第11話

 この日も、サーシアにはいつも通りの時間が流れていた。

 ヴァンは小さな子供達に魔法の授業をしていた。子供達の親も、一緒に来て様子を見ていた。物干し竿にタオルが数枚かけてある。チェスカも手伝いに来ており、二人で用意したものだった。

「今日は風を起こしてみましょう。このタオルに触れずに、揺らして下さい」

 そう言うと、ヴァンは一枚のタオルに手を翳した。すると、他のタオルは変わりがないのに、その一枚のみが、ふらりとなびいた。子供達から、わあ、と歓声があがる。

「手を翳した時に、タオルが風で揺れているのを強くイメージして下さいね」

 子供達はそれぞれにタオルの前に立った。うーん、と唸ったり、首を捻ったりしながらも、タオルに手を向け奮闘している。それを親達が優しく見守っている。

「可愛いですね、皆。ねえ先生」

「そうですねえ」

 チェスカはヴァンを先生と呼んで話しかけた。ヴァンも目を細めて答える。

「やってるな、ヴァン」

「ああ、ヨンスさん」

 四十代程の男性が近寄ってきた。黒髪に手を突っ込んで頭をかいている。不精髭が生えておりだらしないように見えるが、彼も高い魔力を持っていた。今、村を守っている結界は、以前ドルジとヨンスで張ったものだった。

「よくやるなあ、全く」

「ヨンスさんも一緒にどうですか?」

「いいよ、絶対やだよ」

 強く拒否するヨンスに、ヴァンとチェスカが笑う。

 何の変哲もない、平和な日。

 そのはずだった。


 突然、異質な気配がした。

 ヴァンはすかさず辺りを見回す。強い魔力を持つなにかが、近づいている。

「なに?」

「こわいよ……」

 魔法を教わっていた子供達が、不安そうな声を落としていた。親は、自分の子供に駆け寄って抱きしめ宥めていたが、それでも気配に意識を集中させていた。

 子供も大人も、村にいる者全員が感じていた。明らかに異常だった。


 その原因は、突如現れた。


 ノーマが数体、目の前に出現した。

「なっ!?」

 ヴァンは驚愕し体を強張らせた。しかし、ヨンスと共に、すぐ怖がる子供の盾になるべく前に出た。チェスカも唖然としていたが、ヴァンの行動を見るや、我に返りヴァンに並んだ。

 周りからも慌てた声や悲鳴が聞こえる。家の中からもした。村の出入口、各家の中など、村のあらゆる場所に出現していた。獣型も人型も、何体もいた。建物を壊したり、村人に襲いかかったりしている。

「なんで……、結界があるのに……」

 チェスカが顔を青くして呟いた。全く予想もしていなかった出来事に、ノーマを前に立ち尽くしている。チェスカと同じ疑問を、ヴァンも持っていた。恐らく、村人全員がそう感じていた。


 ここにノーマが出現すること自体は、何もおかしくはなかった。ノーマや外部の者に村の姿は見えずとも、足を踏み入れることは出来るし、相手の姿をこちらからは見えているからだった。

 しかし、今ここにいるノーマ達は皆村人も建物も見えている。

 結界だって張ってあった。不備はなかった。破られた様子もない。結界が壊されないままに侵入されてしまっていた。

 まるで、村の者が外から帰ってくる時のように、ごく自然に中まで入ってきていた。

 その状況に、村人は誰もが、あり得ないと混乱していた。だがそれでも、魔力が強く魔法の精度も高い村人達は、招かれざる客を撃退すべく立ち向かった。

 ヴァン達二人も、ノーマを倒そうと魔法を使おうとした。


「く……っ」

 しかし、突然倦怠感が襲い、体が重くなる。上手く魔法を使うとことが出来ない。大きな火の玉を猛スピードで飛ばそうとしたのだが、消えかかった小さな火がふらふらと飛んだだけだった。

「なんか、体がおかしくないか」

「ええ、これは、一体……」

 ヨンスに同意しながら周りを見てみると、ほかの皆も魔法が弱くなっていたり、狙いが定まらなかったりしている。これはおかしい。ヴァンの頬を冷や汗が伝う。

「うわあ!」

「ぐうっ」

 あちこちから悲鳴が聞こえる。見ると、ノーマから攻撃され倒れている者や、地面に押さえつけられ苦しんでいる者がいた。抵抗しようにも、体に力が上手く入らないのだった。

「どうすれば……」

 あまりに想定外の事態に、何も打開策が思い浮かばない。それでも頭の中では懸命に探していた。ノーマと睨み合い、膠着状態が続いた。辺りは未だ騒然としているが、この場だけは無音の感覚があった。


 重い音が轟き、静寂を破った。

 誰もが動揺し、気配の出所であろう場所を向く。

 そこは、ヴァンも暮らしている、ドルジの家だった。


「ドルジさん!」

 ヴァンはほとんど叫び声を上げて、家に向かい走った。ヨンスもほとんど同時に走り出す。体の怠さなど、もはや気にしていられなかった。チェスカも必死に後に続く。村中から、ドルジの家まで人々が集まってきていた。ノーマの魔の手を掻い潜り、ようやく辿り着いたヴァンが、扉を開け放つ。

 

 息が上がっていたはずが、一瞬、呼吸が止まった。

 巨大な黒い影が、壁際で蠢いていた。ドルジの家は広く、天井も結構高いのだが、それでも入りきらずに背中を丸めている。そいつが、ヴァンの方を振り向いた。

 真っ黒な体の、恐ろしく大きなノーマだった。皮膚も、頭や背中に生えている毛もすべて黒いが、額の太い角は、瞳と同じ真紅だった。ノーマが体を動かしたことで、隠れていた向こう側が見えた。その光景に、ヴァンは目を見開いた。


 ノーマが壁に当てている太い指の隙間から、ドルジが辛うじて顔を出していた。体が潰されているのか、口から血が出た形跡がある。壁には、ドルジを中心に放射線状に亀裂が入っていた。

「ドルジさん!」

 ヴァンはまた苦しそうに叫び、ドルジに走り寄ろうとする。しかし、その体をヨンスや他の村人が押し留めた。

「駄目だ、危ない!」

「離して下さい! ドルジさんが!」

「早まるな!今の状態ではすぐやられてしまう」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう!」

 ヴァンは大声を上げ、静止を振りほどこうともがく。だが少しも緩まる様子はなかった。ノーマは他人事のようにただ眺めていた。


「意外と冷静ね。いい判断よ」

 いくつもの音がある中でもよく響く、艶めいた声がした。皆が一斉に前を見る。

 ヒールが床を叩く。ノーマの影から、一人の女性が現れた。

 緩くウェーブのかかった、背中まである長い紫の髪は、よく手入れされているようで柔らかく光っている。肩が露出したワインレッドのドレスは、細い体のラインがよくわかる造りをしていた。

「まだ他にもノーマがいたのか……」

 村人の一人が思わず洩らした。その村人を、女性の赤い目が捉える。

「そうよ。驚かせちゃったかしら?」

 からかうような口振りで笑いながら腕を組んだ。豊満な胸が一層強調される。その後ろで、獣型のノーマがドルジから手を離した。支えを失ったドルジは床に崩れ落ちる。走り寄ろうとするヴァンを、またヨンスが制した。そして問いかける。

「どうやってここに来た。一体、何が目的なんだ」

 ノーマは、紅い口元を開いた。

「一つ目の質問には、答えられないわね。でも、二つ目なら教えてあげる。これよ」

 獣型が数歩動いた。すると、その奥から得体の知れない物が姿を見せた。

 それは、巨大な壺のようなものだった。茶色く、口は広い。丸っこい形で、容量はとても多そうだった。

「貴方達の魔力を吸い上げて、この中に貯めるの。ここは質のいい魔力が手に入るって聞いたわ」

 そんなこと、誰に聞いたというのだろうか。自分達はひっそりと暮らしてきた。外に出るとすれば、たまに町に買い物に行く程度だ。そこで関わった誰かがノーマに情報を漏らしたのだろうか。しかし、村の場所を知る物はいないはずだ。サーシア出身の者以外には。

「まさか、誰か裏切り者でもいるっていうのか?」

 ヨンスが鋭い口調で投げ掛けた。しかし、女は声を出して笑った。

「そんなこと、私が貴方に答える義理あるかしら?」

 あしらわれたヨンスがより険しい顔になる。ヴァンも眉根を寄せた。女は肯定も否定もしていない。どちらの可能性もあるということだった。ヴァン達の頭にある疑問を無視し、女は満足げに壺を撫でる。

「これで私達はもっと強くなれる。貴方達のお陰でね」

 驚き動けないでいる人々に向かい、女は更に言葉を投げかける。

「そこのおじいさんには、ここでずっと魔力を垂れ流していてもらうわ。その為に殺さないでいてあげたのよ」

 ヴァンはすぐさまドルジに目をやった。深い傷を負ってはいるが、まだ生きているという。少し安心した。だが、早く治療しなければ危ないことに変わりはない。そう思い、ある提案を持ちかけた。


「ならば、私を代わりにして下さい」

 

「何言っているんだ」

 ヨンスが口火を切った。他の村人達も、そんなことさせられるか、などと一斉にどよめいた。チェスカも、ヴァンのそばに来る。

「先生、そんな、駄目です」

「ありがとう、チェスカ。皆も。でも、ドルジさんだって危ないです。すぐ回復させなければ、命にかかわってしまいます」

 ヴァンの言葉に、皆が押し黙る。ヴァンやドルジを犠牲にする訳にいかない、しかし自分が代わりになると軽く言えるはずもない。頭の中でせめぎ合っていた。ヴァンは、それを見透かしたように、もう一度言った。

「私を代わりにして下さい。それでもいいでしょう?」

 反論する者は、もういなかった。女は少し首をかしげ、品定めするようにヴァンを眺めた。

 そして、言った。

「いいわ。貴方も魔力高そうだしね」

 村人達から溜息が洩れる。決して安堵ではない、後悔や絶望を含んだものだった。ヴァンはそんな村人達をぐるりと見回し、笑った。

「大丈夫ですよ。その代わり、ドルジさんをお願いしますね」

 そして、ノーマの方を向くと、毅然とした態度で言い放った。

「先に、ドルジさんをこちらに引き渡して下さい」

 女のノーマは、少し不機嫌そうに髪の毛を指先で弄んだ。

「信用していないのねえ。二人とも捕まえようなんてしないわよ」

「信用なんて出来るはずないでしょう。私は逃げません。ですから早くして下さい」

「大人しそうな顔して、なかなか強気なのね。いいわ。連れていってあげて」

 女が言うと、獣型のノーマがドルジを持ち上げ、村人達が集まる入口に向かって歩いてきた。近くまで来ると、ドルジを床に下ろした。

「ドルジさん! しっかり!」

 村人達がドルジを取り囲み、ヨンス達数人で回復の魔法をかけた。気を失っており、目を覚まさない。それでも、ドルジはこれで大丈夫だと、ヴァンは胸を撫で下ろした。


「さあ、今度はそっちが約束を守る番よ」

 女が冷たく言った。皆息を飲み、ヴァンを見守る。

「ええ。分かっています」

「ヴァン……」

 ヨンスが顔を上げてヴァンを見る。ヴァンも、ヨンスを見下ろした。

「ヨンスさん、ドルジさんをお願いします」

 恩人であり、父親同然でもあるドルジを託し、一歩、前に出る。チェスカの震える声がした。

「先生! やめて下さい!」

 ヴァンはチェスカに向き直る。涙で濡れたチェスカの目を真っ直ぐ見て、優しい笑みを浮かべた。

「大丈夫。ありがとう、チェスカ」

 もう一度礼を言うと、正面を向き、一歩、また一歩とノーマ達に近づいていく。

 

 そして、更に足を踏み出したとき、女が不敵に笑った。。

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ロード 畑中真 @hatana

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