01
まるで生活感のない静謐な小部屋で、ブロックを積み上げる音がする。
随分高く積み上げたものだ、と感心していた矢先、彼女はそれを自ら崩してしまった。
けたたましい音を立て、ブロックはばらばらと床へ転がる。
「あーあ。なんか、ご機嫌斜めだな」
俺がぶつくさと文句を告げると、舞は宥めるように語りかける。
「ずっと見てるからじゃない? 更、暇さえあればその子の前にいるから」
よいしょ、と年寄り臭い台詞を吐いて、舞は手に持っていた山のような紙束を机に置いた。
東神凍耶がmaiを利用し、意識下の世界を構築してから、一年が経とうとしている。
maiを連れ帰り――正確に言えば、彼女に現実での実体はないため、連れ帰ったという表現は的確ではないが、俺たちが現実に帰還したあの日から、人工知能研究は抜本的な改革を求められた。
ディスチャージアプリを始め、東神霞、凍耶の開発したシステムは凍結。多大な情報を内包したセフィロトは、人体に接続不可能な状態、つまり、社会インフラ、外部の機能を司る稼働のみに留められることとなった。
セフィロトが生み出した人格、maiがどうなったか?
俺の眼前にあるモニターに、彼女はいる。
「こいつの知能って、今何歳くらいなんだ?」
俺は、資料を纏める舞に訊ねる。彼女は作業を続けながら、答えた。
「小学生くらいかな。ある程度、分別はつくと思うよ。……でも、まだ会話は出来ないだろうけど」
舞は、口に手を当て、大きな欠伸を漏らした。おぼつかない足取りで、仮眠室へ向かう彼女は、俺に振り返り、
「ほどほどに、ね」
と言った後、仮眠室の扉の奥へ消えていく。
「何事も、ほどほどに……まあ、そうだわな」
独り言ちて、モニターに向き直る。
奇妙な体験、と言ってしまえば空想のように感じるが、東神親子とセフィロトを巡る一連の仮想体験は、俺の脳内、しいては身体の奥底に染みついているように感じる。
コンパウンドシグナル下の多層世界で、ファンクションコントロールによる現実への精神移送が行われ、あちら側に存在した多くの人格は、幻想の産物として消え失せた。いや、正確にいえば、眼前のモニターから繋がる広域のネットワーク内にその人格は存在するのかもしれないが、どこに散らばったのかも判然としない欠片を見つけ出すには、このネットワークは広大すぎる。
「お前だけだな、知ってるのは」
モニター内で不機嫌そうに頬を膨らますmaiは、俺を一瞥したあと、またブロックを積み上げ始めた。
現実の人間を元に形成された存在が消え、三園舞を始めとした多くの被害者たちは、仮想世界での出来事を夢の中での出来事と捉え始めているようだ。
かくいう俺も、明確な記憶を保持しておらず、帰還後には手に取るようにありありと感じられたあの世界での出来事が、遠い、それこそ夢の奥で起きた現象のように思えていた。俺の内部に微かに残る二階堂アラタの感覚は、日に日に薄らいでいく。だが、完全に消え失せたわけではない。焦燥や悲観、諦観などの悲愴的な感覚のみが、俺には蓄積されている。その原因は、現実の情報を保持したまま多層世界に干渉したからだと俺は考える。分離されていた意識の統合、そして、再びの分離。いやはや、思い返してみると、無茶な行為に身を賭したものだと自嘲したくなる。
だが、その結果、今の安息がある。
もしかすると、俺に残るアラタの感覚は、彼からの戒めなのかもしれない、とも思う。
思い悩め、と少し意地悪な、願いにも感じる。
進み続ける研究に、小休止を。
多層世界の被害者を集めた集会で、そう提案したのは、俺だったが、多層世界での記憶を保持していないはずの舞も、その意見に賛同してくれた。
「あの子たちが常軌を逸した成長をするなら、私たちは捉え方を変えなきゃいけないね」
解釈は多様にある。
人工知能に身を委ねることこそが正しいという者もいれば、人知の及ばぬものは廃するべきだという者もいる。
何事も、両極に振り分けて分別できるわけもない。
「もう一度、一緒に育たないと、だね」
舞は、セフィロトおよび、maiの初期化再起動を行った。
与える情報を細分化し、過剰なリソースを割り振らない。
そうしたところで、完全に始めから積み上げられる、というわけではない。
セフィロトが学習した都市機能情報や、人間の行動推移は、セフィロト内に沈殿するように残り続ける。一度動き出したものは、止まらないのだろう。だけど、その方向を変化させることなら可能かもしれない。翻って、俺たち人間が、認識を改め、変化しなければいけない場面もこれから多くあるだろう。
セフィロトに感情を学習させることを目的としたmaiも、初期化したところで全てを忘却するはずがない、とされていた。
maiは、赤子の状態から一年を経て、人間でいう小学生児童程度の意志決定機能を有した。
だが、幼いとはいえ言語形成機能を手にしているはずのmaiは、黙したまま、ある時期から取り憑かれたようにプログラム上の正方形ブロックを積み重ねている。
あるときは、見るからに歪な形状に積み上げ、またあるときは、角と角を丁寧に揃え、積み上げる。
その作業に何の意味があるのかは分からないが、maiは最後にはいつも、そのブロックで出来た塔を自身で崩してしまう。何かを模索するように首を傾げて、一通り不機嫌さをぶちまけ、また、同じようにブロックへ向かう。
「……よく飽きないな、お前」
この作業はもしかすると、俺たちの理解を超えた〝何か〟へと至るための布石なのかもしれないと思うときがある。そんな解釈を製作者様に伝えると、彼女は決まってこう言う。
「きっと、私たちには理解出来ないのかもね……でも、続けなくちゃ、って考えてるんだと思う」
何を続けるのか、という答えは恐らく舞にも分からないのだろう。
現状、平穏に見える世界の中にも、争いの火種は燻りつづけているし、人工知能研究後退をよく思わない研究者の間では、秘密裏に独自研究が行われている、という噂も聞く。
また、東神親子のような存在が現れる可能性は、低くない。
「続いて、止まって、迷って、また始める……」
maiの作業をぼんやり眺めつつ、それともなしに呟く。
多層世界被害者集会では、多くの人間が多層世界の存在を否定した。
記憶も定かでない世界を追憶した人々は、漫然と受け入れられる安寧はないのだと、理解していたのだろうか。そして、選択は今、この現実に譲与された。
「見捨てたくはないな、今度は……」
絵空事を夢見る。
誰もが平穏に、他者を慮り、悠々を暮らせる世界を、夢見る。
多層世界を経験した俺たちは、新たな始まりの位置にいる。
理解の及ばぬものへの畏怖と、遂げられる可能性を秘めた自分たちに、微かな光明を感じ、歩みを進める。
空調のよく効いた研究室は、心地よい暖かさに包まれ、徹夜明けの身体を眠りへと誘う。
あの多層世界の始まりで、手を引いてくれたカノジョ。拘泥する状況から引きずりだしてくれた彼女が、脳裏をよぎる。
選ばなかった多くの選択を身体の片隅に抱えたまま、機能を止めない人間たちを導く手が見える。
――あなたは、どうしたい?
そうだな――決めるのは、俺たちだもんな。
遠のく意識の奥で、懐かしい声が、耳をかすめたような気がした。
――大丈夫。また始められた。あなたたちは、いつかたどり着くよ。
そうだな、いつか――。
それがどこだか、分からない。形も姿も明確ではない。
だけど、もう、離さないと決めている。
例え理解が出来なくとも、意地汚く求めると、決めている。
声を遠くに聞きながら、俺は、いつか醒める夢の中に身を委ねた。
R.E.C. ファンクションコントロール 開拓 @rambling
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