平成らすとじぇんだー

 あれは、平成最後の秋のことだった。

 その日は日曜日であったため、私はいつものとおり肌断食の行を粛々とこなしていた。

 ちなみに肌断食とは「洗顔せず、化粧水もつけずに過ごすこと」である。

 インターホンが鳴って客人が来たとしても、祖父母がいるならば事足りる。

 私の友人にはアポなしで電撃お宅訪問をするほどアクティブな人間はいない。類は友を呼ぶのだ。

 日当たりの良い岩場に乗り上がったトドのように寝そべって『マリア様がみてる~いばらの森~(著今野緒雪)』を読む時間を邪魔する者はだれもいない。

 私が私立リリアン女学園の生徒になりきって、

「お姉さま、御覧になって。白薔薇さまロサ・ギガンティア白薔薇のつぼみロサ・ギガンティア・アン・ブウトンがいらしたわ。なんて素敵なお二人なのかしら」

 と独りマリみてごっこを展開していても、階下の祖父母は耳が遠いし、母は友人と離島に出掛けているから誰かを怯えさせる心配もない。快感である。

 だから、インターホンが鳴って祖父が出た時も、構わず架空のお姉さまに話しかけていたのだが。

 どうやら、来訪者は不動産屋らしい。

 今年の年末に、祖父は店を畳む。今上帝のご譲位を聞いて、そう決めたらしい。

 祖父母の年齢から考えて、妥当な判断だと思う。

 しかし、店を片づけ、解体し、更地にするまでの道のりは険しい。

 店の目の前に走る幹線道路のおかげで測量の値段は跳ね上がり、商業用地故に固定資産税の額は飛び出た目玉が戻ってこない。

 その道路は店を開いて、随分後に通ったものだというのに、税に慈悲はないのか。

「やい、そこのこんこんちき! こちとら哀れな老人二人を介護しなきゃいけねェんだ。ここで情けを売らずして、どこへ売るってんでェ!」

 と役所に殴り込みにいきたい気分である。

 しかし、役所がそのようなことで揺らぐ筈もない。

 見据えるべきは、直接交渉しなければならない、不動産だ。

 我が家の担当は、今まさに来訪した営業クンである。

 母は「息子と同い年だわ」と業績を上げたい営業クンを絆し、ありとあらゆる情報をゆすった。

 営業クンが焦っても、母親然として返答を出来る限り延ばした。

 その間、私を使って三、四の不動産屋をふるいにかける。

 結果から言えば、我が家は営業クンの会社を選んだ。

 私としては、もう少し泳がせても良かったのではと思ったのだが、母は営業クンから業績を上げたい理由を聞きだして、お終いにした。

 こういうことは〝引き際〟を心得なくてはならないのだとか。あまり追いつめず、恩を売る形が望ましい。我が母ながら、怖ろしいオンナである。

 そのようなやり取りがあって、営業クンは忠犬さながらに走り回ってくれているのだけれど。

 私はいつも他人の二面性を疑ってかかる人間だから、営業クンのことは信用していない。

 やたらイケメンなのも、すごく怪しい。

 もっと言えば、高齢者には分からないだろうといった感じで話を進める点が、とことん憎らしい。

 母が相手をしている時と全く違うではないか。

 階段の裏で祖父と営業クンの会話を聞きながら、私は落ち着かないでいた。

 どうやら、測量と解体の業者を紹介してくれているらしい。

 おいおい。何故解体業者は三社も見積もりがあるのに、測量業者は一社しかないんだ。

 じいさまも、もうちょっと突っ込んで聞きなさいよ。

 やきもきしながら様子を見守る。

 今思い返せば、じれている間に、服だけでも着替えておけばよかったのだ。

 じいさまでは無理だ。このままなあなあで契約させられる。

 私は慌てて階段を下りた。

 営業クンはぽかんとこちらを見ている。

「こんばんは。孫のおもとです。お世話になっております」

 はきはき挨拶をして、三つ指をついてお出迎え。

 うんうん。なかなか様になってるんじゃないか?

 ただし、スッピンをマスクと黒縁メガネで隠し、部屋着(ユニクロのセールで買った水玉模様のスウェット)の上に分厚い半纏を着ていなかったら、だが。

 私の登場に、営業クンは固まった。

 どうにか名刺を渡してくれたが、眼を泳がせている。

 うん。髪もボサボサまとまっていないからね。

 しかし、君のせっかちぶりにそれどころではなかったのだよ!

「家族全員で話し合いたいので、本日即答はできかねます。回答はどの程度待っていただけますでしょうか(マスクだと話しづらいなあ。ふがふが)」

「え、ええ。いつでも……」

「いつでも、というと。ひと月以内でも構わないのでしょうか?(ふがふが)」

「やっぱり一週間以内でお願いします」

 くるくる回る手のひらに仰天した。

 営業クンも、やや曇ったメガネを拭かずにふがふが言っている女に動揺しているのだろうか。

 それでも流石プロ。一分後には復活していた。

 ああでもないこうでもない。といった会話をひとしきり交わしてから、とりあえず最優先事項と、今後のおおまかなスケジュールについてを確認して終わりにした。

 営業クンはじいさまに見送られ我が家を後にする。

 後に残ったのは、屈辱にまみれて床に倒れ伏す私だけである。

 若いイケメンに、メスとしてあるまじき姿を晒してしまった。

 顔面偏差値が低いなりに、メイクや服装に気を配れば、見苦しくない程度の女になることはできる。

 第一印象で全てが決まるというのに、なんたること。

 今回は勢いでどうにかできたけれど、この先営業クンに舐められないかしら。

 筆舌に尽くしがたい情けなさが私を覆う。

 おのれ、いっそ笑え。無様な私を罵り、嘲るが良い。

 ああ、どうしてこうやって私が辱められなくてはいけないのか。

『ベルサイユのばら⑨~いたましき王妃の最後~巻(池田理代子)』の最終巻で、マリーアントワネットがとんでもないセクハラ裁判(同巻P144~146)を受けた時の気持ちはかくあろう。

 おお……! 神様……!

 お守りください! 偉大なるマリアテレジア!

(♪バラはバラは~気高く~咲いて~♪)

 とうろ覚え状態でベルばらのオープニングを脳内で流すくらい、私は心が乱れていた。

 ひとしきり打ちひしがれた後、沸き上がったのは怒りである。

「おばあちゃん。ちょっと聞いてよ」

 いてもたってもいられなくて、祖母に愚痴る。

「おじいちゃんが前もって言ってくれれば、お化粧をして着替えたのに。こんなのってない」

 ぷりぷりしながら言っても、祖母は芋の子汁をかき混ぜる手をとめない。

「おもとちゃんは未婚の女性だものねえ。そりゃあ恥ずかしいわ」

 と返され、私のフェミコードがひっかかる。

「おばあちゃん。未婚というのは、まったく関係ないのよ。他人と話す時にスッピンやスウェットだと全力で戦えないじゃあない」

 言い返しても「またこの子は屁理屈を言い出した」といった顔をされる。

 解せぬ。全くもって解せぬ。

 そのまま部屋に帰った私の頭の中は、芋の子汁よりも煮詰まっていく。

 私は化粧や服装を、対人関係における戦支度だと捉えている。

 そこに結婚や恋愛などの意識は皆無だ。

 人間として、場所と時間をわきまえた身だしなみをするのは当然のことと考えているだけ。

(結婚をしていない。もしくは異性のパートナーがいない人間に対して、世間の認識はおおいに凝り固まっているのではないかしら)

 女として生まれて、常々感じてきたことだ。

 家族─ないしは世間─は、いずれ私がどこかの男性と結婚すると信じ切っている。

 兄のように、結婚して家庭を持ち、家を買って、育児に悩み、喜びを見出す。

 そういった道が敷かれていると端から思い込んでいるのだ。

 別に兄を否定するつもりはない。兄に限らず、伴侶を得た生活を送っている人も、素敵だと感じるし、尊敬している。

 ただ、結婚しない道を選ぶ人だって沢山いるのも事実なのである。

 時々「この人達は、私が同性のパートナーを連れてきたらどうするつもりなのだろう」と意地悪な気持ちになったりしてしまう。

(今までの人生で、意識する対象はとりあえず全員異性だったけれど)

 ──未婚だから。女性だから。

 そういったカテゴリーに分けられると、私が性愛ゼロの生活を送ってることを咎められているような気がしてならない。

 そこそこ明るく楽しく生きているのだから、それで良いではないか。

 こういうことをいちいち考えてしまう私は、ヘンだろうか。

 人間として、不完全だったりするのではないか。

 数式みたいに、ひとつの答えで解決できたら良いのに。

 ジェンダーにまつわる問いかけは、この世界でジャングルのように生い茂っている。

 悶々とした気持ちを晴らしてくれたのは『愛なき世界(三浦しをん)』である。

 ふと立ち寄った書店で本(しかも、ハードカバー)を買うだなんて、久しぶりだった。

 だってあまりに装丁が美しいのだもの。更に煽り文が、

「恋のライバルはでした(マジ)」

 だって。なんだこれは、と手に取ってそのままレジに向かった人は多いはず。

 この小説は、洋食屋の見習い青年を通じて、植物を愛する人々の世界をめぐるお話である。

 未読の方はあらすじをご覧あれ。読みたくなること請け合いだ。

 私がこの小説の中で一番驚かされたのは、植物研究に邁進する人々ではなく、藤丸陽太という人間だった。

 藤丸クンは、植物を愛する本村紗英ちゃんに恋をする。

 開始七十一ページで告白してしまう、眩しいほど真っすぐな青年だ。

 彼が序盤でフラれてしまって、私は本気で心配した。

 ここで告白を断られては、物語が進まないのではとやきもきしてしまった。

 そんな読者をよそに、紗英ちゃんがすべてを捧げる「愛のない世界」を知りたいと観察をし始める。

 この時点で目から鱗が何十枚も落ちてしまった。

 えーっ! その人のことを色々リサーチしてから、まずはデートにもっていくんじゃないの?

 告白が早すぎる! フラれたら、段々と離れていくのが〈普通〉なのに!

 しつこくして嫌われたらどうするのだ。そんなの、お互いのためになりっこない。

 私は鼻息を荒くして、半ば意地になってその日のうちに読了した。

 ハンマーで頭を思い切り殴られて、思考がからっぽになったような感覚が満ちていた。

 私はいつから人間関係において、何が〈普通〉で〈当たり前〉だと思い込んでいたのだろう。

 藤丸クンのように、好きな人の好きなものを知りたいと考えたことがあるだろうか。

 他人のことを〈ありのまま〉見つめてられただろうか。

 気になる異性と上手くいかない時は「男性ってわかんない」と理解しようともしていなかった。

 友人関係が上手くいかない時も「女だから上手くいかない」と、そういう風に理由をつけて、考えるのを諦めていた。

 なんてことだ。固定観念に縛られていたのは私の方ではないか!

 くどいようだが、藤丸クンはすごい。

 自分とは違うものを「変なの」とか「ちょっとこわい」といって遠ざかるのではなく、そのまま受け止められる心の広さを持っている。

 これは、なかなか難しいことだと思う。

 私は、相手が自分と異なる性を持っている、というだけで無意識にマウントをとってしまう。

 元々私は〈見られること〉が苦手なのである。

 だから、目を合わせて話すことにかなりの労力を使っている。

 社会に出て少し緩和されたようには思う。

 けれど、相手を意識した途端、スムーズに話せなくなるのだ。

 そして早々に「この人と話していてもつらい」とレッテルを貼る。

 どうせ〈普通の人〉からは、変だと思われてるのだから、分かってもらわなくてもいい。

 しかし、藤丸クンを見ていて「このままでやさぐれていたら、自分や他人の〈好き〉を大事にできない人間になってしまう」と思い始めた。

 男の子も女の子も同じものから出来ている人間だ。

 ちょっとずつ違っていても、〈好きな世界〉を大事にしている。

 そう気付くと、周りの人やまだ出逢っていない人

 が途端に愛おしくなってくる。

 私の中にも〈好きな世界〉がある。

 少女漫画に児童書、平安文学。

 装束と文化エトセトラ。そんなものでできている。

 自分の〈好きな世界〉を、もっと愛したい。

 できることなら、誰かにこの気持ちを伝えたい。

 もしかしたら、この〈好き〉が、誰かへの架け橋になるかもしれない。

 そう考えると、わくわくする。本当に目の前の景色がきらきら輝いてくる。

 平成も残すところあと半年を切った。

 新しい時代は、まっ白だ。

 まだ見ぬ世界に、両手を広げて飛び込んでいきたい。



 《完》

  //181201/原稿用紙換算:16枚/5057字

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干物をとめはかく語りき 俤やえの @sakoron

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