訣:赤別

 迷いなく。

 容赦なく。

 ただ速く、無駄なく。

 兵たちの生き血を氷錐ひぎりに吸わせていく。

 駆け付けてきた十数人を八郎はちろうと共に続けざまに斬り伏せた所で、声を掛ける。

「八郎、後はお願い」

「おう、任せろ」


 生き血をふんだんに吸った氷錐に、さらに緋桐ひぎり自身の血を吸わせ、唱える。

「奮い給え、いざ存分に――烈式はげしき!」

 束の間、込められた御霊みたまの力をさらに強く解き放つ術だ。

 代償として、激しい痛みと衝動に理性が蝕まれそうになる――だが。

 

 とん、と。

 荒く呼吸する緋桐の背中に、八郎が背中を合わせてきた。

 その温もりに助けられ、心を落ち着け前を見据える。

「大丈夫。お前ならやれる、お前しかできない。あの子を救ってやれ」

「うん、待ってて」

「よし――行けぇええっ!!」


 痛みをねじ伏せるように雄叫びを上げながら、穂垂ほたるへと駆ける。

 気づいた穂垂が打刀を突き出すと、炎の玉が矢のように飛び出した。

 躱しながら「氷龍ひりゅう」で撃ち返すと、穂垂は炎の壁を呼び出し、冷気を呑み込む。

 だが、その瞬間には次の術の準備ができていた。

雪壁せっぺき、」

 数歩先にそそり立った雪の壁。

雪砲せつほう

 その壁から雪玉が飛び出したときには、緋桐は一つ横の廊下を疾駆していた。居場所を欺く狙いの通り、元いた場所を炎が奔り抜ける音。その隙に緋桐は、邪魔されずに間合いを詰める――この辺りか。


 壁越しに術を放とうと構えるが、それより先に爆発の予兆。横っ飛びに避けると、足の先を爆炎が掠めていった。

 奇襲は失敗したが、数歩先には穂垂がいる。危機だが、それ以上の好機だ。

「はあっ!」

 苦無を投げ、同時に「氷風ひかぜ」を放つ。二段構えの攻めから間を置かず、別の角度から斬りかかる。

 立て続けの攻撃を浴びて姿勢を崩していた穂垂は、それでも緋桐に反応してみせた。小さな体に不釣り合いな打刀で鎌を受け、押し返す。


「解き放ちに来たよ、穂垂」

「……だめ、ねえさま。ころし、ちゃう」

 穂垂はそう訴えながらも、打刀を振りかぶる。

 童ではあり得ない、鋭く重い剣筋。しかし緋桐を捉えることは叶わない。

 さらに一振りするも、力が乗る前に緋桐の鎌に受けられる。

 斬り合いでは敵わないと悟ったのか、炎を放つべく霊気を練る。


 だが、この間合いでは体術の方が早い。

 緋桐は穂垂の左手首を捩じり折り、

「――があっ」

 もがくように振り回された打刀を躱すと、穂垂の両の足首を切り裂く。

「――っ!!」

 支えを失い、悲鳴を上げる喉すら潰れながら。

 埋め込まれた魂は、なおも体に止まることを許さない。

 再び喚び出した炎は、今度は形を得たが。

凍吹いぶき

 氷錐の放つ冷気に掻き消される。

 緋桐はそのまま、穂垂の右腕を鎌で刺し貫いた。

 穂垂は打刀を落とし、倒れ伏す。


 振り向くと、宇雀うざく鹿鋸かのこも他の兵を倒しきったようだった。

「鹿鋸……せめて安らかに、逝かせてあげよう」

 鹿鋸は頷くとこちらに駆け寄り、先に針のついた管を取り出した。針を穂垂の首にあてがい、管の入った薬を注ぎ入れる。

麻夢あさゆめ。一番強い痛み止めだよ」

 鹿鋸に礼を言ってから、穂垂を抱き寄せた。

 絶え絶えだった呼吸が、少しずつ落ち着いていく。

 

 自らの手で無残に切り裂いた、小さな体。

 本当は、ひと思いに殺すべきだったのかもしれないけど。


 助けられないならせめて、最後の刹那だけでも、「君の」言葉を聞きたかった。

 そんな我が儘。


「ごめんね、穂垂。守れなくて、助けられなくて」

 遠いあの頃。花を映し、空を映し、大切な人たちを映していた瞳が宿す絶望を見つめながら。

 なんの意味もない詫びの言葉を、それでも口にする。

「痛かったよね、苦しかったよね。ちゃんと、生きていたかったよね」

「……ねえさま。泣かないで」

 穂垂が言葉を絞りだす。

「止めにきてくれたのが、ねえさまで良かったから」

 

 どうして。

 どうして君が、そんなに強くなってしまったの。


「この霊刃で。たくさん、殺しちゃった。燃やしちゃった……里のみんな、許してくれるかな」

「当たり前でしょ。許せない人間は大勢いるけど、穂垂は違うよ」

「良かった……じゃあ、地獄には連れていかれない?」

「うん。穂垂の魂はね、里に戻ってくるの。風になって、花になって、稲穂になって。ずっと、みんなと一緒にいるんだよ」

「よか、った……」


 穂垂は目を見開くと、涙を零しながら緋桐に告げる。


「ねえ。ほたるの中のあいつ、まだ暴れようとしてる……」

 その言葉に、床に転がる打刀を見ると。持ち主の手から離れても尚、穂垂の命を絞り尽くして術を放たせようとしているようだ。

「あの子の命が果てるまで止まるまい、身借廻みがりまわしとはそういうものだ」

「……はい」

 

 傷と火の痕にまみれた、穂垂の顔を撫でる。

「お願い、ねえさま。ほたるを、終わらせて」

 頷いてから、氷錐を抜く。

「さよなら、穂垂――里で待ってるよ」

 

 口づけてから、穂垂の背中に氷錐を突き立てる。

 霜送そうそう

 体の全てを凍らせて、無数の氷の粒として空に送る。

 もう誰にも、君の体を渡さない。


 煌めく氷の粒が夜空に旅立っていくのを、ずっと見つめていたかったのだが。


「退きましょう!」

 敵を食い止めていた八郎はちろうと、加勢に行っていたらしい鹿鋸が駆け戻ってくる。

「まだ押し寄せてきます、防ぎきれません」

 だが後方からも、さらに大勢の足音。

 ――まだ、殺せと言うのか。


 巡り合わせへの怒りを覚えながら、血路を開くべく立ち上がる。そして、穂垂が使っていた打刀を拾い上げたその時、不思議なことが起きた。

 氷錐と打刀が求め合うかのように、蒼と紅の光の糸を伸ばし合っていたのだ。

 手から伝わるのは、再会を喜ぶかのような御霊の声。

「この刀……まさか」

 呟いたそのとき。


「おうらあっ!」

 怒号と共に、屋敷の壁が打ち砕かれる。土煙と共に姿を表したのは、怪力の大男、玖滝くだき

 そして彼が担いでいたのは、敵将の奥我おうがだった。


「玖滝、そいつはどうした」

「待たせて悪かったなあ、手土産だ。おら立て、殿様よ」

 玖滝に放り出された丸腰の奥我は、怒りに目を血走らせながらも、逆らわずに立ち上がった。玖滝は宇雀に耳打ちをしている。


 間もなく押し寄せてきた兵たちは、奥我の姿を目にして驚いたように足を止める。


「者ども、聞くがよい!」

 奥我は堂々とした声で、配下の兵へ呼びかける。


「お主らよ、これまでご苦労であった。この日を以て、余は将の座を退く」

 

 その場の全員が、驚きのあまり声も出ずに立ち尽くす。

「まずは城に戻れ。蓄えていた財は平等に行き渡るよう、石鳴いしなりに言い置いてある。そこから先は好きにせよ、別の将に従うもよし、故郷に帰るもよし。だが、余に関わることは禁ずる。よいな?」

 静寂を受けて、奥我は再び問う。

「よいな?」

 これまでの癖なのだろう、あちこちで承服の声が響く。


「では、行くぞ」

 宇雀は告げると、奥我を伴って歩き出した。緋桐たちも、半ば呆然としながらそれに続く。

 屋敷を出た辺りで、どよめきが広がるのがようやく聞こえてきた。


「全く。余にこのような恥をかかせるなど、身の程を知れ」

 そう吐き捨てた奥我の声に、やっと我に返ると共に、怒りが沸き立つ。

 お前のせいで。あの子は。


「――貴様!」

 煮える憎しみのまま、鎌に手をかけ飛びかかろうとすると。

「はい、待ちいっ!」

 背後から抱きついてきた何者かに制止される。

「……千隼ちはや

 離れて戦っていた彼女は、にっと笑う。

「お疲れ緋桐、怒るのは分かるけど話聞こ?」

 怒りに何とか蓋をして頷く。

「では隊長、お話して宜しいですか」

「ああ、頼む」


「私と玖滝は、宵知よいちの弓に助けられながら、なんとか奥我の護衛を蹴散らして彼を捕らえました。殺すこともできたのですが、色々と情報を握っていそうなので捕らえた方が有益と考えまして。そこから先は、殺さない代わりに我らに従え、そう説き伏せまして」

「嘘をつくな。従わねば霊刃衆の全力で余の一族をなぶり殺しにすると、そう脅したであろう」

 奥我の指摘に、宇雀は呆れた顔をする。

「お前、どんな出まかせを……」

「少ない犠牲で済んだのだから上々でしょう」

 千隼は愉快そうに笑ってみせた。


「皆さま、よくぞご無事で!」

「おうお前ら、ご苦労さん……なんだその獲物は!?」

 行く先からは宵知と、八番隊の面々が手を振っている。どうやら、全員無事らしい。


 安心して。

 安心して、それで堰が切れたようだった。


「隊長。皆が揃った所ですし、傷の手当てを始めても良いのでは」

「そうだな。一休みだ」

「鹿鋸、薬くれ……緋桐、手伝ってやるから行くぞ」

 八郎はそう言うと、手を引いて一行から離れていく。

 ……見かねた八郎が気を利かせてくれたのだと、やっと気づいた。


 しばらく歩いた所で、足が動かなくなる。戦いの疲れは、思っていたよりも深そうだ。

「ねえ、おぶって」

「はいよ」

「今だけはさ。私の名前で呼んで」

「ああ……頑張ったな、明鐘あかね

 呼びかける声も、背負われる温もりも、昔に戻ったかのようだった。


 今なら、許されるだろうか。

 緋桐という役目と引き換えに捨てた、泣き虫な自分だって。

「泣いて、いい?」

「……明鐘の気が済むまで泣いとけ」


 何度もこみ上げていた想いが。

 そのたびに封じ込めてきた痛みが。

 涙になって、叫びになって、心からあふれ出る。


 死なせたくなかったのに。

 殺したくはなかったのに。

 離れたくなかったのに。

 守りたかったのに。

 一緒に、帰りたかったのに。


 言葉にまとまらないまま訴えながら、八郎の背中で幼子のように泣きじゃくる。

 また戻るから。「緋桐」に戻ったら、そのときは泣かないから。


 今はただ、ひとりの泣き虫な少女でいたかった。


 やがて辿りついた沢のほとりで、傷の手当てを受ける。

「少しは気が軽くなったか?」

「おかげでね……八郎が一緒でよかった」

「そりゃどうも。しかしこんな傷ついて、よく無事だったな」

「こんな傷だらけ体じゃ、抱きたくなくなる?」

「傷だらけだからこそ愛おしくなるって言ったら笑うか」

「……物好きだね、十何年間も」

「お前こそな」


 手当てが終わって、傷の痛みが引いていき――そこで、思い出す。

 穂垂が用いていた、炎を喚ぶ打刀。

 氷錐と共に手に取ったときの、あの光からすると、きっとこの一振りは。


「やっぱり。『火斬ひぎり』だ」

 柄頭に彫られた紋で確信が持てた。


 かつて氷錐と共に一対の霊刃として鍛えられ、やがて消失した火斬。

 どういう道筋を経てか奥我軍の手元に渡っていたのだろう。それを取り戻せたということは、「緋桐」の本来の姿になり得るということで。

「見つかったなら、親父さん喜ぶんじゃねえのか」

「だといいけど……こんな形で出会いたくは、なかったかな」

「別れに思いつめすぎるな。きっとこの先、出会いより別れの方が多いんだ」

「分かってる……けど」

 

 初めての任務が終わったばかりで。道程は、きっとこれからの方がずっと長いから。

「ねえ、八郎」

「うん?」

 叶えられない痛みを知っても。それでも私は、約束をしたい。

 誰を喪ったとしても。それでもそばにいる人と生き続けていくための約束を。

「私が緋桐じゃなくなるまで……明鐘になるまで、そばにいてね」

 そのときまで、必ず生きて戦い抜くから。

「ああ。死ぬときは一緒だ」


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

霊刀少女伝 ヒギリ 市亀 @ichikame

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ