望みは、

 私を買ったお兄さんは、私に何を望むのだろう。


***


 自分を買えと迫った女性は、相変わらず良く分からない。まぁ普通の人とも、たった数時間、一緒に過ごしただけで分かり切ることなど不可能だとは思うけれど。でもそれにしてもとてつもなく理解不能な人物である、と僕は少し不躾だが思ってしまった。

 なんといえばいいのか。いまいちいい言葉が思い浮かばない。けれども確実に彼女は「普通」じゃない。それは分かる。それはきっと僕も「普通」じゃないから。そう。はぐれ者同士。群れから追い出され、死を待つだけの弱々しい個体。彼女から感じるのはそれだった。いや、彼女がか弱いとか見た目からして危なっかしそうだとか、そういうことではない。彼女はどちらかと言えば、気が強そうだし、負けず嫌いな気がする。そして、他人に借りを作りたがらない。この数時間で痛いほど分かったことだ。彼女は何も信じてはいないのだと。買わないかと自ら持ち掛けた、僕のことすら。

 それが何故かを無粋にも推測してみる。見るからに着の身着のままな家出少女(年齢不詳)は、あちこちに包帯を巻き、ざっくばらんとした、もっといえばボサボサの髪の毛を気にもせず、つまりは自分のことは何一つ考慮しようとしないにも関わらず、何かと僕の手伝いやら何やらを買って出ようとする。だがしかしそれも可愛らしいお願いのような形ではなく、飽くまでも「してやってる感」を強調したいようだった。

「今とっても暇なの。だから何か手伝ってあげてもいいわよ?」

とか。

「あら、何だか体を動かしたい気分ね、さぁ、やることを与えなさい」

とか。

 ずっとそんな感じで僕の側をうろちょろとして、離れようとしない。いいから、と部屋の温かい場所に押し込むと頬を膨らまし、如何にも「不服です」と言わんばかりの表情で僕を睨み付ける。けれども数分も経たずに先程のように動き出すのだった。流石の僕もそのやり取りの繰り返しに少し疲れてきてはいた。久しぶりの来客、いや、人と接する、ということに、か。


 静かに暮らしていたつもりだった。何にも巻き込まれず、何も巻き込まず、ただ、この閉ざされた高い塔の中に閉じ込められるように、死んだように生きていればそれでいいと思っていた。何だってネットで買える。人と接することなく済む。そうやって生活していたはずだった。

 なのに何故、今日、あの瞬間、人肌が恋しいだなんて、人の温もりに触れたいだなんて、思ってしまったんだろう。

 だからこんな厄介事を引き連れて帰ってきてしまった。誰も入ったことのなかった、僕だけの要塞へ。見ず知らずの誰かさんを。ああ、名前すら聞き合っていない。

 僕は堪らず尋ねる。

「君の望みはなんだい」

 彼女は困ったように固まった。

「私の、望みは、」


 そうしてほんの数秒とかではなく、ほんの数分とかでもなく、本当に長い時間が流れ、風呂のお湯が溜まったという音楽が鳴った頃、立ち上がる僕の裾を掴み、彼女は言った。


「私の望みは、何もありません。寧ろ私はあなたに望まれたいのです」

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セッカとユキ 空唄 結。 @kara_uta_musubi

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