それさえ分かればどこへ行っても

痛瀬河 病

第1話

三途の川を渡り、ふらふらと歩く冴えない中年の男は、ふと自分の人生を振り返る。


 思えばろくな人生じゃなかったと男はしみじみと考える。

四十過ぎても会社では、ろくな扱いもしてもらえずに、一昔前に、よく聞いた窓際族そのものであり、家に帰っても冷たい妻に最近ろくに口もきいてない娘……さんざんだ。


 挙句の果てに、こんな現状を少しでも変えようと、ようやく重い腰を上げ、夫に先立たれた母親と妻と娘を連れ山へピクニックに行ったら、どうなったと思う?


 山の中で一人遭難してしまい足を滑らせ谷底へ真っ逆さまといった具合だ。

 ……ほんとにろくなもんじゃない。

 でも、そんなことは、もういいのだと男は自分に言い聞かせる。

死ぬ前は、だれからも必要とされず役に立たなかった自分だが、もう死んでしまったのだから関係ない。

 今は、このまま自分は天国に行けるのかが問題だ。

自分は、日ごろから悪事など働いた覚えはないが、お袋より先に死んでしまったのはまずかったかもしれん。

親より先に死ぬのは大罪だと聞くし。

などと、小心者らしい考えを浮かべていたが、すぐにそれは杞憂に終わると男は知る。


 しばらく歩くと男の前に駅のホームのようなものが現れた。

何事かと男は思っていると、フードを深くかぶった男か女かもわからない小柄な人が近づいてきて明るい調子でこう言った。

「あっ、先ほど死んだ方ですね。天国本線と地獄本線は、あちらですのでどうぞ」

 当然、男の頭には疑問符が浮かぶ

「天国本線? 地獄本線? なんだいそれは?」

「簡単に言うと、天国本線のほうからくる電車に乗ると天国に行けて、地獄本線からくる電車に乗ると地獄に行けるというわけです」

 男の頭は、表面の髪こそ少ないものの中身はちゃんと詰まっていたため、何とか今言われたことを理解して質問を吐き出す。

「そんなシステムで地獄に行こうなんてやつはいるのかい? そもそも天国行きか地獄行きかは閻魔様が決めるんじゃなかったか?」

 フードの人は、得意げに語る。

「いや~、実はこっからがミソでしてね。あなたのおっしゃる通り普通、地獄行きの電車に乗りたがる奴なんていません。だから、少しこちらでルールを設けました」

「ルール? 」

 男はオウム返しに繰り返してしまう。

「そう、ルールです。なぁに簡単なことです。天国行きの電車はあなたの予想通り大人気です。だから、天国行きの電車の立ち乗りをご遠慮いただきました」

 男はいまいち要領を得ないといった感じでフードの人に尋ねる。

「それで何か、変わるのかい?」

 フードの人は快く答えてくれた。

「えぇ、変わりますとも変わりまくりますとも、何せ人ってやつは、たった一分間でも世界中で相当数、死にますからね。天国行きの電車の席に座れるまで何度も何度も繰り返されては、あっという間に駅前に人があふれてしまいますよ。だから、三回。天国行きの電車に乗る挑戦権は三回までとさせていただきます。三回、失敗されると問答無用で駅員に強制で地獄行きの電車に乗せられるので、気を付けてくださいよ。あっ地獄行きは立ち乗りどころか屋根の上だろうが自由に乗ってくださって結構ですよ」

男はやっと合点がいった。

確かにこのルールなら、いろいろ問題はあるが、ある程度均等に天国と地獄に分けられるだろう。

なんなら地獄のほうが少し多いくらいだ。

と男は思案していると、フードの人は、話はおしまいとばかりに両手でポンとかわいらしい音を鳴らすと

「まぁ話はこんなところです。後、駅のホームに入った時点で一回のカウントですから気を付けてください」

 そういうとフードの人は去り際にもう一言加える。

「そうそう、そういえば閻魔様なら人件費の都合で解雇されましたよ。あの人えらいですから、一人分でも結構あげないといけないんですよ」

 ニッシッシッと笑うとフードの人は、今度こそ本当に去っていった。

 さて、どうしよう普通なら体中の至る所にガタの着ている四十過ぎのおっさんなどに、かなり激しいと予想される天国行きをかけた椅子取りゲームなど、やる前から結果は見えているように感じる。

 しかし、不思議と男の顔に焦りの表情はない。

諦めたからではない。むしろ、その対極にすらあった。

男は、電車で席を確保することが何よりも得意などである。

運動も賢さもいまいちで、これといった趣味もないが、二十数年間繰り返してきた電車通勤により、電車での席をとることに関しては並々ならぬ自信があった。

男は、ラッキーだと思い小学校のころに給食にプリンが出た時以来のスキップをして駅のホームに向かう。



 駅のホームには、人があふれかえっていて、男は一瞬、腰が引ける。しばらくすると、どこからともなくアナウンスが聞こえてきた。

『間もなく、天国行き電車と地獄行き電車が到着します。お足元にお気をつけて、黄色い線より三メートルは、離れてお待ちください。あっ皆さん死んだから足ないんでしたっけ?』

 そう言ったアナウンスの声は、さっきのフードの人に似ている気がした。勿論、男にも他の人にも足はあるが、幽霊とかけての嫌味である。

 ジリリリリッと電車が来る音がする。


 その時、男は動いた。

 電車が来る前に電車のドアの前をとっておくのは、電車の席に座るためには当たり前である。

 しかし、それができたらみな苦労はしないだろう。朝の通勤ラッシュは、ものすごい人の量に前に進むのも困難である。

 そこで男の編み出した前進方法は、『貧血前進法』である。

貧血を装い前の人のほうに少し倒れこむのである。

これは、普通の人では、効果が薄い。

これは倒れこんでくるのが小汚いオッサンであるところにミソがある。

つまり、反射的に汚いと思ってしまい、よけてくれるのだ。

己を小汚いオッサンだと認める精神力。

そしてそれを最大限生かす図々しさにプラス加齢臭があれば完璧である。

 これを、少しずつ繰り返し前進していきベストポジションを確保する。

 そうこうしているうちに、電車が来る。

よく見ると、天国行きが三車両なのに対し地獄行きが十車両を超えている。

これでは、均等どころか地獄行きあからさまに増えていくであろう。

男は、それでも余裕を崩さずドアが開くのを待つ。

1,2,3,4フシューっと音とともにドアが開く。

 当然、男は電車が駅に止まってから、ドアがあくまでのタイミングはわかっている。

 ここで、多くの人がよく勘違いしているのが、あとは流れに沿うだけだと思っている点である。

それでは、たちまち流れに逆らう体格や力のある若者に席をとられてしまうだろう。

 ここで男は、勝つために禁じ手『瞬間静止法』を使う。

ドアが開いた瞬間、前のほうを確保している男は、前進せずに止まるのだ。

そうすることで、自分より後ろの流れがドミノのように、派生して止まる。

その瞬間、前に出るのだ。後ろが前進してくるのにラグが生まれる。

その間に、自分と前の数名で、その車両の席は、簡単に確保できる。

男は、フーッと息をつき席に座る。

 周りには、席につけず駅員に地獄行きのほうに連れられている人が溢れている。

その中に、一つ見たことのある顔があった。

 …………男の母親である。

「お袋!」

 思わず男は叫ぶ。男の母親と目が合う。

「……なんでこんなところに」

 絞り出すような声だった。男の母親の話を聞くに、男の死体が発見され男の母親はそれを直視してしまい。

ショック死してしまったのだという。

一通りの事情を聞くと駅員が、二人に声をかける。

「もういいか?」

 男は、少し考え席を立つ

「お袋、座ってくれ」

男はまだ二回も挑戦できるが、男の母親が何回目か知らないが、歳を考えると何度挑戦しても席は取れないだろうと思い、席を譲る。男の母親は、少し渋ったものの、男があとから必ず行くからと約束してなだめた。

 男は、席を譲ったことに対する後悔はなかった。

それどころか、まだ、文字通り死ぬほど自分を心配してくれている人が一人でもいてくれたことが嬉しかったのだ。だから、男は次の電車を待つ。



 次の電車の来るアナウンスが入った。

ここで男は、動く。

ここでも、男は生きている頃ならリスクの高い方法を使って前進を試みる。『痴漢法』である。

近くにいた元気のよさそうな女性の臀部に軽く触れる。そうすれば、どうだろう?

「キャー痴漢よー!」

 てな具合である。

あっという間に野次馬ができる。

男は、素早くその場から離れる。

野次馬の群れとは、近づくのは大変だが、離れるのは、これ以上ないくらい簡単である。

 そうして、騒ぎに乗じて電車のドアまで辿り着く。ドアが開いた瞬間に、今度は、流れを止めることができなかったのでスピード勝負に出る。

 ここで、ほかの人と同じことをしていては負けるので『前のめり法』である。

体の正面から椅子を抱え込むように、倒れこむのである。

人とは、習慣的に椅子に座るとき、体を反転させ臀部を向け、その状態で腰をおろして座る。

普通に考えて無駄だらけである。

体を反転させる時間、座る席が視認できなくなることなど電車の席取りでは命取りなのである。

 それらを、すべてカットした最速の座り方が『前のめり法』である。

男は席を確保して安堵する。多くのものが、駅員に地獄行き電車の方へ連れて行かれる中、見知った顔を目にする。

 …………男の妻である。

「涼子!」

 久しぶりに男は自分の妻の名を呼ぶ。男の妻が、こちらを振り向く。 

「なんで、こんなところにいるんだよ」

 自分の目を何度も疑ったが、まぎれもなく男の妻だった。

なぜここにいるのかと言う話を聞いて驚愕した。

男の妻は、遭難した男を探して自分が遭難してしまい、その中で崖の近くで足を滑らせ奇しくも男と同じ死因で死んでしまったのである。

 数分間の妻との話で、男は気付いてしまった。ここ数年、妻が冷たいと感じていたのには自分の非もあったのではないかと。仕事に、疲れ受け答えが淡白になってはいなかったかと。

今、目の前にいる妻は、結婚した当時と同じ、優しく、自分の身をだれよりも案じてくれる、そんな女ではないかと。

考えるまでもないと、男は席を立つ。

「涼子、座ってくれ」

 男の妻は絶対に嫌だと言ったが、あとから必ず行くといって男の妻を説得した。

こんなに気分良く電車で席を譲れたのは、初めてだった。こうして男は最後の電車を待つ。



 最後の電車を待っている時、男は、ふと一人の近しい人の顔が浮かんだ。

ここにいるはずのない顔だ。考えても仕方がないのだが、唯一の心残りである。

 ……気合を入れるため、男は表情を引き締める。もうじき電車が来る。

 ここで男は、セオリー通りの行動に出る。『金魚のフン法』である。

体格のいい若者を見つけ、その後ろにつく、単純だがかなり効く手である。

予想通り体格のいい若者は、ずんずん進んであっという間に電車のドアの前を確保する。

この時、体格は良くても気の弱い若者もいるため、選考には気をつけないといけないが今回は大丈夫だったようだ。

後は、『マーキング法』で席は取れるだろう。

 電車のドアが開いた。

その瞬間、男はあらかじめ脱いでおいた上着を近場の席に丸めて投げ捨てる。

ほかの乗客は、その席を取ろうとしない。

 そのすきに、男は上着を置いていた席に座る。

 男いわく電車の席取りとは一瞬の勝負なのだ。

さっき、置いていた上着も一分もすれば、ずうずうしい奴だと思われ、のけられてしまうかもしれないが十数秒なら大丈夫であろう。

 男は、その隙を突くのだった。

こうして、男は、何とか最後の天国行きの電車に乗れた。

その中、やはり多くのものは、地獄行きの電車のほうに連れて行かれている。

そこで、男は、あるはずのない顔を見てしまう。

先程、思い浮かべた顔だ。そして忘れるはずはない

 ……男の娘の顔である。

「……なんで」

 今、男が口にした言葉がどれほどの人に聞こえただろうか? 

男の口に、耳をくっつけても聞こえていたかわからない、そんなか細い声だった。

しかし、親子とは、不思議なもので、そんな声が聞こえたか、どうかは男の娘にしかわからないが、男の娘は、男のほうを振り向いたのだった。

「……お父さん」

 男の娘もまた、か細い声を絞り出す。

「どうしてここに来てしまったのか話してくれないか」

 男は、一つの覚悟とともに娘に問いかける。

そして、事情を聞いてみれば簡単なことだった。

なんてことはない、男の妻と同じように山で遭難した自分の父親を探して、ミイラ取りがミイラになってしまったのである。

 しかし、ここで一つの疑問が浮かんだ男は、男の娘に訪ねた。

なぜ、探しに来てくれたのかと、ここ何年も口すら聞いてないのだ。

愛想など、とっくにつき自分の父親の遭難など、どうでもいいと思われるのじゃないかと男は、考えていたからだ。

 しかし、ここでも答えは、簡単なものだった。

男の娘は、学校でイジメにあっていたのだ。 そのことを心配させまいと、距離をとってしまっただけなのだった。

 なんということだろう。男は、自分の愚かさに愕然とした。

すべて自分のせいではないかと、妻も娘も、どこにも非などない。

自分は、まだこんなにも人から愛されていたのに、それに気が付けないとは……男の覚悟は、行動に変わる。

「おまえは、ここに座りなさい。……父さんは、まだ(・・)二回目・・・なんだ。大丈夫すぐに追いつくから」

 そう言って座らせると、男の娘を乗せた天国行きの電車が出発した。

「三人には、嘘を言ってしまったな。最後の最後までダメな男だ」

男は、そう独り言をつぶやくと、まだ出発していない地獄行きの電車のほうに向かう。

「あら、先ほどの方じゃないですか。地獄行きのほうに自分から乗るやつは、いないみたいなこと言っておいて自分が地獄行きのほうに、乗ろうとしているじゃないですか」

 気が付くと最初に会ったフードの人がいた。

「どうやら、私は、こっちのほうが、お似合いのだったようだ」

 男は、静かに言った。フードな人が尋ねる。

「地獄が怖くないんですか?」

 やはり、男は、落ち着いた調子で答えた。

「私は、この駅で大切なことに気付けた。……いや、気付かされたんです。それさえわかれば、どこへいってもさほど怖くはないよ」

 フードの人は、最後に平凡な餞別の言葉を言った。

「そうですか、では、お気をつけて」

「ありがとう」

 そう言って男は、確かな足取りで地獄行きの電車に乗った。

その日も何十本と地獄行きの電車は、出たが男の顔は、その日、地獄行きの電車に乗った誰よりも、晴れ晴れとした顔だったという。

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