第40話 愛の精霊

 朝、起きて。


 私はキッチンでトーストを焼き、パパと自分のために朝食を作る。

 カリッカリに焼いたベーコンと。

 コンソメと砂糖とミルクで味付けたとろっとろのスクランブルエッグ。


「パパ、出来たわよ」


 コップにオレンジジュースを注いで、ケチャップを冷蔵庫から出し、私はパパに声をかける。

 玄関で新聞を取ってきたパパは、読みながら席に着いた。


「へえ、ミラルディ。マスカダイン教が同性愛を認めることになったんだそうだよ」

「そうなの?」


 マグカップに作ったインスタントコーヒーをパパのお皿の横に置きながら、私は驚いたように声を出した。

 なんちゃってね。もう、知ってたけどね。


「神霊ネママイアの器がねえ、今年新しくなったんだけど。日本のぬいぐるみになったんだって。えーと、これはなんて読むのかな。『MARI M〇KK〇RI』で発音は良いのかな。日本のホッカイドーてとこにある湖のキャラクターで、生と性を謳歌する偉大な愛の精霊らしいよ』

「ふうん」


 なんだかすごい書き方されてるわね。アレ。


「暗にね、同性愛を推奨する精霊とされてるんだって。日本は昔から同性愛に寛大な歴史を持つからね。神霊ネママイア様自身がそのぬいぐるみを選んだんだそうだ……うーん、このへん、信者じゃないお父さんにはイマイチわかんないけどね。とりあえず、神霊様自らがこの『MARI M〇KK〇RI』をお選びになったんだって。ということは、時代の転換を神霊さまの方が導いてくださった、とのことで、マスカダイン教も考えを改めることにしたみたいだね」


 ヨシュアのハッタリ野郎。

 よくもあんなことがあのとき、スラスラ言えたもんよね。


「いいことよね、今時」


 私は澄ました顔で、パパの前の席に座った。


「何事も変わらなきゃ。前進しなきゃね。好きな人には好き、って言えるように」


 ポリアンナもこれで考えが変わるかしら。

 ラスカルさまのお心はこれで少し軽くなるかしら。


 ミゲロさんも。

 長年の片想いに終止符をつけられるかしら。

 だといいわね。


 そして。


「パパのことよ、これ」


 私はテーブルの下でのんびりとパンにかじりつくパパの足を少し小突いた。


「ねえ、パパ。私ももう中学生だもの。パパの恋愛にも寛容になれる年になったのよ」


 パパは私の突然の言葉に目を白黒させた。

 パンが詰まっちゃったみたい。

 あわてて、ミルクを飲み込んでいる。ふふ。


「もっと、頑張ってよね」


 やっと、ヨシュアのママと手を繋ぐまでにいったんだものね。


 にんまりと笑うと私は。

 カリカリのベーコンととろっとろのスクランブルエッグを乗せたパンにかぶりついた。



 * * *



 玄関を出たら。


「お嬢」


 後ろから呼び止められたわ。


「おはよう」

「なによ」


 私はむっつりとヨシュアを振り返る。

 真っ黒な学ラン姿。相変わらずデカいわね。

 足下には、猫のスーゴと犬のアルバトロス。


「お嬢」


 朝日を背に、ヨシュアはおずおず、とした表情で私の顔を伺うように見た。


「だから、なによ」

「お願いがあるんだけど」


 ヨシュアはゆっくりと私に近づいてきて。

 私の顔を見つめて一言言った。


「俺と付き合って」



 ……はあ?!

 いきなり、それ!?


 わなわな、と私は震える。


 なにそれ。

 私を傷つけたことを謝りもせず。

 告白すらせずに。

 いきなり、それなの?


「絶対にイヤっ!」


 私は踵を返して、学校の方向に身体を向けた。


「なんでダメなの」

「下心丸出しで言ってんじゃないわよ!」


 あの日から。

 なんだか熱っぽい目で私のことを見やがって。

 いやらしい、いやらしいっ!

 ああ、もういやっ、いやらしいっ!


『ヨシュアさん、アレじゃあ。発情期を狙って言うがじゃあ』


 おとぼけた声が後ろから聞こえた。


 人間に発情期なんてないわよ、バカ犬!

 さっさとダフォディルに帰りなさいよね、アルバトロス!


『ヨシュア様。大丈夫です、私がお手伝いを。ミラルディ様がよろめくセリフのツボは心得ておりますゆえ』


 聞こえてんのよ、スーゴちゃん!

 余計なことしないでよ!

 猫が考えたセリフなんかにもう一生、ときめいたりなんかしないわよ!


「待って、ミラルディ、一緒に行こうよ」


 ミラルディ。


 私はヨシュアの呼んだ名前に思わず立ち止まった。


 お嬢、じゃなくて私のこと。

 名前で呼んだわ。

 私は下唇をかんだ後、口を開いた。


「い、いいわよ。私の後をついてきなさいよ」

「ううん、横を歩いていく」


 言って、後ろからきたヨシュアはさらうように私と手をつないだ。

「みんながいるところまで、つないでていい?」


 こ、こいつ。


 左手に感じる大きな手の乾いたひやりとした感触に。

 かああ、と私は頬が熱くなるのを感じた。

 ヨシュアを見上げると。

 バカにしたような小笑い顔。


 うう。

 こいつには、私の気持ち、見透かされてるんだわ。

 分かったうえで、こいつ、遊んでいるのよ。

 今も。

 これからも。

 ずっと、遊ばれるのよ。


 神霊ネママイアのワノトギになった者は、他人の思考を読んだり、行動を操ったりできるってスーゴちゃんが言ってたわ。

 私の思うこと、全部こいつに筒抜けなのよ。


 なんなのよ、それ。どんな悪徳超能力者サイキックよ。


 そう考えた私は、ふと、マスカダイン教のデタラメ予言を思い出した。


『ネママイアの代替わりの時、九つの神霊を集め、ネママイアを手に入れた者はなんでも望みが叶い、世界を手に入れる』


 ねえ。

 もしかして、あの予言。

「ネママイアを手に入れる」という意味のことを。

 てっきりネママイアの器になることだとみんなも私も思っていたけれど。


 あれは。

 もしかしたら。


 実は、ネママイアの欠片を手に入れる、すなわちネママイアのワノトギになる、という意味だったのじゃないかしら。


 だとしたら。

 目の前のこの少年は。


 私はヨシュアの顔を見つめた。


 ネママイアの力およびサゲチ……サゲメン能力を兼ね備えた彼。

 そんな彼と。


 あげまん能力を持つこの私が。

 もし。

 関係を持ったりしたら。


 世界は。


「ミラルディ?」


 朝日の中。

 真っ黒な髪と瞳で、爽やかな笑顔を向けるヨシュア。


 そのヨシュアの顔が私には悪魔に見えて身震いした。


 そんなの絶対にダメ。


「絶対に嫌!」


 私は叫んで、ヨシュアの手を振りほどくと駆け出した。


「お嬢!」




 私はまだ世間知らずの十四歳なのよ。


 大丈夫。

 世にはまだまだ数えきれないほどの男がいるんだから。


 それなのに、あえて隣の家の男の子なんて選んだりしないわよ。


 もっともっと、素敵な男性を見つけてやる。

 これから山ほどの男の子たちと会うのよ。

 誰もが羨む素敵なアンドレ様を捕まえてやるんだから――!



 私は、ミラルディ。

 エインズワース家の乙女。



 私の真の男選びは、まだ始まったばかり。







《完》

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あげまんお嬢様とビンボー少年と八匹の下僕たち 青瓢箪 @aobyotan

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