小さい丘

@tori-0123

小さい丘

 他の話にも何度も書いてあるように、私の実家は中国地方の山がちな小さい町の中にあります。山に囲まれた街の中のさらに山の中にある小さい集落なのですが、家の数は20戸程。住人はまあ、全員集めても50人いるかいないかというところです。

 姓がほぼ同じで構成されている集落のこと、屋号で呼び合うのが普通なのでここでは該当する家を仮に(キノマエ)さんとしておきます。

 

 もちろん実名ではなく架空の屋号なので、仮にこの屋号に該当する場所があったとしても、それは全くの別人であるということを明記しておきます。


 さてこのキノマエさん。末っ子が私の三つ違いの兄と同級生で、誕生日も近く家も遠くはなかったので、兄は子供の頃からよく行き来をしていたようです。

 私自体はこの家に行ったことはないのですが、田舎のこと同じくらいの年齢の子供たちは遊ぶ場所も人も限られているので、この家やその周りの林などに兄達が入ってよく遊んでいる姿を見かけました。


 この家の前には隣の地区につながる農道が通っているのですが、地区を隔てる山の中にその道はつながっていて、まっすぐ行くと雑木林の中にすっかり消えてしまいます。緩い傾斜がある田畑を右手側の高い場所に見ながら進み、道が吸い込まれていく雑木林あたりでようやく道と並行して平らな場所になるのです。

 しかしこの家のある場所は高い場所を切り崩したのか、棒倒しの砂山を半分をすっかり掬い取ったようになっていて、切り崩したあとの崖の土どめと防風林の役目を果たす僅かな竹林の横に家が建っています。家は二階建てですが、それよりもはるかに高い場所に崖のてっぺんがあるので、この家の先祖がここに田畑と家を持つ前は小高い丘のような場所だったのでしょう。

 

 ここから先は母や祖母、兄から聞いた話です。

 

 約五十年ほど前。

 このあたりはとても田舎なので、産気づいたとしても病院に行かず、家で出産する人が結構いたそうです。

 キノマエさんの家の奥さんは初産でしたが、病院が間に合わなかったのか伝統的な手法に拘ったのか、家で産気づいてそのまま男の子を産んだそうです。

 お産も初産というには普通に安産でしたし、生まれたのは男の子でした。田舎の長男で舅姑にとっては初孫ということで大変喜ばれたそうですし、当時としてはごく当たり前で、家を継ぐ男子誕生ということで盛大にお祝いをしたそうです。元気によく泣く子で乳の含みもよく、ぐんぐん大きくなっていったので、あやして笑うようになると外に連れ歩く姿がよく見られたそうです。

 

 ただ、成長するにつれて男の子に異常が見えてきたそうです。

 六ヶ月でもあまり首がすわった様子がなく、一歳を超えても這わず座れず歩かず、喃語も出ない。指差しもせず、腰も座らない。目も耳も正常でよく笑う子でしたが、身体機能の異常と精神の発達と知能の遅れが目立つようになると、この子をあまり外で見かけることがなくなりました。

 やがて次の子が生まれました。その子は普通の子で兄と同い年の末っ子です。小さい時から母親っ子で、農作業をするお母さんの後を負いながらちょこちょこ付いて歩く姿が見られたそうです。お兄ちゃんである最初の子は相変わらず姿が見られませんでしたが、養護学校の車が集落へとやってきていたので、家で過ごしているのはわかる程度でした。


 末っ子が小学生になった頃、兄や集落の子供たちの間で【探検ごっこ】が流行っていました。ちょうど川口浩などが流行ったあの頃です。

 探検といってもその辺の雑木林に入ったり、防空壕を探検したり、辺りの山に入ってかつて使われていた炭焼小屋や材木業の跡地を探検したりというものでしたが、その日は誰が言いだしたのか例の家のすぐ横にある崖の上を探検しようということになったそうです。

 家の前を通る農道から見れば崖の上には大きな樫の木が立っていて、その下には何基かのお墓のようなものが見えていました。お墓のようなもの、と言いましたが、誰も実際近くで見たことがあるものはいません。

 ここには登ってはいけないと集落の子供たちは言い含められていました。

 崖の上に樫の木があるって、小さい広場のような場所に細長い石が三つ四つ立っている。なんでそこに登ってはダメと言われているのかわからないけど、大人が言うからいけないのだろうと、その程度の認識だったようです。

 好奇心の塊のような時期ですし、行ってはいけないと言われているけれど、小高い丘の上にある樫の木のある小さい広場など子供には魅力的な場所だったので、兄たちは他の子供数人とその場所に大人に見つからないように登りました。

 果たして皆で登ってみれば何の変哲もない日当たりのいい丘です。

 登ってはいけない、近づいてはいけないという割に樫の木の周りは落ち葉も掃除され、小奇麗に草などかられていましたし、広場の真ん中に建っている細長い石達には花やお供え物などが供えられた跡がある。子供たちはもっとワクワクするようなものがあると思っていたらしいのですが、特に何もない場所だったので拍子抜けしてそのまま降りてきたそうです。


『そういえばあそここんなん落ちてた』


 降りてきてから一人の子が、ボロボロになったなにかの破片をみんなに見せてきたそうです。農作業に鎌や鍬等を使用していたのを覚えている時代の人などはわかるかもしれませんが、なにかの拍子に欠けてしまった鎌や鍬の破片が思わぬところから出てくることがあります。風雨にさらされて錆びてボロボロになり、グズグズと崩れてしまいそうなほど無残な姿になりますが、ちょうどあんな感じで錆だらけになったなにかの鉄器の破片でした。みんなは汚いから捨てようとその辺の側溝に捨ててきたそうです。


 その夜、件の家の小父さんが我が家に怒鳴り込んできました。


『あそこに登ったらいけん言うとったじゃろうが、なして登らせた!!!』


 小父さんはうちだけではなく、一緒に行った同級生の家全部に怒鳴り込んでいったらしいのですが、とんでもない剣幕で【なんで登ったか、なんか拾ってきたんじゃなかろうな!!】と聞いて回っていたそうです。

 まだ父が生きている頃だったので、父が応対に出て話を聞きましたが話は全く要領を得ません。ただ同じことを繰り返すだけで、ひどく怒って怯えていたそうです。

 

 祖母は父が相手をしている間に例の家に行き、そこの奥さんに事情を聴きいたそうです。


『下の子が帰ってきてから、兄ちゃんが初めて物らしい事を言うたんじゃ。誰か登ったゆうて。びっくりして兄ちゃんにどこへ登ったんか聞いたら、裏山じゃあゆうて……○○が登ったゆうて、拾うたもんは早う返せ言い出して。それから兄ちゃんが具合が悪うなって、今親戚のキノシタに病院に連れていってもろうとる。話を聞いても○○は誰が一番最初に登ろうゆうたか覚えてないゆうし……○君が一番に言うたんじゃないんじゃろう?』


 悪戯で有名なクソガキだった兄は、だいたいこういう騒ぎの言いだしっぺなのですが今回は違うようでした。なぜなら一緒にいたはずの誰もが、最初に誰が言ったか覚えていないと同じ事を言ったからです。


 次の日になって農道脇の農業用水の大掃除が行われました。みんなと一緒にいた中で一番年齢の小さかった子が、あそこで拾ったものを汚いから捨てたといったからです。

 大人はみんな仕事を休んで何キロも続く溝を掃除しました。農業用水に水が流れる時期だったのでだいぶ流されていたらしく、果たしてほかの地区へと繋がる分岐点近くであの錆びた破片が発見されました。


『キノマエの○兄ちゃんがゆうとったのはこれじゃろうなぁ………子供らのすることじゃけん、許しちゃってくれや………』


 祖母も父も、発見された錆びた破片に手を合わせて拝んだそうです。


 その日以来、例の家のお兄さんを迎えに来ていた養護学校の車も、リハビリ専用の巡回車も見かけることはなくなり、天気のいい日は時々車椅子に乗って庭先に出ていたお兄さんの姿も見られなくなりました。私自身もそれ以来そのお兄さんを見かけたことは家を出るまで一度もなく、兄も家に行かなくなったのでお兄さんがどうなったかは知りません。


 末っ子はこの間母が久しぶりに会ったといっていましたが、結婚もして子供にも恵まれ、元気にあの家で暮らしているそうです。


 以下、祖母や母が噂として聞いていた話です。


 この集落をはじめとする周辺地域には、弥生時代~古墳時代の墳墓や古墳が点在していて、昔はよく人骨や副葬品が発見されていたそうです。今でも集落のすぐそばにある小さい山(明確な名は無く、地域の人には小さい山または裏山と呼ばれている)には古墳跡とされる場所が教育委員会の管理の元にあります。

 なにせ地域に人が住み着いたのは江戸よりも前のことなので正確な記録は残っていないのですが、お寺の過去帳などを見ると例の家のあるあたりは丘の開墾途中で人骨と剣や壺などが一緒に発見されたので、埋め直して人数分の墓を立てたとの記録があるそうです。

 一帯は元々は古墳だったのでしょう。つまりお墓なので、お墓を切り崩してそこに田畑を作り、家を建てて生活を始めたということになります。


 祖母の話では例の場所に散らばるこの家の親戚筋は女ばかりで後継がなかったり、キノマエのお兄さんのような子供しか生まれなかったりして何代か毎に家が絶えそうになるのだそうです。しかし不思議なことに、その都度もともと古墳だった場所に散らばる親戚筋のどこかに健康な男子が生まれ、その子がどこかの家を継ぐということで血筋が続いて行くということです。

 

 古墳側の何者かも、古墳を壊したが同時に守っていくものすべて滅んでしまうのは困るのではないかと思うのです。それに、あの周辺に散らばる家に同じような子が生まれるのは、古墳側の何者かがそうさせているのではないかとも思うのです。 そこは先祖代々譲られた土地であり、既に完成された形の家を持っているわけなので、そもそも土地自体に因縁がある場合逃げるわけにも行かないですよ。

 

 因みにあの場所から拾ってきて捨ててしまった錆びた破片は、弥生時代以降の鉄器という話でした。破片なので実際はどんな形をしていたのかはわかりませんが同じ地区の遺跡から大量の鉄剣が発見されていたので、埋葬されていたのは地域の有力者の一族の可能性があり、丘の本来の大きさから言ってもそれなりの力を持った一族がこの地域にいた痕跡があるとの話です。


 ということは

 

 下手をするとこの地域一体が一族の関係者の墳墓の上にあるのかもしれないという事ですよね………

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