時計の中のこびとたち

佐々宝砂

時計の中のこびとたち

 その日はクリスマス・イヴだったので残業がなかった。イヴをひとりで過ごさなくてはいけない彼は残業をしたいと上司に申し出たが、上司は笑って言うのだった。

「なあ、君、折角のクリスマスなんだから帰れよ。それともなにかい、クリスマスをひとり淋しく過ごすのはいやかい。だったらこのあいだ写真を渡しただろう、わたしの姪っ子だがね、来年二十五になるんだがね、いい子だよ。今度会ってみないかね」

 彼はこれまで見合いをしたことがなかったが、これからする気もなかった。それで彼は丁重に断りをいれ、とぼとぼと家路をたどった。街角にはクリスマス・ソングが流れていた。

 彼の住まいは小さなアパートの一室である。彼は自分のドアに鍵を差しこみながら、隣の閉ざされたドアを盗み見た。彼は、その部屋に自分と同い年くらいの女性が住んでいることを知っていた。彼女が独身で、恋人がいないらしい、ということも知っていた。けれど彼は彼女に話しかけたことがなかった。

 彼はあまりきれいとはいえないごたついた部屋に上がり、あぐらをかいた。夕飯を作る気力がなかったのでカップ・ラーメンでも食おうかと思ったが、あまりに情けない感じがして、やめた。彼はとりあえず寝っころがることにして、足を投げ出し、それから両腕を伸ばしてそのままひっくり返った。そして彼は悲鳴をあげて飛び起き、左手をさすった。

「いてて」

 彼の手に当たったのは、小さな目覚まし時計だった。毎日お世話になっている、しかしいつから使っているのか忘れてしまった古い時計。黒い文字盤に赤と緑の葉っぱを描いてあるのが唯一の飾りで、何の変哲もない時計。彼は起きあがって、その時計を手に取ってみた。手をぶつけたせいか、時計の中で奇妙な音がするのである。カチコチといういつもの音とは違う。何かもっとちいさい音、誰かがぶつぶつと小声で喋っているような―――彼は時計に耳を当ててみた。幼い頃よくそうしたように。


「ねえ、早く支度してよ、遅れちゃうよ」


 彼はびっくりして耳を離した。かん高いきいきい声が確かに聞こえたのだ。おれも幻聴を聞くようになったのだろうかと彼は思い、そうではないことを確かめるためにもう一度時計に耳を当てた。


「支度できた? さあ、早く行こうよ」


 間違いではなかった。時計の中で確かに声がする。彼は怖くなって時計を放り投げた。かしゃん、と音を立てて時計が転がった。そして、その中から、三人のこびとが出てきたのである。背の高い(といってもやっと三センチの)こびとと、背の低いずんぐりむっくりのこびと、それから、背は高いけれどとても華奢なこびと。彼はどぎまぎして目を反らした。こびとを見るなんて、これはアル中の禁断症状ではなかったか。もっとも彼はろくに酒の飲めないたちだった。

 ずんぐりむっくりのこびとが、咎めるように彼を見あげながらとことこ歩いてきた。

「あんたが乱暴なもんだから、この子が怪我したじゃないか。今夜のパーティーをすごく楽しみにしてたのに。これではゲームに参加できない。どうしてくれる」

「この子って、あの、誰」

「この子って、秒針だよ」

 背の高いこびとが、いちばん細いこびとを背負ってやってきた。華奢なこびとは足をばたつかせながら泣いている。見ればその細い細い腕から血が流れているようである。

「おれ、何か悪いことしたのかな」

「悪いなんてもんじゃないわよ、見てよ、この腕」


 背の高いこびとが言った。細いこびとは畳に坐ってぴいぴい泣き続けている。彼はなぜかとても悪いことをしたような気になり、思い立ってタンスの上から救急箱をおろしたが、こびと向けの救急薬はないようだった。カットバンも包帯も、何もかもが大きすぎる。そこで彼はティッシュ・ペーパーをちいさくちいさく切り、それに消毒薬をかるく吹きかけ、細く細く切ったカットバンでこびとの腕に貼りつけた。


「これでどうかな」

「だけど、ゲームには出られないわ。動かすと痛いみたいだもの」

「あんた代わりにゲームに出てくれるか」

「ゲームって・・・」

「今夜は時計のこびとのクリスマス・パーティーなんだ。そこで、短針と長針と秒針が三人揃って一組になってゲームをやる。ハードなゲームなんだよ、かなり動き回らなくちゃならない。わたしら毎年一等賞をとってたのにこれでは今年はうまくない」

「そりゃ代われるもんなら代わってもいいけど、おれ、こびとじゃないよ」

「大丈夫」

 何が大丈夫なんだと訊ねる間もなく、彼の身体はみるみるちいさくなった。背の高いこびとよりもちいさくなり、ずんぐりむっくりのこびとより細くなり、いちばん痩せたこびとと同じくらいの大きさになってしまった。

「さあ、時間がない」

 ずんぐりむっくりのこびと(こいつは短針に間違いないと彼は思った)が、彼をせきたてた。

「でも、どうやって、どこへ」

 彼は短針に訊ねた。

「飛んでゆくのさ、矢のように。光陰矢の如しというじゃないか。わたしらは<時>だ。矢のように飛ぶ。さあ、行こう」

 彼の身体は、何か見えないものにすくいとられたように、ヒュッと浮かび上がった。彼は加速を感じて目を閉じた。これはジェットコースターよりおっかないが面白いぞと彼は思った。だが、それはあっという間に終わってしまった。


 ふと気がつくと、彼は、ゼンマイやネジや歯車で飾られた大広間に立っていた。広間の真ん中には、大きなクリスマス・ツリーがある。しかし、ツリーを飾っているのは星ではなく、きらきら光る金の時計なのだった。彼がぼんやりとあたりの豪華さに感心していると、こびとにしてはずいぶん背の高い白ヒゲの老人が話しかけてきた。

「あんた、新顔の秒針かい? 最近は新顔も少なくなってきてねえ。世の中デジタルとかが流行っているらしいねえ。あんたらみたいな秒針のある時計ならまだいいが、わしらみたいな振り子の柱時計は出る幕がないよ」

「いや、おれは秒針じゃなく秒針の代役で・・・」

「ゲームがはじまるわよ!」

 彼は短針と長針からゲームのやりかたを聞いた。ほとんど騎馬戦のようなゲームで、短針と長針が秒針を背負い、秒針が持っている歯車やネジやゼンマイ(時計によって違うらしい)を秒針同士で奪いあうのである。しかし彼はそういうことをゲームの最中に聞いたのだった。何が何だかわからないうちに大きなネジを一本手渡されてゲームがはじまり、おまけに彼のチームの短針と長針は、脇目もふらずに敵に突進するのである。彼は必死になってしまった。だが、こんなに楽しい思いをしたのは実に久しぶりだった。怪我をして観客席にまわっている彼らの秒針も、手を叩いて喜んでいる。

 やがて笛が鳴り、ゲームは終わった。残っているのは、彼のチームだけだった。


「今年も優勝はポインセチアの目覚まし時計です! 皆さん盛大な拍手を! 優勝者には豪華な賞品が贈られます」

 賞品をもらうのは秒針の役に決まっているというので、彼は壇上に進み出た。手渡された賞品は、持っているだけでふらふらしてしまうほどに大きな調理済みのターキーだった。彼はよたよたしながら壇上から下りた。

「さあ、ゲームは終わった。あんたには帰ってもらう」

 短針が言った。

「え? パーティーはこれからじゃないの?」

「パーティーは確かにこれからだ。だけどわたしら時計の集まりに人間が出るのはほんとは正しいことじゃあない。だから帰ってもらう。そのターキーは記念にやるよ」

「そ、そんな」

 しかし反論をしている暇はなかった。彼はまた、あの見えない手にひょいとすくわれてピュンと矢のように飛んだ。彼は知らなかったが、時計のこびとたちは誰にも較べられないくらい勤勉で、誰にも較べられないくらい気が早いのである。そうでなければあのように毎日コチコチと動いているはずがないし、あんなにも早く時が過ぎ去るはずがないだろう。


 それはそうと、彼は、自分の部屋に戻ったのではなかった。彼は自分の部屋の外側で、つまりドアの前で、どすんと尻もちをついた。彼が大きくなったのだからターキーは小さくなるのではないかと思ったが、ターキーは大きいままだった。時計のこびとは、彼のサイズに合わせてターキーを大きくしてくれたらしい。

 でも彼はあまり嬉しくなかった。この馬鹿でかいターキーを、ひとり暮らしの身でどうしろというのか。時計のこびとたちのパーティーは今やたけなわだろう。おれはあいつらからも仲間外れにされちまった。しかしこのターキー、ひとりで食いきれるかな。彼は夜の風に吹かれてぶるぶると震えながらノブに手をかけた。

 するとそのとき、背後でこんな声が響いたのである。


「あら、なんて大きなターキー! そちらでもクリスマス・パーティーやるんですね!」

 彼女はスーパーの袋を二つ抱え、息を切らしていた。

「いや、そういうわけじゃないけど。こいつはね、もらったんですよ。だけどひとりじゃ食べきれないし、どうしようかと思ってたところで。よかったらあげましょうか」

「いえ、とんでもない。こんなに大きなターキー、高いでしょ? でも、もしお暇でしたら、それ持ってうちに来ません? 今夜うちでちょっとしたパーティーやるんです。女三人集まって、パーティーっていうのも大げさだけど。一人でも人数の多い方が楽しいし、女ばっかりでしょ、男のひとが来たら喜ぶと思うな」

「いいんですか」

「ええ、もちろん」

「それじゃあ・・・」

 喜んで、と彼は思った。ええ、喜んで!


 彼女は、枕元に置かれた目覚まし時計を手にとった。文字盤にはポインセチアの絵があった。

「ねえ、どうしてこの時計の秒針、カットバンがまいてあるの」

 彼は欠伸をかみ殺しながら答えた。

「ああ、それ。昔、おれがその子に怪我をさせたんだ。ぴいぴい泣いて可哀相だったもんで、消毒して、カットバン貼ってやった。今はもう治っただろうなあ」

 彼女はくすりと笑い、時計を元に戻した。

「あなたっておかしなひとね。だから好きよ」

 カチリ、と針が動いて時を告げた。

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