第3話 アカリ

当日、僕は自転車でタマヤに向かった。天気予報は晴れだったが、どことなく雲が陰っていた。タマヤに着き、ドアを開けるとめずらしく旦那さんが店番をしていた。カウンターに座り、メガネの奥からディスプレイを覗き込んでいる。他に客はいない。僕はいつものように古書のコーナーを物色しながら、ミカを待つことにした。せっかく来たんだから何か買っていってもいい。ここで買った古本をタモツにあげて喜ぶとは思えないが、パーティーで手持ちが何もないよりましだろう。


「テツ君。ひさしぶり」


店主の多摩さんが気づいたようで、声をかけてきた。


「どうも、おひさしぶりです」


「これからタモツくんのパーティーだってね、楽しんできなよ」


この人の口から、真っ先にこの言葉が出てきたのは意外だった。


「多摩さん、タモツのこと知ってるんですか?」


「知ってるよ、オスロで会った。熱を入れてよく喋る子だった。あのときはもしかすると日本語に餓えていたのかもしれない」


多摩さんは商品の仕入れに直接出向くことがあると言っていた。「手に取ったり、会って話さないとわからないことがあるから」と。外国を頻繁に行き来していれば、とりわけタモツが2年もいたオスロだったら会っていても不思議ではない。国外における日本人同士のネットワークは、思いのほか小さい。日本人同士の知り合いをたどれば共通の知り合いがいた、というのはよくある話だ。


「もしかして、多摩さんも今日呼ばれているんですか」


「僕はほら、店番だから。嫁だけが行くことになった。もうすぐ来ると思う。それから、ミカちゃんも」


「ミカも知ってるんですか?」


「知ってるも何も、そこに置いてあるのは彼女のだよ」


多摩さんはカウンターから冊子のコーナーを指差した。


「あの、左の方に」


僕は冊子のコーナーに近づくと、ミカの作品を探した。手に取ったのは、画用紙のような紙質の表紙、隅に『細田未果』と印字されている、これだろうか。どことなく見覚えがある。中を開くと、滝が出てきた。青と緑のグラデーション、5つに分かれた滝壺、タモツに見せられた写真だ。


「これ、ミカが撮ったのか」


「ミカちゃんはこっちに来るとき、ときどき寄ってくれるそうだ。僕は2回しか会ったことないけどね。そのときに置いていってくれたのが、今テツくんが手に持っているそれ。ミカちゃんとはここで知り合ったんじゃなかったの?」


「僕は、前の旅行先で」


「そうか、いずれにせよ知り合いなんだから、3人で楽しんできてよ」


3人。タマヤのドアが開くと、奥さんとミカが順番に入ってきた。


「こんばんは、お待たせした?ここに来る途中にミカちゃんと会って、話しながら歩いてきたから」


奥さんの手には閉じた傘があった。ミカは傘を持っていなかったようで、奥さんよりも濡れていた。


「あ、それ」


ミカは僕の手にある冊子に気づいた。僕は写真を広げて見せた。


「驚いた。僕がこれを見たのはずっと前の事で、タモツが持っていたんだ」


「え、嘘、なんで?タモツくんと知り合ったの最近だよ?それ作ったのはずっと前だけど」


「さあ、知らない。タモツに聞いてみるか」


タマヤの奥さんが、不意に顎に手を当て、思い出すように宙を見上げた。


「あの子、確かここで買っていった」


「あれ、タモツくんってウチ来たことあったの?」


多摩さんがカウンターから声をかけた。奥さんは宙に向けていた目線を下ろし、多摩さんの方へ向けた。


「ヤスくんはいなかったと思うけど、来たことあったね。そのときに買っていったと思う」


「そうか、それにしても、よく覚えていたな」


「うーん覚えていたというより、その写真を見て思いだした」


奥さんは僕の手にある冊子の方を見た。


「テツくんが見せたその湖群の写真、タモツくんがじっと眺めていたから」


タモツはここで、奥さんから滝の写真を買った。オスロでは旦那さんの多摩さんと会っている。そのあと実物を見に行き、帰りに僕と会った。僕がタモツに見せられた写真は、タモツが現場で撮影したものではなく、現場に向かうために手に入れた物だったようだ。そして撮影したのはミカだった。


しばらくしてから、タモツは滝の写真を撮ったミカとフロリダで会っている。知ってか知らずか、偶然にしては奇妙だ。ここにいる全員が、別々の形で、別々の場所で、別々の縁でタモツと関わっていたことになる。そして今日はタモツの帰国祝いパーティーだ。


「じゃ、そろそろ行く?私は道わからないけど、テッちゃんわかるよね?」


ミカはあっさりしている。僕はパーティーがある店の住所を地図で検索した。


「大体の場所なら」


「じゃ、とにかく行こっか。タマさんアカリちゃんお借りしますねー」


「よろしく」と多摩さんは短く答えた。外に出ると雨は上がっており、傘は持たなかった。空はもう暗く、月は見えない。うっすらと曇っていた。

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あの時間 川添 @kawazoi

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