第6話 あるいは想像力について

 年が明けた。

 郵便受けから年賀状の束がボトっと落ちる音が響いて、僕は目を覚ました。あれだけ聞くと文庫一冊分の束が送られてきたのかと錯覚してしまう。うちの郵便受けはどうも大げさで、小さな封筒一通でも雑誌が一冊放り込まれたくらいの音をさせるときがある。今回もきっと実情は二、三枚の束とも言えない束にすぎないだろう。

 目蓋を開く。キッチンに通じるドアにはめ込まれたガラスがオレンジ色に光っている。カーテンの隙間から新年の陽光が漏れて差し込んでいるのだ。

 清々しい光であるはずなのに、ため息が出た。

 元日は何もかもがリセットされたような気持ちになって、いつもモチベーションが下がる。積み上げてきたものがすべて崩れ去って、まっさらになる感覚だ。

 また一年が始まる。

 布団の中にもぐったまま、目が冴えるまでスマートフォンをいじる。ブックマークしているネットニュースサイトや動画配信サイトの目ぼしいコンテンツの更新状況を閲覧してから、ネット掲示板の『売れないプロ作家』スレッドに移動する。

 ここには二作目の小説シリーズが打ちきりになってからちょくちょく来ている。あまりよくない習慣というのはわかっているけど、地方に住んでいると同業者と話す機会もないから、こういうスレッドは重宝する。確定申告に関する相談ごとのやりとりはためになるし、なかなか返事をくれない担当編集者への愚痴を見ると自分だけじゃないのだとほっとした。渾身の新作が売れなかったとか、書評サイトでボロカスに酷評されていたという辛い話も目にした。自分の境遇と重ねて、どこも状況は変わらないのだとはじめは安心した。孤独も癒えた。けれど近頃ではそれも絶望の種に変わりつつある。みんな自分と同じ状況なのに、自分だけが抜け出せるなんて都合のいい楽観が持てなくなった。

 どうすれば現状を打破できるのか。

 自分より売れている作家のシリーズが志半ばで打ち切りを食らっているのを目にすると途方に暮れた。彼にできないことが、どうして自分にできると思えるのか。自分の作品に自信がないわけじゃない。つまらないと思って書いている作品はひとつもない。入稿したときはいつも自分の最高到達点を更新した気分でいる。しかし、それがより多くの人々に受け入れられる作品になっているのかと問われれば、途端に自信がなくなる。

 とある映画監督は言った。

 才能とは世間と共有できる価値観をどれだけ自分が持っているかにある、と。独りよがりで他人が共感しづらい感性は「才能」とは言わない。表現であるからには、より多くの人間に伝わらなければ価値はない。僕の作品は一部の読者には好意的に受け取られても、大多数の読者にはそっぽを向かれた。芸術ならばそれでもいいのだろうけれど、エンターテイメントを目指して作品を書いている身としては、辛い。

売れたい。

 もっとたくさんの人に読んでもらいたい。

 同じように思って、もがき苦しんでいる同業者たちと愚痴を共有したって得られるものは何もない。単なる傷の舐めあい。もしくは自傷行為。毒にはなっても薬にはならない。なのにどうしてもこのスレッドから離れられないのは、やっぱり一人が寂しいからだった。

 ある住人がはじめて自作に重版がかかったことを報告した。

 他の住人が「二度とこのスレに戻ってくるんじゃないぞ」とレスを返す。ここにいる誰もがここに居つづけることを良しと思っていなかった。チャンスを掴んだ人間がそのまま這い上がってくれなければ、自分たちにだって望みはない。たったひとつの好例をみんな心の底から欲していた。

 諦めないための事例が。前例が。それを自分で作りだすことは難しいから。見ず知らずの他人の出世を、あるいは復活を。望んでいた。

 堕ちることなんて誰一人望んでない。

 同じ底辺で苦しんでいる仲間のことまで妬みはじめたらお終いだ。

 僕も頑張ろう。無理矢理モチベーションを上げる。今年はいつも繰り返していた一年とは違う一年にする。毎年同じことを思っていたけど今年こそは本当に違う。九月を過ぎれば、三十四歳になる。どこの求人情報誌を見ても正社員の応募資格に三十五歳以上を上げている会社はない。夢に縋ることを許される期限。現実を見据えるよう警告が鳴らされる最後の時だ。逆転を狙うにしろ、見切りをつけるにしろ、もう先送りにはできない。

 午後四時。僕はベッドからのそりと起き上がった。

 窓を開け、冷たい風を部屋に招き入れる。明け方に干しておいた洗濯物を取り込んでから、郵便受けのあの大げさな反響を思いだして、玄関に向かう。輪ゴムでとめられた年賀状の束は案の定大した枚数ではなく、郵便局からのものが一通と出版社からのもの――この二枚はバレンタインに親から貰うチョコにも等しい八百長感があるから、純粋には年賀状の枚数には入れられない――。

 恒例の一枚を見つけて、毎年のようにホッとする。

 幼馴染からのものだ。裏には彼女の子どもたちが写っている。ついこの前まで母親の腕に抱かれていた幼子が今では小さな弟の手を引いて頼もしく立っている。

『今年もまた一緒に飲もうね』

 年に二回。地元で彼女が幹事となって行われる小さな同窓会がある。主に中学時代の同級生たちが集まる飲み会だ。今年も二月の暮れに開かれる。年々学生時代の友人たちとの繋がりがひとつひとつと途絶えていくなかで、彼女が主催するこの会の存在はありがたい。

 僕は本来、同窓会が好きな性質の人間じゃない。

 中学時代はスクールカーストの底辺にいたから、例え十年の月日が流れていても自分たちの学生時代を脅かした不良たちや、自分を見限った女子たちとはお酒を飲みたくはなかった。彼や彼女たちは大抵、過ぎ去った月日を無視して僕を当時の評価のまま見下し、一端の人間になったことを『~~だったくせに』とか『生意気だ』と、あの頃と変わらない精神構造のままひどく幼稚に罵る。

 けれど、彼女が主催するこの会はそういう嫌な連中がいなかった。

 今ある友人たちのそれぞれの立場を尊重し、成長した姿を称え、その上で幼く未熟だったころの自分たちの日常を思い返して笑いあう。

 実に大人らしい会で、それゆえに居心地が良かった。

 もちろん今年も出席する予定で返事はしてある。それまでには次の本を出す何らかの確証が欲しいところだけど、出版はビジネスだ。そう都合よくはいかない。今年中に出せるかも怪しい。今のところ、担当編集からの返事はなし。年末年始だし当然だ。仕事はじめになって、ベテランや売れっ子作家のメールを一通り返し終わって、年始の打ち合わせが片付いたあと、翌月の刊行作品の修正も終わってやっと僕の企画書の順番が来ると言う感じだろう。

 早くて一月末。その間、作家は暇だ。ボツになったり、内容に修正がかかる場合がほとんどだから下手に原稿に着手するわけにもいかない。別の企画書を練るか、インプットの時間として本を読んだり、映画を観て過ごすのが常だ。幸い本棚の前にはパリッとしたカバーに包まれたままの新刊本本や、中古書店で確保して以降積みっぱなしの古典SFが塔を成している。DVDの棚には購入した喜びでひとまず封は切ったもののまとまった時間を確保できず、やはり積みっぱなしとなったカルト映画やアニメのDVDが新品の匂いをケースの内側に抱いたまま、埃を被っている。

 早速今夜からひとつずつ崩していくことに決め、ひとまずは六時からのバイトに出かけるため、シャワーを浴びて、朝食をとる。といっても夕方だけど。大晦日に両親が年末の顔見せがてらに支給してくれた伊達巻と黒豆、それにスーパーで買ったオードブルを炬燵に並べ、新しい箸を開けて、民放のお正月番組を見ながらそれらをむさぼる。考えてみればもう一〇年近くは年末年始の帰省というものをしていない。映画館のバイトは年中無休で特に冬休みは学生バイトが実家に帰ってしまうから僕のようなフリーターは自然とそうした大型連休の貴重な労働力にならざるを得ない。

 今年は二人の姉がそれぞれの家族を連れて帰省しているらしい。姉たちとも長らく会っていない。三人いる子どものうち、上の二人が結婚したのだから、自分はしばらく放蕩すると母に宣言したら「それとこれとは話が違う」と言われた。親にとってあくまで子どもの幸せは結婚なのだろう。それはわかっている。多分、自分が親だったらどんなに子どもが仕事で成功していようとその傍らにパートナーや家族がいないことを多少は不憫に思うはずだ。僕は普通の人生など送りたいとは思ってないが、両親は普通の人生を送りたかっただろうはずで。そういう見方では僕は酷い親不孝ものだった。

 自己嫌悪に陥りながら、乙が送ってきた例の家族写真が頭を過った。

 仕事があって、奥さんがいて、二人の可愛い子どもがいる。

 乙は僕と同じ早乙女甲太の人生を二〇年歩んでいながら、僕とはまったく違うその後の十三年を生きている。彼にも彼なりの人生への後悔や未練があるのだろうか。もし、夢を追わなかったことに対して何かしこりを残しているのだとしたら、僕が送ったデビュー作の原稿を読むことで解消されるかもしれない。その程度の作品だ。あれで得られたものがいったいいくつあるだろう。ネットでのほんの三割の賛美と、一通のファンレターと、作家という肩書。どれも乙が得ているものに比べたら、ほんの一時の価値しか持ってない。

 あのとき小説を書かなければ、彼が得ているものを僕も得られただろうか。どうして僕は彼のような人生を選べなかったのか。どうして僕は書いてしまったのか。どうして彼はそれを避けられたのか。答えが出たところでプログラムを書き換えるようには人間の人生は修正できない。死の間際に歯を食いしばって涙で枕を濡らす時間が増えるだけだ。

 なんて無為な嘆きなんだろう。

 彼の存在を知り、パラレルワールドの実在を確信してしまったことで道を選び損ねたことへの後悔は前にもましてより深刻になっているように思われた。

 乙は僕の送った原稿を読んでくれているだろうか。

 読み終わったとき、彼は何を感じるだろう。

 作家にならなくてよかった。堅実な人生を選んでいてよかった。

 そう思われてしまったら、僕はこの人生を今後、どんな顏をして生きて行けばいいんだ。

 後悔してほしい。

 切実な願いがふと頭を擡げた。僕は己の心の邪悪さに気付かないフリをして、スプーンで黒豆を頬張った。

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