Workers on the Eve

古川砅

Workers on the Eve

 去年新卒で入った会社が今年の9月に倒産した。倒産したから、俺は今フリーターもといコンビニ店員として働いている。

 時計は夜の10時を指した。のり弁 (20%オフ) をレジで買って、制服を外す。

「ッつかれッしたー」

「おう、お疲れ」

 廃棄商品の整理をしていた店長は、俺の手元をちらと見た。30代半ばに差しかかった店長は、ほおの無精ひげを掻きながら不満げな顔をする。

「何すか」

「鈴村、お前のり弁はナイだろ。クリスマスイブだぞ今日は」

 鈴村は俺の名字だ。

 日めくりカレンダーを見る。12月24日。確かにクリスマスイブではある。

「いや、イブとか関係ないんで」

「関係ないにしても、のり弁はナイだろ。イブだぞ」

「イブが何すか」

「イブはイブだろ」

 店長はイブにこだわりがあるらしい。ハロウィンのときは自作のジャックオランタンを持ち込んでいたから、職業病かもしれない。

「俺の勝手じゃないすか。美味しいっすよのり弁」

「のり弁が美味しいのは当たり前だろ」

「じゃ、いいじゃないすか」 

「よくない」

「何が」

「ったく。しかたない奴だな」

 店長はやれやれと肩を欧米風にすくめると「ちょっと待ってろ」レジに向かった。途中で『しっとりリッチチョコケーキ ~ホイップクリームつき~』(税込¥350円) を掴む。レジを打つ。戻ってきた。店長は俺の腕を取ると、のり弁を水平に持たせ、その上に『しっとり (以下略)』を乗せた。

「帰ったらそれでも食え。俺のやさしさだ」

「やさしさっすか」

「やさしさだ。イブぐらいイブらしくしろ」

 よくわからん。

「あざっす」

「ん。よし」

 よくわからんが、『よし』らしい。

「じゃ、ッつかれッしたー」

「おう。メリークリスマス」

 外に出ると、雪がちらついていた。予報通りだ。のり弁とケーキをリュックに入れ、折り畳み傘を開く。


 ***


 1Kの自室をめざし自転車で15分かかる距離を黙々歩く。黙々歩くしかないから、「なぜこうなってしまったのか」と余計なことを考えてしまう。

 そつなく生きてきた。人並みに勉強して、それなりの高校に入った。サッカー部ではレギュラーだったし、友人関係も良好。順風満帆とまではいえないが、それなりに青春を楽しんで高校を卒業した。大学は第一志望に受かったし、キャンパスライフは人並みに充実したものだった。就職もできた。そつなく生きてきた。そつなく生きてきたはずだった。

 それが今では、24歳フリーター。何を間違えたのだろうか。

 両親には連絡を取っていない。もとより彼らは俺の就職に反対だったのだ。会社勤めなんて止めておけ。いいから家業を継げ。親父は売れない画材職人だ。毎日フラフラ出歩いて、仕事をしてるのかしてないのかもわからなかったし、そんなものを継いでこれから先食っていけるのかもわからない。俺はもっと普通の、きちんと将来が見える職に就きたくて、逃げるように家を出た。連絡先も告げていない。そうやって意地を張った俺こそが、今、誰より将来を見失った状態にあるというのはとても皮肉なことだった。

 何を間違えたのだろうか。わからない。わからないが、自分が間違っていたと、そう諦めるのも嫌だった。失職した後も今の部屋から転居しないのは、そういう気持ちがあるからだ。俺はまだ終わってない。けれど、俺は失職以来、転職サイトを見ることも就活雑誌を開くことも、バイトの募集チラシに目を通すことすら、できずにいる。心はほとんど折れているのだろう。今働いているコンビニは、客として行ったとき店長に採用された。あの人も意味不明だ。どいつもこいつも、そんなテキトーな生き方で本当にいいと思っているのか。

 アスファルトに雪が溶けていく。夜10時過ぎの住宅街は静かだ。降り続ける雪は積もることなく消えていき、その様子がただただ無意味に思えて腹立たしかった。

 そういうふうに、感傷に浸っていたのが良くなかったのだろう。

 突然、向こうの電線の方、空の少し高いところで、火花と轟音がひらめいた。

 爆発? 花火だろうか。

 歩き続ける足を止めて、空に残る煙を眺めようとしたのも良くなかった。

 前方から何か走る音が聞こえてくる。

「え、ウソ⁉︎ ちょっ、どいてどいてどいてーーー!」

 若い女の、焦る声。

 俺は視線を前方ゴガガッ、ゴッ。

 轢かれた。

 何に? 脚に。

 茶色い毛並み。黒いひづめ。思う間に、視界がぐっと、暗く狭くなっていく。鼻先にふわふわした赤い袖が現れて、白い指が俺の胸倉をつかんで、そこで意識が途絶えた。


 ***


 ドドーン。

「カー君! 今何時⁉」

 ギャアアアアア。

〝わたし、時計とかもってないですよ。シカに何求めてるんです?〟

 バリバリバリ。ズドーン。

「今日はトナカイでしょ!」

〝どちらにしても同じでは? ……まあ、いいですけど。えーと、勘ですが、あと半時はんときくらいじゃないですかね〟

 キシャー。バリバリバリバリ。

「むり! むりだってば! 一時間で残りぜんぶとか! ホントにできると思ってんの⁉ 無茶振りでしょ⁉ カー君、あんた、なんでこんなの引き受けたのよ⁉」

〝他にいなかったんですよ、こーいうのできそうな方〟

「できるか! シカにできるかこんなの!」

〝いけますって。雷撃がありますし、他にもいろいろ借りてきましたし。あと、今日はトナカイですよ〟

「黙れえええええ!」

 ズドオオン。

 騒々しさと右肩の痛みに目を開けると、俺は空に浮いていた。いや、空を飛ぶ何か (たぶん動物だ) に乗っている誰かが、俺を背中に担いでいる。白で縁取られた、赤くふわふわした上着。同じくふわついたミニスカート。ミニスカートの下には赤いジャージを履いている。それ、ミニスカ要るか? 足元には屋根が連なり、身が冷たい突風を切る。闇には小雪が降りしめ、あとは全身ピンクで三つ足の大きな鳥の群れが俺たちの周囲を旋回しているだけだった。は?

 1匹の怪鳥と目が合う。

「ギシャアアアア!」

 鋭利なくちばしが、尋常でない速さで飛んできた。

「うおっ」

 腕を構えようとするが間に合わない。右肩に至っては、痛むだけで上がらない。

 刺し貫かれる。直前、

「ラアアアアアア!」

 白い光。激しい炸裂音。俺は一瞬目をつぶる。

 目を開けると夜空は遠くに流れていて、さきほど怪鳥がいた辺りには黒い塵がさらさら風で散るのが見えた。

「あ、お兄さん起きたの? ちょっと待ってて。今取り込み中だから」

 女の声だった。姿勢の都合で後ろ姿しか見えないが、高校生くらいか。女は左肩に俺を担いだまま、閃光を放って、周囲の怪鳥を消し炭にしていく。

「待つのはいいけど何だよこれ?」

「カー君! もっとたくさん消せるやつ!」

 ‶んー。あ、幅広ソードとかどうです? 由緒正しいのでおススメです〟

「あのさ」

「それ! カー君、この人任せた! お兄さんはちょっと掴まってて!」

 女は俺を持ち上げ、乗っていた動物の背に押し付けると、

「ヨッ」

 虚空から長剣を引き抜きながら、夜の空に飛び出した。

「ラアアアアアアアアアア! ……アアアアアアア! ……ァァァ! …………!」

 女は空を駆け、ピンク色の怪鳥どもを切り裂いていく。女の頭には、赤い三角帽が乗っていた。三角帽の上にふわふわした白い毛玉がついている。

 ‶いやー。なんかすみませんね〟

 どこからか、慇懃無礼な雰囲気が混じる男の声が聞こえた。

「えーと」

 ‶どうも。シカです〟

 俺を乗せたシカは、そのまま宙に立ち (?) 止まった。

「シカっすか」

 ‶今日は自称トナカイですが。あ、これはテレパシー (一方通行) みたいなものということで。よろしくです〟

 理解は追い付かないが、吹きつける風と異常に痛む右肩が「これは現実だ」と叫ぶ。そういえばさっき激突してきたのはコイツか。絶対ヒビ入ってるぞ。痛え。

「トナカイってことは、クリスマス的な感じっすか」

 ‶んー。いや、別になんでもいいのですが。この方が効率が良いので〟

「効率っていうのは、あのフラミンゴっぽいやつの?」

 ‶あ、見えるんですか。そうですそうです。年末っていろいろゆがむんですよー。で今年はそのせいで、コウノトリと、んー、ヤタガラスとかですかね? その辺がゴチャッとなった何かが顕現したそうです〟

「曖昧っすね」

 ‶わたしも、存在自体が曖昧なので。だから多少方が都合いいんですよ〟

 遠くの空で雷が鳴った。小さな影が、剣を振り回したり発光したりしている。

「あのジャージ履いてるサンタは?」

 ‶わたしもあのファッションセンスはひどいと思うんですよねー。寒いからってあのジャージはひどい。ファッション舐めてますよあれ〟

 閃光が飛んできた。「うおっ」‶流れ弾ですね〟シカは白々しく言う。

「シカさん、はぐらかしてないっすか?」

 ‶あ、ばれます? やっぱり人間ってすごいですね〟

 シカは、悪びれもしない。そして、さらりと言う。

 ‶彼女は元人間ですね。あの人、7年くらい前に死んでるんですよ〟

「は」

 シカは気軽に続ける。

 ‶瀕死の彼女が消えかけのわたしを取り込んだ、という方が正しいんですが。結局、彼女の体は亡くなったので同じことですよね〟

「えと、ユーレイってことすか?」

 ‶失敬ですねー。もう少し上等です。曖昧という点では似たようなものですが〟

 シカは呆れたように鼻を鳴らした。

 雪は大きな粒へと変わり、その激しさも次第に増していた。体に雪が積もる。これでは、折り畳み傘があったところで意味はないだろう。

 ‶と、立ち話をしている場合でもなかったですね〟

 シカの声に周囲を見回すと、俺たちは、例の鳥どもに囲まれていた。

「シカさん、さっきのビリビリーってやつ、できないんすか?」

 ‶わたしはシカ、あ、トナカイですよ? 借りた権能も、彼女の方に預けてるので使えないですねー〟

「ということは?」

 ‶逃げましょう〟

 言うや否や、シカは駆けだす。が、

「キエエエエエ! トペバ!」

 鳥が吐き出した、黄金こがね色の液に阻まれる。なんだあれ。

 ‶蜂蜜ですかね、コウノトリってそんな感じですし〟

 どんな感じだ。

 そうしているに、包囲が狭められた。上下左右、空の全てをピンク色が埋める。終わった。

 ‶人間さん人間さん〟

 そんな状況でも、シカは呑気に声をかけてきた。

「何すか」

 ‶何かクリスマスっぽいもの持ってません?〟

「は?」

 ‶ですからクリスマスっぽいもの。サンタ役は数キロ先でへばってるようですが、クリスマスっぽいものがあれば呼び出せるはずですので。いいから早く〟

 口調が緩いだけで、存外、このシカも焦っているのかもしれない。

「クリスマスっぽいものなんて持ってるわけ、あ」

 俺はリュックから『しっとりリッチチョコケーキ ~ホイップクリームつき~』(税込¥350円) を取り出した。

 ‶おおおー! いけますいけます。さ、早くサンタを呼んでください。速く〟

 ピンク色の怪鳥どもは、俺たちの周りを高速で旋回し始めていた。

「どうやって」

 ‶テンションで〟

「おーい! 来てくれー!」

 ‶クリスマス舐めてるんですか〟

 黙れ。似非えせトナカイ。

「サンタ―! カモーン!」

 ‶は?〟

「じゃ、なんていうんすか⁉」

 ‶決まってるでしょう⁉ 例のあいさつ!〟

「あれでいいんすか⁉」

 ‶そう、それです! それ!〟

 数十もの鋭利なくちばしがぴたりと俺に向けられる。攻撃直前だ。

 くそ、どうにでもなれ!

「メリイイイイイイ、クリスマアアアアアアアスッ!!!!」

 『しっとり (以下略)』を手に全力で叫ぶと、一瞬、時間が止まった。ような気がした。次いで、シャンシャンシャンと、鈴の音が響く。虚空にズボと赤い袖が生え、『しっとり (以下略)』を奪い取る。再び袖は虚空に消え、数秒すると、

「ウウウウウウウウウウウウ......! ハッピー・クリスマース!!!!!」

 全身をふわふわ赤く包んだ女が、宙に飛び出た。

「他は全部狩ったわ! カー君、最後に何か、でかいの!」

 ‶それでは『激流』を。これ借りるの大変だったんですよ〟

「そういうのいいから! あと、お兄さん! ケーキありがと!」

 豪快な水流が鳥どもを薙ぎ始めた。


 ***


 地面に降りるとドッと疲れが湧いてきて、いろいろどうでもよくなった。

 ‶肩のヒビは応急処置しましたが、治癒はわたしの専門外ですので、一応病院にでも行ってください。一応これ、治療代とその他もろもろです〟

 シカは5万円をくわえ、俺に差し出した。

 ‶偽札などではないので心配しなくていいですよ。何かおいしいものでも食べてください〟

「どうも」

 雪は辺り一面に積もり続けていて寒い。時計を見れば時刻は0時を越えていて、とにかく帰って寝たかった。

 気づくと、ミニスカサンタ (ジャージ付き) が寄ってきて、俺の顔をじぃと覗き込んでいる。

「何すか?」

「あれ? ん~? お兄さん、さっきは、死にそうだった気がするんだけど。んー。まあ、大丈夫そうね。じゃ、さよなら! ケーキありがと!」

 それだけ言うと、彼女は向こうへ歩き出す。

 ‶人間さんに何があったかは知りませんけど、彼女が大丈夫と言うなら大丈夫なんでしょうね。あの人、そういうのにはさといんですよ〟

シカは歩き出す。

「シカ、えとトナカイさんたちは」

彼は振り返った。

 ‶仕事は上がったので、シカですよ〟

「シカさんたちは、何というか、不安とかないんすか?」

 ‶わたしはまあ曖昧なので、それほど〟

「じゃ、あのサンタは?」

 ‶もうサンタは終わったんですけど。別にそういうのはないと思いますよ。あの人、ガサツなので〟

 閃光が走った。バチ。「ピギャ」シカがうめく。様子から察するに、静電気程度の威力らしい。

「カー君! 置いてくよー!」

 シカは俺に一礼すると、赤い人影の方へ駆けていく。一人と一頭は並び歩いたかと思うと、次の瞬間にはその姿を消していた。

暗い雪空に鈴の音が鳴る。まるで本当にクリスマスのようだった。

 結局、これは、なんだったのだろうか。

 わからない。

 わからないが、『大丈夫』ということでいいのかもしれない。

 電話を取り出し、実家に掛ける。数コール。ガチャ。

「幸男か。何だ?」

 親父だ。

「メリークリスマス!」

「は? どうした急」通話を切った。わはは。

 自販機で缶コーヒーを買う。アスファルトには雪が積もり続けていて、その様子が無性に温かく思えた。


(終わり)

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Workers on the Eve 古川砅 @wataru_hurukawa

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