くも

鍍金 紫陽花(めっき あじさい)

第1話

俺の兄貴は蜘蛛が好きで、弟の自分によく自慢してきた。


「ほら、見てみて」


 兄貴が見せた蜘蛛は全身が毛に覆われて、鳥肌が立つ大きさだった。

 兄貴はかごに指をさして説明してくる。それを俺は億劫だなと話半分で聞いていた。正面の蜘蛛を可愛いと感じられなかったのだ。


「兄ちゃん、死んだら蜘蛛はどうするの?」


「ああ、それは―――」




 俺は学校の制服を着て、黒と白の布が垂れ下がった葬式で悲しそうな演技をした。エレベーターから登ってくる兄貴の知り合いは、決まって涙を浮かべている。共通点で興ざめして、俺は気を緩めてしまった。


「兄貴は愛されていたんだな」


 軽口だったと拳を作る。チラリと横の母親を盗み見たら、普段のように行儀よく受け答えをしていた。

 兄貴は交通事故で死んだ。運転手の40代の男性が不注意で信号機に突っ込み、兄貴は巻き込まれてしまった。死んでしまったのは体の半分を持ってかれたように痛く苦しい。でも、俺は涙を流せなかった。

 父親は兄貴が死んだから、好き勝手エピソードを誇張している。それを指摘する気にもなれず、大人の嫌な場面ばかりで吐き気がしてきた。


「鈴木くん」


 顔を上げると一人の女子がいた。髪は後ろで束ねられ、三白眼で眉は細い。俺と同じ制服を見に包み、姿勢が悪かった。


「あれ、河口じゃん。何で?」


 河口は手に持っていたものを渡してきた。札の感触を味わって目を戻す。俺は目線をそらされていた。


「鈴木くんの兄貴とは交流あったから」

「検討つかないな」

「そ、そうなんだ」


 さして興味もなく作法に則って行動をとった。棺桶に近い椅子に腰掛け葬式が始まる。数珠を手にお経が読み上げられていく。それよりも、俺の頭の中は河口と兄貴の関係についてだった。兄貴は弟と同じ年の娘に手を出したと思えない。葬式はさして問題なく終わる。俺達は諸々の行事を終え、自分の家に帰ることになる。


「あ、蜘蛛……」


 兄貴の部屋に入ると、蜘蛛は土の中に潜っているようだった。少なくとも死んでいる様子はない。説明が正しければ土の中によくいる個体のはずだ。


「あ、そうだ。母さん、蜘蛛どうする」


 部屋の前で父親が相談していた。壁越しに母親が話しているのだろう。


「なあ、兄ちゃんからなにか聞いてないか?」


 俺の父親は当然も言ったふうに質問してきた。


「蜘蛛の殺し方とか」



 俺は学校で普段通りに暮らしていた。友達と退屈凌ぎの冗談や愚痴、彼女の変わった行動で笑い合う。


「鈴木って彼女作らないの?」

「作らないってか、そういう気分になれねえ」

「あ、そ、そうだよな」

「それで、さっきの話のオチは?」


 兄貴を言い訳に使った。空の兄貴に心で合掌して詫びる。

 あの日、俺は蜘蛛を見られなかった。兄貴は不幸な事故で死んだから、誰かが面倒を見なくちゃいけない。両親は気味悪がって触ろうとしなかった。


『あの蜘蛛どうするの? ずっと家で放置するの? ねえ、二人はどうする?』


 母親は、その蜘蛛に毒があるから殺すべきだと嫌味ったらしく言ってきた。変化のない家族にため息が出る。しかし、蜘蛛の世話は誰かがしないといけない。そうしないと、兄貴が浮かばれないはずだ。でも、俺は蜘蛛を触れなかった。


「なあ」

「どうした鈴木」

「ここって昆虫採取部とか無かったっけ」

「なにそれ」


 友達は冗談だと勘違いしヘラヘラ笑ってきた。それに腹出てるのも偉そうで調子を合わせる。


「なあ、河口ってどんなやつだっけ」


 隣席の友人は腕を組む。唇を尖らせて、考えを絞り出した。


「話してると面白いけど、壁があるな」

「そうそう。俺達のこと嫌いなんだろうな」

「嫌われてるのか?」

「嫌われてるのは鈴木だろ」

「嫌われてねえよ!」

「あ、話戻るけど。採取部はないけど、近い部活はあるぜ」

「あ、マジで。どこ?」



 放課後の廊下を早歩きで進む。吹奏楽の部員が金楽器を大事そうに抱えて、俺を横切る。廊下の一番端に到着した。吹奏楽部の練習する声が聞こえる。

 俺は教室の扉をノックした。中から飛び上がったような返事が来る。取っ手に手をかけ、1秒待ってから開けた。


「河口いる?」


 教室の中は薄暗くブクブクと水槽から音がした。河口は俺の姿を見て口を大きく開けている。

 扉を閉めて彼女の正面にたった。俺は携帯を取り出して画像欄を漁る。


「兄貴とは、交流があったって」


 彼女は目線が様々な方向に跳ねていた。


「え、う、うん」


 見つけた画像を見えるように渡した。彼女は顔を上げる。


「蜘蛛あげたのって河口なんだ」

「そうだけど……」


 俺は息を吸いこんだ。今からの頼みは自分にとって勇気のいる行動だった。


「飼育方法を教えてほしい」

「い、いいけど」携帯を返すと、机に置いていたノートを閉じた。「何で?」


「兄貴死んだだろ」

「そうだね」

「でも、蜘蛛に罪はないから育てる」

「大丈夫なの?」


 俺は蜘蛛が障れないことを伝える。すると、河口は構わないと宣う。


「その蜘蛛は懐かないから触らないよ。ピンセットでご飯あげたりする」

「そ、そうなのか」


 俺は近くの椅子を取り寄せ、向かいに着席する。河口は体の向きも変え俺に合わせてくれた。


「負担なら私が預かるけど」

「いや、育てたいんだ。そうしないと……」


 彼女は沈黙をして分からないという雰囲気を押した。俺は失言を取り返す。


「兄貴の出来なかったことをしたい」


 兄貴の机は資料が積まれている。知識の宝庫を両親は肩を落としながら片付けていく。きっと、兄貴が大切にしていた蜘蛛も紐でくくる腹なのだ。いや、俺は両親を叱る資格はない。


「わかった。やろう」


 河口は髪の毛を耳にかける。俺に基本的なことを教えてくれた。その姿が夢中で顔を凝視してしまう。きっと、河口に俺の奇行は露見している。


「ありがとう」


 率直な感想だった。しかし、河口は前のめりになっていた態度を改め、机から遠のく。


「初めてだよ。こんなに趣味の話ができたのって。だいたい気持ち悪がられるか、ネタに使われるだけなんだ」

「俺は、河口の熱心さは好きだけどな」

「ありがと」

「それじゃ、今日は帰る」


 俺は椅子を元に戻す。夕日が眩しくて彼女の顔が見られない。扉を開け、振り向きざまに挨拶した。河口は名残惜しそうに扉が閉まるまで手を振っている。



 俺は帰宅して蜘蛛の世話を再開する。餌やりは苦労した。昆虫の身体が歪だからだ。それでも、呼吸を止めて我慢した。餌を与えて食べてくれるのを待つ。

 蜘蛛は珍しく姿を現した。霧吹きされたカゴで蜘蛛は複数連なる。


「兄貴、死んだんだな……」


 少しだけ泣いた。



 俺は吹奏楽部の音色を耳に入れる。気分をあげて、昨日通った教室を開けた。河口は目をむく。


「河口とライン交換していなかったな」

「え、え?」

「これから通うからよろしく」

「えー?!」

「嫌だった?」

「そういう訳じゃ……」


 先生がグラウンドで指導する。先輩が悪質なイジリを後輩に送った。女子トイレで誰かの愚痴が広がる。ずっと寝てるやつが、学校で一番早く帰っていた。教室に残る目立つ人間達の談笑。


「あ、俺の家に来る?」

「そんなのありなの?」


 また、どこかで会おうと思う。

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くも 鍍金 紫陽花(めっき あじさい) @kirokuyou

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