盛況していない相談室

@vewoi12

相談室にいる男の子

 私はふと、今朝のことを思い出した。

 何故か私は、相談室が目についた。いつも通り過ぎている廊下の、風景の一部でしかないはずの相談室が目についたのは二つあったからだと思う。それが自動販売機ならともかく、何故相談室が二つあるのか。どういう用途で二つあるのか。それがどう考えても分からなかったのが、今朝のことだ。

「ねえ、相談室って分かる?」

 そう聞いてみると、彼女はこちらを見て頷いた。

「うん。一階にあるのでしょ?」

「そう。あれ、二つあるじゃない? それ、なんでなのかなぁって思って」

「うーん、なんでだろう。でも、相談室にはイケメンの男子がいるって聞いたよ?」

 彼女は目を輝かせ、鼻息を荒くして力説した。そういうのは相変わらず好きらしい。

「男子?」

 男子と言うからには生徒のことを言っているのだろうか。それとも先生のことを言っているのだろうか。

「そう! だからその相談室は一つはちゃんとした人がいて、もう一つはそのイケメン男子がいるんじゃないかなぁ」

 その言い方だと、イケメンの男子はちゃんとしていないということになるのではないだろうか。そんな風に思ったけれど、そこに指摘するのは幾らなんでも神経質なので黙っておくこととした。


   1


 ドアをノックする。それが中々に緊張する行為だった。ノックをする前に深呼吸を幾つかしたほどだ。

「どうぞ」

 そんな声が聞こえて、その声が妙に若かったことに首を傾げた。

 けれど許可が出ているのにいつまでも入らないのは無礼にあたるので、ドアを開けて中に入った。

 相談室は思いの外広く、保健室くらいの大きさはあるように思えた。テーブルの向こうの椅子に少年が座っていて、少年は私を視界に収めると立ち上がる。

「初めまして。どうぞ」

 彼は手でソファを示し、座るように促した。ソファはテーブルの手前にあり、私は先程少年が座っていた椅子の前の位置に腰かけた。

 彼は電気ケトルを持つと蛇口を捻って水を注いでいく。水温が心地良いと思うくらいの静寂が包んでいた。

「何か悩みがあるのかな?」

 単刀直入だった。しかし質問したいのはむしろこちらで、何故学校の生徒が相談室にいて、相談を聞こうとしているのか、という疑問を解決したくて仕方が無かった。

 彼は電気ケトルのスイッチを入れてお湯を沸かそうとし、その後コップを二つ用意している。

「えっと、私、相談室というものがどういうものか知りたくて来たんです。ですから悩みはありません」

 本心だ。

「へえ。それは素晴らしい探求心だ。そうなるとここに来たのは外れなんだけど……まあこっちはこっちで色々と知れるか」

 話を聞くに、選択肢を間違えたらしい。けれど選択肢なんてそもそもどこにどうあったのかが分からない。 

「紅茶で良いかな?」

「はい」

 紅茶は好みだった。

 彼はその言葉を聞くとティーバッグで紅茶を淹れて、テーブルの前に二つ並べた。その後に彼は目の前に座り、紅茶を飲んだ。

 私もそれを倣って紅茶を飲む。ダージリンは好みだ。

「相談室について知りたいと言われても、何を知りたいのかいまいち分からなくてね。僕自身ここにずっといるわけだから、何を説明するべきで何を説明するべきじゃないのか分からないんだ」

「ずっとここにいるんですか?」

「いる期間は放課後と朝だね」

「そもそも、何故生徒が相談室にいるんですか?」

「任されたんだ。今、相談室に本来いる人は休みを取っていてね」

「それで任されるものなんですか?」

「利用者がいないんだ。そもそも相談室は学校側が自主的に設置したもので、それを売りにしている訳でも無いから、認知していない人が多くてね。だから僕の役割は朝と放課後にここにいることなんだ。君が来てくれて、暇がつぶれて良かったよ」

「そうですか」

「ずっと気になっていたんだけど、君って何年生?」

「一年です」

「だから敬語なのか。分かる分かる。一年生だと、とりあえず敬語を使うよね。僕も一年生だよ」

「そうなんですか」

 私の言葉に、彼は笑みを零した。

「そう。だから敬語は要らないよ」

「あ、そっか」

「うん」

「一年生? 一年生で相談室を任されたの?」

「教員と関わりがあってね。まあ大層なことに思えるかも知れないけど、パシリだよこれ。全然すごくない」

 謙遜でないことは彼の表情を見れば一目瞭然だった。

「だから相談室の実態は無いんだ。活動していないんだ。君が来るなら活動することになるけど、その活動もこんな雑談だけでさ。期待していたなら申し訳ない」

「いや、大丈夫」

 愛想笑いのような、苦笑いのようなものを浮かべて立ち上がった。

 コップはいつの間にか空になっていて、その事実に少し驚いた。

 私はドアに手をかけて、そこで何か終わると理解していた。容易く始めて淡い中身のものが刹那で終わる。人生をとても凝縮したような、そんな数分だった。

「あのさ」

 その言葉に振り返った。

 笑顔が見えた。

「手伝ってくれないかな。飲み物を入れてくれる人が欲しくてさ」


   2


 やはり、相談室が二つある。

 普通に考えれば相談室が二つあるのは元々相談室を担当していた人間が帰ってきたと分かるけれど、それなら彼が担当する相談室とは別にもう一つ作る理由が無い。

 まあそれは彼に聞けばヒントくらいは出てくるように思う。

 深呼吸もせずにドアを開けると、彼は紅茶を飲んでいた。私は向かいのソファに座って鞄を下ろす。

「相談室にイケメンがいるらしいよ」

 そんな軽口に、彼は動揺一つ見せなかった。

「僕は『生徒相談室には可愛い子がいるから癒される』と聞いたけど」

 まさか彼の口からそんな口説き文句染みたものが出てくるとは思わず、聞きなれない言葉が聞きなれた声で出てくるものだから焦ってしまった。

「それはそれとして、どうして相談室が二つあるの?」

「そういう風に認知されてきているから、じゃないかな。本来の生徒相談室は依然として必要だけど、それとは別にこういう相談室も必要とされている。そんな風に思ったから二つにしたんだと思うよ」

 推測ということは彼も知らされているわけではないらしい。

 ノックが響く。

 聞いていた話とは違い、相談室にはこうして客が割と来る。

 ドアが開き、入ってきたのは生徒会長だった。

「失礼します」

「会長。悩み相談かな?」

「いえ、噂の真相を、と思いまして」

 会長の言葉に私は首を傾げた。私の聞いた噂と彼が言う噂は両方とも顔さえ知っていれば真相が分かるもので、自分の価値観を信用していないにしてもここに来る必要は無いからだ。

「噂?」

「ええ。この生徒相談室をカップルが利用している、と聞きまして」

「私達の聞いた噂の原型はそれか……」

 あるいは私達の聞いた噂が組み合わさって尾ひれがついた結果がその噂なのかも知れない。

「どうなんです?」

「この生徒相談室をカップルが私物化しているという事実は無いけど、カップルはいるね」

「嘘じゃないですか」

 彼のいつもの冗談に、私はいつも通り呆れて返した。

「嘘なのかい?」

 その言葉に、目を奪われた。瞳が彼の眼を見つめたままになってしまって、それをなんとか目を逸らすことに成功した頃には言葉が零れていた。

「う……まあ、嘘じゃない……で良いですよ」

 観念するようなずるい言葉に、彼は笑みを浮かべた。

「これから私物化しないようにね」

「ええ、勿論」

 また、ノックが響いた。 

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