風邪は一種の自白剤

 春の晴れ間は温かく過ごしやすい。加えて今日は休日だ。桜はもう散ってしまったけれど外出するにはいい天気だろう。

 実際僕も外出中だ。別に公園や買い物に行くわけではないけれど。

 しかし過ごしやすい春にも欠点というものは存在する。

『花粉』だ。花粉症にはつらい季節。今年の花粉の量は去年の倍だそうだ。花粉症持ちでなくて本当に良かった。相川は目を赤くして常時マスク装備だった。


 基本的に僕は用がない限り外に出ない。中学の時は吹奏楽に入っていて土曜日は練習があったし日曜日も外に出て遊ぶ、ということはあまりなかった。

 休みの日はだいたい家で読書、ゲーム、サックスの自主練。友達と遊んだとしても近所の大型ショッピングセンターやカラオケが多かった。


 そんな出不精の僕が一人で外に出るというのは雪が降るくらい珍しい。

 ちゃんと理由はある。

 相川が風邪でダウンしたらしいのだ。金曜、帰宅したときに事切れたように寝込んだとか。

 そんな彼女のお見舞いだ。お土産に桃のゼリーを携えて。(桃のゼリーは相川のリクエストだ)

 一度相川の家にはお邪魔したことがあるので怪しまれることはないだろう。見舞いに行くと連絡もしてあるし。

 しかし今日は休日だ。お母様には顔を見せたがお父様がいるかもしれない。正直ちょっと不安だ。世の中頭の固い男はまだまだ多い。それに当たらないといいけど。


 物思いにふけっている時ほど時間というものは早く進むもので、もう相川邸に着いてしまった。

 茶色の屋根のお洒落な1軒家。2階建て。築10数年。


 一度深呼吸をして心を落ち着かせる。意を決してインターホンを押す。


『はーい』


 答えたのは女性の声。相川のお母さんだ。


「佐伯です。沙菜さんのお見舞いに来ました」

『佐伯くん!今開けるね』

「はい」


 すぐに玄関が開いてお母さんが顔を出す。


「いらっしゃい、上がって上がって」

「はい、お邪魔します」


 靴を脱いで上がらせてもらう。きちんと靴はそろえて。


「これ、桃のゼリーです」

「沙菜ったらちゃっかりなんだから。誰に似たんだか……」

「沙菜さんはどうしたんですか」

「今は寝てるから先にお茶でもどう?」

「そうします」


 お母様に先導されリビングに入る。


「座ってて」

「はい」


 食卓の椅子に座らせてもらって一息つく。

 全体的に綺麗で白い。清潔感あって過ごしやすい空間だ。……うちとは違って。


「沙菜ね、花粉症で弱ってるところに風邪もらっちゃってね花粉と風邪のダブルパンチ」

「それは災難な……」

「まあ、家の中にいれば花粉は入らないんだけどね」


 そう言ってお茶を出してくれる。


「ありがとうございます」

「いいえ、それで沙菜とはどうなの?」

「仲良くさせてもらってます」

「それは見ればわかるって。沙菜もよく笑うようになったし」

「それはよかったです」

「そうじゃなくて、どこまで進んだのってこと」

「どこまで……デートするくらい?」

「なんでそうピュアなのか……」


 ピュアなのか? 付き合ってまだ4ヶ月だぞ?

 何もなくたって不思議じゃないと思うが。


「中学からの付き合いですし、そう簡単に態度を変えられるわけでは……」

「もう高校生なんだから、佐伯くんもヘタレにはなりたくないでしょ?」


 うっ……。痛いところを的確に突いてくるな。


「別にヘタレなわけじゃなくて……」

「したいと思ったことないの? 男の子なのに?」

「それは……」


 旗色が悪い。ここは黙秘だ。黙っていればが出ることもないだろう。


「まあいいか。沙菜のとこ行ってきて。はい、これも」

「ゼリーも? 僕一人で?」

「そう、階段上がってすぐの部屋だから」


 僕にゼリーとスポーツドリンクを渡して手を振ってくる相川母。

 これは本気のようだ。


「スプーンはありますか?」

「あ、ちょっと待って」


 諦めて一人で行くことにしよう。この人には勝てない。


「はい、いってらっしゃい」

「お茶ありがとうございました」


 スプーンを受け取って相川の部屋に向かう。

 実にわかりやすくドアに看板がかかっていて『さなのへや』とある。思わず笑らってしまう。

 一応ノックしてみる。


「相川、入るよ」


 返事はない。まだ寝てるみたいだ。

 ドアを開けて中に入る。中は黄色やピンクが多くカラフルな印象だ。

 相川は静かに寝息を立てている。

 ゼリーとスポーツドリンクを空いている机の上に置いてベッドの傍に座って相川を眺める。

 本当にきれいな髪だよな……。茶色でさらさらしてて撫でたくなる。


 今ならバレない、なんて悪魔が囁いた気がしたけど踏みとどまる。

 恋愛感情を抜きにしても相川のことが好きなんだ。だから信用とかを失いたくない。




「ん……」


 相川の目が開いて起き上がろうとする。


「おはよう、相川」

「佐伯くん…………ん?」


 上体を起こした彼女は僕を見て目を丸くする。


「なんでいるの?」

「お見舞いだよ、スポドリ飲むか?」

「うん」


 机からスポドリを取ってキャップを開けて渡す。

 500mlのペットボトルなのに相川が持つと大きく見える。

 飲み終わってボトルを僕に寄越すと彼女の顔は少し赤かった。


「気分はどうだ?」

「ちょっと…………」

「なんだ?」

「着替えるから出てて……」

「病人なんだから大人しくしてろって。楽な服装のほうがいいよ」

「でも……」


 恥ずかしいのか彼女の耳がどんどん赤みを帯びてくる。


「気にしたら負けだって、病人なんだから仕方ない」

「……そんなにわたしのパジャマ姿が見たいの?」


 …………どうしてそういう結論になる。いや、見たくないと言えば嘘になるけど。


「黙るのはずるい」

「ごめん」

「じゃあわたしにそのゼリーを食べさせるのです」

「……仰せのままに」


 ボトルを置いて代わりにゼリーとスプーンを手に取る。

 ゼリーのラベルを剥いでゴミ箱に捨てる。


「相川、その口は」

「あーん」


 それをやれと言うのか。4ヶ月前まで彼女いない歴=年齢だった僕に。


「早く」

「……わかりました、お嬢様」


 なるようになれ、だ。

 恥ずかしさを無視してゼリーをすくってスプーンを差し出す。

 それに相川が食いつく。数回咀嚼して喉が動く。


「ん」

「まだやるんですか」

「全部食べさせて」


 食欲があるのはいいことだ。どうしてまだ執事プレイが続いているのか。

 もう一度ゼリーを相川の口まで運ぶ。

 なんだか餌付けしてる気分だ。


 それを20回ほど繰り返すとゼリーはすべて相川のお腹の中に収まった。


「ありがとう、たまにはこういうのも――」

「やりません。こっちの身が保たない」

「なんで、嬉しかったのに……」

「熱で羞恥心が吹っ飛んだんじゃないか?」


 最初からそうだが今日の相川はおかしい。僕の顔が赤いのに全く照れてないなんてどこがネジが吹っ飛んでるとしか思えない。


「わたし普通だよ?」

「首をかしげるな」


 可愛いじゃんか……。顔がどんどん熱を持っていく。


「やめろ。調子狂う」

「ちゃんとこっち向いて」


 相川の手が僕の顔を挟んで顔の向きを変えられる。


「…………」

「そこで黙るのは反則だろ」

「だって……」

「なんだ?」


 相川が手を胸の前で重ねる。これをやるときは何か不安があるときだ。


「佐伯くん、好き?」

「えっ?」

「わたしのこと好き?」

「そんなの――」

「ちゃんと言って」


 相川の目は真剣だ。真っ直ぐに僕の瞳を覗き込んでいる。

 そんな捨てれらた犬みたいな目を向けるな。言うから。

 息を吸って気持ちを落ち着ける。


「好きだよ。相川のこと好きだよ」

「ありがとう、わたしも好きだよ」


 相川のふにゃりと笑った笑顔に顔が赤くなる。

 やっぱり風邪でどこかおかしいんだ。照れない相川なんておかしい。


「安心した。寝てもいい?」

「いいよ」

「手、握ってて?」

「……わかった」


 相川の左手に僕の右手を持っていく。僕の手が柔らかく握られる。


「佐伯くんの手、冷たい」

「ごめん……」

「ううん、ひんやりして気持ちいい」

「それは良かった」


 体を僕のほうに向けて両手で僕の手を掴んでくる。

 わざわざこっち向かなくてもいいのに……。

 しばらくそうしているとインターホンが鳴った。誰か来たのだろうか。

 続いて玄関を開ける音、そして足音を殺そうとして殺しきれてない忍び足の音。


「誰か来たのかな?」

「そうみたいだね」


 明らかに怪しい。しかも足音は近づいてきている。

 近づいてきてわかった。1人じゃない。2人、いや普通の足音もあわせて3人。

 すると部屋のドアが開いてお母様が現れる。


「沙菜、お見舞いだって。あれ、手繋いで仲良し?」

「え? 誰と?」

「沙菜ちゃんが?」


 続いて出てきたのは女子の顔2つ。おそらく同年代。

 相川が体を起こしてドアのほうを向く。


「美樹ちゃん、琴葉ちゃん」

「おっはー、お見舞いに来たよ」

「私たちはいらなかったかもね?」

「沙菜ちゃん、手を繋いでいる男子は彼氏かな?」

「そうだよ?」

「ちょ、相川、離してもいいだろ」


 恥ずかしさのあまり手を離そうとするが相川が結構強い力で掴んで抜けない。

 なんで相川は笑顔で肯定できる。やっぱり風邪で羞恥心が吹っ飛んで……。


「沙菜にはお邪魔だったか」

「え、琴葉ちゃんちょっと」

「いいから邪魔しない」

「あ、じゃあ後でね?」

「うん」


 背が高くすらっとしたほうが背の低いほうを引っ張っていった。

 お母様も『ごめんね』と一言言ってテーブルの上に置いたままだったボトルとゼリーのカップを片付けていった。


「えっとさっきのは?」

「同じクラスの友達。小さいほうが美樹ちゃん。大きいほうが琴葉ちゃん」

「お見舞いに来てくれるくらいの友達ね。よかった」

「何が?」

「そろそろ話題も尽きてきただろ? 交代するのがいいかなって」

「いやだ……」


 見るからに不機嫌な顔をする相川。でもあの2人もこっちに来たいだろうし……。


「じゃあ、これで許して」

「え?」


 僕は相川の頬に軽く口づけする。やっぱり柔らかい。


「え? 今の……」

「じゃ、交代ね?」


 やんわりと手を離して逃げるように部屋を出てリビングに戻った。






 やっぱり顔が赤くなっており、それをお見舞いに来た2人にからかわれたことを一応記しておく。


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