その魔道師危険につき……1.5(短編)

NEO

三人の天才

 世界破滅の元凶たる破壊神「ルクト・バー・アンギラス」を、永遠に屠ってから一年ちょっと。

 考えてみれば、結構ヒロイックな事をやったような気もするが、それで何が変わったわけでもない。せいぜい、歴史書の隅っこに名前が残ったくらいのものだ。

 相も変わらず、田舎町クランタで暇つぶしに、ゴブリンの群れを吹き飛ばしていたりしたら、久々の名前が舞い込んできた。

「へぇ、エリナが手紙なんて珍しい……」

 定宿のボロ宿「ハングアップ亭」の誰もいない食堂で、あたしは護衛兼お世話係という建前で側にいる、仲間のセシルと共にその真っ白な素っ気ない、ある意味彼女らしい封筒を見つめた。

 彼女は今アストリア王立魔道院という、この国の中枢とも言える機関にいる。ここはまあ、魔術を学ぶ学び舎だったり、研究施設だったり、政治的な施設でもあったりと様々な面を持つが、一年前までそのトップにいたのがこのあたし。若干一八才ですぜ。イカレてるでしょ? 今は同期の友人に譲ったけどね。

「仕事の依頼でしょうか?」

 セシルが不思議そうにつぶやいた。

「さてね、開けてみますか……」

 あたしは常に持ち歩いている文房具の中からペーパーナイフを取り出し、そっと封筒の封を切った。


『悩んだけど、あなたには見ておいておく価値があるかもしれない。byエリナ・ムラセ』


 たった一枚の紙に、それだけ記されていた。

「……よく分からないですね」

「まっ、一つ言える事は、旅支度をしろって事ね。多分、近いうちに向こうから来る」

 エリナとはそこそこ長い付き合いがある。こういうときは、準備だけして待っていればいい。

「オッサン、買い物行くから馬車借りるわよ!!」

 奥からここの主、ハングアップの声が返ってきた。

「おうっ、壊すなよ!!」


 それは二日後の夜明け間もなくだった。

 いずこからかキーンという甲高い音が迫ってくる。あたしとセシルは飛び起きて、裸足のままハングアップ亭から通りに出た。すると、まるで頭上をかすめるように、何か巨大なものが通り過ぎ去っていった。

「まさかとは、思うけど……あの馬鹿ってば巨大飛行機械を作っちゃったとか?」

 飛行船は実用化されているし、時間の問題とも言われていたが、翼をもつ高速飛行可能な飛行機械の開発は、どの国も躍起になって取り組んでいる事だ。

「だとしたら、あの方は紛れもなく天才ですね……」

 セシルがポカンとしながらつぶやいた。

「さて、追っかけますか。セシル、ウィンド・ドラゴン!!」

「はい!!」

 あたしたちは寝間着で裸足のまま、宿の脇に無理矢理造った掘っ立て小屋に入った。中には小ぶりのドラゴンが二頭いた。これが、ブレスを吐けない代わりに空を飛ぶ事に特化したウィンド・ドラゴンだ。あたしたちの貴重な空飛ぶ足である。

「さてと……」

 あたしがリュックのような無線という魔道機を背負い、自分のドラゴン……名をワール・ウィンドという……に跨がったとき、セシルがガラガラと鎖を引っ張って小屋の屋根を開けた。場所がないので、こういう大げさな仕掛けが必要になったのである。

 そして、屋根が全開になると、あたしはワール・ウィンドをまだ薄暗い空に羽ばたかせた。すぐに上がってきたエリスと合流し、ゆったりと街の上空を旋回している大きな飛行物体を追いかけた。まるで葉巻型とでもいうのか胴体の中央は円筒形で前部と後部に行くににつれ直径が絞られていく。最後尾には垂直方向に巨大な翼が一つ立ちその根本からは水平方向に左右一対の翼。そして、何より目を引くのが胴体中央部にある左右一対の巨大水平翼……主翼だろう。その翼の中辺りには大きな円筒形のものが左右でそれぞれ一つぶら下がり、そこが甲高い音の主な発生源だった。進行方向から見て後方に魔力特有の光りと小さな魔法陣が浮いているところを見ると、これは巨大な魔道エンジンである事が分かる。全く、馬鹿なもん造りやがって……。

『マール様、やはりこれは飛行機械です。それも、恐ろしく洗練された……』

 セシルの震えた声が聞こえた。まあ、無理もないか……。

 ああ、自己紹介が遅くなったわね。あたしはマール。マール・エスクード。よろしくね。

『やぁやぁ、皆さん。こんな朝早くからお集まりで!!』

 無線からセシルではない声。聞き間違えるか、エリナの声が聞こえてきた。

「あのねぇ……。とにかく、どっか着陸よ。こんなデカ物どうするんだか……」

『デカ物とは失礼な。これでも垂直離着陸できますよーだ。街の近くにある草原でどう?』

「了解。いくわよ」

 あたしたちは、街の外にある草原に向かったのだった。


「うぉ、すげ……」

 先に着陸していたあたしたちの目の前に、巨大な飛行機械が降りてくる。音も凄いがとにかくデカい!!

 格納式らしい車輪が地面につくと、甲高い音は急速に小さくなっていった。

 胴体の前部にある扉が開き、ウィーンっと音を立てて格納式の階段が地面まで降りてきた。そこに姿を見せたのは、黒髪が印象的な強気そうな顔。間違いない。エリナだ。

「やほー、一年ぶり!!」

 階段を駆け下り、サッと右手をさし出してきたエリナに、あたしは握手を返す。同じ事をセシルにもやり、背後の巨大物体を見上げた。

「『シルバー・ウィング バージョン2.347』。小遣い貯めて作ったにしては、上出来でしょ?」

 エリナはいたずらっ子のような笑みを浮かべた。

「小遣いねぇ。あなたがそこはかとなく魔道工学に詳しい事は知っていたけど、まさか、ここまでとはね」

 魔道工学とは、簡単に言えば機械と魔術を融合させたものである。お互いの欠点をそれぞれ補うことで、新しい技術を生み出す。魔道エンジンなどいい例で、魔力さえあれば燃料切れを心配せず、継続的に同じ出力を得る事ができる。魔力は生き物なら何でも持っているごく普通のものだし、同じ魔力を使うのでも魔術が苦手とする長期連用を機械の技術で補ってやればほぼ無敵である。まあ、そういうことだ。

 魔術の優位性を脅かされる危惧から、いまだ一部の魔道師からは強い反発はあるが、この一年で、もっとも魔道工学嫌いだったこの魔道師の国、魔道大国ことアストリア王国でさえ、小型魔道エンジンを載せた自動車が馬車を駆逐したくらい、急速に普及しているのが現状である。

 さて、それはさておき……。

「また、ゴッツイもの持ってきたわね。他国が三葉機でヒーヒー言ってる中で、いきなりこれですか」

 三葉機とは、主翼が三段重ねになっている飛行機械の事。機体を持ち上げる力は高いが遅い。しかし、目の前にあるのは主翼が一枚の単葉機。高速飛行出来るのがウリである、しかし、こんなバカデカい機体など見たことがない。

「そりゃ、あたしの手に掛かればこのくらいわけないわよ。チンタラやってられるかっての」

 事もなげに言い放つエリナの言葉に嫌みはない。本当に当たり前だったのだ。恐ろしい。

「しかしまぁ、これを見せるためにあんな意味深な手紙よこしたの?」

 思わず苦笑してしまった。

「まさか……実際に見てもらった方が早いわね。ウィンド・ドラゴンちゃんは、ちと狭いけどカーゴ・ルームへ」

 いきなり声を真剣なものにして、エリナは手に持っていた何かを操作した。すると、機体後部の大きな扉が開いた。そこに、ワール・ウィンドたちを収容しろという事か。

「よしよし……」

 さしたる苦労もなく、ちょっとせまい空間にウィンド・ドラゴン二頭を収容すると、ドアがゆっくり閉じていった。

「さっ、乗って!!」

「ちょっと待って、着替えすらしてないし……」

 荷物どころか着替えすらしていない。

「あー、もう鈍くさいわね!!」

 あんたがせっかちなだけだと思うぞ。

『転送』

 静かにセシルがつぶやいた。

 すると、ドスドスと荷物やら着替えやらが二人分地面に落ちた。

「これで大丈夫です」

 セシル、やるわね。

「OK、じゃあ急いだ急いだ!!」

 言われるままに、あたしたちは着替えや荷物を抱え、階段を登って機内に入った。整然と座席が並び……何人乗れるんだ?

「調子こいて四十五人乗り仕様で機体後方はベッドとか色々あるけど、今は気にしないで」

 四十五人も乗せてどーするのだ、エリナよ。ベッドってなんだよ、エリナよ。

「あなたたちの席はコックピット。その方が、楽しいでしょ?」

 エリナの目に、なにかマッドな光りが宿る。うん、怖い。その間にも階段が収納され、エリナはドアを閉める。巨大なハンドルを『アームド』と書かれた位置にすると、ガコッと音が聞こえた。

「こっちよ」

 エリナの先導で狭い通路を抜け、小さな扉を開けると……。

「へぇ、これは凄いわね……」

 高価なガラスが全面に張られた窓からは、クリアな前方視界が得られる。これは、ガラスに歪みがない証拠だ。

「さて、座って頂戴」

 良いながら、エリナは最前列中央にある席に座った。ここで制御するらしい。後列は二席上から見たら、エリナを頂点に三角形を描く形で座る事になる。

 特に拘りはないので、あたしは左側、セシルは右側に腰を下ろした。

「座席のベルトを締めて!!」

 エリナに言われたが、そんな事やったことはない。

 しかし、直感的に分かる、左にある留め具をベルトごと引っ張って右の留め具に差し込むだけ。確認したが、セシルも大丈夫そうだ。

「準備出来たわよ」

 エリナに言うと、彼女はサムアップして応えた。

「じゃあ、行くよ。まずは見学。この機の真価を見せてあげる」

 エリナはパチパチと正面パネルのスイッチを弾いた。甲高い音が巻き起こり、機体が微振動し始める。それと同時に、いくつかパネルに埋め込まれた「窓」のようなものに恐ろしい勢いで文字列が流れ始めた。読めているのかは、疑問である。

「第一エンジン始動!!」

 ドン!! とでもいうか、そんな衝撃が機体を揺さぶり、甲高い音がいよいよ激しくなった。

「第二エンジン始動!!」

 再び衝撃。……これで、爆発なんてしたら笑えるぞ。

「両エンジン、安定動作確認。補助動力装置カット。垂直離陸モード確認。離陸!!」

 エリナが超人的な動きで、色々なレバー類を操作する。あたしにゃ出来ぬ……。

 フワリとした感覚があり、巨体がゆっくり地面を離れた。外から見たら、なかなかの迫力だっただろう。

 機体はそのままスルスルと高度を上げ、一千五百メートル付近(エリナの読み上げによる)で水平飛行に移った、

「ねぇ、覚えてるよね。みんなで『ルクト・バー・アンギラス』を倒したの?」

 機体を大きく旋回させながら、エリナがポツリと漏らした。

「忘れるわけないでしょうが……」

 たった一年前の激闘を忘れるほど、あたしの頭はもうろくしていない。

 現出して三日で世界中をほぼ壊滅に追い込んだ、恐るべき存在であったが完全に粉砕したのだ。

「ならばいいわ。これから見せるのは、『現実』よ。遠いか近いかは別にしてね」

 意味深な事を言いながら、エリナはパチパチパネルのスイッチを弾いた。

「魔道エンジンロック解除。時空座標軸固定、プリセット『終わりの日』。オーバードライブモード!!」

 瞬間、窓の外の景色が歪み、全くの闇になった。

「ちょ、なに!?」

「魔術でもあるでしょ、『時間操作系』。あれの魔法版の最上位クラスにある、とある魔法を魔道工学とくっつけて……開発に三年掛かったわ。『時間を旅する機械』のね」

『はい?』

 あたしはともかく、冷静なセシルすら変な声を出した。

 魔法というのは、あたしたちが普段使う魔術の元となったもので、今では使える人間はいないし、仮にいても使用は固く禁止されている。力が強すぎるのだ。

 まあ、エリナは少々特殊な環境にあるのだが、魔法と魔道工学をセットにしたらもの凄まじい事になる。しかし、問題はそこじゃない。「時間を旅する機械」?

「あー、言っておくけど、嘘じゃないし、あたしは至ってまともよ。あなたたちが言いたいことも分かるから、言わないで結構。あと一分もすれば分かるから」

 先手を打たれ、あたしはなにも言えなくなってしまった。ただ、隣のセシルと顔を見合わせただけ……。

 ……時間旅行。今まで何人の魔道師が研究しただろうね。でも、成功したという話しは聞いていない。それを、たったの三年? 魔法を使っているとはいえ、出来たら天才なんて言葉じゃ生ぬるいでしょ。バケモノだ。

「さて、そろそろね。ちょっと揺れるわよ」

 エリナの声と共に、闇だった景色が元に戻った。緑はほとんどなく、ビッシリとみたことのない建物のようなものが乱立しているが……。

 それを、どっかで見覚えのある純白の光線がなぎ払い、一瞬で瓦礫の山に変えて行いく。嫌な予感しかしない……。

「魔道エンジンロック。時空座標プラスマイナスゼロ。通常飛行モード……これが、現実よ。あたしたちの時代から、約二千五百年後のね」

 ……ボケればいいのか。これ?

「……これの処女航海で見つけちゃった。『ルクト・バー・アンギラス』は復活している。そして、この先の未来にはどうしても行けない。この魔法の限界なのか、もしくは、世界が『ない』のか」

 機内は魔道エンジンの音だけで満たされた。じゃあ、苦労して倒したのは無駄だった?

 しばしの沈黙の後、口を開いたのは「私」だった。

「あー、あんまり時間なくて、ちゃんと調べられなかったんだけど。『ルクト・バー・アンギラス』は破壊神の『手』みたいなものだっていう文献があって……倒したところで『本体』にはさしたる影響はないって。どうやら、当たりみたいね」

 あたしの口からこぼれ出た言葉は、あたしが言った言葉ではない。ちゃんと説明すると長くなるので要点のみいくが、あたしの生きる時代から五百六十年前、ある狂気の魔法を封印しようとして中途半端に暴発させ、以来その子孫に知識などなど肉体以外をそっくり移譲させるという、わけのわからん事態を引き起こした魔道師がいた。その名はアリス・エスクード。つまり、あたしの祖先である。

 そのアリスは先の「ルクト・バー・アンギラス」戦で格好良くオイシイところをかっさらい、自らをあたしの「中」に再封印しようとしてボケをかまし、以来人格や知識やなんか色々混ざってしまったのだ。お陰で、一人言い合いとか漫才も出来るぞ。クソ!!

「なるほど、それで対抗策は?」

 エリナが小難しい顔で言った。

 あたしが口を出すとややこしいので、アリスに任せることにした。

「臭いものに蓋をする。つまり、大元を倒す……のは難しいかな。なにしろ、『手』を倒すだけで精一杯なんだもの……」

 再び機内は沈黙に包まれた……。

「あの、専門外なので、発言してよいか分からないのですが……」

 セシルが遠慮がちに言った。

「何でも言った者勝ちよ。言っちゃえ」

 ……アリスよ。

「はい、その『本体』とやらを封印してしまうのはどうでしょう? 文字通り『蓋』です」

「うーん、悪くないけど、それだけの結界術士が……ああ、いたか」

 ……嫌な予感しかしない。

「なにしろ、私が何年も掛けて構築した『大結界』を数ヶ月で再構築させて、あまつさえオリジナルの術式まで考えられる術士。まさに、結界魔法のスペシャリストね。はい、マール、交代!!」

 ……おい、こら!?

「ったく、黙っていればこれだ。って、なに?」

 シートの背もたれ越しに振り向いたエリナ、隣のセシルの目が一点にあたしに集中していた。

「待ってよ。結界って意外とデリケートなのよ。相手の情報も分からないで、術式が構築出来るわけないでしょ!!」

 目隠しでグルグル回って、誘導なしで一撃でスイカを叩き割る方がまだ楽だ。

「つまり、情報があれば、術式は構築出来ると……」

 エリナの目がキランと光った。

「可能性があるってだけよ。保証はできない。大体、そんな資料どこにあるのよ。あたしたちの時代じゃもうほとんど……あっ」

「魔道エンジンロック解除。時座標軸固定、プリセット『始まりの日』。オーバードライブモード!!」

「こら、あたしはまだ出来るとは!?」

 かくて、あたしたちは飛んだ。再び時間の旅に……。


「ここが『始まりの日』。マールの時代から五百六十年前ね」

 窓の外は、いきなり緑あふれる田舎風景に変わった。なんていうか、忙しい。

「さっきの未来から先に行けないように、この時代から過去にも戻れない。これは推測だけど、これより過去にはあたしがいなかったからだと思う」

 エリナは小さく息をついた。

 ……そう、エリナは見た目こそあたしとさほど変わらない年齢だが、実は「この時代」から延々と生き続けているのである。というのも、これまたボケナスなアリス・エスクードなのだが、遊び半分でわけのわからない魔法を使ったところ、エリナがいわゆる異世界召喚されてしまい、それっきり帰れなくなってしまったのだ。

 なにか理由をこじつけていたが、あたしはそういう認識である。本人と記憶を共有している今はなおさらだ。つまり、よくある魔法事故の大規模なやつである。

 まあ、エリナにしたら歳は食わないし、つまり死ねないし、とんだ災難なのだが、本人はあまり気にしていないようなので、あたしもあまり突っこまないようにしている。

「なにか、懐かしいような。帰ってきたような……」

 あたし……私の口から自然とそんな言葉がこぼれ落ちた。

「ったく、忙しいやつね。感慨に浸る暇があるなら、あたしを元の世界に戻しなさい!!」

 うっ、エリナが怖い。分かればやってるっていうのに……。

「ほら、あんたはいいから引っ込んでなさい。面倒くさい!!」

「はーい……」

 やーい、怒られてやんの。

 うるさい!!

「さてと、この時代にきたのはいいけど、どっかいい場所あるの?」

 この時代、アストリア王国も魔道院もあるが、魔道院にすんなり入れるとは思えない。

「そうねぇ、とりあえずアリスの研究室行こうか。下手な図書館より書物が揃っているわよ」

 言うが早く、エリナは操縦桿を切った。さて、何が待っているやら……。

 若干残念な暴発魔道師とはいえ、魔法の才に関しては文句なしに天才のレベルに達していた彼女の事。もちろん、この件以外にも現代に戻ってからの魔術研究に役立てるつもりは、大いにあった。魔道師とは、そういう生き物である。


 アストリア大陸から大洋に出てちょっと。絶海の孤島にアリスの研究室はあった。

 魔道師の個人研究室が不便な場所にあるのは、実はそう珍しい事ではない。研究成果を盗まれないためという目的もあるが、危険な実験で万一の場合に巻き添えを出さないためという配慮もある。

「……とはいえ、ここまでというのも珍しいけどね」

 エリナの操縦に従い、荒れ狂う海の上空をシルバー・ウィングは行く。今日は天候も良くないようで、時々機体が風に煽られるのがなんとも……。

「こりゃ難しい着陸になるわよ。腕がなるねぇ」

 エリナよ、無駄に喜ぶな!!

「さて、見えてきた。揺れるよ!!」

 遠くに見えていた島影が見る間に近づいてくる。ほどなく島の上空に達すると、垂直降下でゆっくり降りていく……が、揺れる揺れる。車輪が島の地面を掴んだ衝撃が来た時、あたしは大きく息を吐いてしまった。

「はい、到着。お疲れさま」

「あなたもね」

 エリナと声を掛け合い、あたしたちはゾロゾロとシルバー・ウィングを降り、なかなかおしゃれな石作りの家に向かった。

「待って、罠があるかも……」

 全くの無警戒で行こうとする二人を、あたしは慌てて止めた。

「ああ、アリスに関しては大丈夫。そういうところ抜けているから」

 エリナがこの上ない笑顔でそう断言した。

 ……ううう。

 はいはい、よしよし。

「なんか、大丈夫っぽい。行きますか」

 家の扉は当然鍵が掛かっていた。さて……。

「エリナ、鍵持ってる?」

 答えは分かっていたが、取りあえず聞いてみた。

「うんにゃ、持ってない。まあ、そこの植木鉢の下だっていうのは分かるんだけど……」

 ……な、なんで分かるの!?

 いいから!!

「問題は鍵穴。ここに結界が……」

「はい、解除!!」

 パンパンと手を打ち鳴らしながら、あたしはエリナに言った。

「は、はや!?」

 さすがに驚いたらしい。珍しく目を丸くしている。セシルも似たようなものだ。

 ……あの、それ魔法的フーリエ……。

 はい、分かってるし長いから却下。こんな単純なの滅多に見ないわね。

「それ、王都の査察官も解除出来なかった、伝説の結界なんだけど……」

「ヘボだったんじゃないの?」

 魔道院にいた頃は、主に遺跡探査の仕事をしていた。この程度の結界が解けないようでは、到底仕事にならない。

「ま、まあ、いいわ。中に入りましょう」

 エリナが植木鉢の下から取り出した鍵で家の中に入り、最初に感じたのは紙とインクの匂いだった、

「凄い……」

 家の中は、まさに書物の塊だった。僅かな作業スペース以外、ギッシリと書物が積まれている。ふむ……。

「ここだけじゃないわよ。地下書庫もあるから、蔵書は何万で利くかな……」

 エリナがげんなりしたように言う。こりゃ、ここに骨を埋めますかって……ちょい待ち!!

「エリナ、セシル、ちょっとこれ見て!!」

 作業テーブルの上に置いてあった紙に、何とはなしに目が行ったあたしは叫んだ。

「アリスも感づいていたみたいね。「黒幕」を封印する魔法の。骨格だけは研究はしていたみたい」

 紙束に落書きのように、書かれている内容をパラパラ見ながら、あたしは皆に言った。

「なるほど、わからん」

「それが、重要なんですね」

 結界は専門でない二人の反応はイマイチだったが、これは大きな進展だ。

「二人とも、悪いけどこれから指示する、キーワードが載った書物をかき集めて。全部!!」

 そう言えば、アリスが喋ってこない。記憶もアクセス出来ない。おもしろい、お手並み拝見ってか?

「はいはい」

「分かりました!!」

 魔道師の中でも結界術に秀でた才がある人間を、結界術士と呼ぶ。それだけ、特殊な世界なのだ。全ては計算の世界、魔力が強けりゃいいってものじゃない。

 その結界術士の静かな戦いが、今ここに始まった。


十日目……


「よし、出来た!!」

「終わり!?」

 書物漁りに疲れた様子のエリナが、その目を輝かせた。

 しかし、無情にもあたしは首を横に振った。

「まだ骨格だけ。これから肉付けよ。これとあれとそれが載った……」

 エリナが床に沈んだ。セシルは黙々と自分の仕事を続けていった。


三十一日目


「よし……」

「こ、今度こそ……」

 エリナに向かって、あたしは黙って首を横に振った。

「あんた、ほとんど寝てないし食べてないじゃん。死ぬよ?」

 あたしは返事の代わりに、作業台に視線を戻した。

 セシルは……立ったまま寝ていた。


九十七日目


「ふぅ、完成……」

 最終的にまとまったのは、紙一枚に書かれた『呪文』だけ。

 ……絶対結界。誰にも破る事が不可能な結界の事をそういうのだが、これはまさにそれに近いものだった。

 お疲れさま。まさか、ここまでやるとは。

 どうも、凝り性なもので。

「マール、あたしはあんたの事を、本物の戦士として称えるよ。ごめん、限界……」

 ついにエリナが倒れた。いやいや、大した根性でした。

「申し訳ありません。私も……」

 ついで、セシルも盛大にぶっ倒れた。

「あーあ、大丈夫かな。結界術士はこのくらい当たり前だからなぁ……」

 あたしは大きくノビをしてから、役立ちそうな書物漁りをするのだった。

 結局、全員が復調まで、三日の時間を必要とした。


「さて、問題はいつどこで使うかね……」

 アリスの家は手狭なので、シルバーウイング後部にある居間で作戦会議をしていた。

 初めて入るが、間接照明に照らされた室内はなかなかな快適である。

「それについては、私から……」

 あたしの口から勝手に言葉が漏れ、体が勝手に動く。初めてではないが、気持ち悪いのは変わらないものだ。

「まず、『時代』ですが、ここではなくマールさんの時代で行います……」

 『ルクト・バー・アンギラス』は、一定の周期でこの世界に現出している。理論的にはいつでも同じはずだが……。

「この時代で私が『この時代』の『ルクト・バー・アンギラス』を封じるために『大結界』を展開します。大規模な結界ゆえにとてもデリケートです。もしここで、マールさんが作った強力な結界を展開すれば、相互干渉を起こして最悪両方の結界が失われかねません。そうなれば、恐らくあなた方は生まれなかったでしょう……」

 今はまだ平気のようだが、この時代に「ルクト・バー・アンギラス」は現出している。「大結界」というのは、アリスがそれを押し返すために、全世界規模で展開した結界で、以降、五百六十年間『ルクト・バー・アンギラス』の現出を抑えていたのだ。もし、余計な事をすれば、この時代で世界は終わってしまうはずだ。

「なぜ『現代』なんですか?」

 セシルが最もらしい事を聞いた。

「いい質問。あの時代、私が展開した大結界は一度完全に消滅した。事故で……」

 ……くっ、事故の内容については最高機密だ。

「その後、マールさんは自分の魔法で大結界を再構築しました。結果的に『ルクト・バー・アンギラス』に破られはしましたが、その残滓は世界中に残っています。これがポイント一です。自分の魔法同士なら相互干渉を起こしにくいので、強力な結界を展開しても問題にはなりにくいでしょう。これがポイント二。そして最後が……」

 そこで一旦言葉を切り、皆を見回した。

「今、結界を張っていないですよね。『ルクト・バー・アンギラス』を倒して油断しすぎですが、これが功を奏しました。……術者が突撃するんです。そして、直接『黒幕』に結界を掛けて封じ込める。これしか手はありません。今は静かなだけで、異界のゲートは開きっぱなしですよ」

 室内に沈黙が落ちる。まあ、やれと言われりゃ、やりますが……。

「うーん、突撃とか燃えるんだけど、どうやってやるのさ。この機体じゃ持たないし多分大きすぎると思う……」

 エリナがぼやくように言った。

「カーゴルームに、退屈そうな二頭のドラゴンちゃんがいました。使えませんか?」

 「あたし」とセシル、お互いに顔を見合わせてうなずいたのだった。

「では、もう少し詰めましょうか……」

 作戦会議はどんどん詰まって行った。


「魔道エンジンロック。時空座標プラス六分。通常飛行モード」

 面倒なのであたし視点で書くが、こうして現在に帰ってきた。空中発進とかやったら格好良いんだが、スペースがなくて危険だし、着陸状態じゃないとカーゴルームが開けられないとのことで、一旦適当な場所に着陸し、久々にドラゴンに騎乗していた。前方を行くはシルバーウイング。その後部をセシルと並んで飛び、三角形を描くいつものフォーメーションだ。

『いよいよですね。少し、緊張してきました』

 無線からセシルの珍しく緊張した声。

「なに、簡単簡単、降りて潰して帰るだけ。どってことないって」

 わざとお気楽に返すあたしの額には、うっすら汗が浮いている事くらい気がついていたが、気にしないことにした。

「『魔の巣』上空よ。先生、やっちゃって下さい!!」

 隣を飛ぶセシルが、背負っていた謎の魔法剣を抜いた。刀身が光り輝いている事からも、相当の魔力を込めている事が分かった。

 ……この一撃で折れるな。

 長年の経験からあたしはそう察した。そして、セシルは力強く剣を振った!!

「だぁぁぁ!!」

 普段の彼女からは想像も出来ない、気合いの声と共に放たれた強烈な魔力の刃は、眼下の海を文字通りズバッと切り裂いた。

「すげ……」

 可能と聞いて立てた作戦だが、いざ見ると凄まじい。天才的な剣の腕を持つ彼女ならではの、少々荒っぽい作戦である。

 おっと、そんな事を言ってる場合じゃない。

 降下目標であるあまり近寄りたくない色をした、洞窟のようなもの目がけて、あたしとセシルのウィンド・ドラゴンは一気に突っこんだのだった。


 てっきり、敵さんお待ちかねかと思いきや、道は一本道だし気持ち悪い事以外は、特に問題はなかった。ウィンド・ドラゴンで飛んで行けるし。

「ねえ、気が付いている?」

 あたしは無線でそっとセシルに聞いた。

『はい、これだけの気配。気が付かない方が難しいです』

 特になんの事はない。「ソレ」は通路の奥で、腐った魔力を撒き散らしながら鎮座していた。蛇のような触手の集合体……あたしは黙って拳銃を抜くと、全弾そいつに叩き込んだ。

「マール様!?」

 セシルの慌てた声がしたが効いた様子はない。しかし、反撃もない。

「腐りすぎて、本体は反撃する能力までなくなったか……」

 もはや、こいつに用はない。私は苦労して作り上げた結界魔法の詠唱に入った。自慢の超高速詠唱。三十秒と掛からない。そして……。・

 パキーンと済んだ音が響き、三角錐型の光の壁が現れた。これで、あらゆるものが遮断された。もう、二度と「ルクト・バー・アンギラス」が現出する事もない。この結界を解除する方法もない。そして……。

「あー、やっっぱり崩壊が始まったか」

 この洞窟はあの触手ボールの魔力で作られたものだ。そこからの魔力が途絶えれば、当然崩壊してしまう。喋っている場合かという話しもあるが、現実は冷酷である。ここまでの距離を考えたら、到底間に合うものではない。

 突撃と決めた時から、ある程度覚悟はしていたが……。

「セシル、こっちきなさい。こうなった以上は覚悟決めないとね」


◇◇◇◇


 ……魔の巣 上空 高度百メートル


「一時方向、赤、赤、赤、赤。救難信号確認!!」

 叫ぶと同時に、エリナは発光弾の上がった方角に操縦桿を向け、ラダーペダルを踏んづける。同時に高度を十メートルまで落とした。

 シルバー・ウィングは素直に言うことをきき、エリナはコックピットから海面を凝視した。……いた!! エリナは心の中で叫んだ。

 三角錐の透明な結界に包まれて海面を漂い、手を振っているマールやへたっているセシル、ウィンド・ドラゴンの姿も確認出来た。

 「プランB」か。エリナは胸中でつぶやいた。

 「プランA」は通常脱出、「プランB」は結界で身を身を守り、『掘削』の魔術で延々と掘り続けて脱出を目指すという根性系だ。ある意味、マールらしい。

「ここまで二日、待たせてくれるじゃないの。さて、回収しますか。全く、手間が掛かる……」

 そんなエリナの口元には、小さく笑みが浮かんでいた。

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