今日も桔梗は開かない

阿野根の作者

第1話 夏の章

 深い山奥、木々が生い茂る森の中……

 銀の長い髪を高く一つにまとめた水干によくにた姿の男性というより青年が目を閉じ、指を複雑に組み夏草茂る空き地に静かにたたずんでいた。


 風にゆれる夏草の音、静かな耳鳴りのような静寂の音に今まさに青年は世界と一体になるような心であった。


 その瞬間、静寂は破られた。


 水が跳ねる音と虫の羽音と共に何かから逃げるトロい足音がして何かが近くに倒れた。


 「ふぇえええ~ん、あっちゃーん」

 またかよ、と内心ため息をつき、清界師セイカイシ井草敦也イグサアツヤは瞑想から目を開けた。


 すぐ近くの何もない地面に小柄な茶色の髪の少女が頭を抱えて身を縮めて必死になって丸まってた。


 怖いのーとフルフルとふるえてる様子はまるで小さなワンコのようである。


 その小さいワンコ……違った小さい少女に巨大な……この世のものとは思えない一メートルはある茶色の空飛ぶ物体、どう見てもセミにしか見えない生き物が女の子に襲いかかろうとしていた。


 「あっちゃーん、助けて~」

 「優香里! 」

 ちっと舌うちして敦也は素早く駆け出した。

 静かな空間で力高めようと瞑想していたのに……この疫病神〜敦也は思った。


 えらい思われようである。

 もちろん、本人優香里もなんとなく敦也に邪魔にされてるのは気がついているのであるが……


 ミーンミンミンとセミが何匹も小さいワンコじゃなくて優香里少女に襲いかかった。


 いや、嫌なのーと優香里が泣きながらますます小さいワンコ……違う小さい少女は縮こまった。


 「バカ! 結界をはれ! 」

 「ふぇえええん、張れないもん〜」

 一メートルを超えるセミに突撃されれば小柄な優香里はひとたまりもない。

 「このバカ! 能無し! 」

 敦也は叫んで指で印を結んだ。


 だからついてくるなって言ったんだとさけびながら、完成させた清界術を発動した、銀の光がセミが弾いた。


 だってついてきたかったんだもんとおじいちゃんだって修行に行けってと愛らしい声で優香里が泣きながら顔を上げて涙を拭いた。


 押さえていた手を外れると茶色の三角のケモミミがピョコンと飛び出した。


 ピンクの膝丈の着物ドレスの裾から同じ色の尻尾が力なくたれてフルフルと震えている。


 茶色の癖毛は2つのお団子に結われ、紫の瞳は涙に濡れている、愛らしい小さいワンコ……じゃなくて犬獣人の少女である。


 着物ドレスは絹で明らかにお嬢様の様相だ。


 ハテノヤシマ連合国には獣人が多いのである。


 ちなみに敦也も血は薄いが犬獣人であり耳が尖っている。


 「ふぇえええん、あっちゃん」

 潤んだ瞳の愛らしいワンコ……優香里に対して半眼になった。


 この幼馴染のお嬢様には迷惑かけられどうしである。

 なんで俺がこいつの面倒見なきゃいけないんだよとブツブツ愚痴りながらも樹に立てかけられた術具を持った。


 清界師の術具……人によって違うが敦也は錫杖のような形状である。


 「なんだって化けセミの群れに襲われているんだ?」

 敦也は巨大セミに錫杖をひとふりして攻撃印を発動した。


 術具には術者が刻み込んだ術がはいっており、力を込めて特定の動作で発動させることができるのである。


 よって刻み込めば刻み込むだけ術具は洗練され強力になっていく。

 

 ハテノヤシマ連合国の宮に仕える宮中清界師長など百以上もの術を刻み込んでいると噂されている。


 話を戻そう。


 敦也の術具から炎が発しまだ激突してきていたセミの群れはたちまち炎に包みこまれた。


 燃える化けセミの群れを確認してから冷たい眼差しで敦也は優香里を地面から立たせた。


 「み、水の清術印が暴走したの〜」

 私がんばったもん〜と樹を指差すとそこには水浸しの大木が横に傾いていた。

 

 セミがそこにいたの……と小さな声で小さいワンコが耳を伏せた。


 「化けセミどもにぶつかっただと? このど阿呆!!」

 敦也は優香里を怒鳴り付けた。

 優香里が耳を押さえ縮こまった。


 獣により近い優香里は耳が敏感なのである。


 「ふぇえええん、あっちゃんごめんなさい〜」

 「まったくなんだって老師は俺にこんなへっぽこの面倒を任せたんだ! 」

 うちの可愛い孫を頼んだぞとつるりと禿げた頭の食えない老人……かつて宮中清界師長であった師匠の顔に歯ぎしりする。


 こいつのせいで俺の人生設計台無しと敦也はいつものごとく思った。

 たしかに昔から腐れ縁で愛らしいって言えば愛らしい幼馴染をなんだかんだと刷り込みのごとく面倒を見ていることに本人以外は気がついている話である。


 化けセミが香ばしく焼きあがり夏草の茂みに山となった。


 ある意味いい匂いである。


 なぜ、このハテノヤシマ……世界に化けたものがいるのか……それは実は事情がある。


 この世界、紫世界はかつて光の神レーホヘルトを残してすべての神々が眠りについた滅びかけた世界である。


 しかし……闇と空間の魔王の出現により世界は再び活気づき光と闇は結ばれ、世界は蘇った。


 そして最高神ラーホヘルトの就任、今……世界は神々と精霊に魔族の復活により力に道溢れ活性化しすぎている。


 活性化し過ぎた力を受けたのは主に自然界の生き物や植物だった。

 あるもの巨大化、しあるものは変質して動き出し、様々な利益と被害をもたらした。


 それから数百年、人々はさまざまな対抗手段をこうじた。


 清術師はそのいわゆる『化けた』生き物植物を浄める一族である。


 敦也は優秀な若き清術師である。


 藤森フジモリ優香里ユカリは宮中清界師長を代々出すの一族のお嬢様で秘めたる力……があるかどうかはしらないが……。


 優香里の祖父で一族の長老で師匠の藤森フジモリ紫園シオンに幼い頃引き合わされて以来の腐れ縁と本人は思っているようである。


 敦也は同期から逆玉とか羨望の眼差して見られているのである。

 

 優香里の小さいワンコな愛らしい姿にメロメロな年上兄弟子おっさん弟子たちには嬢ちゃんを粗末にしやがってとよく拳で説教されるが、のしつけて誰かに押し付けたいと思う敦也であった。


 彼の人生設計は清術を極めて一流の清術師として稼ぎと名声を手に入れてこの国『ハテノヤシマ連合国』に名をとどろかせること……あわよくば世界に名を売る事である。


 そしてボンキュボンな外国トックニの美人を嫁にもらいこのワンコと縁を切ることは最終目的である。


 今にところお荷物な優香里のせいでその第一歩すら果たせていない現状にイライラしている敦也であった。


 「化けセミの丸焼きができたぞ、食え」

 敦也が香ばしく焼けた化けセミの丸焼きを木の枝にさして差し出した。


 明らかに原型を保っている。


 「い、いらないもん」

 優香里が鼻先に突きつけられた巨大丸焼きセミを見て後ずさった。

 「力がつくから食うのが常識だろうが、偏食せず食え」

 敦也がさらにセミの丸焼きを優香里に押し付けた。


 力溢れた化けたものは摂取すると力になるので退治後の処理は食べるのが清術師の常識だ。

 食べきれない時に取り扱いが難しい、不味い部分だけ処理して専門業者に持ち込むのも清界師の小遣い稼ぎである。


 「ふぇえええん、虫嫌いだもん~」

 「うるさい、黙れ」

 情け容赦なく優香里の叫ぶ口にセミをツッコミ、敦也は自ら化けセミの丸焼きに食いついた。


 敦也は失われた力が戻り更に増すのを感じた。


 良質な化けたものだったようだ。

 しかも多量にあるので小遣いも稼げそうと内心ホクホクしながらまだ食べていない優香里を睨み付けると仕方なさそうに食べ始めた。


 優香里の紫の瞳が色を増した気がした。

 額にうっすら桔梗に似た紋章が浮かび上がる。


 なんだってこいつに清術師の印が出るんだ。

 敦也は不機嫌そうにセミをかじりとった。


 桔梗清王紋が有るものは稀有なる清術の使い手のはずである。


 しかし優香里にはその片鱗すら見えない。

だと敦也が思うのも当然であろう。


 むっときた敦也は優香里の桔梗清王紋の薄く浮き出た額にでこぴんした。

 「いたいぃ~あっちゃんひどいよ~」

 優香里が額を両手で押さえて涙ぐんだ。

 昔からこいつは自分の才能に無頓着だと敦也は不機嫌になった。

 「呑気すぎ」

 敦也はプイっと横を向いた。

 優香里が斜めにした樹が目に入りますます不機嫌になる。


 通常、初級の水の清界術程度で樹は傾かず、化けセミがいる高度まで届かない。


 このノーコンのクソバカ力と内心毒づきながら時空拡張術のかかった風呂敷に化けセミの丸焼きをしゃがんで包んで首の後ろに背負った。


 さながら泥棒さん姿である。


 「食ったら帰るぞ」

 服をはらいながら敦也が辺りを見回した。

 騒ぎしすぎたせいか辺りが騒がしい。


 木陰に大きな化けたものの毒々しい蒼い水玉のコウモリの翼みたいな耳が見える。


 「ひゃん」

 毒々しいピンクの化けトカゲの舌が優香里のしっぽを舐めたのをはたきおとした。

 「全くお前のせいで修行が進まない」

 敦也は乱暴に優香里の手首を握った。

 懐から師匠から押し付けられた転移符を取り出して発動言をとなえると紫の光があたりを覆って視界が暗転した。


 次の瞬間には紫の瓦屋根が連なる大都市……ハテノヤシマ連合国の都の大路に転移していた。


 ゆったりとトカゲ車が通り丸い笠に透け感のあるベールをかぶった婦人や短い水干のような格好の男性や頭を彩りどりの布であねさかぶりし夏の着物を着たお姉さん等たくさんの人々が歩いている。


 遠くに立派な紫の瓦屋根の連なる宮城が見える。


 ハテノヤシマ連合国はたくさんの島々が連なる国でそれぞれに文化があると言われているがここ王都島が一番大きく文化溢れてると言われているのである。


 ちなみにさっきまでいた森は別の島で転移符を使わなければ船で一月以上かかる辺境である。


 そんな都のある島に藤森本家は広大な敷地を賜り暮らしている。


 その他領地島もあるというのだから優香里のお嬢様ぶりが知れようというものであろう。


 「帰るぞ」

 お屋敷の門をくぐろうと敦也は優香里を引っ張った。

 「ええ〜怒られるよぅ」

 優香里が眉をはのじにまげた。


 あっちゃんと修行してこいと出されたのにこんなに早く帰ったらおじいちゃんがぁ〜。

 と屋敷の扉をくぐりながらグズグズ言っている。


 この疫病神ワンコーいつか、いつか縁を切ってやるんだからなぁと敦也は心に誓った。


 いずれ銀の清王術師使いと呼ばれる井草敦也は自分が清王術師優香里に振り回されて巻き込まれていく運命に気が付かない、境遇を嘆くばかりの若者であった。


 さてさて……敦也の運命はどうに迷走するのであろうか?


 とりあえず巨大化けセミは師匠な長老の酒のアテとして買い叩かれたとだけ言っておこうと思う。

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