玻璃笔はレディの親友
彼女を屋敷に迎えたのは、星の降る聖夜だった。
薄紅のドレスに包まれたくびれた腰、衣を透かすように照り映える肌。儚げながらも、凛としたたたずまい。馬車の窓越しに見える彼女の美しさは、私の胸を鷲掴みにした。
家人から注がれる好奇の眼差しから彼女を守るように馬車を抱えて、半年ぶりに掃除した自室にこもる。ぴかぴかの床が見えるって素晴らしい。三日ともたないだろうけれど。
さて、トランクに挟まれていたダンスカードによると、彼女と踊るには、せちょっとしたコツが必要らしい。私は淑女の家庭教師が書いたとおぼしき注意書きの解読を早々に諦めた。
『紅の豚』で「大事なのは経験かインスピレーションか?」とフィオに問われたポルコが「インスピレーションだ」と即答しているように、こういうコトは大体インスピレーションが大事なのさ。
気取った仕草で一曲お誘いすれば、淑女は渋々ながら私に身を任せた。しかし、ヒールの調子が悪いのかステップのキレが良くない。
あることに気が付いて、私は心を込めて彼女に詫びた。
「レディ、すまない。屋敷で一番高級な紙は、このマット紙しかなくて……」
「紙じゃあなくて、あなたよあなた。なんて乱暴なの」
淑女はきろりと睨んでくる。
「力任せでわたくしに触れて許されると思って?」
「おお……名もなきレディ。私は君と一刻も早く家族になりたかったのだよ」
「お黙り。毛細管現象も知らないくせに。私の売りは力を入れずに書けること、インクが葉書一枚分持つことなのよ。この殺人筆圧めが」
淑女にお尻を叩かれ注意書きを見たら「繊細なガラスですので、力を入れ過ぎると先端が欠けます」とある。まずい。おそるおそる彼女のヒールを確かめたら、トップリフトが僅かにすり減っていた。エーッ、最初からこうだったのでは……ないよなぁ。
「そおらごらん。あーやだやだ。普段から2Bの芯を力任せにボキボキ折る人が、わたくしを扱うだなんて」
うう。ぐうのねもでない。ではもう一度と気持ちを切り替えた時、淑女はさっさと発泡スチロールのベッドに横たわってしまった。
「レディ・ガラスペン。気をつけるからもう一度踊ってくれない?」
「これから朗読会をするのでしょう。もう時間切れよ。はーどっこいしょ」
そう。その夜は『勾玉三部作(荻原規子著の古代日本ファンタジーシリーズ)朗読会』に参加する日だったのである。それも楽しみであるが故に、わたしはすやすや眠る淑女を恨めしげに眺めるしかなかった。
その後、朗読会には無事参加できた。おおいに盛り上がり時が立つのも忘れるほど、荻原作品について熱く語った。解散してからも私は興奮冷めやらず、『空色勾玉』や『白鳥異伝』そして『薄紅天女』を空が白むまで読みふけってしまった。
ああ、やはり荻原作品は美しいなあ。登場人物も魅力的だし『声に出して読みたい日本のファンタジー』なんて本を作る企画があったら、絶対に荻原作品をリクエストするのに。
冬は朝。火など急ぎ起こして、炭持て渡る。淑女は朝焼けの光を照り返しながら、寝不足と寒さに震えるわたしをこき使う。
「まずは小さな瓶に水を汲んで! この家は洒落たジャム瓶もないの? それから柔らかい清潔な布を持ってきてちょうだい」
私は従順な下僕となり、キッチンの棚からジャム瓶を掘り出して、封の開いていない鼻セレブを用意した。
インク壺に落とした雫は、山葡萄。深く、まろやかな紅。この色を見た時、真っ先に浮かんだ一節で、ガラスペンを踊らせる。
『薄紅天女』で、死の影を纏う安殿皇子が美しい夢を語る場面だ。滅びゆく都に、幸いの天女が現れ、皇子の手をとるという、見果てぬ夢。
一息で書き終えて、声に出して読み上げる。身震いするほど、綺麗な言葉たち。山葡萄に濡れたガラスペンも満足げに見える。
「この場面にあやかり、貴女を『薄紅の乙女―レディ・オーロラ―』と呼ぶことにするわ。どうかしら」
返事の代わりにガラスペンは綺羅と朝日を照り返した。
大切に扱う道具には、精霊が宿るらしい。100年後、このレディ・オーロラが九十九神になったら、どんな姿になるのかしら。
これからよろしく。私の
20180221/原稿用紙換算:5枚/1706字
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます