転:緋痛

「あかねねえさま。ほたるもいつか、さらわれちゃうの? さらわれて、わるい人にあやつられちゃうの?」

 夜空が燃える下。私が緋桐ひぎりになる前の、遠い日。

 幼い瞳にあふれるばかりの恐れをたたえた、君の声。

「大丈夫だよ。霊刃衆たまばしゅうのみんなは強い人ばっかりだし。もし穂垂ほたるがさらわれそうになっても、姉さまが守ってあげるから」

 いずれ霊刃を継いだとして。全てを守ることはできなくても、近しい人間のことならきっと守り抜けるようになるなんて。愚かしい自信を、私は純粋に信じていたのだ。

「……やくそく?」

「うん、約束」


 抱きしめながら交わした約束が。あんなにたやすく焼け落ちてしまうなんて知らずに。


 *


 屋敷の奥の広間。緋桐、八郎はちろう宇雀うざくの三人は、この任務の標的であった奥我おうがとその護衛たちと対峙していた。

 奥我の傍らには、霊刃とその使い手らしき人影。被せられた布のせいで人相は見えないが……かつて、里から攫われた者だろうか。

 だとすれば、どうか殺し合わずに済むように。


「余の兵どもの出迎えはどうであった。急な押しかける野暮な客にしては、なかなかのもてなしであったろう」

 奥我は守りを突破されたことを焦るでもなく、悠々と訊ねる。

「全くなってないな。兵が死なないよう力を注ぐのが将ではないのか」

 宇雀が答えると、奥我は口を歪める。

「ほほう、天下を見据える将の兵法は分からぬか……やはり片田舎の鬼どもは見方が狭いのう」

 兵の命を気にも留めず、嘲りと共に言う奥我を宇雀は無視する。

「それより本題だ。貴様らが奪い弄んでいる霊刃と使い手、返してもらう」

「なんと性急なことよ……まあよい、まずは取引といこうではないか。その方、名は」

「――宇雀」

「ふむ、宇雀よ。我らは後数年のうちに、確実に天下を統べる。戦の絶えないこの世がひとつになるのだ、素晴らしい事とは思わんかね」

「そのために霊刃の力を使わせろ、か? 今更そんな理屈で我らがなびくとでも」

「偏屈な奴よのう……しかしここから余がのたまう旨は考えておるまい」

 奥我が右手を出すと、従者が器を差し出す。それを飲み干してから、奥我は話を続けた。


「宇雀よ。お主、海の向こうに何があると思う?」

 この大地を取り囲む、果てのない海。緋桐は海辺を歩いたことはあったが、海の上を渡ったことはない。漁師たちが船を出して魚を獲っていることこそ知っていたが、その先に進もうだなんて考えもしない。つまりは、世界の果てなのだ。

「さあな。海の果てにも人間の暮らす大地があるらしいが、そんなあやふやなことなど気に留めてなどおらぬ」

「左様か、では教えてやろう。この国から西へ、船でひと月ほど進んでいくとな。とてつもなく大きな陸があるのだ。この国が十あってもまだ足りぬほどの、広い広い大地だ。無論、想像の及ばぬほどの多くの人間が暮らしている。我らとは違う肌の色をし、違う言の葉を操る異人たちだ。

 その地ではかつて、多くの国どもが領土の拡大を目指して戦を続けていた。そのうちでもひときわ強い国が、他を従えるようになったのがついこの間のことなのだが……その強国が次に目を向けたのが、海の向こうのこの国なのだ」

「……何?」

 珍しく、宇雀が動揺を露わにする。

 緋桐だってそうだ。果てしなく広い海の向こうから異人たちがやってくるだなんて、想像すらできない。

「やはり初耳と見える。分かるであろう、この大地の内で争っている場合ではないのだ。早くこの国を統べ、真にこの国を脅かす異人の侵攻を打ち払う、強き力が必要なのだ……あるかも分からない神罰やいつ来るとも知れぬ鬼より、よほど備えるべき脅威ではあるまいか」


「……ふむ、なるほどな。よき学びとなった、礼を言うぞ」

 宇雀の言葉に、奥我は意外な顔をしたが。

「ご高説は終わりか? では先の話の続きだ。霊刃を返せ」

「貴様、余の言葉を何と――」

「我々は俗世の移ろいなどに縛られぬ!」

 どん、と。

 刀の石突を床に突き立てながら、宇雀は声を張り上げる。

「人の脅威なら、人が抗えばよい。だが鬼の脅威に抗えるのは霊刃のみだ……真に恐れるべきは、神の御心に人が背くことのみ」

 

 ――決裂が近い。

 予感を得た緋桐は、静かに霊気を練り始める。近い間合いは八郎に任せればよい、まず封じるのは奥我に付き従う弓衆。気取られないように体を動かさず、鞘に納めたままの氷錐ひぎりへ気を溜めていく。

 だが。


「――うが、ああ、」

 布を被せられ、鎖に繋がれた童が苦悶の声を上げている。その脇に立てかけられた打刀が震えていた、氷錐に呼応しての霊刃の共振だ。

 その場の人間が振動に気づいた、一瞬の静寂の後。


「討て」

「放て」

 同時に下される指令は、緋桐には声になる前に聞こえていたから。

「――冷帳ひとばり!」

 振り抜いた氷錐に合わせて、冷たい風の帳が吹き抜ける。矢を射ようとした兵たちが冷気に怯んだ一瞬の隙に、宇雀は奥我へと襲い掛かるが、身を挺した鎧武者に阻まれる。

 同時に八郎は広間の奥へと疾駆し、応戦しようとしていた兵を槍で横薙ぎに打ち倒す。


「鎖を外せ、壊れても構わぬゆえ霊刃衆を殺させろ」

 童を押さえつけていた者へ、奥我はそう命じた。そして護衛に守られながら、その場を出ていこうとしていた。

 奥我を追うか、霊刃使いと思しき童を抑えるか。

 迷いつつ、その童へと振り向くと。

 霊喚たまよびだろうか、術師らしき者たちが童を取り囲んでいた。そこへ引きずられていく、手足を縛られた人間たち、贄か……術を使わせてはならない。

 阻止しようと苦無を構えるが、左右から湧いてくる兵たちに阻まれた。その間をすり抜け、斬りつけながら必死に間合いを詰めようとするが。

 あと数歩の所で、術が放たれる前兆。

「来ます!!」

 離れて戦う二人へ呼びかけてから、目の前にいた兵を引き寄せ、盾とする。


 紅蓮が爆ぜ咲く。

 自身を囲む全てを焦がし、消し飛ばすように。


「――う、があっ」

 緋桐は炎の直撃こそ免れたものの、盾にした兵ごと爆風に吹き飛ばされていた。至る所で燃える火の熱さを堪えつつ、術を放った童へと駆け出す。

「目を覚ませ!」

 鎌を振りかざし飛びかかると、童は打刀でそれを受ける。反撃されるより速く腕を取り、軽い身体を床に叩きつけ。

 

 そこで初めて露わになった、童の素顔は。

「……え?」

 ここで相対する予期など一切していなかった、しかしずっと、緋桐の心の底で生きていた彼女の名は。

「ほた、る……?」

 穂垂ほたる

 なんで君が。

 こんな場所で。

 こんな姿で。

 こんな形で。

「あかね、ねえ、さま」

 

 今にも絶えてしまいそうなすり切れた声で、彼女は私を呼ぶ。

 呼びながら。

 握ったままの霊刃から、再び術を放とうとする。

「なんで、だめ、やめて穂垂……だめ!!」


 必死に制止を呼びかけるが、穂垂は苦しげに顔を歪ませながら首を振るばかりで。

 このままでは、緋桐も焼かれてしまうから。

「――ごめんね!」

 氷錐を、穂垂の足に突き立てる。

 絶叫に心が押しつぶされそうになるが、この痛みでは満足に術は使えないはずだ。

 ……はず、なのに。

 痛みに叫び続けながらも、穂垂はなおも霊気を練りはじめる。

「なんで、ねえ、なんで」

 霊刃の摂理を超えた光景と、かつての友の変わり果てた姿に、呆然と立ち尽くす緋桐。

 そこへ。

「おい、退くぞ!」

 八郎は緋桐を抱きかかえると、管槍を支えに跳び上がり、天井を突き破る。

 休むことなく天井裏を伝い、屋根に躍り出た次の瞬間。

 背後で再び、爆炎が轟いた。


「……落ち着け、緋桐」

「ごめん、ちょっと、このまま」

 屋根の上で八郎にすがりながら、緋桐はなんとか平静を取り戻そうとしていた。

「よく見えなかったんだが。あいつ、穂垂か」

「……うん」


 穂垂は、緋桐より六つ下。生まれたときから一緒に遊んでいた、妹のような存在だった。

 二年前、穂垂は九つのときに、忽然と姿を消して行方知れずになっていたのだが。

「あの子、霊刃との相性は全くなかったはずなのに……どうして」

「お前らとは別の摂理で動いて……いや、動かされているみたいだったな。それより、そろそろ動けるか? 隊長たちと合流しないと」

 頷くと、八郎と共に屋根の間を飛び移り、穂垂たちから離れてから光玉を打ち上げる。位置を知らせるための合図だ。

 ほどなくして、別経路で穂垂から逃れていた宇雀と、屋敷の外で戦っていた薬師くすし鹿鋸かのこがやってきた。合流後、屋敷の一室に身を隠す。

「鹿鋸、そちらの状況は」

「はい。陣の出口はあらかた、玖滝くだきさんと僕で潰しておきました。ついでに、馬小屋には眠り薬も仕込んであります。飛び回っていた千隼ちはやが逃げようとする奥我たちを見つけたようなので、玖滝さんと一緒に攻め立てています。宵知よいちさんもその援護に……この陣容であれば取り逃がすことはないと判断しましたが」

「だろうな。手当てに通じているお前がこちらに来たのも正解だ。それで緋桐、あの霊刃使いは」

「穂垂という娘です」

「……あの子か。本人の意志でなく、戦うことを強いられているように見受けられたが」

「強いられるというより、身体を動かす意志そのものが操られているように見受けられました。ひどく苦しそうですし」

「ねえ緋桐。穂垂自身が術を使っているように見えた?」

 鹿鋸の質問に、先ほどの記憶を辿る。

「霊刃が無理やり、穂垂に術を使わせている……なんて、あり得るの?」

「うん。もう一つ、穂垂は君のことを覚えていた?」

「あかね姉さまって呼んでくれた。そのすぐ後に殺しにきたけど」

 鹿鋸は頷くと、こう推論づけた。

身借廻みがりまわしではないでしょうか」

「なるほどな、合点がいく」

 宇雀はすぐに納得したようだが、緋桐と八郎にはよく分からない……どこかで聞いた、気もするのだが。


「じゃあ、手短に。御霊みたまに呼びかけるためには、霊刃衆の血が通った人間の身体が必要なんだ。けど、その人間が自分たち豪族に手を貸さないとしたら。

 意志を捻じ曲げるために、他人の魂を埋め込むんだ」

「埋め込む……?」

「そう。つまり穂垂には、奥我方の人間の魂が埋め込まれて、奥我はそれを通して穂垂を操っているんだ……だから、穂垂の心と埋め込まれた魂がせめぎ合っているはず」

「じゃあ……どうすれば、あの子を止められるの?」

 怖々と訊ねると、鹿鋸は困ったように答えた。

「一番確かなのは、穂垂が持っている霊刃を破壊すること。ただ、僕たちの使命を自ら裏切るようなことはできない」

「それは分かってる、術を解く方法は」

「身借廻の術は、施した人間にしか解けないらしいんだ。けど、奥我方の人間を説得するのは厳しいでしょう。霊刃衆の誰かが方法を見つけ出せるかもしれないから、無事に里に連れて帰れれば何とかなる、かも……」

 言い淀む鹿鋸を制して、宇雀が続ける。


「相対した六代目なら分かると思うが、穂垂はいま凄まじい痛みの中にあるはずだ。そもそも適性のない人間が、意に沿わず術を使わされているのだからな。大勢を巻き込みながら救う方法を探すよりは、この場で終わらせてやるべきだろう」

 終わらせる。それは、つまり。

「あの子を殺せってことですか」

「そうだ。初めに言っただろう、同胞だろうと殺すのもやむを得んと」

「けどあの子は!」

 言い争う場合ではないのだろう。

 それでも、このまま諦めたくはないんだ。

「……あの子は霊刃衆に背いてなんかないです。罪なんてないあの子を、それでも殺せと」

「よく聞け――」

 言い募る緋桐を、宇雀が叱責しようとしたが。


「敵です」

 見張っていた八郎が知らせるのと同時に、あちらでも発見を伝える声。

 悪態をつきながら、宇雀は指示を出す。

「奴らが集まる前に囲みを抜け、穂垂を止める。よいな、六代目」

「――はっ」

 想いを封じて承知し、戦いの準備を整えた瞬間。

 

「――!?」 

 緋桐たちのいた部屋の壁が、爆炎に呑まれ崩れ去る。


 転がりながら、崩れた壁の先を見ると。遠くには、足を引きずりながら打刀を構える穂垂の姿。緋桐たちの場所を知り、壁ごと吹き飛ばそうとしたのだろう。

 どうやら、覚悟を決めなければいけないらしい。

 ごめんね、穂垂。

 いま、楽にしてあげるから。


「あの子は我と鹿鋸で抑えておく。六代目は八郎と、後ろの雑兵から贄を集めておけ……行け!」

「はっ!」

 二方向へ、一斉に駆け出した。


 呪われた穂垂を、その苦しみから解き放つために。

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