グレートルイスの小話

第10話 真夜中のウォーキング

「ボスがオレの腹肉をつまんだんだよ」


 待ち構えていたシアンが唐突に告げた。


「おお」


 呼び出されたデイーはシアンを見下ろして頷く。


「それってどういうことだよ」

「……痩せろ、てことだろ」

「そう。つまりはそういうことだよ」


 街灯の真下に立ち、ピチリと体に沿うグレーのジャージ素材に身を包んだシアンは腕を組んでデイーを見上げた。


 夜目に浮かぶ白い肌。黒髪黒目、伸びやかな手足は、小鹿のような美しさだ。

 四十近くても死ぬほど可愛い女性だ、とデイーはいつものように目の前の感動を静かに噛みしめる。


「というわけだから。これから、オレに付き合え」

「夜に呼び出して何かと思えば……俺、明日朝イチで裁判所なんだけど。しかも俺スーツで革靴だし」

「ランニングじゃないから安心しろ。オレ、走るの嫌いだから。楽しくお前とお話しながらウォーキングしようぜ」

「聞いてんのかよ」

「かよわい美女が夜中のウォーキング中に襲われても良いのかよ、お前」

「……良くない」


 デイーは想像して首を振った。

 三分に一度、強姦事件が起こるここはグレートルイスだ。

 大陸の中で一番豊かで活気がある国グレートルイスは、犯罪量も突出している。


 現在、深夜といってもいい時間だ。

 日付けが変わるのも間近。

 目の前をこんな綺麗で可愛い美女が一人で歩いていようもんなら、俺も襲ってる。

 犯人を決して弁護したくないがその気持ちは十分に理解できる。


「じゃあ、付き合えよ」


 うんうん、とデイーは神妙に頷いた。


 シアンは夜の仕事をしている女性だから、昼夜の生活が逆転している。

 彼女が経営する店が閉まるのが日付の変わる少し前くらいだ。

 昼間は寝ているというし、運動するならこの時間になるのは仕方がないかもしれない。


「じゃあ、行くか」


 颯爽と歩き出したシアンの後ろ姿。

 スニーカーから伸びるその長い脚線美とつづく形の良い臀部にデイーは見とれてつい意識が飛びそうになる。


「おい、ケツ、見てんじゃねえ」


 指摘されたデイーは我に返るとあわてて彼女について行った。


 * * * * *



 夜のコンクリートの上を背の高い二人の影が伸びる。

 月は丸く、街灯の光は柔らかく、影は二つに照らされて四体になる。


「その服、どうしたんだよ」

「今日、揃えた。オレ、カタチから入るタイプだから」

「別に少しくらい肉ついたっていいんじゃねえの。キエスタじゃ、細い女はモテない」

「ところ変わればの話、だろうが。お前も故郷じゃイケてない男子だったんだろうが」

「……うん」


 デイーは言葉を濁した。

 故郷キエスタを出てグレートルイスに来てから、自分が美男子扱いされたことに日々、戸惑った。

 細面の優男。顎のしっかりした骨太の男がモテる故郷では女の子たちの眼中にもなかった自分が、グレートルイス女性には色目を使われる。そのあたりはこっちに来て良かったと思う。


 腕を振って凛と歩くシアンは誰が見ても美しい。

 隣でその横顔を眺めながら、デイーは彼女の腕をとった。


「なにすんだよ」

「手」


 立ち止まって不服そうな声をあげたシアンの手をデイーは握った。


「まさか、おてて繋いで歩くのかよ。いい歳して」

「キエスタじゃ夫婦は手を繋いで歩く」


 デイーはうそぶいた。


「ほんとかよ」

「俺の生まれたところはそう」

「……ふうん」


 デイーの嘘八百にシアンは少し考えている様子だったが、大人しくそのまま手を握りかえして歩き出した。


「お前の手、でかい」

「うん。お前の手は冷たすぎ」

「昔から冷え性なんだよ……お前の手っていつも硬くて乾いてるな。ボスはお前よりもうちょい」

「俺の前でボスと比べる話しないで。今ぐらい」

「うん……ごめん」


 シアンはややうつむいてデイーの手を少し力を入れて握る。


 夜風はやや冷たい。

 二人はそれを心地よく感じながら歩調を合わせて歩き続ける。


「お前さあ、学生の頃とか、憧れなかった? かわいい女の子と手を繋いで登下校するとかさ」

「いや。お前はそうなのかよ」

「小説とか映画でそういうのあるじゃん。でも、ゼルダは全寮制の学校だからな。ガッコの中に寮があるからそういうのがまあ無いよな」

「俺の場合も。まあ、無かったな」

「なんで?」


 不思議そうに聞くシアンにデイーは答えた。


「だって、通学は馬に乗って二時間だったし。アネキと二人乗りして行ってた」

「馬! 二時間!」


 ぶはっ、とシアンは笑う。


「あの辺はそういうもんなんだよ。狼の群れに注意しながらな」

「オオカミ! 命がけの通学だな!」


 笑いながらシアンはデイーをちらりと見上げると。

 いきなり爪先立ちになり、デイーに近づいて唇にちゅ、と素早く口づけた。


「……」

「ごめん。今、一気に愛情が湧いてきた」


 そう、微笑みながら言うと。

 次の瞬間にはシアンは何事もなかったかのように歩き出す。


「お前とはつくづく生まれ育った環境が違うんだと思い知るよ。大草原の少年」

「……」


 嵐に舞う花びらが唇に触れて去っていった感触に。

 デイーは行き場の失った感情の高まりの収集がつかないまま、彼女についていった。



 * * * * *



「ありがと。明日からもしばらく頼むわ」


 シアンのマンションに到着したあと、部屋のドア前までデイーはシアンを送った。


「じゃあな、おやすみ……」

「待てよ」


 部屋に入ったシアンが閉めようとするドアの隙間にデイーは片脚を入れて阻止した。


「おいおい、弁護士先生。変態訪問販売のお兄さんみたいな真似すんなよ」

「夜中に呼び出しておいてあり得ないだろ。まさかこのままサヨナラかよ」

「キャー、えっち、すけべ、ヘンタイ。デイー、お前キエスタ人のくせにいつの間にそんな男になったの」

「キエスタ出てから、もう人生の半分、俺はグレートルイスで過ごしてんだよ」


 デイーはぐいぐいと、革靴を押し込みながら上半身をドアから割入れようと努力する。


「お前、この前俺と……」

「ああ、この前してから結構、間が経ってるね、はいはい」

「アレも一応運動だろうが。カロリー消費……」

「オレが動くんならね、はいはい」


 シアンはそんなデイーを手加減なしに押し、脚を蹴りつけドア外へと押し戻す。


「はい、じゃあサヨナラ」

「オイ……!」


 ばたん、とドアを閉めると、ブツブツ言うデイーの声がシアンに小さく聞こえた。


 ――……くそ、ここまでお預けくらうんなら、しまいにゃ俺でも浮気すんぞ。


 シアンはたちまち眉を吊り上げる。

 その雰囲気を察したのか、ドアの向こうでデイーがすぐに弁解した。


 ――……いや、ごめん。嘘です。冗談です。しません。する勇気もないですから。俺の生まれたとこじゃ、それ、死罪だから。


 ぷ、とシアンは噴き出す。


 ――……じゃあ、また明日。迎えに来るから。


 あきらめたようにデイーは声質を変えると、ドア前から立ち去って行った。



 あいつ。

 女心が分かってねーんだよなあ。


 はあ、とシアンはため息をついて、ドアに額を押し付けた。


 分っかんねーのかな。


 お前にとって、オレはいつまでたっても『綺麗なおねーさん』でいたいんだよ。

 今の身体をお前に見られたくないっつの。


 それがお前とボスとの差、なんだよ。

 それが、分かんねーんだもんなあ、あいつには。




 ……とりあえず、腹を引き締めなきゃ。


 シアンはもう一度ため息をついて自らのお腹を見下ろすと。

 シャワーを浴びるためにゆっくりと浴室に向かって歩き出したのだった。



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