首吊り台から
黒煙
第1話 首吊り台から
––––恥の多い人生を送ってきました。
今、私は天井にぶら下がっています。
縄との接合部分は首。
私のような臆病者がよく自○をなしえたと思います。
自分で自分に拍手を送りたい気分です。
享年25歳–––
とても苦しかったですが、今は楽になりました。
霊となり、私の精神のみが宙を舞っています。
そうなると、男としてまず思いつきそうなのが、女子更衣室や女湯を覗きに行くことに他ならないはずなのですが、肉体に関する欲求が全て欠落した今、そのことについて、私は考えが及びませんでした。
ただ、成し遂げた。やってしまった。そしてもうすぐ私の妻子が家に帰ってくることが、気がかりでなりませんでした。
あれほど、生前はこの時のことを想像していたのに、本当の瞬間になると人間は目を背けたくなるものですね。
彼らが帰ってくる前に私の残念な人生について少し話したいと思います。
–––––数年前。
「おーい、磯野。お前新曲書いてきたのかよ」
私、磯野はいわゆるバンドマンで、東京のライブハウスで月5本程度のライブをこなすアマチュアバンドでギターを弾いていました。
バンドの名前は「ザ・ブルーモンキーズ」。毎日男友達と酒とタバコに明け暮れる、結構リア充な生活を送っていました。死ぬ前の私を知る人々にとっては信じられないことだったでしょう。
男の友人は多かったものの、女関係は少々内気で、人生で付き合った女性は妻を含めて二人でした。一時は妻と結婚後にもかかわらず、バンドの打ち上げで女の子に手を出そうとしましたが、あえなく失敗に終わりました。死んで当然の人間ですね。
今より年齢的には少し若い、見た目にはだいぶ若い頃の私が言います。
「新曲できたけど、歌詞がまだ全部出来てなくてさ」
「それはできたって言わないんだよ」
私が話している男の名前は中嶋。このバンドのボーカル兼リーダーです。
他にもベースのノリスケさん(仮名)とドラムのタイ子さん(こちらも仮名)がいました。
作曲は私と中嶋の二人で行っていました。
出会いは18歳のとき。大学入学からの付き合いの私たち二人は、上下関係はあっても––––中嶋が上––––普通の友人関係には無い深いつながりがあると私は信じていました。
「ちゃんと次回のスタジオの時までには歌詞考えて来いよな」
つっけんどんな中嶋の言い方にも、どこか愛があると感じていた私でした。
その時私が付き合っていた彼女は中嶋のことを良く思っていませんでした。「性格が冷たいし、私に言わせれば歌もそんなにうまくないわ」ということですが、おそらく正確には私が彼女をなおざりにして、いつも中嶋よりに傾倒していたせいだと思われます。
そんなある日、私の彼女の妊娠が発覚しました。
実は彼女はイギリス人で、生まれてくる子はハーフにるのでした。
私はこのことをバンドメンバーに言うことができず、秘密にしていましたが、お腹の中の子は3ヶ月目で流産。手術の立会いと彼女のアフターケアでしばらくバンド練習を休まなければならなくなり、この時私はメンバーに告白したのでした。
彼らからのコメントは特になし。ただ「練習休みやがって」という言葉のみでした。
悲しみにくれる彼女をかわいそうに思っていた矢先、その後彼女がまたすぐに妊娠。
あろうことか、私はまたしてもこのことをバンドメンバーには言えず、出産ギリギリまで秘密にしていました。なんという後出しジャンケンなのでしょう。
思うに、私はバンドで心から成功しようとする思いがなかったのでしょう。今白状すると、20代後半あたりまでバンドをやって、どうせ売れないんだからその後サラリーマンにでもなろうと考えていました。
その最中に妻に会いました。妻は私より10歳年上で正社員の高給取りでした。彼女がいれば、子供ができたとしても、バンドを続けられると考えた私––––。
金さえあればどうにかなると考えた私がいかに浅はかであったか、私はその後の人生を持って思い知らされることになるのでした。
私は当時大手会社で契約社員をしながらバンド活動をしていました。
子供が生まれても一向に正社員になろうという気がない私を不快に思った同僚たち。
私は全社員から総スカンをくらいました。いや、あれはただの私の思い込みだったのでしょうか。全てが統合失調症の症状だったのでしょうか。
そして、バンドでは練習量が足りない私に対して、ドラムのタイ子が罵声を浴びせ始めました。
根が臆病な私は、自分の状況に完全に臆してしまいました。
ある日突然口臭がひどい匂いになったりもしました。
会社で全ての人が私の悪口を言っているように思えたのです。
会社でも、バンドでも干された私は、人として絶対にやってはいけないことをしてしまいました。
私はバンド練習をドタキャンし、携帯の電源もオフにし、バンドメンバーからの連絡を一切断ってしまいました。人間とは脆いものです。いや、私が脆すぎたのでしょう。何年も苦楽を共にした仲間をそんな形で裏切ってしまうなんて。
お世話になっていたライブハウスにも迷惑をかけることになりました。
行きつけのライブハウスで、1年かけてのイベントを続けていた最中でした。
ライブハウスの店長には大変迷惑をかけました。いきなりいなくなるなんて、マジてキレたろうし、意味不明だったことでしょう。
私はヤクザの世界でいう「不義理」を犯してしまったのです。ある本で読んだところ、不義理を犯したヤクザには先はない。私は人間として、自分に先がないように思えました。
行き交う人々が全て敵に見えました。彼らが持っている傘で私の目玉を突こうとしているという妄想にとらわれました。
この頃、私は元仲間からの襲撃を恐れ、東京から別の県へ引っ越していました。とんだ臆病者だと思います。
しかし、新居でも、私の苦しみは終わりませんでした。
近所の人々から監視されている妄想に囚われ、昼も夜も幻聴に悩まされる日々。
問答無用で成長していく我が子。
「子供がかわいそう」という世間の声に怯えました。
ハーフの子なのでお世辞でも何でもなく顔がかわいいのです。親バカでなしに、世界一かわいい赤ちゃんと言っても過言ではないくらいに。
こんなかわいい子がいながら「死にたい」とはなんたることだ!
世間の声が聞こえてくるような毎日でした。
そして華やかだった東京での生活に思いを馳せる日々–––––
私はついに何も言葉を発せなくなりました。
そして大きな病院に連れて行かされました。
そこから家から近い中くらいの病院を紹介されました。
医者からの診断を経て、私は統合失調症と診断されました。
精神病院に入院している方々の名誉のため、これは私に限っての話だと断っておきますが、
私はきっと法には書いていない罪を犯したのでしょう。
バンドメンバー3人の人生を狂わせたのですから。
娑婆にはもういられない。
なので刑務所に入ることはできない代わりに精神病院に入ったのでしょう。
精神病院の中で育児も過去のことも忘れてゆっくりできると思いきや、そうは問屋がおろさない。
全くもって落ち着かない。気分転換にこち亀を読んでみようとしても何が描いてあるのか理解できない。
夜になり、私はただ死ぬことばかりを考えていました。
ふと自分の部屋番号を見ると「125」でした。
「ひとふこう」→「人不幸」と読めました。
ああ、自分は人の人生を不幸にしてしまう悪魔なんだと思い込みました。
一刻も早く死ななければ。
どこかに拳銃はないか。あれば一発で頭を打ち抜けるのに。
試しに息を長く止めて死ねるか試してみました。やっぱり死ねませんでした。
そんな毎日を病院で過ごしていましたが、そのうち外へ出たくなるようになりました。そしたらなぜか退院することができました。
退院しても毎日死にたいことの連続でした。
近所付き合いも糞もありませんでした。
2階のベランダから飛び降りようとしたこともありました。
手首をナイフで切ろうとしたこともありました。
そして、何回の試みのうち、私はついにこの人生を終わらせることに成功したのです。
もうそろそろ妻子が帰ってくるころです。
この文章は遺書なのでしょうか。小説なのでしょうか。
何だかわかりません。
今、私がぶら下がっている部屋のドアが開こうとしています。
みなさんの人生は幸福なものでありますように。
それでは皆さんさようなら。
–––––––完
首吊り台から 黒煙 @maruyasu1984
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