夏の練習とお弁当
夏のエアコンなしの室内で窓を閉め切るとどうなるか?
簡単に言えば蒸し風呂だ。絶え間なく降り注ぐ夏の熱線のせいでどんどん室内は温度が上がる。
昔はそんな馬鹿みたいな環境で練習してたな……。音程はどんどん上がるわ熱中症でぶっ倒れそうになるわで大変大変……。良く生きてたな、僕。
しかし、今居る環境はそうではない。それに似た環境ではあるけれど。
座っているのは松ヶ崎高校、2年3組に置いてある誰かの椅子。窓は前回に開け放たれており、そよ風が舞い込んでくる。
ここは夏はじめっとしている太平洋型の気候だ。
窓が開いているということはエアコンはない。この学校の普通教室にはエアコンは付いていないのだ。
そんな状況で僕が何をしているかと言うと、練習をしているのだ。
僕の腕には金色のうねった金属の塊、アルトサックスがある。そして僕の前の机には楽譜が置いてある。
つまり、吹奏楽部の練習だ。少し安直かもしれないが。
僕は中学からのなごりというか流れで吹奏楽部を続けている。ちなみに楽器も変わっていない。中学の3年間(正確には引退が秋だったので2年半)の経験はそう簡単には捨てられないということだ。
「おーい、佐伯くん。何ぼーっとしてんの?」
「……ああ、ごめん」
「あれか? 彼女のことか? まったく練習中に――」
「違うから」
「何でもいいけど、
「
「いいでしょ、基礎練なら楽譜いらないし」
「そうなのか……?」
「わからん」
山梨は長い黒髪を耳にかけ直しアルトサックスを吹きながら文庫本に目を通し始める。出てくる音色が綺麗なので文句が言えない。
三上がテナーサックスを手に持ったままため息をついた。わかるぞ。よくわかる。
まあ山梨の言うことは間違ってない。吹奏楽で求められるのは基本的に音程の正確さとリズムの正確さ、そして周りとのバランスだ。パート練習では周りとのバランスは求められない。だからといって本を読むのはどうかとも思うが。
「まあ、諦めて練習しよ」
「そうだな」
軽く音を出し今日の調子を確かめる。不思議なのが自分の調子によって楽器の音質も変わることだ。今日は悪くない。最高でもないけれど。
「そういやお前、彼女とはどうなの? クラリネットの相川さんだっけ?」
三上、練習しろ。こっちに興味を向けるな。
僕は無視して基礎練を始める。
「……山梨、佐伯に無視されたんだけど」
「三上くんがしつこいのがいけない。そんなんだから彼女ができないのよ」
「そんなぁ……ってお前だって彼氏いないじゃねえか」
「私は彼氏より旦那が欲しいから16歳まで待ってるの」
「なんだその微妙な差は……。別に婚約者で彼氏作ってもいいんじゃない?」
「私は彼氏彼女とかいう体の関係は嫌なの」
「うわ、すごいこと言うな……」
「三上、そういう気持ちを捨てないと彼女はできないかもな」
「お前、彼女いるからって……」
「実際僕にそういう気はなかったし?」
「こいつ聖人ぶりやがって!」
「はいはい三上くんこっちおいで。よしよししてあげるから」
「俺は幼稚園児かっ」
「仕方ないな、私が出向いてあげるわよ」
「そういう問題じゃ……って本当にやるの?」
「うん。前から三上くんの髪は触ってみたかったから」
「三上の髪、柔らかそうだもんな」
「佐伯っ、お前まで」
「僕は触らないよ、男同士でやってもうれしくないし」
「ねえ、やっていい?」
「そんなキラキラした目を向けられたら断れませんから。……どうぞ」
「…………柔らかいね気持ちいい」
「猫っ毛だからな」
「ちょっと茶色い? いいなぁ私真っ黒だから」
「黒のほうがいいだろ、山梨は黒のほうがいい」
「……ありがと。髪の毛持って帰っていい?」
「何する気だ! やめろ!」
「やっぱりダメよね。これ地毛?」
「地毛だよ」
「本当に?」
「本当」
「そこまで疑うなら調べればいいだろ?」
「佐伯、何か知ってるのか?」
「サックスパートの知識袋にはこの問題を解決する方法があります」
「どうするの?」
「いち、髪の根元と毛先を比べる」
「ん――……そんなに変わらない」
「に、目の色と髪の色を比べる」
「三上くん、こっち向いて」
「はい……」
「…………同じよ」
「じゃあ地毛だ。三上良かったな、間近で美人の顔を拝めて」
「佐伯っ」「佐伯くん何をっ」
「二人とも顔真っ赤だぞ」
「「うるさい……」」
二人とも声に迫力がない。してやったり、という感じだ。
さ、静かになったし練習するか。
アルトサックスを構えて練習している曲を吹く。曲は有名なJ-POPのだ。
「佐伯、どうして目の色で地毛かどうかわかるんだ?」
10分ほど経ってから三上が聞いてくる。
「人にはそれぞれ色が決まっていてそれによって目の色や髪の色が決まる。日本人は金髪とかブロンドとかはいないからだいたい目の色と髪の色が一致するんだよ」
「へえ、じゃあ欧米の金髪碧眼ってのは?」
「多分色がない人なんだよ。髪のもともとの色が金で目のもともとの色が碧なんだと思う」
「さすがサックスパートの知識袋ね」
その時教室の前のドアが音を立てて開いた。
「先輩がいないからってまた練習してない……」
「相川、どうした?」
「お、彼女さん登場」
「やめなさい」
相川が顔だけ覗かせて呆れ顔でこっちを見る。そして手招きをする。
「そろそろお昼だから佐伯くん一緒にどう?」
「もうそんな時間か、わかった」
「いってらー」
「いってらっしゃい。私たちもお弁当食べちゃいましょ」
「そうだな」
あの二人も仲が悪いわけではない。ただ
「どこで食べる?」
「屋上は暑かったよな。とすると空き教室か」
「そうなるね」
どこのパートからも離れている教室を探して校舎を探索する。
楽器保管場所が1階なので必然的にパート練習の場所は下の方に集まる。すると開いているのは上の階が多いだろう、ということで階段を上っている。
「ここでいいか?」
「うん」
結局4階まで上がってきてしまった。
熱気というものは上に上がるものでサックスパートの2階よりかなり暑い。
早速教室の窓を開けて空気を入れ替える。
そして2つ並んでいる窓際の席に座る。相川も隣に腰掛ける。
妙に相川がそわそわしている。すると相川が机の上に包みを2つ出した。
「…………あのっ、佐伯くんにもお弁当作ってきたんだけど……佐伯くんも持ってきちゃったよね……」
手作り弁当だとっ……。これを逃すわけにはいかないっ。
「本当!? 作ってきてくれたの? 食べてもいいの?」
「でも佐伯くんのお弁当が……」
「こんなのは夜食べればいいよ」
「でも……」
「幸い保冷材はまだ凍ってるし、今日の夕食僕が当番だし。だからありがと」
相川が僕の目を驚いたように目を丸くして見て一瞬固まった後、「それなら……」と言って2つあるお弁当の1つを渡してくれる。
「いただきます」
きちんと手を合わせてから蓋を開ける。
「美味そう……」
「食べてみて? 一応自信作だから……」
「では……」
まずメインであろう豚肉の生姜焼きから。
…………濃い味で美味い。練習で疲れてる体には染みる。
「…………」
「…………」
黙り込んで黙々と食べてしまう。
弁当の中身が7割ほど無くなってやっと感想を口にした。
「美味い、相川料理できたんだな」
「出来ますよっ」
「これは……負けてるか……」
軽くショックだ。自分でも料理出来るつもりでいたのに……。
「負けてるって、佐伯くんも料理出来るの?」
「軽くは出来るけど……」
「む」
何故そこで顔をしかめる。
「僕が料理出来ると何か困るのか?」
「わたしの料理スキルの価値が相対的に下がっちゃうから……」
いや、相川のほうが料理上手いから。価値が下がることはないから。
……しかし本当に美味い。やっぱり真似できない。
「美味しい?」
「ああ、本当に美味い」
「それならいいよ」
そう言って相川は笑ってくれた。
やっと笑った。今日は一度も可愛らしい笑顔を見せてくれなかったのだ。
安心して僕も笑顔を浮かべる。
「お熱いね~ふたりとも」
「いい夫婦ね」
するといきなり廊下側から声がする。
一瞬で笑顔を引っ込めて、違う笑顔で二人に問いかける。
「いつからそこにいたのかな?」
「怖い、顔が怖いぞ」
「大丈夫、来たのはついさっきよ」
本当か? そう簡単に信じられないんだが。
ちなみに相川は羞恥からか耳まで赤くして俯いてしまっている。
「それより早く練習始めちゃおうぜ、また休憩時間が潰れるのは御免だ」
「今日はいいこと言うわね。そういうことだから佐伯くん、急いで」
「先に行ってろ。すぐ戻る」
「わかった、早く来いよ」
それだけ言って二人は大人しく帰ってくれた。
弁当は食べ終わっていることだし僕も行くか……――その前に。
「相川、弁当ありがと。美味しかった」
相川の頭を数回優しく撫でる。
すると彼女はこちらを見て、また顔を赤くした。
「じゃあ、また帰りに」
きちんと弁当箱を袋に包んで相川の前に置いて、自分の弁当箱を持ち、小走りでサックスパートのところへ向かった。
その後、残された相川が羞恥に悶えてしばらく動けなかったのを僕は知らない。
気弱な彼女の小さな秘密 赤崎シアン @shian_altosax
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