第5話 創造力について

 目覚めたとき、俺は自分が本当にいつもの自分自身なのか、不安になった。

 昔、こんな映画を観た。

 大金持ちの独身男がクリスマスの朝、何故か中流家庭の所帯持ちとして、安っぽいダブルベッドの上で目を覚ます。そこは別の世界。男が仕事での成功ではなく、恋人との幸せを選んだもうひとつの世界なのだが、男はその状況にまるで気付いていない。

 彼の目の前に、遠い昔振ったはずの恋人が少し歳をとった風貌で現れる。家には彼を「パパ」と呼ぶ見ず知らずの子どもたちもいる。男はパニックに陥る。酔って元カノの家に迷い込んでしまったのか。はたまた誰かの陰謀でドッキリカメラの餌食になっているのか。男は混乱した頭とお粗末な寝間着姿のまま、ぼろい車に乗って、自分の会社に戻ろうとする。恋人との人生を選んだその世界では、彼を知る社員など一人もいないというのに。

『天使のくれた時間』っていう映画の冒頭部分だ。

 俺はこの手のシーンが苦手だ。

 観客は主人公の身に起きたことがわかっているのに、主人公が狼狽し、暴れる様を延々と見ていなければならない。愚かなやつだ、とか。察しの悪いやつだ、と内心で愚痴りながら。キャラクターのリアリティを左右する重要なシークエンスだということは百も承知だが、正直一人きりで見ていたら迷わず早送りしてしまうだろう。

 だからその日の朝は、目を開けたとき、もしワンルームマンションの一室にいたとしても往生際良くすべてを受け入れて起き上がろうと決めていた。

 小説家になったもう一人の早乙女甲太の人生で目覚めたとしても、ひとまずはその現実を受け入れようと。

 さあ、まずは天井を見るぞ。

 そう意気込んで目蓋を開けようとしたとき、子ども部屋から長女と長男の歓声が聞こえて俺は思わず安堵の息を漏らした。サンタさんからのプレゼントを喜ぶ子どもたちの声だ。彼らは包装紙をビリビリと豪快に破ると、さらに絶叫の音量を上げ、廊下をドタバタと走って階段を駆け下り、一目散に妻のいるであろうリビングへ向かった。

「お母さん! 見て見て!」

 一番に報告に向かう先が父親でないことにがっくりしつつ、まぁいい。俺も子どもの頃はそんなもんだった。父親なんて母親の次点。考えてみれば未だに母親に電話をすることはあっても父親に自分からかけることはない。

 ナイトテーブルの上で明滅する緑色のランプを見つめる。スマートフォンの充電が終了した印だ。手を伸ばし、少し傾けてロックを解除。時刻はまだ朝の九時だ。今日は外出の予定もない。子どもたちがプレゼントを見せびらかしに友達の家に出かけてくれたりすれば、昼までたっぷり布団を被っていられる。

 サンタさんは長女の瑞穂には新型の携帯ゲーム機とゲームソフトを。長男の仁には戦隊ヒーローもののロボットをプレゼントしてくれた。瑞穂へのプレゼントについて当初妻は難色を示した。子どもにゲーム機なんて与えたらろくなことにならないと彼女は偏見ではなく経験で知っていた。学生の頃には宿題もそっちのけでテレビゲームに熱狂していたから、それが持つ弊害をよく知っていたのだ。だが一方で瑞穂は母親のスマホで無料のゲームを遊んでいた。オセロとかパズル系の比較的シンプルなものだったが、いつ課金システムのあるゲームに手を出すとも限らない。それよりはフルプライスでも六千円前後のゲームソフトを買ってやった方が経済的だし、安心だ。もちろんゲーム機は親の承認がなければネットショッピングができないよう設定をするつもりだ。

 仁へのプレゼントは入念に音が出ないものを選んだ。というのも去年のプレゼントは電子音が何十種類も搭載された遊ぶ絵本だったのだが、一日中家の中でライオンだとか象の鳴き声をひっきりなしに聞かされて参った経験があるからだ。

 だが今回は問題ない。しっかり内容も精査したし、生徒会の子どもたちに最新のゲーム機についての意見を聞いたりもした。彼らはたまにブレーキの掛け方を忘れるだけで、自分たちが使っているマシーンの危険性をよく熟知している。子どもへのプレゼントだと説明すると、皆一様に普段の授業では発揮されえないような前のめりの姿勢と真剣な眼差しで俺の危惧や杞憂に答えてくれた。普段教える立場にある生徒たちから学ぶというのは自分を鏡越しに見ているような感覚で少しくすぐったかった。

 プレゼントで遊んでいる間は、父親は不要だ。変身ベルトならともかく巨大ロボットが相手じゃ敵の怪獣をやるにはでかすぎるからな。あと二時間ほど寝て、それから口うるさい妻のためにスパゲティでも茹でよう。家庭的な夫を演じる俺に妻が飽き飽きしていることは百も承知だが、何もやらないことに文句を言われるより、やったことに文句を言わせた方が反論の余地もあるってもんだ。そう考えて被った羽毛布団は、しかし八秒も経たないうちに引き剥がされてしまった。

「アダプター買って!」

 寝室のドアを開け放って瑞穂が俺の足下から布団を引っ張った。競って負けるわけはないがそこで下手に応じて綱引きをするよりも脱力して狸寝入りをした方が、この場合は得策だ。寝ているフリをして諦めるのを待とうとしたが、娘の方が一枚上手だった。脇の下を擽られてのたうち回るように目を覚ました。

 この子の母親は俺のことに関してろくなことを教えない。

「アダプター買って!」

「アダプター? なんだ、アダプターって」

 ナイトスタンドに向かって眼鏡の在りかを探っていると瑞穂は俺の鼻先にサンタさんから貰ったゲーム機の外箱を示した。

「ついてないの。じゅうでんするやつ」

「そんなわけないだろ」

 あれだけ情報を集めて、一か月前から準備してたっていうのに。俺は目を皿のようにして確認した。

 セット内容:ゲーム機本体 充電池 取扱い説明書 保証書 以上。

 どうやらぬかったらしい。

「サンタさん、まぬけね」

 ピンク色のパジャマ姿で瑞穂は困った困ったと言わんばかりに首を左右に振った。我が娘ながら手足が鹿のように細く、両親にまともにご飯を食べさせてもらっているのか心配になるほどだ。もっともいまどきの子どもはだいたいこれくらいが普通らしい。やはり食べ物の違いとか環境の違いからだろうか。

「そうだね。大間抜けだ。今年限りでクビにしよう」

「ええ、いやだ! やめて!」

 俺の残酷な言い渡しに瑞穂は本気で嫌がって、ベッドに乗っかってどすどすと揺らした。

「なんだ、瑞穂。来年もサンタさんからプレゼント欲しいのか」

「うん。それに仁まだ4歳だもん。わたしが七つになるまでもらってたのに、仁が四つで終わっちゃうなんてかわいそう」

 ああ、なんて良い子に育ったんだ。本当に良い子ならたまの休みの日くらいお父さんをゆっくり休ませてほしいものだが、サンタさんの失態を埋めるには誰かが骨を折るしかない。

「大丈夫。お母さんに言えば、連れてってくれるよ。だから今日は」

「タイヤにチェーン嵌められないから無理だって」

「チェーン?」

 瑞穂が黙って窓を指さす。促されるままベッドを降りて、緑色のカーテンをちらと捲る。まず太陽の光が目蓋を焼いて、そのあとご近所さんの屋根という屋根を覆い尽くす白銀の世界に俺は溜息をもらした。昨晩の雪は見事に俺の予想を裏切って降り積もり、街を白銀の世界に変えていた。

 うちに車は二台。妻が使う軽ワゴン車と俺が一昨年、知り合いから格安で譲り受けたオープンカー。山奥育ちで雪の恐ろしさを知っている俺はもちろん十二月に入る前にタイヤをスタッドレスに履き替えたのが、都会育ちで倹約家の妻は違った。代わりに俺の車を使うように言ったところで、妻が嫌がることもわかっていた。国産車に乗り慣れた日本人の多くがそうであるように彼女も左ハンドルが苦手なのだ。

「わかった。すぐに準備する」

 やった、とベッドから飛び降りて、瑞穂は軽やかな足取りで寝室を出て行った。


 妻が同行すると言いだして、結局家を出るのにそこから一時間かかった。

 俺はさっさと自分の着替えを済ますと妻の支度がこれ以上遅れないよう洗濯と洗いものと仁の着替えを手伝ってやってから、車のエンジンをかけ、信長の草履を温める藤吉郎のごとく暖房を入れて仁と二人車内で待機した。

「サンタさんに何貰ったんだ」

「んー、セイケンジャーのデラックスカリバー」

「でっかい剣だな」

「これね、ロボットに変形するの。見ててね」

 仁の解説を聞きながら、つたない手がプラスチックの玩具をみるみる剣の形から人型の機械に変えていくのを運転席から振り返ってみていた。

「ほら、すごいでしょ」

「すごいな。よし、父さんにもやらせてくれ」

 すると仁はずずっと鼻を啜って、

「もうちょっと遊んだらね」

「約束だぞ」

「うん」

 自らロボットの駆動音らしき擬音をあてこみながら、息子が車内を空想の世界に変える。後部座席の狭い空間はさながらギアナ高地の深い谷底のように息子の目には映っていることだろう。ロボットの羽を開き、危険な谷間を正義の巨人が縦横無尽に飛びまわる。

 俺にもかつてこんな時期があった、と思いだす。

 それは普通の子どもよりも割と長い間、俺の中にあった特別な力だった。退屈な日常の隙間に閃きと創造力の種を撒き、世界を変質させ、自分の不幸とか苦痛を矮小なものにして、あの広い空と海を両手の中に封じ込めて、自在に展開させてしまう。

そんな力が、あった。

 もう長らく使ってないし、使えるかどうかもわからない。ひょっとすると本当にそんな力があったのかどうかも怪しい。まだかろうじて残っていたと思わしき時期は、大学の二回生のとき。葛西彩夏と付き合う前までだ。彼女は俺にとってはじめての恋人で、はじめての女性だった。彼女と身体を重ねた前と後では世界の見え方も、自分自身の捉え方もまるで変わった。世界が自分だけのものではないと頭ではなく肉体で知った。同時にはじめての触れ合いが自分本位な劣等感か来ていたとこを強く恥じた。思春期から貯めこまれていた情動が二十歳をもってようやく発散されたことによる稚拙な達成感はパンパンに膨らんだ風船にも似ていて、いざ事が成されると針で突くように急速に萎んで自制も困難なほど自分勝手に萎えた。ともすれば自慰行為のあとで興味と価値を失って蹴とばされてしまう青年誌のように彼女のことを扱ってしまいそうになって、俺は精一杯自分を抑えた。思いやりを示さなければと努めた。自分の欲望を吐き出すためだけに他人や世界に触れてはならない。

 そのとき気付いた。いままでいかに世界が自分の尺度で測られていたか。つまらない、退屈であるからといって乱暴に書き換え、いかにも世界の真実であるかのように思い込み、半ば自家中毒を起こして、錯覚に陥っていたかを。

 他人に深く入り込み、干渉し、刺激することで俺は俺以外の肉体を知り、彼女の肉体が抱える苦痛と快楽を知った。自分の持っているものと同じ感情が他人にもあるのだと知った。その瞬間に、かつて無法図に書き散らかしていた性に対する幻想は消滅し、うろこ雲を無数の宇宙船の編隊に見せるような創造力は取るに足らないものに変わった。

 あの力は多分、狭い世界を生きる人間にのみ齎されるのかもしれない。やがて出会う誰かに辿り着く日まで自我を保ち、虚勢を張り続けるために。もしくは出会えなかったとしても一人で生きていけるように。世界の大きさ、広さに押し潰されないために、たった一人で戦い続けなければならないものだけがもてる力だったのかもしれない。

 あの日を境に俺の中にわずかに蟠っていた童貞のやせ我慢ともいうべきちっぽけなプライドや意地は跡形もなく消え去り、妄想で自分を防御する必要もなくなった。俺の関心はより切実な将来と半径一メートルの人間関係にのみ向けられるようになり、絵空事のサイエンスフィクションやファンタジーが俺の心を魅了することはなくなった。こんなこと現実にはありえない。現実にありえないことを問題として扱って、なんの意味があるのか。他人の創造力を許容できなくなっていくとともに、自分の中にあった創造力も徐々に減退していった。

 それでも学生の間はまだ自分の持っていた力を懐かしんだり、ときどき机の引き出しを開けて触れてみたり、そういう余裕がまだあった。

 だが、社会に出ると失くした力のことになど気を留めている余裕はなくなった。

 教壇に立ち、おままごととは違う、本当の授業を経験した。指導要領に基づき、自分なりの授業を模索する一年がはじまった。生徒一人一人に点をつけていくとき、1や2を打つ手が何度も止まった。あれほど熱心に授業を聞き、ノートも取っていたのに。本当は自分の教え方が悪かっただけではないのか。そう思った。一年目だからといって、大目にみてくれる世界じゃない。教師に研修期間はない。生徒たちにとってはたった一度の一年間。それを教師の未熟さで台無しにさせてしまっていいのか。

 最初の一年が過ぎると本格的に担任としてクラスを持ち、生徒名簿を作り、名前と顔を覚え、行事ごとでは担任教諭としての統率力を試され、遊びたい盛りの学生たちに手を焼いた。担当クラスが進級し、三年生になると仕事は倍以上に増えた。願書の準備や推薦状の作成に明け暮れ、就職組の生徒たちへのバックアップが疎かになったりもした。「先生は〇〇くんが国立に行くもんだから、それを自分の手柄にしたくて必死なのよ」と。陰口を叩かれていたのも知っている。無論そんな気はなかったが、普段の教職業務に加えて、願書の手配や、推薦状を書いたり、面接の練習に付き合ったりと手いっぱいになって就職組にまともに付き合ってやることができなかったのは事実だ。はじめて受けもった生徒たちの卒業式は、喜びや誇らしさよりも後悔と懺悔の念の方が強く残った。どの子も無事進学先や就職先を決め、晴れやかな気持ちで俺に感謝の言葉をくれたりもしたのだが、「先生、ありがとう」と言われるたびにカバーしきれなかった場面ばかりが頭を過った。そして「これからもがんばってね」と言われるたびに四月からはじまる振り出しの日を思って、教職の残酷な宿命を実感した。

 この子たちはここを巣立っていっても、俺はここから出ることはできない。

 彼らを送り出したあとの一か月はこの一年の反省と研究にあてた。あのときもっとこうしていれば、とか。素直にベテラン教員の助けを借りられていれば、とか。油断していると沈みこんだ頭に沸いて出てしまう『もしも』のシミュレーションにひとつひとつ向き合い、同じ間違いを繰り返さぬよう何が良くて何がダメだったのか。受け持った三十六人の生徒たちに起こったすべての出来事を日誌から掘り起こして整理し、来たる新入生たちとの一年に備えた。そうして現実的な思索を繰り返しているうち、どんな夢物語も俺の生活に立入る隙はなくなり、絵空事は絵空事として、胸を躍らせることはなくなった。

 気がつくとあれほど熱心通ってみていた映画も見なくなり、漫画本も立ち読みすることすらなくなり、手にとってもそれは生徒の手から没収する瞬間でしかなかった。

 人生で三人目の恋人、鈴木博子との結婚を決めたのも夢を見たからではない。堅実に彼女との将来をシミュレーションした結果だった。月並みの文句だが、彼女となら良いときも、悪いときも乗り越えられる気がした。好きなところだけじゃなく、嫌いなところも愛すことができた。彼女を逃せば、彼女以上の人はもう現れない。

 そう確信したから卒業生を出した同じ年に彼女と入籍した。それから一年後に長女の瑞穂が産まれ、三年後には長男の仁を授かった。仕事と子育てに奔走する怒涛のような日々は今も絶えず続いている。

 いや、こんな言い方は女性から見たら噴飯ものだろう。なにせ一日の半分以上は職場で過ごしているのだ。子育てにタッチできるのは帰宅後の一時間少々とこうした休日のひとときだけ。二十四時間三六五日休みなく二人の子育てに明け暮れているのは妻の方だ。彼女がさっきの言い様を聞いたら、以後何十年小言を零され続けるかわかったものじゃない。

 こんな具合に俺には「想像力」しか残ってない。どうすれば妻との言い合いに勝てるか。子どもの成長を促す叱り方。いじめ問題への対処の仕方。職員室での立ち振る舞い。保護者会での立ち回り。それらに費やされる想像力は後部座席を深い谷底に見立てて、現実の不可能を可能にするような、胸躍る創造力とはまるで性質が違う。前者が仕事の処理能力向上や日常生活の危機回避のために練磨されていくものだとすれば、後者はそれらの問題解決には何ら寄与しない、辛く退屈な日常を忘れるための現実逃避の能力に過ぎない。

 作家や芸人や俳優にでもなれない限りは、持っていたところで仕方のない力。今の俺が持っていなくて当然な扱い切れない力だ。

 仁の「創造力」がそういった一部の才能にまで成長するかはわからない。絵とか文章とかいった具体的な表現方法を得ないまま、多くの子どものようにサンタの正体を知る年頃には、すっかり失くしてしまっているかもしれない。例え一時は漫画や小説に似たようなものが書けたとしても、中学や高校や大学のある時期に挫折したり、趣味で終わったりするだけかもしれない。俺がそうだったように……。

「お待たせ」

 娘の瑞穂とお揃いのダウンジャケットを着た妻が付けたての香水を羽衣のように引いて助手席に乗り込む。「瑞穂、仁にシートベルト着けたげて」と言いながら、後部座席を振り返る。薄紫のジャケットの表面がキュキュッと擦れる音が鼓膜に障る。バックミラー越しに妻が新しく持ってきたティッシュ箱を助手席後ろのポケットに差し込むのが見えた。

 すかさず仁がティッシュを取って、鼻を噛む。

 そういえば玩具で遊びながら鼻をずるずるいわせていたな、と思い至ったが「気付いてたなら取りに戻ってよ」と要らぬ小言が飛ぶことになる。年の瀬につまらない夫婦喧嘩はしたくない。俺は黙って車を出す。もう、こんな想像力しか残ってない。

戻ったら甲の処女作を読んでみようと思った。

 窓の外を流れる景色に合わせて、仁のロボットが唾混じりの拙いジェット音を上げて空を飛んでいく。

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