第13節「Welcome to the New World(後編)」

「何で…謝るの…」

「…」

「私は…私は綾野じゃない…」

「…」

「Xが綾野を助けるの…雪を殺して…綾野を…浩樹…」

「…」

「ゆき…わたし…こう、こうきを…あれ…?……わかんない……ゆき…わたしは…あ……あああああああ!」

 綾野はカクンと膝をついて座り込み、声を上げ、小さい子供のように泣き始めた。雪は綾野に背を向けた。自然と。

「あああああああ…」

 雪は自分の心に湧いてくる感情に名前をつけないよう必死だった。黒崎がよろよろと立ち上がってきた。

「…どうして宮前さんだと分かった?」

「…まず靴箱です」

「靴箱…?」

「昨日、私が帰るとき、綾野の靴箱には靴が入っていました。まず間違いなく私と浩樹とのやり取りは聞かれていたと思いました」

 黒崎は肩で息をしながら、妙に感心して聞いていた。

「あと、今日の森たちの一件の後です。教室に戻る途中、綾野と目が合った。でも、すぐに逸らしました。恐ろしくて…」

「恐ろしい?」

「わかったんです。普段どおりを装っているということが。危うさがあったんです」

 そんなことまで分かるものだろうか、と黒崎は思う。だが雪には分かるのだ。人の感情というものが、表情からよく読める。

「だが、森ではないという確証は無いだろう、どうして」

「森は小物です。もしヤツがXでも、本気で殺しなんかしません。というか、Xに選ばれた段階で学校をサボって街中で軽犯罪でもしまくるでしょう。今日学校に来たりしませんよ」

「…」

「…つまり、私の知り合いで、Xに選ばれたとき私を殺す可能性のある人間は………残念ながら……綾野だけです」

 雪は振り返り、綾野を見た。綾野はまだわあわあと泣いていた。

「素晴らしい推理だ…しかし…」

「…遅すぎました。何もかも」

「…また三人で仲良く出来る日が来るといいが」

「………」

 そのとき、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。黒崎が電柱のあたりを見上げると、監視カメラがあることに気がついた。どうやらオート通報システムが作動したらしい。

「まずいな…」

「え?すぐ救急車が来てくれますよ、先生」

「いや、この状況はおそらく…」

 そうこうしているうちに一気にサイレンが近くなり、数台のパトカーがぞろぞろとやってきて、三人の前で止まった。刑事が降りてきた。

「全員動くな!」

「あの、けが人が」

 雪が刑事に訴えると、その刑事は黒崎を一瞥し「もうすぐ救急車が来る」と告げた。数人の警官が雪を取り囲んだ。

「な、なんですか」

 さすがの雪もこれにはたじろいだ。

 先程の刑事が雪に言った。

「君をX妨害罪容疑で逮捕する」

「え!?」

 黒崎が声を上げる。

「彼女は無実だ!私は終始見ていた!」

「静かに!!…君はXによる行為を何らかの方法で止めた。これはX妨害罪に当たる可能性がある。よってこの場で緊急逮捕する。おい、手錠」

「私はXに声をかけただけです!こんな…」

 雪が抗議すると警察官二人に両腕を持たれてしまった。すると刑事が小声で喋ってきた。

「…まあ安心しなさい。証言してくれる人もいるようだし、たぶん起訴はされない。すぐ釈放されるよ。これはあくまで形式上の手続きなんだ。X関連は上も敏感でね…分かってくれ」

「そんな…」

 抗議虚しく、雪には手錠がかけられた。

「まさか生徒が手錠をかけられた姿を見ることになるとは…いてて!」

「よく折れずに済みましたね、これ」

 黒崎は警察官に応急処置をしてもらっていた。雪は、もはや声も上げずに呆然と座り込んでいる綾野を見た。

「…あの子はどうなるんですか」

「あの子は…今Xなんだろ?とにかくウチじゃ手出しできない。というか、Xには誰も手出しできんだろ。置いていくよ」

 雪はパトカーに乗せられた。黒崎はようやくやってきた救急車に乗って応急処置を受けていた。綾野はそのままで、誰も触れることができないまま、何かうわ言をつぶやいているようだった。

 雪は、一つの終わりを感じ取っていた。それは、友との幸せな時間の終わりとも、無垢でいられる時間の終わりとも思えた。

 パトカーが動き出した。

 雪は振り返り、リアウインドウから綾野の姿を見ていたが、見えなくなると前へ向き直り、目を閉じた。


 そしてでつぶやいた。「さよなら」と。


―――――それは、綾野だけに宛てた言葉ではない。

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ソクラテスの敗北 銀狼 @Silberwolf

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