びた建物、その開け放たれた扉の中から響いていた。
その喧騒の中に路地を歩いてきた人影は、しばし足を止めながらも、ゆっくりと踏み込んでいった。
「なんだ? 爺さん?」
男の声。人影が飛び跳ねる。
男は緑色の肌をした大柄な身体で、手に大きなジョッキを掲げている。
そこは酒場だった。日もまだ高いうちから皆が皆、大小のジョッキやコップを掲げ、酒と喧騒に身を揺らしている。
その中にいる人たちは多種多様、緑の肌も居れば灰色の肌もいる、毛皮を持つものも、長い耳を持つものも、無論男も女も。表通りの街中とは違い、白い肌を持つ者の方が少ないぐらいだった。
ここは表通りには出られぬ者の住む街。郊外の更に外れ、貧民街の更に奥。そこにたたずむ場末の酒場。
「こんなところまで、どうした?」
男は再び人影……その老人に話しかける。こわもてな風貌とは裏腹に、意外と親切なのかもしれない。
「ユ……」
「ゆ?」
「勇者様ニオ会イシタイノデスジャ」
老人は長い耳をしなだれて、灰色の顔で男を見上げる。
「勇者だと?」
老人を上から睨み付ける男。しかしそれに屈せず老人も男を見上げ続けた。
男は口元を小さくゆがめると、酒場の奥に目を向ける。
そこには二階へと向かう階段があった。
老人は男に向けて一礼すると、人混みの中を階段に向けて歩き始める。
「爺さん、忠告しておくがな」
男が老人の背後から声をかけた。
「絶対に怒らせるなよ?」
その言葉に小さい身体をさらに縮こまらせて、それでも老人は階段を登る。その階段の先に扉が見える。
老人はその扉の取っ手に手をかける。初めは押してみるが少しも動く気配がない。老人は今度は引いてみる。扉は小さな軋みを響かせながらゆっくりと開く。
「どうぞ」
開かれた扉の隙間から声が聞こえた。年若い男の声。
老人は意を決して扉を開けると、その中に足を踏み入れた。
窓の少ない、外よりもなお薄暗い部屋。
背の低い丸いテーブルに着く四つの影。
正面にひとり。
左側に大きな人影がひとり。
右側にふたり。そのうちのひとりは小さい。
「どうぞ、座って」
声の主は正面に座る影。その向かい側に空いたソファがある。
老人は戸惑いながらもそのソファに腰をかける。背もたれに背をつけることも出来ず、硬くなり顔を巡らすこともせず、ただ正面のみを見る。
想像に反する姿が老人の目に映る。老人はもっと恐ろしげな人物を想像していた。
しかし老人の目に映っていたのは、まだ幼さの残る人間の少年。
「ドウシタ?」
右に座る小さな影が老人に声をかける。その声の主に老人は顔を向ける。そこにいたのは老人と同族の娘だった。それを見た老人は少し表情を和らげる。そして堰を切ったように話し始めた。
「孫ヲ、孫娘ヲ助ケテ欲シイノデスジャ!」
老人は何度も頭を下げながら部屋を出て行った。
「シカシゴブリンヲ妾ニシヨウナドト、人間ハ物好キダナ」
「バルゥがそれを僕に言うの?」
非難する可彦にバルゥは耳を上下に振りながら片方の口元を吊り上げて見せる。
「で、どうします?」
「そりゃもちろん助けるよ」
ネフリティスに可彦が答える。
「助けを求められたんだから」
「お人よしね」
ミランダがテーブルの上で手を組んでその上にあごを乗せる。
「他人の世話を焼く余裕なんて、ないのに」
しかしその声は、どことなく弾んでいた。
「ね。何でこんなことになっているんだろ?」
「それをベクヒトが言いますか?」
ネフリティスは溜息を漏らしながら、しかし明るく返した。
実はまだ可彦たちは王都に留まっていた。
あの日、王都を囲む城壁までたどり着くと、言われた通り印を探して壁を崩し、しかし外には出ずにそのまま街へ取って返し、街の裏のさらに奥、貧民街へと身を潜めた。
それは功を奏し、追っ手は王都の外に向いていた。
体面を気にしたのか国王の死は病死と布告されたことも可彦たちに味方した。
酒場の二階に部屋を借り、その喧騒に紛れ込むことで人の目をやり過ごし、ほとぼりの冷めたころに王都を出る、そのつもりだった。
事実先王の死はすぐに王太子の即位の話題で塗りつぶされていく。
しかし……
「ベクヒコは首を突っ込みすぎです」
「ソウダナ」
「そうね」
「そうかなぁ」
三人に指摘されて頭をかく可彦。
酒場にいればいろいろな話が舞い込んでくる。
それが貧民街の場末の酒場となれば後ろ暗い話も多い。
可彦はそれを聞いて、放っておく事が出来なかった。
揉め事があると聞けば行って仲裁し、虐げられていると聞けば行って手を差し伸べ、困っていると聞けば助け、嘆いていると聞けばなぐさめに行った。しかも場合によっては力業で半ば強引に事を納めた。
その『力業』のせいで、幾度となく可彦は死ぬ目にあうのだが、しかし可彦が死ぬことは無論ない。
そして付き従う三人の女性はいずれも手練。
死なない男と無双の女たち。
そんな話に尾ひれが付き背びれが付き、いつしか可彦は『勇者』と呼ばれ、貧民街でも一目置かれる存在になっていたのである。
「ま、いっか」
可彦は肩をすくめて軽く答える。
「そんな調子では命がいくつあっても足りませんよ?」
ネフリティスの忠告に可彦はもう一度肩をすくませた。
「いくつあるんだか、こっちが知りたいよ」
そして可彦は席を立った。
「行こう」
可彦はそういって笑みを浮かべる。
「見届けましょう」
とネフリティス。
「シカタナイナ」
とバルゥ。
「従うわ」
とミランダ。
そして四人は部屋を出て、喧騒渦巻く酒場へと降りていった。
ENDE
勇者として異世界に召喚されたら生贄にされたけど、なぜかオークとゴブリンとコボルトの女の子達と冒険をすることになりました。 竹雀 綾人 @takesuzume
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