お洒落な喫茶店
木のテーブルに木の椅子。おしゃれな雰囲気の店内に似合った白髪交じりのマスター。
どれも年季が入っていて僕なんかがいることが場違いに思える。
目の前に置かれたカップもおしゃれで少しだけ違う世界に来てしまったようだ。
「どう? 飲んでみた?」
「ああ、まだ」
相川に急かされカップを手に取る。
カップから出てくるにおいだけで家で飲むようなものとは違うとわかる。
カップを傾けて中身を口に入れ、飲み込む。
「おいしい」
「でしょ?」
コーヒーなのかというくらい飲みやすい。
苦みも酸味も強調されずにすっと体に染みてくる。
「こんなコーヒー初めてだ」
「ですって、マスター!」
「それは良かったです」
相川は嬉しそうに笑ってカップを握っている。
「それにしてもこんな店を知ってるなんて思わなかったよ」
「わたしも初めて来たときはこんな店があるなんて知らなかったよ」
この店――喫茶やなぎ――はなかなか見つかりにくい場所にある。
駅から歩いて10分なのだが路地裏に入らないと見えてこないのだ。
そのおかげか来る客は少なめなので静かで落ち着ける場所だ。今も僕らしかいない。
「どうやって知ったんだこの店。チラシも看板もないだろう?」
「お母さんに連れてきてもらったの」
「あの時は沙菜さんも小さかったですね。小学生になったくらいだったと思いますが?」
「そうそう、買い物帰りに『小学生になったから』ってここに連れてこられて」
「それから一か月に一回はいらっしゃいますね」
小学校に上がった時からって……ちょうど9年前。
「あっという間に大きくなりましたね」
「マスターは変わらないね」
こうして見ると孫とおじいちゃんみたいだ。歳もそんなものだろう。なんか微笑ましい。
コーヒーを啜って一息つく。
やっぱり相川はいい趣味してるな。
コーヒーのお代わりをもらって一口飲む。
「そういえば高校入学おめでとうございます。何か新しいことはありましたか?」
マスターがカップを拭きながら訊ねてくる。
「新しいクラスで友達出来ましたか?」
「小学生じゃないんだからできますっ」
今日は4月14日。入学式が終わって最初の土曜日だ。
無事に同じ松ヶ崎高校に入学することができた。
「佐伯くんこそ大丈夫? ぼっちになってない?」
「大丈夫、楽しくやれそうなグループに入れたよ」
「A組にもそういう人はいるんだね」
「C組は怖そうな先生だったけど」
「意外といい先生だったよ」
相川もうまくやれてるみたいだ。よかったよかった。
「佐伯くん、といいましたかな。同じ高校の友人でしたか」
「はい」
「沙菜さんにも男友達ができましたか」
「友達じゃなくて彼氏ですっ」
「それ怒るところか?」
「やっと彼氏ができましたか、よかったですね」
マスターが柔らかく笑う。つられて僕も笑ってしまう。
「なんで二人して笑うのよ……」
「いや、昔から相川はそうだったんだなって」
「む~~」
相川が不機嫌そうにコーヒーを飲む。
「どこの高校に行ったんですか?」
「松ヶ崎です」
「あの、私服登校の」
「はい」
松ヶ崎は結構自由な高校なのだ。校則も緩いし部活なども盛んだ。
「だからって全身黒で来たときはびっくりしたよ」
「入学式の日は何も無かったから次の日の自己紹介でインパクトを、と思って」
「それで成功したの?」
「半分成功、自己紹介で噛んじゃってある意味もう半分も成功」
「佐伯くんらしいといえばらしいかも」
ため息をついてくる相川。幸せ逃げるぞ。
「そういえば僕の孫も先日松ヶ崎に入学したはずですよ」
「本当に!?」
「すごい偶然ですね」
「男と女、どっちですか?」
「男ですね、名前は
「栗原……僕と同じクラスです」
「そうなの?」
「良ければ仲良くしてやってください」
「はい」
マスターは安心したように笑ってカップ磨きに戻っていった。
相川が身を乗り出してこっちに顔を近づけてくる。
「そういえばバレてない?」
「大丈夫だと思うよ」
「よかった……」
何がバレてないのかというと『僕たちが付き合っている』ことがバレていないかということだ。
入学する前、合格が決まった時に相川から言われたのだ。
理由は教えてくれなかった。多分恥ずかしいとか冷やかされたくないっていうのが理由だろう。
もしかしたら今聞いたら教えてくれるかもしれない。聞いてみよう。
「なんで言っちゃダメなんだ?」
「ええっと……」
「うちの学校、恋愛禁止じゃないしお母さんも許してくれたよね?」
「そうなんだけど……」
「じゃあなんで?」
お母さんは僕のではなく相川のお母さんだ。一度挨拶に行ってちゃんとお願いしたらあっさり許してくれて『沙菜やったじゃない!』と喜んでいた。
相川はたっぷり10秒ほど百面相したあと口を開いた。
「その……」
「うん」
「……わたしなんかが彼女じゃ佐伯くんが悪い思いをするかなって」
「なんで?」
「……だって幼児体形だし可愛くないし」
「十分可愛いじゃん」
「え?」
相川は意外そうな顔を向けてくる。
そんなに意外か? 今まで誰かに言われなかったのだろうか?
「可愛いって。化粧でごまかしてる奴らより絶対可愛い」
「……ほんとに?」
「本当に」
不安そうな顔がだんだん解けて笑顔になる。
その顔から涙がこぼれてくる。
「よかったよ~~」
「え、ちょ、泣くなって」
慌ててハンカチを差し出す。
相川が受け取ってすぐ目に当てる。
「だって、だってぇ……」
「だって、なに?」
優しい声色に変えて語りかける。
「今まで何も言ってくれなかったし、クラスメイトには化粧しようって言われるし……」
「大丈夫、そのままの相川が一番だから」
「うん……」
だんだん治まってくる泣き声。
「理由はどうであれ女の子を泣かせるのはダメですよ」
「マスター……」
「ちょっと長生きしている大人からのアドバイスです」
「はい」
「好きな女の子は大事にすること、不安にさせないこと、怒らせないこと。わかりましたか?」
「はい。覚えておきます」
「よろしい」
マスターは優しく頷いてくれる。
僕も頷き返す。
「もう、バカ……」
「ごめん」
ハンカチを差し出してくる。
受け取って相川の手を掴む。
「な、なに?」
「もう不安にさせないから」
「……本当に?」
「うん」
「わかった今回だけは許してあげる」
「ありがとう」
その時ドアベルが鳴り誰かが店に入ってきた。
「マスター、ブレンドちょうだい」
振り向いて確認すると背の高い若い女の人だった。
こっちに気付いたのか顔を向けてくる。
「あ、沙菜ちゃん来てたのね」
「百合さん!」
女性が相川に近づいてハイタッチをする。
「久しぶり。三ヶ月くらい?」
「多分そのくらいです」
「それでそっちの男の子は? 彼氏?」
「彼氏ですよ?」
「やったじゃん。沙菜ちゃんもそんな歳か」
「百合さんだって若いくせに」
「いいなぁ青春、戻りたい……」
そう言って相川の隣の席に腰掛けた。
女子同士はあんな速度で喋るのか……。全然追いつけなかったぞ。
「ねえ彼氏くん、沙菜ちゃんのどこに惚れたの?」
「そうですね。笑顔が可愛いところ、ですかね」
「いいねぇ。名前は?」
「さえ――」
「わたしの彼氏に気安く話しかけないでくださいっ。私が紹介します」
相川はお怒りのようだ。
こいするおとめ、と百合さんの口が動く。
「佐伯くん、こちら百合さん。わたしの女の子の先輩。百合さん、こちら佐伯くん。わたしの彼氏」
「よろしく」
「よろしくお願いします」
「佐伯くん、下の名前は?」
「
「花の名前ね。センスいいね」
「僕がつけたわけではないですよ」
「そうだけど似合ってるよ」
「ありがとうございます」
相川が不機嫌そうな顔で立ち上がり、空いている僕の隣の席に腰を下ろして僕の腕を掴む。
「どうした?」
「わたしの佐伯くんです」
「沙菜ちゃん、独占欲強すぎると逃げられるよ?」
「僕はこのくらいが安心できますよ」
「百合さんばっかりズルいです」
「私は人の彼氏を取ったりしないよ」
「わかってますけど……」
相川は手の力を強めて僕の腕を強く締める。
それは嬉しいのだが少し痛い。
「はい、ブレンドコーヒー」
「ありがとマスター」
百合さんは湯気が立つカップを傾け、眉一つ動かさず飲み込む。
「熱くないんですか?」
「私は熱いのと辛いのには昔から強いのよ」
「羨ましい……」
「沙菜ちゃんは熱いのも辛いのも苦手だったね」
「相川は見かけ通りこども――」
「子供っぽいですよっ」
怒ったようにこちらから顔を逸らしてしまう相川。
本当に怒っちゃったかな……。
「はい、生姜クッキーです」
「あ、マスターありがとう!」
急に顔色が変わって運ばれてきたクッキーに食いつく。
みるみるうちに相川の機嫌が戻っていく。
「沙菜ちゃん昔からこれ好きだったよね」
「はい、最初来た時もコーヒーは飲めなかったけどこれが美味しかったんです」
「じゃあ僕も一個」
一個もらって食べてみる。
上品な甘さと生姜の刺激がいい感じに組み合わさって美味しい。
クッキーを頬張る相川はハムスターみたいで可愛い。庇護欲が沸いてくる、そんな仕草だ。
僕の頬が緩んでいく。
「沙菜ちゃん、良かったね」
「はい、美味しいです」
「そっちじゃなくて」
そして百合さんは意味ありげにこっちに視線を寄越してきた。
しあわせもの、と口だけが動いているように見えた。
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