第2話 ミカ

11ヶ月後、タモツから連絡があった。それは結婚披露宴の招待ではなく、帰国祝いのパーティーという、よくわからない催しだった。おそらくタモツはこのパーティーにたくさんの人を招待しているだろう。参加を断ろうと思った。何もわざわざこんな場に出向かなくていい。そう考えていたらタモツから連絡が来た。


「きみのことだから、おそらく参加を見合わせるだろうと思ってね、直接連絡させてもらった。覚えているか?一年前のこと、俺は忘れていないぞ。こんなものはただの会う口実に過ぎないんだ。あのとき言ったような結婚披露宴ではなくなったが、そんなことは大した問題じゃない。せっかくに1年ぶりに日本へ帰るんだ、結婚こそなくなったが、それは俺がフロリダにいる間に婚約が破棄になったせいなんだけれど、彼女はこっちへ来ていたんだが、どうも俺との共同生活に耐えられなかったらしく、そんなことはきみには関係ないから一週間後の帰国祝いパーティーには参加すればいい。きみが来ることに意義があるんだよ、気兼ねなく参加してくれ。そうは言ってもきみは面倒に感じるだろうから、俺もそれなりに対策を用意している。というのはね、ミカを呼んでいる。名前だけを言ってもわからないかもしれないが、ミカはあのミカだ。きみは旅行中に会っているはずだ。あまり印象にないかもしれないが、向こうはきみのことをしっかり覚えている。なんたって、宿に日本人はきみしかいなかったらしいからね。きみはいつもそういう宿を選んでいるのか?俺だって人のことは言えないが、俺の場合は偶然だ。とにかく、彼女はきみのことを覚えている。必ずしもいい印象ではなかったかもしれないが、彼女と会ったのは半年ほど前だろう?俺よりも前のはずだ。俺とミカはフロリダで会ったんだ。彼女はその前にきみに会っている。違うか?」


このまくし立てられる感じは久々だった。


「ああ、"ミカ"ね。知ってる」


旅行中のホステルにいた日本人の女性だった。最近のことだし、確かに他に日本人はいなかったから覚えていても不思議ではない。外国にいるときの習慣で、日本人でもお互い下の名前を名乗った。ミカという名前は他にいなかった。僕とミカはお互い読み終えた本を交換していた。日本語の本を見つけられない外国で、旅行者同士がよくやることだ。旅行中の写真も何枚か見せてもらった。コニカの古いフィルムカメラで撮られたものだった。仕事で使うと言っていた割には、特徴のある写真だったことを覚えている。普通仕事で使う写真は、わかりやすい観光地のものだと思っていたから意外だった。


「それからもう一人いるんだ、実は。きみを参加させようと思ってね、それだけじゃないが、とにかくもう一人きみが知っているはずの人を誘っている。なんだったら事前に連絡取ればいい、アカリだよ。アカリはミカとも知り合いだからちょうどいいんだ。きみにとってもね。僕と知り合ったのはずっと前、それこそ日本にいた頃だから3,4年前になるが、きみのことを知ってると聞いて驚いたよ。きみがアカリを知ったのは多分ここ1年の間、やっぱり俺がフロリダにいる間だろう?ミカともほぼ同時期だ。きみはミカとアカリが友達だったことを知っていたか?俺は知らなかった。俺と知り合った後に友だちになったのかもしれない。なんたって、俺が会ったのは時期も場所も全然違うからね。きみは二人とも最近知り合っているはずだ。だから二人が友達だということも知っていたかもしれない、下手すれば3人で会ったこともあるんじゃないか?だったら俺のパーティに参加するにあたって尚更都合がいい」


僕はアカリという名前を思い浮かべた。アカリという名前には聞き覚えがない。人を下の名前で呼ぶのは外国にいるときだけで、日本で知り合う人は名字しか知らない。外国で知り合っていたら覚えているはずだが、少なくともこの1年は外国で、日本人のアカリという女の子と知り合うことはなかった。ミカと共通の知り合いというのも心当たりがない。ミカとも日本では会っておらず、普段も接点がないから、タモツから名前が出るまで忘れかかっていた。


「残念ながら、"アカリ"という人に心当たりはないよ」


「なに?そうか、それでも会えばわかるだろう。だから当日は知り合いがいると思って気軽に来てほしい。退屈せずにすむだろう。きみが来ることは2人にも言ってあるんだ」


「わかった、行くよ。2人はともかく、こうやってわざわざ連絡もらったんだ。断ったりはしない」


「だろうな、それもわかっている。2人は保険だ。話題のついでだと思ってもらったらいい」


僕が保険なのか、それとも2人が保険なのか、おそらく両方だろう。


そして数日後、ミカからメッセージが来た。


> タモツくんから招待状届いた?テッちゃんとアカリちゃんも行くって聞いたから、場所は知ってる?そっちのことあまり詳しくないから一緒に行けたらと思って


ミカが日本でどこに住んでいるのか知らなかった。こんなパーティーのためにわざわざこっちへ来るのだろうか。


> いいよ


と僕は返しておいた。次の日にまた返事が来ていた。


> じゃあタマヤで待ち合わせね。当日6時で


タマヤ、タマヤと言われて思い当たるのは、町外れにある小さな本屋だった。芸術系大学が近くにあり、小さな本屋ながら学生をいつも見かけた。そこには絵画やイラスト、彫刻や演劇、デザイン、写真、その他の専門書だけでなく、他で売っていない自費出版の本や、数に限りがある輸入物の小冊子、フリーペーパーが置かれている。紙の本でしか買えないようなものを買うときに、よく足を運んでいた。地元ではちょっとした有名な本屋で、雑誌等で何度も取り上げられたことがあった。ミカが知っていても不思議ではない。


タマヤは若い夫婦が2人で経営していた。旦那さんはもともと出版社から仕入れを行う取次の仕事をしていたそうだが、実家の本屋を畳むと聞いて後を引き継いだそうだ。その際に取次は一切行わなくなり、直取引の経営に切り替えたと言う。それから品揃えも一新して現在の独特な店舗に至る。買い付けは主に旦那さんが行っており、店頭に顔を出しているのは奥さんが多かった。本の配置や並び、内装の細々した部分まで、販売に携わることは奥さんが担当している。カウンターで配送用の梱包をしている姿をよく見かける。


タマヤで僕が訪れるコーナーは限られていた。古書のコーナーか、小冊子のコーナー。古書のコーナーでは名前も聞いたことのないような絶版の本だったり、今は誰も読まなくなった時代遅れの新書、探しても見つからない海外文学の邦訳版が捨て値で置かれていた。僕が旅行先を訪れる前に買った『ドリナの橋』という本は、翻訳が古く状態も悪かったけれど、とりあえず読むために買うだけなら十分だった。買ってしばらくしてから店に行くと、また同じ本が置かれていた。同じ本を仕入れるようにしているのかもしれない。


小冊子のコーナーでは、主に写真の冊子を買っていた。界隈で有名な写真家の冊子も取り扱っている。東京にはそういうものばかり取り扱っている本屋がいくつかあったけれど、このあたりには他になかった。地方では買う人が少ないからだろうか。この本屋も芸術系大学近くという立地でなければ、このような品揃えで続けられないように思う。有名な写真家と同じ並びには、近くの学生や卒業生が自費出版で作った冊子も置かれている。なんとも不思議な光景だ。


置いていくのは店主の個人的な知り合いやお客さんが多いらしく、配置はやはり奥さんが決めていた。このあたりは作る方も売る方も商売というよりは、自己実現の場としての意味合いが大きくほとんど利益にならないだろう。それらを手に取れば、荒削りでむき出しの表現が散りばめられており、正直なところわけがわからなかった。じっと目を凝らしていると、カウンターから奥さんが出てきて解説してくれた。奥さんは美術館における学芸員のような役割も行っている。作家のプロフィールや作品の背景を説明するだけでなく、個人的な感想や好みも添えられていた。


奥さんはその静かな語り口調に似合わず、おもしろおかしく話す人だった。接客というよりも友達と話しているような雰囲気で、お店や本とは全然関係ない話もよくしていた。学生時代は映画製作を学んでいたが、その道に本気で進むつもりはなく会社員として働いていたそうだ。大学で知り合った旦那さんと結婚して、同居しながら別々の仕事をしていたけれど、旦那さんが本屋を引き継ぐにあたり、会社を辞めて店を手伝うことにしたと言っていた。


「どうも、組織が合ってなかったみたい。組織と付き合うことはかろうじてできるんだけど、組織の中にいるのが窮屈で。ヤスくんとだってよく意見が食い違うのに、それが大人数になると疲弊してしまって、前に進む頃には気持ちが萎えてしまう。だからなるべくイエス・ノーがはっきりしていて、個人の意見が通りやすい人と付き合うことにしてるの。あ、これは仕事上の話ね。日常生活ではもっと見境ないから」


タマヤで待ち合わせ。僕はタマヤがこの本屋のことなのか、念のためミカに確認することにした。


> タマヤって本屋の?


返事はすぐに返ってきた。


> そうそう

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