TLトレイン

そらりす

on the twitter

相手の顔が見えなくても恋はできると思う?


 月曜日の朝。7時27分発の上り線。毎日通学に使っている電車が到着する。シルバーの車体に緑色のラインが入ったごくごく普通の電車。

 すでに満員の車内に体を押しこむのももう慣れたし、正直、飽きた。電車通学がしたいんだと駄々をこねて、無理に中学受験をさせてもらって隣町の中学校に入学したのもすでに遠い昔のことのように思える。受験勉強は大変だったけど、とはいえ死ぬほど辛いものかと言ったら、そんなことはなかった。小学校の頃から薄々は感じていた。たぶん。僕はなんでもそれなりにこなせるんだ。

 自覚は持っているにしても、それを表に出すかどうかはまた別の話。一応、大人受けも同級生も性別関わらず、まずまず受けの良いとまり水面みなも君を保つことができている。

 ゆっくりと電車が動き出す。同時に僕はポケットからスマートフォンをとりだして、小鳥があしらわれた水色のアイコンをタップする。そして、特定のアカウントのつぶやきを確認する。


 @ミスプル 1 7:28


 いつも通り、発車とほぼ同時の投稿。僕は躊躇なくハートマークの「お気に入り」追加ボタンをタップする。「読みましたよ」という、僕らの合図だ。ミスプルさんはどうやら1両目らしい。僕は3両目だから「3」とだけ入力して投稿完了ボタンをタップする。


 @えるき 3 7:29


 ヴヴ・・・


 スマートフォンが微かに振動して、ミスプルさんが僕の投稿に「お気に入り」を押した旨の通知が届く。画面を見ながら少しにやついてしまい、顔を伏せる。こんな顔を周りの人に見られてしまってはたまったものではない。

 窓の外では見慣れた景色が高速で後方へ流れていく。隣駅まで約13分間のささやかなお遊び。僕らだけの秘密のお遊び。


 ◆


 僕がTwitterを始めたのは中学2年生でスマートフォンを買ってもらった時。アカウント名は大好きな推理小説に登場するエルキュール・ポアロにあやかって「えるき」とした。最初の頃は気になるゲームやアニメの公式アカウントをフォローしたり、「テストやだなぁ」とか「部活疲れたー」とか他愛もないことだけを無意味に呟いたりしていた。ちなみに、「フォロー」とは特定のアカウントを定期購読リストに追加することだ。

 それは、当然といって良いくらいにTwitterの中の僕、「えるき」をフォローしてくれる購読者がいるわけでもなくで、徐々に飽きを感じてきた頃だったと思う。タイムラインと呼ばれる購読しているアカウントのつぶやきが流れてくる画面に、不意にフォローをしていないアカウントのつぶやきが現れた。それ自体は購読しているアカウントが拡散をしたつぶやきなので、珍しい話ではなくいつも読み飛ばすようなものだった。でも、その投稿は違った。


 @ミスプル クリスティといったらみんなポアロ、ポアロっていうけど、私は「パディントン発4時50分」が好きなんだよなぁ。もうちょい、有名になってもいい作品だと思うんだけど・・・! 22:34


 全く同感だった。クリスティとは、イギリスを代表する女流推理小説家で、代表作は名探偵ポアロが活躍するシリーズ。しかし、投稿主であるミスプル氏が呟いていた「パディントン発4時50分」とはそのポアロシリーズと双璧をなすといっても過言ではないマープルシリーズの作品なのだ。ちょっとした推理小説好きなら知っていて当然レベルなのだが、意外と一般の認知度は低い。中でもパディントンは電車好きの僕としては外すことのでき無い一作なのだ。

 ミスプル氏の投稿はとある推理小説ファンサイトを運営しているアカウントが拡散をしていた。思わず、僕はハートマークを押すだけにとどまらず、ミスプル氏をフォローしてその投稿に対して返信までしていた。今思えば、いつになく積極的だった。


 @えるき はじめまして!突然のリプ失礼します。僕も、パディントンが大好きなんです。もっと有名になってもいい作品なのに不思議ですよね・・・。それと、フォローさせて頂きました。よろしくお願いします! 23:03


 できるだけ、端的に・・・。と思った末に、一回の返信の中に色々を詰め込みすぎてしまった。まぁ、投稿してしまったからにはミスプル氏に通知もいっていることだし、変更できるわけもなく、ベッドの上で寝転がりただただ頭を抱えた。

 すると、5分も経たないうちにスマートフォンが震える。飛びあがって画面を開くと先ほどのミスプル氏からの返信だった。おまけに僕を定期購読者に追加してくれた通知まで!


 @ミスプル 始めまして。リプありがとうございます!まさか、分かってくれる人がいたなんて嬉しいです!こちらこそ、よろしくお願いしますね!(中学生に共感してもらえるとは思ってなくてびっくりしました 笑) 23:09


 はじめてTwitterで血の通った会話をした気がした。大げさかもしれないけど、世界が広がった気がした。

 そこから毎日のように僕はミスプルさんと推理小説談義をタイムライン上で続けた。もちろん、日々のくだらないつぶやきも継続で。

 最初の会話から2週間ぐらい経った頃だったと思う。いつも使っている中学校近くの最寄り駅の近くのコンビニで小火が起きた。燃えているところに偶然居合わせた反射と、いってもいいぐらい無意識にその光景を写真に収めた僕は、そのあとで電車待ちで立ち寄った近くのカフェでアイスティーをすすりながらタイムラインへ投稿していた。


 @えるき 今、小火を見かけた。噂だけど、犯人は捕まってないみたい。嫌だなぁ(写真添付) 18:24


 何気ない投稿だった。すると、スマートフォンの画面に通知がきた。ミスプルさんからのつぶやきとは別枠で設けられているの個人メッセージだった。


 ミスプル えるきくんがさっき投稿してたコンビニ、私も通ったよ!私の行った時はもう、燃え跡しかなかったけど…。びっくりして、DMしちゃった!犯人、早く捕まるといいよね。


 なんと。偶然とはそんなに重なるものだろうか。下手したら、すれ違っているかもしれレベルの人にTwitter上で出会える確率なんて、いったいどれだけなのだろう。あまり偶然に運命めいたものを感じざるを得なかった。いるわけもないだろうミスプルさんを探して、店内をきょろきょろしてしまう。頭の中で勝手に想像している少し若い女性像に近い人を見つけてはドキドキしてしまう。


 ―――――返信しなきゃ!

 震える手で返事をしていく。


 えるき え!そうだったんですか。まさか、同じ町にいたなんて・・・世間は狭いですね 笑 そのうちどこかですれ違ったらよろしくです!顔わからないけど 笑


 ミスプル 「世間」じゃなくて、「世界」、ね 笑 こちらこそよろしく! お互いを勝手に想像しておきましょう! って、私たちは平安時代の恋人同士かっ 笑


 まさかの誤用に顔が熱くなる。そして、大人っぽいお洒落な返しに視界がグラつく位、喜びを感じていた。


 ◆


 あの小火事件以降、僕とミスプルさんの距離はぐっと縮まった。会話もタイムライン上でするより個人メッセージでやり取りをする方が増えた。内容といえば、最近読んだ推理小説についてが専らで、プライベートな内容に関して踏み込むことはなかった。

 季節は、一学期があっという間に2か月過ぎ、期末テストも何とか乗り切り。後は夏休みを待つだけとなった6月の上旬。

 中学3年生である自分の進路のことを、そろそろ本格的に考えなくてはいけない時期になっていた。私立中学に受験して入っているのだから、そのまま内部進学してもいいだろうと思うのが普通だけど、僕には目標があったし、両親もそれを許してくれていた。

 中学校のそばにあるとある所謂、超難関私立大学。その大学には教育学部があってさらに付属の高校があるのだ。端的にいえば、そこに行きたい。理由はいろいろあるけど、一番は大好きな推理小説家が何人も輩出している大学だからだ。

 そこに進学したい希望はあれど、今の僕ではまだ学力が足りないのは明白。お父さんは塾に行っても良いと言ってくれてるし、始めるならこの夏が最後のチャンスになる。進みたいのに進めない状況で背中をしてもらいたかったんだと思う。僕は、ミスプルさんに相談を持ち掛けていた。


 えるき こんばんは。今、ちょっと悩んでて。話、聞いてもらえませんか?突然ごめんなさい!


 ミスプル えるきくん、こんばんは。大丈夫?私でよければ、話聞くよー?


 えるき ありがとうございます!実は今、進路で悩んでて。このまま行ったら何の苦労もなく進学できるんですけど、一か八かレベルのチャレンジになるような進路が本命で、落ちちゃう可能性を考えると挑戦するのも怖くて・・・。


 送信してから後悔をするのはミスプルさんと出会った時から何も変わっていない。僕はまたあの日と同じようにベッドの上で頭を抱える。


 ミスプル そっかぁ。えるきくん、受験生だもんね。私も偉そうなことを言えるほど経験をしているわけじゃないから、月並みなことしか言えないんだけど、挑戦すべきだと思うな。ほら、推理小説だって探偵が余裕すぎると面白くないでしょ。ちょっとくらい大変な目に会って、それでまた一つ成長する物語の方が私は好き。


 我ながら相当恥ずかしい相談を持ち掛けていたことを改め実感する。弱みなんてあんまり見せたくないんだけど、今回ばっかりはちょっと特例だ。顔を知らないからこそできたような気もする。不思議な気分だ。いつもの自室の風景の彩度が少し上がったような感じがした。


 その後、数件のメッセージのやり取りをして、僕らは互いに「おやすみなさい」を言いあった。寝る前にもう一度だけタイムラインを確認すると、ミスプルさんの誰宛とも明言しないものの、明らかに僕に宛ててくれた呟きが投稿されていた。


 @ミスプル 頑張ろうとしている人は応援したくなるよね。そのまま突っ走るんだ! 23:48


 ハートマークを押してスマートフォンを閉じる。心は決まった。明日の朝、お父さんとお母さんに受験の話をしよう。目をつぶると、素性を全く知らないのに勝手に想像しているミスプルさんの後姿が瞼の裏に一瞬浮かんだ気がしたが、次の瞬間には眠りに落ちてしまった。


 ◆


 ミスプル えるきくん、東南線使っているでしょ。


 こんな個人メッセージが来たのは7月の下旬で、夏休みが数日後に迫っていた夕方のこと。あれからすぐに塾も決めて、無事、初回授業も先週終えたところだった。数学を教えてくれた若い先生がとっても分かりやすくて感動した。


 えるき え、どうして…。もしかして、ミスプルさん、探偵ですか!?


 と、冗談交じりの返信をしたものの、頭の中は高速道路のように思考が巡っていた。どうして僕の使ってる路線が分かったのだろう。コンビニの小火話だけでは絶対わからないはずだ。なぜなら最寄り駅にしても、複数の路線が乗り入れる比較的大きな駅だし…。


 ミスプル ミス・マープルの私に解けない謎なんてないのよ。って、ごめんごめん。気味悪かったね。この間。えるきくんが朝、電車に乗ったタイミングでツイートしていてそれが私の乗っていた電車の扉が閉まった直後で、もしかしたらって思ったの。


 確かに、時々呟いていた。特に、寝坊してぎりぎりで乗車した時ほど呟いていた様な気がする。でも、まさかミスプルさんが同じ路線を使っているなんてあり得るだろうか。偶然にしては出来すぎてはいないだろうか。でも、現に路線は合っているし、本当にただの偶然なのかもしれない。


 えるき 偶然過ぎますね 笑 確かに路線は正解です。じゃあミスプルさんと僕、ずっと同じ電車に乗っていたってことですよね。なんか、小説みたいですね 笑


 ミスプル 事実は小説よりも奇なり、ってね。本当にこんなことってあるんだね。良かったら、ちょっとやってみたいゲーム(?)があるんだけどいいかな?


 この日のミスプルさんはやけに上機嫌だった。いつもに比べてちょっと子供っぽいというか、純粋に楽しんでいるようで、僕はその申し出を無下にはできなかった。


 えるき いいですよ!どんなゲームですか?


 ミスプル ありがとう!それで、電車に乗ったらその日は何両目に乗ったかを数字だけツイートするの。私とえるきくんだけが分かる秘密の暗号みたいで面白いと思うの!偶然同じ車両になったらドキドキしちゃうけどね 笑


 それはそれは魅力的な申し出だった。さっきまで感じていた怪しさやいぶかしみはどこへやら。僕は、毎週月曜日の朝にそのゲームをすることを快諾していた。


 ◆


 @えるき  4 7:28

 @ミスプル 3 7:28


 今日もニアミスだ。ゲームを始めて1か月が経った。つまり、僕らは4回、ミスプルさん考案の「乗車車両告白ゲーム」なる謎のゲームを繰り返していた。僕らが乗るこの電車は6両編成で、結構すぐに車両がかぶるかと思ったのだが、そんなこともなく時間だけが過ぎていった。

 でも、今日はいつもに比べて近い。隣の車両に顔を知らぬミスプルさんが乗っていると思うとついつい、隣の車両へと続く接続部分に視線が行ってしまう。奥の方に見える若い女性がそうなのかなぁ、などと不毛な妄想を繰り返している自分に心の中で苦笑いしした。

 そんな中、車内をぐるぐる見渡していたせいで、窓際に知った顔がいることを発見する。

 スマホを片手にドアに寄りかかるようにして立っていたのは、通い始めて1か月になる塾でずっと数学の担当をしてくれている城じょうくるみ先生だった。教室ではいつもパンツスーツ姿なのだが、今日は打って変わって、ふわっとした水色スカートを履いている。クリーム色のサマーカーディガンもよく似合っている。

 先生もこの路線使ってるんだ・・・。と思った瞬間、まさか、と脳内が高速回転する。

 ―――くるみ先生がミスプルさんなのかも・・・。

 たしか、読書好きっていってたし、数学が得意ってことは論理的思考が好きってことだろうし、そうなると推理小説だって・・・・。いや、そんな偶然があるわけないか、と自分にツッコミを入れて気持ちを落ち着ける。

 ただ、万が一、くるみ先生がミスプルさんなのであれば、塾での発言には気を付けなければいけない。僕が仮に「えるき」だってことに気が付かれてしまっては、先生だって授業がしにくくなってしまうかもしれない。念には念を入れて肝に銘じておこう。

 くるみ先生はスマホから目を離さない。僕は、Twitterを開くと自分のタイムラインを確認する。


 @ミスプル:満員なんだから、もうちょっと冷房かけれくれればいいのになぁ。 7:34


 ミスプルさんが呟いている。先生は相変わらずスマホを操作している。そう、偶然。きっと偶然なんだ。気にしないようにしないと、僕だって塾に行きにくくなってしまう。

 少しモヤモヤしたまま、先生が降車したところで僕も降車して、何となく人ごみに紛れた。学校に行く途中にあるまだ電気のついていない塾の建物を眺めながら通り過ぎると、いつも通学の際に寄る小火のあったコンビニで紙パックの紅茶を買う。今日はちょっと甘いのが飲みたくてピーチティーを選んでみた。

「ありがとうございましたー」

 いつも変わらない声に見送られて僕は学校へと向かう。なんだか気になってしまって、何度も後ろを振り返ってしまったのは秘密だ。さて、今晩の塾で僕は平静を保てるのだろうか。それだけが目下、問題だ。


 ◆


「ここは因数分解をするとき、2x+3をMとおくと公式があてはめられてね、ほら」

 柔らかい赤字がノートの上で踊っている。そして、くるみ先生の顔がすぐ横にあって、ふわっと柔らかい良い匂いがする。個別指導は物理的にも先生との距離が近いのだ。

「あ、ほんとだ。全然気づけてなかった・・・」

「なんだぁ、今日は水面くんらしくないねぇ」

 結局、僕は本調子が出せない状態に陥っていたのだ。まぁ、あれだ、くるみ先生が気になって集中できないというやつ。

「いや、今日はなんか体調がちょっと悪くて頭回らないです」

「先生のことが気になって集中できないんです」なんて、本当のことを言えるわけもなく、何となく繕う。

「そっかぁ、最近、暑いもんねぇ。今日は早く寝るんだぞ、少年!」

 そんな芝居がかった発言をしても何となく様になるところが、すごく先生っぽい。とはいえ、「集中、集中!」っと僕はくるみ先生のレクチャーを賜る。

 塾を出たのが9時過ぎ。クモの子を散らすように中学生が塾から帰っていく。さて、駅に向かおうかと踏み出そうとしたその時だった。

「おうい、みなもくーん!」

 不意に呼び止められて、振り向くと塾の入り口でくるみ先生が手を上げて呼んでいる。なんぞ、と少し小走りで先生のもとに駆け寄ると、

「ほれ、筆箱。忘れてるよ」

 先生に手渡されたのはキース・へリングの犬の絵があしらわれた紛れもなく僕の筆箱だった。ぼーっとしすぎて、カバンにしまい忘れたのかもしれない。

「ありがとうございます」

 そういって、僕はカバンに受け取ったものをしまう。

「それじゃぁ」

「はい、またね。気を付けて帰るんだよ!そして、今日は早く寝ること、ね」

 そう言うと、くるみ先生は僕の肩をポンと叩いた。

「は、はい。さようなら」

 なんだかふわっと、ぼやーっとしたまま気が付いたら実家近くの最寄り駅についていた。いつの間に僕は電車に乗ってここまで来たのだろうかと思うくらいだった。

 つまりあれだ、いくら僕だといっても所詮は中学生男子。若い女性に優しくされたらたまらいのだ。

 塾の宿題に少し手をつけて、寝る直前にベッドでTwitterをひらく。


 @えるき ぼく、ちょろいなぁ(笑) 0:27


 特に誰宛というわけでもなく、強いて言えば自分宛に投稿をした。

 数分後、通知が鳴る。ミスプルさんからの返信だった。


 @ミスプル えるきくん、どうした(笑)いいことでもあったの?よい子は寝る時間だよー。おやすみ! 0:34


 もう、ミスプルさんがくるみ先生にしか見えない!あぁ、神様、割り切って頑張るぐらいの気持ちの余裕をください!こんなときばっかり神頼みの自分にまた苦笑する。今回の苦笑は完全に表情に出ていたと思う。


 @えるき いや、別段いいことってわけではないんですけどね(笑)お子ちゃまは寝ますね!おやすみなさい! 0:38


 画面の向こう側に因数分解を教えてくれた時のくるみ先生を見たような気がして、僕は眠りに落ちていた。


 ◆


 ミスプルさんとは偶然がかなり結局同じ車両に乗り合わせることもなく、夏休みに突入した。「車両告白ゲーム」は一旦お休みになる。しかし、それに伴って塾も夏期講習期間に入るわけで、僕はほぼ毎日くるみ先生と顔を合わせることになる。先生がミスプルさんなのかもしれないという疑念は引きずりつつだが、差し迫る進路を思うとそればかりも考えられない。なんとか、割り切って勉強に集中するすべをいつの間にか身に付けていた。学力は思った以上に順調についていった。今まで勉強はもちろんしていたけど、良くも悪くも自己流。偏りもあれば効率も悪かったんだろう。くるみ先生から正しい勉強の方法をと分量を教えてもらってからは自分でもわかるくらいぐっと「デキるように」なった。

 午前中の授業が終わって、お母さんが作ってくれたお弁当を広げながら、Twitterを開く。夏休みの時期に入ってからミスプルさんのつぶやきは少し減っていた。仕事が忙しいのかもしれない。

 改めてミスプルさんへの感情について整理してみる。会ってみたいのは事実。それは、友達になりたいから?今よりも親密な間柄になりたいから?いずれにしても、僕がミスプルさんに対して好感を抱いていることは事実だし。


 会ってくれないかな。


 ふと、浮かんだ。ここまで接近を許してくれているのだったら、もう、直接言ってしまってもいいんじゃないだろうか。勢いで個人メッセージ欄を開いて、会いたい旨を入力したところで、

「水面くん、Twitterしてるんだ。現代っ子は違うねぇー」

 胃のあたりをキュッと掴まれたような感覚がした。くるみ先生だった。

「あ、ええ。まぁ、少しだけですけど」

「そうなんだ。私もやってるけど、顔わからない相手と結構友達になれちゃうから面白いんだよね。あ、でも水面くんには私のアカウントは教えられないよ。塾の決まりだからね」

 そこまで、言ってませんよ、先生。と心で返すも、まだ心臓は早鐘を打っている。アカウント名見られちゃってないかな・・・?それに、メッセージの内容も。って、先生はいつから後ろにいたんだよ。

「大丈夫ですよ。先生のアカウント探したりしないんで」

 といって、悪戯っぽい笑顔を返す。くるみ先生もニヤッと笑ってくれる。

「そう!聞いてよ、先生の友達、今ロンドンにいるんだって!うらやましいよねぇ。さて、時差は何時間!」

「え、急に・・・うんと、8時間」

「せいかーい!」

「休み時間具や休ませてくださいよ」

 くるみ先生は相変わらず元気で突拍子もなくて、素敵である。

 ―――まぁ、何とか繕ったからな。

「さぁて、午後は英語だから予習しっかりしておいてね。ビシビシいくよ!」

 そう言うと先生は颯爽と講師控室に戻っていった。

 ふぅ。ここで動揺してしまっては僕のらしくない。とっさに隠したスマホをとりだして、さっきの送りかけのメッセージ画面を開く。そして、送信ボタンをタップする。

 僕はこの夏一つ踏み出す。こんな出会いも悪くないはず。


 返事は1週間たっても来なかった。


 ミスプルさんは、


 @みすぷる しばらく、どろん。 02:24


 というつぶやきを最後に、つぶやくことも個人メッセージを送ってくることもなくで、完全に行方不明の様になっていた。まぁ、元から素性も分からないので、元から行方不明といえば元からなのだが。とはいえ、僕の送ったメッセージが原因だったのかもしれないというモヤモヤはずっとあった。そうでなければ、休みである今日までわざわざ通学と同じ時間の電車に乗って隣町まで来ることはない。癖でいつものコンビニも寄ってしまった。特に買うものもなく、週刊誌を適当に立ち読みをして店をでる。始めて見る店員が店先を掃き掃除していた。

 こんな早朝から開いている店も多いわけではなく、結局いつものカフェに落ち着く。アイスティーをすすりながらミスプルさんを思う。

 自分のせいでTwitterにいづらくなってしまったのかと思うと、申し訳なさしかない。どうにもでき無い状況であることも分かっていながら、ああでもない、こうでもないと思案しているうちに1時間以上が経っていた。勝手ながらも名探偵ポアロの名前をもらっている僕としては、完全に名前負けの状態だった。

 グラスのアイスティーも気が付けば空になり、そろそろ店を出ようと立ち上がろうとした時、ガラス張りの店内から通りを歩いていく知った顔に気が付く。

 くるみ先生だ。今日は、真っ白なスキニーにネイビーの7分丈のトップス。夏にもかかわらず被っているニット帽は、不思議と暑そうに見えない。

 そして、祖の横をあるさわやかな長身の男性の姿。つまり、そういうことだろう。

 楽しそうに笑うくるみ先生は塾で見せるパリッとした姿とは少し違っていつも以上に「女性」だった。おしゃれだし、かわいいし、なんたって花の大学生。そりゃ、彼氏の一人もいるだろうさ。別に、くるみ先生と付き合いたいとか、そんなわけではなかったけど、なんだ、そう、あれだ、ちょっと悔しいような気がした。お腹の真ん中あたりがキュッとした。

 その日は、市民向けに開放されている大学図書館に籠ってがむしゃらに勉強した。くるみ先生に教わった因数分解も、現在完了形の文法も、運動の計算も全部全部叩き込んで自分のものにしようと思った。これだけは、僕だけのものにしたかった。

 館内に閉館を告げるアナウンスが流れたのが午後5時少し前。勉強は進んだ。今日までの復習が全部できたんじゃないかって思うくらいの進みようだった。

 僕を今まで縛っていた、いや、勝手に縛られていたと思っていた状況を脱することができて、ある意味、自由になれた。変にくるみ先生を意識することなく、明日からは塾にも通うことができる。夕焼けに追い立てられるように帰宅したころにはもう、今日は何事も無かったんじゃないかと思えるくらいに晴れやかだった。


 ◆


 週が明けてもミスプルさんから返事が来ることはなく、僕は毎朝同じ電車に揺られていた。くるみ先生=ミスプルさんの可能性も捨てきれずではあったものの、もう意識はしないと決めたんだ。

 そして、一人で車両番号を呟き続けていた。あくまでも、吹っ切れたのはくるみ先生に対してで、ミスプルさんにはまたちょっと別だった。もはや、月曜だけというルールすら無視して毎朝番号だけを呟き続ける。Twitterでは、番号に対して疑問を持ったフォロワーさんから聞かれることもあったが、何となく濁しておいた。

 いつか戻ってきてくれるだろうミスプルさんが見てくれるように、呟き続ける。

 お盆休みも過ぎると、夏期講習もいよいよ大詰めで、来週末にある模試に向けて調整が始まっていた。

「水面くん、すごいじゃん。この練習問題でここまでできてたら、模試の結果もかなり期待できそう!でも、油断しちゃだめだよ。先生の友達にもいたんだよなぁー。練習でうまくいきすぎて本番を舐めちゃってね」

「それで、どうなったんですか?」

 くるみ先生はいつものようにくすっと笑うと、

「もちろん、志望校判定はD。絶望的な結果よ」

 と言って神妙な表情に切り替える・

「うわぁ。それはやだなぁ」

「でしょ!勉強において、さぼり癖と、油断は大敵!大学の友達なんかさ、私に出席の登録を頼むのよ。自分はバイトするからって。まぁ、私は優等生だからちゃんと授業も出るんだけどね。って、何の話よ!まぁ、水面くんはしっかりしてるからそんなことはないと思うけど、気を抜かないでいこうね。さて、ここの移動する点Pに関してなんだけどね――――」

 くるみ先生はいつもの調子で小話を挟んでくれながら飽きない授業を展開してくれる。気を抜かず勉強をしてくるみ先生みたいな大学生になりたい。一夏を経て僕は将来の目標を見つけたような気がした。

 模試のできは上々だったと思う。受験会場から帰る道すがら頭の中で答え合わせをしていた。一番苦手だった数学が、一番感触が良かったこともうれしい。明日、くるみ先生一番に報告をするんだ。

 電車に揺られて自宅を目指す中で、僕は何となく乗車した車両番号を呟いていた。帰り道で登校するのは初めてだったけど、ほんと、何の気なしにってところだった。

 帰宅後、模試の出来を両親に報告してなんだかホクホクした気分で床に就く。目を閉じて、しばらくしたところでスマートフォンがブルッと震える。Twitterの通知だ。


 ミスプルさんがあなたのツイートにいいねをしました。 24:16


 その文字を見るや否や飛び起きてTwitterを開く。帰り際、電車の中でつぶやいた車両番号に「いいね」が押されていた。ただし、ミスプルさんからの返事があるわけでも、彼女自身のつぶやきがあるわけでもない、謎に満ちた通知だった。


 翌朝、僕は自分が昨日、ツイートしたのと同じ車両に乗る。特に深い意味はなかった。そして、慣れた手つきで画面をタップしていく。


 @えるき 5 7:28


 僕はTwitterの画面の更新をかける。3回ぐらい更新したところで、見慣れた、そして、懐かしアイコンの投稿があった。


 @ミスプル 5 7:29


 同じだ!、いま、この同じ車両の中にミスプルさんがいるんだ。車内を見渡そうにも、今日から学校が始まる人も多いせいで車内は満員だ。おまけに今日は電車の揺れが大きい。

 ガタン!

 電車が左に大きく揺れる。反動で僕ら乗客は右側にグラつく。僕は隣に立っていた女性にぶつかってしまう。そして、女性の携帯電話が床に落ちてしまう。

「あ!ごめんなさい!」

 僕はそれを拾い上げると、女性に手渡す。どこかで見たことあるような顔…な気がしたが、僕の視線はそこを気にする間もなく、スマホの画面に写る。そこにはTwitterが開かれていて、なじみのある僕のアカウント画像が。

「あ、あの、これ」

 そう言うと、女性はスッと自分の唇に人差し指を立ててほほ笑むと、何かをスマートフォンに打ち込む。

 僕のポケットが震える。


 @ミスプル やっと会えたね。電車降りたら、ちゃんと話そう!ここでは、ね(笑)


 画面からミスプルさんの表情に視線を戻して僕は頷く。って、ミスプルさんは背が僕より高い。ヒールを吐いているせいもあるんだろうけど、僕は見上げる形になっている。

 綺麗な人だなあ。

 そんなことを考えていると、幸か不幸かまた電車が大きく揺れる。

 必死にバランスをとろうとした結果、僕の顔はあったかい柔らかいものに支えられていた。

 僕は自分のスマホを使って必死の弁明をミスプルさんに送る。


 @えるき ごめんんさい!わざとじゃないんです!ごめんなさい!


 ミスプルさんは「仕方ないなぁ」っていう表情で笑ってくれた。僕はもう下を向いて自分の赤ら顔を隠すしかできなかった。そして、徐々に電車はスピードを落として、いつもの駅につく。


 乗客が外へ流れ出す。僕とミスプルさんはそれとなくとあり同誌に連れ立って電車を降りる。今になって心臓がドクドクしている。

 口を先に開いたのはミスプルさんだった。

「えるきくん、改めまして、はじめまして。ミスプルです。やっぱり、キミだったんだね」

「え、やっぱりって、ミスプルさん僕のこと知ってたんですか?」

「そっかぁ、えるきくんは覚えてなかったかー。残念!じゃあ、ヒントあげよう」

 僕らは並んで改札を抜ける。頭の中は混乱真っ最中である。

「ヒントですか…」

「私はえるきくんが紅茶少年であることを知っている人物なのです」

 紅茶、紅茶・・・

「あっ!学校の近くのコンビニの!」

「そうそう。よく思い出してくれました」

 僕が学校に行くと気に毎朝寄って、紙パックの紅茶を買うあのコンビニ。週に2,3回は顔を合わせていたはずなのに、制服を着ていないとこうも分からなくなってしまう。

「で、でも、なんで僕がえるきだってわかったんですか?」

「それはね、小火事件だよ。うちのコンビニで起きたやつ。ちょうど私がシフトに入ろうとした時で、写真を撮ってるえるきくんを見たんだよ。それがえるきくんのアカウントから投稿されていて確信したの。ごめんね、変に意識されちゃってお店に来てもらえなくなったらちょっとショックだから黙ってたの」

「そうだったんですか・・・いやぁ、お店に行かなくなるなんてないのに」

「だからこそ、会いたいって言ってもらえて嬉しかったの。でも、ごめんね音信不通になっちゃって。大学のゼミでちょっと海外に行かなきゃいけなくなって、それで連絡ができ無かったの。昨日帰国したばっかりで、まだ時差ボケがすごいのよ」

 色々なことが腑に落ちてくる。返信のないTwitter、コンビニに最近入った新人アルバイト、意味深なミスプルさんのつぶやき。そして、安心した。

「いいんです。でも、こうして普通に話せる日が来るとは思ってなかったんでうれしいです。初めてリプした時からこの人とは合いそうだなってビビッときてたから」

 駅を出て、学校、そしてコンビニの方面に歩きだす。夏の残暑はまだ厳しいけれど、僕は不思議とすがすがしさを感じていた。達成感にも似ている。様々なモヤモヤから解放されて、僕は一つ大人になれたような錯覚すら感じていた。

「うれしいことを言ってくれるね。ただ、悩んだのよ、私も。だって、えるきくん中学生でしょ。あたしみたいなたいして素性も分からないような大学生と会ってメリット無いんじゃないかなぁと思ってさ」

 Twitter上よりも謙虚で自分に自信のない感じがすごく意外だったし、僕はすぐにミスプルさんが卑下した部分を否定したかった。彼女は魅力的な女性だ。

「そ、そんな! ミスプルさんはすっごく魅力的ですよ!もうなんか、あの、彼女にしたいぐらい。」

 ああ、何を言っているんだろう僕は。これ、告白してるよね、僕。

 しかも大きな声で。立ち止まったミスプルさんが明らかに照れてるし、僕は非常にやりずらい空気を作ってしまった。ミスプルさんはおもむろにスマホをとりだすと何かを入力する。

 僕のポケットが震える。


 ミスプル びっくりさせないでよ!(笑)Twitterの時よりも積極的だね。最近の中学生はすごいなぁもう! 幸か不幸は私は今彼氏はいません! も、えるきくんは若すぎる!キミが大学生になったら喜んで彼女やらせてもらいたいな。それでも、良ければ私は待ってるよ。


 自分のスマホに映し出されたその文章を高速で何回も読む。僕らが電気信号の中だけでやり取りしてきた文字の羅列に、血が通い、思いが流れ、気持ちがつながる。

 僕はミスプルさんを見つめると大きく頷く。流れていく人の波はさながら、情報で溢れていくタイムライン。

 僕らはその中でいくつもの「お気に入り」を自分のポケットに集めながら、気の合う「誰か」を探す。見つけられるかどうかは、誰にも分らないし、本人ですら見つかっているか分からないこともある。

 夏はもうすぐ終わる。ひと夏かけて取り掛かってきた現実とネット上にまたがる「自問」にも解が出た。


 相手の顔が見えなくても恋はできると思う?


 僕の出した解は、イエスだ。別に、僕は顔に恋をしたんじゃない。


 僕は、ミスプルさんという存在に恋をした。現実や非現実とかそんなくくりじゃない。


 もちろん、僕がものすごくツイていたっていう条件ありきでだけどね。


 ◆


 Twitterの画面なんて、久しく開いていなかった。社会人になると、今までの習慣とかそんなものはすべて取っ払って仕事まみれになる。

 久々に開いたタイムラインは懐かしいアカウント名が相変わらず推理小説談義を繰り広げていた。変わらないものもあるんだ。

「なにに見てるの」

 肩越しに杏子が画面を覗き込む。ふわっとシャンプーの香りがする。

「Twitterだよ。久々に開いてみた」

「やだ、懐かしい!えるきくんアカウントまだ使えたんだ」

「まぁね。生徒にSNSは気を付けろよーって言ってる僕が、SNSで出会った人と結婚しましたなんて言えないよね」

「ほんとね。それに、Twitterでミス・マープルとエルキュール・ポアロが出会ったなんてクリスティが知ったら、さぞ喜ぶでしょうね」

 そんなやり取りをして、僕らは笑う。杏子の笑い方はあの日と変わらない。それと、僕らの身長差も。

 鍋の吹きこぼれる音が不意にして、杏子がキッチンへ小走りで戻っていく姿を横目で見ながら、当時彼女の言った「ちょっとくらい大変な目」にあった僕は、めでたく幸せを手に入れられたことを噛みしめる。


 僕はさっと一言だけ呟いて、現実世界に帰る。また、しばらく開くこともないだろう。


 @えるき ポアロとマープル、出会いはコンビニってクリスティもびっくりだよね(笑) 19:46


 完

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