030

 下唇を噛んで、子どもが駄々を捏ねる様に彼女は少し視線を逸らしながら、もう一度小さく呟く。

「……本当に、ずるい」

彼女が何故そこまで、自分のことを羨んでいるのかは分からない。

誰かにオモチャを自慢されている子どもの様に、羨んでいることだけが俺に分かる唯一のことだった。

素知らぬ顔をして首を傾げる。

彼女は何不自由なく暮らしている。

姉妹がいて、両親がいて、お世話をしてくれる人がいて、食事を作ってくれる人がいて、寂しくなっても傍にいてくれる人がいて、金があって、権力があって、地位もある。

何か病気に罹っているということでも無いだろうし、体の一部を失っているわけでもない。

そう、何の不自由もない。

この場所から逃げることができないこと以外は。

だからこそ、だろうか。

俺達のように違う場所に行けることが何よりも羨ましいのかもしれない。

両親から、周りの人間から離れられて、自由に動ける時間がある俺達が心底羨ましいのかもしれない。

彼女は手を自身の頬に添えて言葉を吐いた。

それは呪詛のように低く、低く吐き出される。

「貴方はどうして家族が大切だなんて言えるのかしら。私には分からない。分からないわ」

頬に添えた手の指に力を込めたのか、少し長い爪が頬に刺さってしまいそうだ。

そんなことを思いながら、彼女の言葉の意味を考える。

家族を愛せるのが羨ましいと言うことでは無いだろうし、家族がいることが羨ましいと言うことでもない。

この国から出ることができること以外、俺が持っているものの中に彼女の羨ましがるものがあるとは思えなかった。

だけど、さっきの言葉は多分そういう意味を含んでいない。

 彼女は頬に添えた手をゆっくりと外し、俺を見ながら口元だけで笑う。

その表情は何だか悲しそうに見えた。

悲しそうな、泣きそうな、そんな表情に見えた。

どうしてそんな表情をするのか分かるようで分からなくて、俺はさらに首を傾げる。

頭の中は新しい疑問で埋めつくされていた。

それは少しだけ楽しくもあった。

じっと彼女の表情を見ながら疑問の答えを考えていると、俺はある考えが頭に浮かんだ。

思い浮かんだまま声に出して言ってみる。

「……もしかして、愛せることが羨ましいんじゃなくて、愛されることが羨ましいのか」

俺の呟きに彼女はさっと顔色を変えた。

「な、何を」

分かりやすい動揺の仕方に、彼女が年上に思えていた考えがなくなる。

きっと彼女は彼女の年齢の子より多く世界を知ってしまっているだけなんだろう。

そう考えると、何だかしっくりきた。

俺がそう考えている間に、俺の言葉に動揺していた彼女は落ち着きを取り戻すために、ごほんと態とらしく咳をしてから話題を変える。

「……私のことは気にしなくてもいいのですよ。それよりもこれから貴方が何をするのかと言うことの方が大切です。言いましたよね? 私は貴方のことを話したいと」

 少し焦ったように言う彼女の言葉を聞きながら、そういえばそんなことを言っていたなと思い出す。

言われてから思い出したことは気づかれないように表情を作る。

その表情で彼女の言葉に頷いた。

頷いたことに満足したのか、彼女は少しほっとしながら話し始める。

「貴方と光助がディアナの国に訪問するのに私と姉も付いて行くことになると思います。その際に姉と光助は修行を優先すると思いますが、貴方にはセオドア様のご友人と話すことを優先してもらいたいと思います」

また出てきた魔法使いの名前に、そういえば、と思い出す。

あの魔法使いみたいに飄々としていて、守りたいものが決まっているような性格の人がいた。

ああいう人物は大切なものに傷がついた瞬間、豹変する。

それがちょっと怖いような、気になるような。

そんな思いを覚られない様に、神妙な顔をして彼女の言葉に頷く。

彼女は俺が頷いたのを確認すると言いにくそうに口を開いた。

「納得してくれたようで嬉しいです。……私などが口にするのは少し、いけないと思いますが、その、ご友人は、あの、癖のある方なので、お気をつけください」

その言葉に会うのを止めたくなったのは言わないでおいた。

というか、魔法使いの友人なのだから変な奴なのは仕方ないことだろうな。

彼女はそのことを伝えたかっただけなのか言い終わるときゅっと口を閉じてしまい、部屋の中が静寂に包まれた。

肝心なことを話せていないまま部屋に戻ることになる可能性もある。

彼女がここに俺を呼び出した訳を、彼女と話せていない。

いや、彼女自身が話をしない様に、話題を逸らしているのかもしれない。

そのことを話さないままでいいのだろうか。

今回みたいに会うことが出来るのは簡単じゃないだろう。

話せないまま部屋に戻るのは避けたい。

だが、彼女は口を開こうとしない。

「……あのさ」

仕方なく俺から話を切り出せば彼女は安心したように息を吐き出し、首を傾げた。

ああ、嫌だな。

「なんですか?」

その問いかけに少し間をあけてから俺は彼女に尋ねる。

「……俺の目が赤くなったのは、目の錯覚じゃなかったんだな?」

彼女は目を左右に彷徨わせた後、ゆっくり頷いた。

スープの中の自分の目が一瞬、赤く見えたのは気のせいではなかったらしい。

肯定されたことに舌打ちをしそうになったが、それよりも会話を続けることが大切だと自分を納得させて俺は疑問に思ったことを聞いていくことにした。

とりあえず、得られる時に情報は得ないと。

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割れた鏡の境界線 音琴 鈴鳴 @10Ritnek0

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